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君を傷つけてでも。








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				黄昏の日







 死角からの一撃が、後頭部を強打した。意識が弾け、視界が真っ白に染まる。落下し
始める背中を、砲撃が吹き飛ばし、はやてを地面に叩き付けた。ビル街の合間に伸びる
通りを、体が二転三転し数十メートルの距離を転がる。体が地面を跳ねるたびに、意識
が明滅を繰り返す。体が止まった時には、方向感覚も手足の感覚も全て粉砕されていた。
ただ、本能が咆哮を迸らせる。
「Panzerschild!」
 倒れたままで空に翳した片手が展開したシールドを何条もの光が貫く。砲撃とシール
ドが互いを削りあう眩い光に目が焼け、視界が暗闇に染まった。
 砲撃、射撃関係なしに飛び交う攻撃は途絶えることなく、はやてを押し潰す。周囲に
まで降り注ぐ攻撃が地面を抉り、巻き上げられた砂礫がはやての顔を打った。轟音に耳
が聞えなくなる。それでも、はやては吼える。
「穿て、ブラッディダガー!」
 30を数える血塗られた短剣を無差別に放つと同時に、はやては高速機動でその場を
離脱した。最高速のまま、飛行魔法で地面すれすれを飛ぶ。その後ろを数多の誘導弾が
追い立てる。砂塵が通りを満たす。
 吹き荒れる爆風に翻弄されそうになりながら、はやては頭上を見上げた。ビルの上部
に十数名と、さらにその上に数十名、上空の魔導師の数となると目視では判らない。は
やては視線を進行方向に戻す。すると視界を崩れ落ちてくるビルが覆い尽くした。
「――――っ!」
 避けきれない、打ち抜く時間も無い。纏わりつく大気を引き千切り、はやては旋回す
る。途端襲い来る苛烈な圧力に、視野が黒に塗り潰される。背中をコンクリート片が抉
っていく感触だけが鮮明に意識を引掻く。姿勢が崩れる。
 瞬間、右足を衝撃が射抜いた。痛みが駆け抜ける。
「ああっ!」
 姿勢制御が完全に失われ、後ろから煽る爆風にはやての体が吹っ飛ぶ。右足から溢れ
る血が長く軌跡を描き、はやては廃ビルに叩きつけられた。ガラスを突き破り、はやて
の体は床を跳ね転がる。部屋中に血飛沫を撒き散らし、残されていた調度品の類を薙ぎ
倒し、はやての体は壊れた壁材の山に突っ込んだ。背中の傷から血が飛び散る。
 その衝撃に呼吸が阻害され、はやては空気を求めて喘いだ。止まない耳鳴りの中、手
足が付いているかも判らなくなっていた。
 目を薄っすらと開くと、生理的な涙で霞んでいた。フロアの中心に近いのだろう採光
部はなく、暗がり特有のノイズが更に視界を不鮮明にする。僅かに首を巡らせるだけで、
全身が軋んだ。傷の具合を確認することの方が恐ろしく、はやては何も見ないように、
気付かないようにしながら上半身を起こし。
 鉄筋が、左のわき腹から生えていた。側面の彫りに錆と血液と削がれた肉片がこびり
付いている。打ち抜かれた右足の脹脛は血溜まりを作り、背中を熱い何かが伝う。生臭
い匂いが鼻を突いて、肺に浸み込んだ。
 手が震えていた。唇も、肩も、背も、自分では止めようもなく、震えている。はやて
は自分の肩を抱いて身を縮ませた。埃ばかりが厚く降り積もった廃墟で、血の匂いだけ
が充満する暗がりで、一人。
「私、なにやってるんやろ。」
 零れた呟きは、涙声だった。反響もせず、地に落ち消えていく。
 あの日から、あの終わりの日から、100年の時が経っていた。もう、誰も大切にし
