ラッキースケベって、ありですか?








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				わたしのせかい







 どこまでが、仕組まれていたことなんだろう。
 そんな疑問が脳裏を掠めたが、考えても仕様の無いことだと、すぐにやめた。
 入り込んだプログラムは未だ不安定なまま、起動と停止を断続的に繰り返している。
恐らく、さっきの魔法発動の際に行った強制介入が一部を破損させたのだろう。適合者
との間でなされる融合型デバイスとの調整でさえ、数日間に渡り試用と変更を繰り返す
のだ。こんなにわかの類型演算機など、たやすく壊れて当たり前だった。
 はやては現状を確認しようと思ったが、解析用のアプリケーションはやはりどれ一つ
として思う通りに動かなかった。細く息を漏らして、頬に掛かる髪に触れる。見事に色
は変わってしまっていた。
 そして恐らく、もう二度と元には戻らないだろう。
 ここまでなってから、何をされたかに気付くなんて、自分でも滑稽な話だと思う。
 応援部隊の到着予定時刻まで1分51秒。
 リィンフォースUが、ヴィータとシャマルを連れてやってきた。二人とも意識は無い
が、目立った外傷もない。はやてはそれを確認すると安堵のため息を漏らした。そして、
リィンに振り返る。
「ご苦労様。
 みんなのこと、頼んだで。」
 リィンは責めるような目で、はやてを見ていた。リィンは全て気付いているのだ。小
さな手を握り締め、声を振り絞る。
「なんで、はやてちゃんがこんなことされなきゃならないんですか。
 はやてちゃん、なにも悪くないです。
 なのに、」
 その怒りは、理不尽に対するものでも在ったが、はやてに向けられたものでもあるよ
うにはやてには感じられた。行き場を見失った、出口の無い憤り。はやては眉を垂らし
て、破顔してみせるよりなかった。どう繕っても、何もごまかせはしないと判っていて
も。
 はやてはリィンの頭を撫でる。
「そんな顔するんやない。
 技術部のおっちゃんに頼めば、きっとなんとかしてくれるから、な?」
 リィンの蒼い瞳が、嘘吐き、とはやてを睨んでいた。それに返すような言葉を、はや
ては持っていなくて、だからずるいと思いながらも、気付かない振りをした。
「ほら、はよ行ってくれへんと、
 はやてちゃん困っちゃうから、な?」
 そうやって頼めば、リィンは言うことを聞かないわけにはいかないと、知っているか
ら。はやては、お願いな、と首を軽く傾げた。リィンは目を伏せて、視線を下に落とし
た。
「はやてちゃんなんか、嫌いです。」
 肩が震えていた。そんなリィンを見つめながら、はやてはやはり微笑んだ。
「ごめんな。」
情け無い笑顔だと、自分でも感じていた。リィンは魔方陣を展開させた。吹き付ける光
が、二人の間を隔てる。長距離転移魔法。その光に飲まれて、なのはとヴィータ、シャ
マルの姿がゆっくりと掻き消え始める。
「行ってきますです、マイスター。」
 顔を逸らしたまま、リィンが呟くよう告げた。はやては軽く手を振る。
「うん、頼んだで、リィンフォー」
 その言葉が不自然に途切れる。リィンが驚いて振り返ると、蒼白な顔で胸を押さえる
はやての姿があった。はやては崩れ落ちるように膝をついた。リィンは堪らず駆け寄ろ
うとする。
「はやてちゃん!」
 転送魔法が展開を止め、光が終息していく。それに気付いたはやてが怒号を張り上げ
た。
「リィン!
 転送魔法を途中で止めるんやない!!」
 はやての剣幕に、リィンの動きが止まる。転送魔法は別次元を解した座標変換だ。そ
の途中の過程で魔法を消去するということはすなわち、何処とも知れぬ空間に人を投げ
出すことになる。意識を失っているなのは達にそんなことをしたらどうなるか。判らな
いリィンではない。
 だから、このまま行くしかない。
「はやてちゃん。」
 リィンの両眼から、涙が溢れ出す。その涙すら、次元の狭間に吸い込まれていく。
「ほら、しっかりせんとあかんよ。
 リィン、あんまり泣くんやない。」
 はやては喉の奥から声を絞り出し、歪みそうになる顔をどうにか綻ばせた。途端、胸
の奥から何かが突き上げてくる。はやては胸を掻き毟って蹲った。体が自分の意志とは
無関係に痙攣する。
「はやてちゃ――――っ!」
 リィンが悲鳴を漏らす。はやてはその声を遮って、怒鳴りつけた。
「早く、
 早く行けぇぇええええっ!!」
 その叫びに呼応するように、リィンの転送魔法が起動を完了し、4人の姿が消え去っ
た瞬間、
「――――っ!」
リンカーコアの出力がはやての制御能力を遥かに超えて、強引に拡張された。突然の強
い衝撃に、意識が一瞬白濁する。
 融合機システムの損傷が引き起こした誤動作だった。はやては自分のコアに制限を掛
け、魔力の放射を止めさせようとする。だが、融合機に優位に立たれてしまって、一切
の命令が撥ねつけられてしまう。
 能力を完全に解放されて、際限なく力が膨れ上がっていく。放出された魔力は連鎖的
に、変換効率の最大値で以ってエネルギーに変異していく。蠢き続けるプログラムが、
別領域へ信号を送り始める。はやての全身を戦慄が駆け抜ける。
「だ、・・・・だめ、やっ。
 それだけは、ぁぁあ、ああああああああっ!!」
 夜天の魔導書へコマンドが叩き込まれた。セーフティが次々に破壊されて、内部の魔
力が脈動を始める。全666頁に書き込まれた力が、一斉に励起される。
 これが、統制を失ったまま放出されたら、こんな大都市といえど。
「いや、いややぁ!
 そんなこと、したくない!」
 脳裏に鮮明に浮かんだ光景を打ち消すように、はやては夜天の魔導書の管理者権限に
攻勢を掛ける。でも、いくらやっても、既に書き換えられてしまった管理者権限を奪い
返すことが出来ない。
「お願い、やめて!
 止まってぇぇぇぇえええ!」
 はやての絶叫が辺りの空気を引き裂く。だがいくら泣き叫んだところで、演算機が聞
き入れることはない。白い光が体から滲み出す。全てを壊そうとする力が、混沌の白が、
溢れる。はやての震える瞳が、すぐ傍に横たわる人を映した。
「フェイト、ちゃん。」
 大気が鳴動を始め、地面が散発的に弾け出していた。低い音を立てて、破裂した砂礫
が降りかかる。
「フェイトちゃん!」
 はやては衝動的に、フェイトの身体を抱き寄せた。縋るように、力の限りフェイトを
掻き抱く。はやての硬く閉じた目蓋の間から溢れる涙がフェイトの首筋に落ちて伝う。
「フェイトちゃん、フェイトちゃん!」
 もう泣くことしか出来なかった。

