「ねえ、咲。」
 舞も薫も美術部の集まりで居ない、珍しい昼休みだった。満は空いた舞の席に座ってパ
ンを齧りながら、教室の天井を仰いでいた。
「なに?」
 大きな口の中に、白いご飯をもっくもっくといれながら、咲が首を傾げる。丸く膨らん
だ左の頬を一瞥し、満は天井に差し込む破片のような日光へと視線を戻した。
「咲と舞は結婚しないの?」
 ぶぼぉ、という小汚い音と共に、満の左頬に米粒の雨が吹き付けた。

「っご、ぶっは、み、満!
 いきなり何言うのよ!」
 喉に米粒がつかえたのか、咲が涙目になりながら机を叩いた。
「咲ってば、ご飯吹き出さないでよ。こんなことで!」
 それに構わず、満はポケットからハンカチを取り出すと、文字通りのライスシャワーを
浴びた顔を拭う。
「あ、ごめん・・・っ!
 えっと、顔洗ってこよう!」
 慌てて咲は満の手を取ると、教室を出て水道へと駆ける。すれ違った健太が、「咲おま
え、なにやったんだ?」と目を眇めていたが、それさえ軽く流して、咲は踊り場にある水
道の蛇口を捻った。
「お米には7人の神様がいるんじゃなかったのかしら。」
 満は不満げに呟きながら、促されるまま顔を思いっきり洗った。髪が濡れるのだってお
かまいなしの洗い方をされて、米粒は銀色のシンクの上を転がるように流れて行く。
 咲は水道の端に寄りかかると、深く溜め息を吐いた。胸の上に左手を置いて、深呼吸を
二回。水道の上にある採光用の窓から入るお昼の光が、咲の背中を暖める。
「咲、ハンカチかして。
 私のご飯がついてるから。」
 水音が止まる。振り返ると、目を瞑って俯いたままの満が、手をひらひらと出していた。
咲はスカートのポケットに右手を入れると、タオルハンカチを取り出して満の手に乗せた。
「はい。」
「ありがと。」
 手短に答えて、満が渡されたハンカチで顔を拭いた。前髪と頬に掛かる髪は濡れていて、
満の髪を普段よりも少し暗く見せる。でも、顔を洗ってすっきりしたのか、振り返った満
の眼差しは明るかった。
「ごめんね、満。」
 ハンカチを受け取りながら、咲が眉を垂らした。満は殊勝な咲を見て、わざといじわる
に顔を背けてみせた。
「まったく、いきなりご飯吹き出すんだから。
 咲ってば困ったものね。」
 つれない声を出してみると、咲がうぅー、と呻いた。
「でも、満が突然変なこというんだもん。
 誰だって驚いちゃうよ。」
 拗ねた声音が子供っぽい。満は横目で咲を見た。
「変なことって?」
 尋ね返すと、咲が言い難そうに息を詰まらせた。その目はふらふらと彷徨って、つま先
に行き着く。背中は陽光で暖かそうなのに、太陽に背を向けた顔は水道まわりに溜まって
いる微かな寒さと相まってわずかに暗かった。でも、よく見ると頬が赤い。
「そ、その・・・舞と結婚しないの? とかがだよ!
 女の子同士なんだから、結婚はしないのっ!」
「そういうものなの?」
 勢い良く言い放った咲に、満は問い返す。すると、咲がぱっと満を振り返った。明るい
色の毛先が跳ねて、顔に光が差し込む。やっぱり顔は耳まで赤かった。
「結婚って言うのは、男の人と女の人がするものなのっ。」
 ふーん、と相槌を打ちながら、満は濡れた前髪を手で払う。
「でも、愛し合ってる人達が結婚するんでしょ?」
 人差し指と親指で摘むと、毛先に水の球が出来る。震える雫に景色が歪んで映り込む。
水玉越しに見える咲は、「それは、そうだけど・・・。」と唇を尖らせた。
「なら問題ないじゃない。
 咲は舞のことが大好きで、舞は咲のこと大好きなんだから。
 結婚すればいいのに。」
 いまいちなっとくいかないままに、満は咲の困ったような赤らんだ顔を眺める。
「そ・・それはそうだけど・・、でもそういうことじゃなくって。
 ええっと、だからー・・・。」
 咲が大好きなのは舞だし、舞が大好きなのは咲だ。わざわざ確認したことはないけれど、
薫も絶対にそう思っていると満は確信している。だというのに、今、咲が目を泳がせてあ
れこれ難しく考えている。それが満には不思議だった。
「咲! 満さん!」
 階下へ続く階段から、高い澄んだ声が響いた。目を向ければ、並んで階段を上がってく
る舞と薫が居る。
「あら、もう終わったのね。」
 そう返しながらちらっと満が咲を見る。階段を上がってくる二人を見つめて、咲は太陽
に向かって咲くひまわりみたいに、満開の笑顔を花開かせていた。