第四話









 こんこんこん、と執務官室のドアがノックされた。
「入ってください。」
 とフェイトが答えると、入室を許可されて、人影が歩み入って来た。ティアナはその
人を見て目を丸くする。白い航空隊の制服が似合うその人は、ティアナの元上官だった。
「なのはさん、お久しぶりです。」
 思わず席を立って挨拶すると、なのはが微笑んだ。
「久しぶり、ティアナ。
 フェイトちゃんもお疲れ様。」
 予想だにしない人物の登場に、虚を突かれたのだろう、フェイトはきょとんとした様
子でなのはを目に映したまま固まっていた。過日の訓練室破壊事件で、はやてが冗談で
回した領収書もどきをなのはに見つかって随分怒られたらしく、ここのところずっとし
ょぼくれていたフェイトにとって、突然のなのはの登場は刺激が強すぎたようだった。
 なのははフェイトのそんな様子に苦笑を浮かべた。
「もう、フェイトちゃんしっかりしてよ。
 折角お昼一緒に食べようと思って寄ったのに。」
 後半を拗ねた声にして、なのはが言うと、フェイトは意識を取り戻し、お昼行く行く、
と慌てて立ち上がった。フェイトが扉のところで手招きする。眩い笑顔が呼んでいた。
「ほら、ティアナ、早く行こう。
 なに食べたい?」
 思わず攣られて笑顔になりながら、ティアナは椅子から立ち上がる。ティアナは少し
悩んだ。こんな幸せそうな二人と一緒に食べれば、何だっておいしそうだけれども、特
に大好きといえる食べ物は無かった。
 そして結局、ティアナの脳裏に閃いたのは、いつぞやアイスをほおばって嬉しそうに
目を細めていたスバルの顔だった。そして、何故か言ってしまう。
「アイスクリームが食べたいです。」
 フェイトが呆れたように笑った。
「それはお昼じゃないよ、ティアナ。」



 
「もう少し時間が取れれば、
 二人のこと連れて行ってあげられたんだけど。」
 フェイトは最近見つけたとか言う、街にあるアイス屋に二人を連れて行きたかったら
しく、残念そうに頭を垂れていた。いくら時間に余裕のある本局勤務とは言え、流石に
お昼休みに街に出るというわけには早々行かない。なのはと三人なので、たまには違っ
た風に出来ればよかったのにと零すが、結局昼食を取ったのも普段どおりの場所だった。
 残念そうな様子で自販機のアイスを舐めるフェイトは何処か子供っぽく、なのはの頬
は自然と綻んだ。
「今度、時間があるときに一緒に行こうよ。」
 その言葉に、フェイトは顔を上げて頷いた。その頭を、なのはが撫でると、フェイト
は首を竦めて少し頬を赤らめた。そんな二人を見て、ティアナは少しの気恥ずかしさを
覚える。だが、機動六課に居た頃は凛と澄ました所しか見せられていなかったことを思
うと、それはそれで良いことなのかもしれなかった。
 フェイトが、もうやめてよぉ、と言って逃げると、なのはは不満そうに唇を尖らせた。
フェイトちゃんのけちー、と不平を垂れて、ティアナに向き直る。
「そういえば、この間の模擬戦の映像見たよ。
 ティアナ、魔法の制御すっごく良くなったね。
 前の倍くらい砲弾を操作出来る様になった?」
 そんなことを言うなのはは、もう戦技教導官の顔付きだった。その切り替えの早さに
内心舌を巻きつつ、ティアナは軽く頬を掻いた。どうも、今回は褒められてばかりでこ
そばゆかった。
「一応、倍より少し多く操作出来る様になりました。」
 それでも素直に答えると、なのはは大きく頷いた。なのははティアナの上達を、いつ
もまるで自分のことのように喜んでくれる。なのははフェイトにも尋ねる。
「フェイトちゃんも、また魔法の発動早くなった?