ていた人達は居ない。皆、時の流れの中、去って行ってしまった。
 なのに、一人で、どうして、こんなことを繰り返さなければならないのか。
 捕まって、頭の中も引っ掻き回されて、何もなくなって空っぽになればいいのに。意
識さえ捨て去ってしまえれば、そうすれば何もかも終わるのに。そう何度も思う。
 でも、出来なかった。
 もう誰も、大好きだった人たちがいないとしても、大好きだった人たちが守ろうとし
た世界が、大好きだった人たちが生きた世界が、変わってしまうのだけが嫌だった。
 だから。
 はやては歯を食いしばり、体を鉄筋から抜こうと足掻いた。異物が腹部を掻き回す音
が体の内側から聞えてくる。傷口は否応無く広がり、汚れた血液が溢れバリアジャケッ
トを濡らし、足を伝う。噛み締めた唇が切れて、口内にまで血が広がった。
 鉄筋が抜けた時には、脂汗で髪が額に張り付いていた。
 はやては立ち上がり、天井に向かって手を翳した。掌に正三角形の魔方陣が現れる。
建物の周りは既に魔導師で固められているだろう。何処から出ても同じことだった。は
やては頭上に向けて砲撃魔法を解き放ち、十数階建てのビルの上部を全て吹き飛ばした。
「羽ばたいて、スレイプニール。」
 小さな声で呟いて、はやては空へと舞い上がった。黒い羽がその跡に散る。巻き上げ
られていく瓦礫で迫る魔法のほとんどを防ぎ、はやては絡みつく視線全てを振り切るよ
うに高く、夕暮れの空へ。雲間へと躍り出る。
 冷えた空気が頬を撫でた。濃い影は長く絵を描き、雲は鮮やかに輝き目を焼いた。太
陽がその下端を水平線へと触れ合わせてから、消え去るまでの僅かな間。夕凪の時。
「――――っ!」
 突然、右足が何かに絡め取られ、飛行速度が急激に落ちる。傷を容赦なく捻りあげら
れ、息が詰まった。見下ろすと中空から伸びたバインドが右足に巻きついていた。はや
ては魔力に任せ、それを破壊する。だが手遅れだった。周囲に取り巻く魔導師が、十重
二十重にバインドを加算し、いくら断ち切ろうとも、はやての体は見る間に拘泥に埋も
れていった。
 手足だけでなく、体ごと締め上げられ、動かせるのは顔だけになり、動きが完全に止
まったはやての周りに、散開していた魔導師達が集まってくる。上空に鎮座する無数の
戦艦は、主砲に灯を湛えたまま、はやてを睥睨していた。
 逃げなければ。はやての頭を、その言葉だけが支配する。
 魔導師達が一斉に、捕獲魔法のチャージを始める。魔力光が強く輝く。
 逃げなければ、今までの全てが無駄になる。逃げなければ。でも、どうやって逃げた
ら良い。何処まで行っても、どんなに人の居ない遠い世界に行っても、誰かは追いかけ
てきた。そして皆、最初はただの女だガキだなどと言って嗤うのに、最後は決まって涙
ながらに命乞いをするのだ。人間でない自分に向かって。
 膨れ上がった魔力光が、夕暮れの空を掻き消す。
 それなのに、何処に逃げるの。死ぬことも、出来ないのに。
 はやての体から力が抜けた。
 厖大な魔力が一斉に放たれた。押し寄せる輝きを、握り潰そうとする力の塊を、はや
ては茫漠と目に映した。視界が青白い光に呑まれる。消える、瞬間。
 目の前に白い外套が翻った。
 輝く大剣を携えて、はやてをその背に庇うよう立ちはだかる。
 嘘だ。
 光の剣が閃いた。
 溢れる光が雷鳴を轟かせ、全天を支配する。世界が金色に染まる。
 嘘だ。
 光刃が攻め寄せる力の奔流を粉々に打ち砕いた。
 弾けた魔法が、ガラスの破片になって煌く向こう。解き放たれた夕暮れの赤い日差し
が目を焼いた。冷たい風が彼女の日に透ける金髪を弄ぶ。
 輝く剣を振り抜いて、彼女が微笑んだ。