 世界が白光に呑まれた。






















































 そして、はやては目を開けた。
 突き抜けるような青空が、頭上に広がっていた。雲ひとつ無い、晴れた夏の日差しが
降り注ぐ。風は少し強くなった気がした。遮るものは何も無かった。立ち枯れた花の一
輪すらなく、瓦礫すらほとんどが吹き飛ばされている。残されたものは、熱で断面が溶
たコンクリート片だけだった。
 はやてはもう、泣いたりなどしなかった。
 感覚が麻痺して、何もかもが非現実的で。受け入れるとか、受け入れないとかそうい
う次元にすら到達しなくて。口元にだけ、何故か、自嘲めいた歪みが張り付いていた。
「どうしてこんなことに、なるんやろな。」
 そのとき、横たわったフェイトが小さく咳を漏らした。はやての碧色の眼がフェイト
を見つめる。
 幸せを守りたかった人。でも、彼女が守りたかった人達は、助けたかった人達は、自
分が全て吹き飛ばしてしまった。破片も残さずに。
 フェイトは眉根を寄せて、喘ぐ様に浅い呼吸を繰り返す。その口から、血の塊が零れ
た。器官に血液が絡んでいるのだろうが、吐き出すだけの体力がないのだろう。苦しそ
うだな、と思った。
「取ってあげたほうがええよね。」
 誰に言うとも無く呟いて、はやてはフェイトに唇を寄せ、

 はっとなる。
 その顔がみるみるうちに真っ赤に染まる。頬どころか耳まで熱い。周りに人なんて居
ないのに、周囲がやたらと気になって、はやてはぶんぶん頭を振って辺りを見渡した。
「な、なにをいきなりしようとしてるんやろ私!
 まるっきり寝込みを襲ってるみたいやないか!」
 冷静になれ、冷静に、と胸に手を当てて深く息をする。
 そもそも吸い出すこともないではないか、手で掻き出してやったっていいはずだ。そ
う思って手を見ると、泥だらけで、こんな手を口に突っ込まれるのは、意識がないとは
言え流石に気分が悪いかもしれない。
「でも、他にやりようあらへんし。
 フェイトちゃん苦しそうやし。」
 ひたすら言い訳を口にするはやての脳裏に、自分の指を銜えているフェイトの姿が浮
かんだ。途端、どうしようもなく顔が熱くなって、はやてはフェイトの腹の上に頭を突
っ伏した。
「そっちの方がえろいやん!
 私のあほ。」
 ぼやいてから、はやては顔を上げる。まだそこはかとなく熱い気がしたが、夏の暑さ
のせいということにした。
 フェイトの白い肌には乾いた血が塗りたくられていて、肌蹴た襟の下に薄く浮いた鎖
骨が覗いていた。解けた金の髪も、血と埃でくすんでいる。雑音の混ざる呼気は乱れて
いて、はやてはその汚れた口元から目が離せなかった。
「私って、変態やったんな。
 こんなところで、いらんことに気付いてしもうた。」
 観念したとでもいうように、少し諦め交じりの声を出して、はやては頬に張り付いて
いるフェイトの髪を指で梳いた。
 フェイトが小さく咽る。水音を立てて、その口から血塊が溢れた。呼吸音が血に塗れ
る。はやては自分の髪を耳にかけて抑えると、フェイトを見つめた。
「こういうのを、ラッキースケベっていうんやろか。」
 呟いて、目を伏せる。

 彼女は覚えているのだろうか。私があの夕凪の日に零してしまった言葉を。私がなか
ったことにした言葉を。こんなときに、卑怯かもしれない。言ってはいけないと判って
いたのに勝手に口にして、続く言葉すら聞かず、勝手になかったことにしたのに。
 最後だからって、聞えてないからって、もう一度零してしまうなんて。
 夕日の中、砕け落ちた言葉。



 あの日、輝かなかった言葉を、

 私は、



 はやてはフェイトのおとがいに触れると、そっと上向かせた。
 そして小さな声で、囁く。




「好きやよ、フェイトちゃん。」




 今でも、握り締めてるんだ。




 はやてはフェイトに、口付けを落とした。
 初めて触れた唇は、酷く柔らかかった。