第一話









 その森に降り立った瞬間、ティアナはその光景に圧倒されてしまった。艦で見た映像
では判らなかった木々のあまりに桁違いなスケールに言葉を失うほかない。
 次元世界の中には、大気が酸素や窒素ではなく硫酸で構成されている世界や、大地の
中に広大な海を持つ世界があることは知っている。ただ、管理局が文字通り管理するの
は人間社会の範囲であるから、明らかにそう言った人が住まうことの出来ない場所に行
くことはないわけで。
 加えてティアナが次元航行艦隊に配属になったのは、機動六課が解散した後、つまり
はついこの間なわけで。だから、こういった半分常識を外れた光景を実際に目にするの
は もちろん初めてだった。
「やっぱり、驚くよね。
 私も最初空から降りてきたときは、びっくりしたよ。」
 フェイトがティアナと同じように木々を見上げていた。と言っても、見えているのは
ほとんどが根の部分だ。地面を捲りあげながら成長した根は、一本一本が電車くらいの
大きさをしている。足元に落ちている葉っぱは、一枚あれば充分傘に出来る。幹を見よ
うと思ったら、木からある程度離れなければ根に阻まれて視界にすら入らず、その直径
は20メートルはあるだろうか。
 もちろん、その幹と根の太さに見合っただけ、木々は空高く伸びており、葉っぱの形
など見上げてもまるで判らなかった。合間に見える空と混じりあっているようですらあ
る。
「まるで教会の柱の間を、歩いてるみたいだよね。」
 ティアナの考えを読み取ったかのようにフェイトは言い、早い足取りで歩き出した。
「フェイトさん。」
 慌ててティアナはその後を追う。森の中は梢の音と、鳥や虫などの気配に満ちている。
その中を、前を行くフェイトはわき目も振らず、一直線に歩いていた。先を急ぐその後
姿は、普段の大人しく押しに弱い様子など微塵もない。
 この数ヶ月の間、ティアナは執務官になる為の教えを請いながら、副官として、フェ
イトの仕事ぶりや人柄をしかと両眼に焼き付けてきた自信がある。ベリテが本件に関わ
るきっかけとなったロストロギア暴走を止めたのはフェイトだった。第3級の危険度が
低いとされるものだったが、発動時の出力が高くまた街中でのことであったため、人的
被害が尋常ではなかった。
 一人でロストロギアの封印に向かったフェイトは、その最中に飛び出してきた子供を
庇ったらしく、怪我をして戻ってきた。左手に封印済みのロストロギアと、意識を失っ
た子供を抱えて、守りきれなかった、と零した。子供は額に深い傷を負っており、衣服
は血に塗れていた。
「ティアナ、準備はいい?」
 フェイトがある木の根元で立ち止まった。先刻見せられた映像とまったく一致する場
所だ。隣に並び、フェイトの横顔を見上げる。ティアナは機動済みのクロスミラージュ
を握り締めた。
 あの子供に付いていた血は、ほとんどがフェイトのものだった。肩から背中に掛けて、
バリアジャケットが大きく裂けて肌が露出していた。細い肩と背の皮膚が剥がれて、目
をそむけたくなる程だった。
 治療を勧める言葉に耳を貸さず、フェイトはティアナにその子供を託すと、そのまま
救助に戻ってしまった。本局からの応援が来たのは1時間後で、フェイトは失血のため
その場で倒れた。
 ティアナは目の前の、今はただの木の根にしか見えないそこへと、意識を集中させた。
「いつでも、大丈夫です。」
 あの日が初めてだった。
 フェイトが人の言葉に返事すらしないところを見たのも、
 フェイトの悔恨に満ちた表情を見たのも、
 フェイトが大怪我をしたのを見たのも。