 あのスフィア、紫電一閃の踏み込みの後で起動したんだよね。」
 アイスを齧ろうと口を開いたフェイトは、そのままで止まってなのはを見つめた。口
からアイスを離して首肯する。
「最初から在ったら、シグナムにスフィアごと斬られそうだったし。
 でも、シグナムだったらあのタイミングで斬りかかって来るって思ってたから、
 元々身構えてたっていうのが大きいよ。」
 そう言ってから、フェイトは今度こそアイスを口に入れる。スバルもアイスやチョコ
といったお菓子が好きだが、フェイトも中々にそうらしい。口の中でアイスを溶かす顔
は心なしか緩んでいる。ティアナも自分のアイスを食べる。レモンシャーベットのすっ
ぱさが沁みた。
「ティアナ、今度、飛行魔法習得の適正試験受けるんだって?」
 尋ねてから、なのははほとんど食べていなかったストロベリーアイスをまるっと口に
入れる。今日、フェイトのところを尋ねたのは、何もお昼を食べる為だけではない。も
ちろん、三人でアイスを食べる為だけでもない。
「はい。
 次の試験が2週間後にあるということなので、
 それに向けて少しずつ練習してるところです。」
 高々度高速飛行魔法の取得には、空間把握能力をはじめ、各種安全装置、必要な魔力
の安定維持などの技能が要求される。空間把握はセンターガードというポジションであ
るティアナは現状、人より長けている。また、魔力の安定維持も幻術を使う人間にとっ
ては出来て当たり前、以前に出来なければそもそも幻術など使えよう筈もない。これら
の理由から、目下ティアナの課題は安全装置についてだった。
 なのははティアナの練習内容を聞き、思索を巡らせる。基礎に沿った良い練習をして
いるが、魔法も運動のようなもので、一つのことを黙々とやり続ければ伸びるというわ
けでもない。主動作の補助になる部分の補強も必要である。
「フェイトちゃん、今、お仕事の方は余裕あるの?」
 フェイトの返事は少し遅れて来た。
「え、うん、あるよ。」
 何処か上の空な声音に、なのはがフェイトを見やると、フェイトはコーンの下から染
み出してきた溶けたアイスと格闘していた。そちらに気を取られていると、今度は上の
部分から、縁を溢れたアイスが垂れてくる。フェイトは慌てた様子で、どちらを先に口
にすべきか見比べていた。
「とりあえず、アイス食べちゃった方が良いんじゃないかな。」
 なのはが器用なんだか不器用なんだか判らないなあ、と改めて思いながら言うと、フ
ェイトは素直に提案を聞き入れ、残りのアイスを食べ始める。コーンまで食べ終わる頃
には、フェイトの手はアイス塗れになっていた。
「もう、フェイトちゃんは仕方ないんだから。」
 呆れたように笑いながら、なのははフェイトを甘やかす。自分のハンカチでフェイト
の手を拭いてやると、フェイトは慌てて手を引いた。
「だ、大丈夫だからっ。
 そんな子供じゃないよ。」
 上擦った声を上げ、フェイトはポケットからハンカチを取り出そうとする。しかし、
制服を汚さずにどう取るべきか考えあぐねていると、なのはに手を取られた。フェイト
は観念したように、手を拭かれる。
「それで、お昼から2時間くらい、
 ティアナを借りても大丈夫かな?」
 なのはの問いかけに、フェイトとティアナが同時に顔を上げた。なのはは驚いた様子
の二人を見て、破顔した。
「私、しばらく教導なくって、少し時間あるから、
 ティアナの飛行魔法みてあげようかな、って思って。
 とりあえず、ティアナの上司さんにお伺いを立ててるんだけど、どうかな?」
 フェイトはしばらく固まっていたかと思うと、嬉々として答えた。
「うん、大丈夫だよ。
 ティアナのこと、よろしくね。」
 そして、なのはは未だきょとんとしているティアナを振り返った。
「それで、ティアナはどうしたい?」
 ティアナは即座に肯いた。
「お願いします!」
 威勢の良い声に、なのはは満足そうな笑顔を浮かべた。ティアナは言ったことがすぐ
出来るというほど器用なタイプではない。だが、真面目に聞き、目標に向かって進んで
いくことが出来るティアナを教えるというのは正直な話、なのはにとっても楽しいこと
だった。
 なのははティアナに拳を突き出した。
「がんばろっか、ティアナ。」
 ティアナが拳を軽くぶつけた。
「はい、頑張ります。」
 そんな二人を見て、フェイトは目を細めた。そのときだ。空間モニタが展開し、シャ
リオの姿が映し出された。緊急通信だ。
『フェイトさん、ティアナ、出動命令です。
 増援依頼です。
 ロストロギア強奪犯並びに活動拠点を発見し、現在交戦中とのことです。』
 フェイトはそれを聞き、即座に椅子から立ち上がった。その横顔に緊迫感が生まれ、
表情が引き締まる。
「了解。
 5分で戻ります。」
 モニタを切ると、フェイトはなのはを向いた。
「ごめん、なのは。
 そういうわけなん――――。」
 言いかけたフェイトの言葉が止まる。なのはもまた立ち上がり、フェイトを見つめて
いた。その眼差しは、滔々と光を湛えている。それは、いつも出撃前に見せる輝きだ。
「私も行くよ。
 どうして、私が今日、フェイトちゃんとお昼を食べにきたと思ってるの?」
 突然の言葉に、フェイトは答えられず閉口した。なのははそんなフェイトの顔を見な
がら、決然と言い放った。朗々とした声が昼下がりの局内に響く。
「午後が非番だからだよ!」