「迎えに来たよ、はやて。」

 紅い瞳に、はやてを映して。あの日とまったく変わらない笑顔で。
「フェイト、ちゃん。」
 はやての唇から、彼女の名が零れた。
 彼女が手を一薙ぎし、バインドを破壊する。途端自由になった体で、しかしはやては
指先すら動かせなかった。目だけがひたすらに彼女の眼差しを追う。耳元で鳴る風だけ
が僅かに揺るがす。彼女はそんなはやてに微笑んだ。
「遅くなって、ごめんね。」
 はやてを背にし、剣を握り直す。依然、二人を取り囲む魔導師達に切っ先を向けた。
 そして、フェイトは肩越しに誓う。
「でも、これからは。
 私がはやての盾になるよ。」
 金色の閃光が茜の空を貫いた。













































 剥き出しになった鉄筋が真っ赤な錆を垂れ流す、廃棄されたビルの屋上に二人は立っ
ていた。見える限り全てが風化を始めている、遠い昔に打ち捨てられた都市に二人きり。
同じような多くの建物は、燻った黒煙を上げ地に伏している。太陽は僅かに端を残し、
空を真っ赤に染め上げていた。天頂はゆっくりと夜に呑まれて青く。
「怪我は大丈夫?」
 フェイトがはやての顔を覗きこんで尋ねる。傷は治っていたがはやては返事をしなか
った。互いにバリアジャケットから私服へと戻った為、先程のことを思い出させるもの
ははやての髪についた、埃と血ぐらいなものだった。
「みんなはどうしたん?」
 それは、彼女が大切にしていた人達のこと。はやて自身、何度も夢に見て、その度に
泣いた人達のこと。
「ヴィヴィオは? リンディさんは、クロノくんは? アルフは?」
 思い出すたび、一人きりだということを思い知らされ、忘れたいと願ったことすらあ
る人達のこと。でも、忘れるたびに何度も後悔をした人達の事。
「ティアナは、スバルは? キャロは、エリオは? ―――――」
 皆の笑顔。一緒に生きたいと願った人たち。
 はやての脳裏に、最後、あの人の姿が浮かんだ。春の日差しのように、穏やかで包み
込むような空気を持つ人。彼女が一番大切にしていた人。いつも、彼女の視界の中心に
あった人。
 その人の名を紡ぐ。
「なのはちゃん、は。」
 フェイトはただ微笑んだ。
 その透き通るような眼差しに、哀れなほど顔を歪める自分が映っているのが見えた。
「バカやよ、フェイトちゃん。
 みんな置いて、こんなとこ、来るなんて。
 バカ、やよ・・・っ。
 そんなんだめや、って。」
 はやては俯き、掌を握り締めた。フェイトが少し、困ったように言った。
「そんな、バカバカ言わないでよ、はやて。」
 棘の無い声。懐かしかった。ずっと、聞きたかった。
 はやてはフェイトを仰いだ。
 金髪も、赤い瞳も、白磁の肌も。
「なあ、フェイトちゃんはどうして変わっとらんの?」
 崩れた街並みの向こうに消える太陽が、最後の輝きを放つ。互いの横顔が、その眩さ
に晒されている。頭上では昼と夜が混ざり合い、雲を染め上げていた。
 フェイトははやてを見つめていた。
 はやての手が、そっとフェイトに伸びる。
 冷たい指先がフェイトの左目を覆った。
 風に弄ばれる髪が立てるぱらぱらという音だけが耳に残る。
「私、はやてに聞いて欲しい言葉があるんだ。」 
 フェイトの手が、はやての頬に触れた。
 はやては呆然とフェイトを見つめ続けた。フェイトが目蓋を閉じて囁く。
 
「好きだよ、はやて。」

 そして、震えるはやての唇に、口付けを。




 太陽が最後の一条を空に放った。