 フェイトが、

 溢れかえる熱気と炎の中、揺らめく赤い眼差しが、脳裏に蘇る。

 怒りに震えるのを見たのも。
 
「絶対に捕まえましょう、フェイトさん。」
 ティアナは力強く頷いた。
 フェイトがバルディッシュを翳し、偽装スキンを打ち砕いた。



 突入した二人を待ち構えていたのは、機動兵器による一斉砲撃だった。
 フェイトの左手に、金色の魔方陣が輝き、その全てを弾き返す。
「クロスファイア、シュート!」
 ティアナがその後ろで、クロスミラージュのトリガーを引いた。回避機動を取る兵器
の軌道を読み、ティアナは全弾命中させる。鼓膜を轟音が叩き、オレンジの閃光が目蓋
を焼く。
「管理局です。
 当該地域は魔法行使並びに魔法技術による干渉が禁止されています。
 抵抗をやめ、投降をすれば、弁護の機会が与えられます。」
 フェイトが辺りを見渡しながら、決まり文句を告げた。薄暗い室内は広く、天井は黒
ずんで見えなかった。床に兵器の残骸が散らばっているばかりで人影はない。よくよく
見ればそれはやはり疑いようもなく、見覚えのある機体。ロストロギア強奪の際に用い
られていたものと、同種のものだった。
「どこかにカメラはあると思うんだけど、
 反応がないね。」
 部屋の隅に、二枚の扉がある。フェイトがちらりとティアナを見る。すると、ティア
ナはそれに気付いたのか、フェイトを振り仰いだ。そして、強く頷いた。
「二手に分かれましょう。」
 ティアナを見つめるフェイトの目に、不安や懸念の色は、少しもなかった。新人では
ない。同じ魔導師として、二人は隣に立っている。
「そうしよう。
 私は左に行くよ。
 ベリテへの連絡も、私がしておくね。」
 フェイトはティアナにそう頷き返して。奥に続くドアが、爆音を轟かせて粉砕された。
 ティアナは指示通り、右のドアに入る。通路がそこには一方に伸びていて、先ほどの
部屋と同じように、天井が見えぬほど高い。見上げた壁面にはところどころ、地表を覆
う大樹の根が張り出していた。
 人影はない。だが、確かに通路の置くに、何者かの気配がある。
 ティアナは走り出した。通路はまっすぐ伸びるばかりで、横道も、ドアも見当たらな
い。ミッドチルダ等、主な魔法文明の発達した世界とは、建築様式が違う。恐らく建物
自体は、遺失文明の遺跡か何かなのだろう。
 そこまで考えた時、突如として闇の彼方から、光弾が飛来した。ティアナの目が見開
かれる。弾速の高さの為に、回避行動が間に合わない。
 爆音が、ティアナの身体を貫通した。
 崩れ落ちるティアナの姿が、掻き消える。
「ファントムブレイザー!」
 何も無い虚空から、突如ティアナの声が上がり、橙色の強烈な閃光が、暗闇を貫いて、
通路の奥へと突き進む。
 締め切られた空間の淀んだ空気を震わせて、ファントムブレイザーが彼方で弾けた。
何もないと思われた空間から、無傷のティアナが姿を現す。先ほど倒されたのは、フェ
イクシルエットだった。
 ティアナは再度かけだして、光に一瞬照らし出された無数の影を追った。
 複数の機動兵器を破壊し、辿りついたのは一枚の大きな扉だった。ここまで、一つと
して横道や部屋が無かった理由は後の調査ではっきりすることだ。ティアナはシリンダ
ーに弾丸をつめて、扉の前で一呼吸する。防音が完璧に成されているらしく、中の様子
はうかがい知れないが、これだけは判る。
 この扉を開けば、事件解決への糸口が見える。
「クロスファイア、シュート!」
 ティアナは扉を粉砕した。

 中にはフェイトが、一人立っていた。
 広い空間にただ一人。音が反響するそこは、爆音が残した微かな振動だけが低く。
「フェイトさん?」
 床には戦いの後が見える。でも、そこには犯人の姿など一つとしてない。状況が飲み
込めず、呆然とするティアナを、フェイトは振り返らずに言った。
「作戦は終了だよ。
 たった今、停止命令が出た。」
 その言葉に、ティアナは咄嗟に反応できなかった。この何処に、停止命令など出され
る所以があるというのだろう。長く追っていたロストロギア強奪犯の拠点だということ
は、ほぼ間違いないというのに。なぜ、応援ではなく――――。
 バルディッシュザンバーの刀身が消える。フェイトはいまだ、部屋の奥にある通路を
見つめていた。恐らく、あそこから犯人達は逃げて行ったのだろう。
「フェイトさん、どうして・・・。」
 ティアナの呟きは、空しく転がった。
「どうして、だろうね。」
 一言だけフェイトは言って、空間モニターが開いた。そこには巡航艦にいるシャーリ
ーの姿が映っていた。シャーリーの表情も、何処と無く陰鬱に見えた。
「二人とも、帰還してください。
 その後、捜査隊が調査に入りますから。」
 ティアナは何も返答を出来ず、フェイトだけが頷いた。
「うん、分かったよ、シャーリー。
 すぐに帰還するね。」
 フェイトの足元に、魔方陣が展開する。転送魔法だ。それはティアナの足元まで伸び
る。フェイトはアサルトフォームのバルディッシュを掲げて、16進数36桁の、ティ
アナにとっては意味の無い数字を羅列した。
 クロスミラージュを待機状態に戻せないままに、金色の光が、視界を覆いつくした。