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第六話









「フェイトまま!
 大丈夫? 元気ないの?
 おなか痛いの?」
 日が落ちた頃、なのははフェイトを引き摺るようにして、自宅の扉を潜った。肌寒い
外の青い闇から抜け出てくる二人を、暖色の光を零す玄関でヴィヴィオが出迎えてくれ
る。急な出動でフェイトが体調を崩したから、帰りが遅くなると連絡したのは一時間前
だったが、ヴィヴィオはずっと玄関で待っていたのだろう。なのはの手に触れるヴィヴ
ィオの指先は冷たかった。
「ただいま、ヴィヴィオ。
 私は大丈夫だよ。」
 フェイトはなのはの肩に凭れ掛かったまま、ヴィヴィオの手を握り返した。橙色の灯
りの下でもなお、青白い頬で浮かべたその笑みは朧だった。
「本当?
 ねえ、なのはまま、フェイトままはどうしちゃったの?」
 なのははその言葉に、曖昧に返事をするほかなかった。なのははヴィヴィオに、フェ
イトままを休ませてあげよう、と告げた。ヴィヴィオは頷くと、リビングに向かう二人
の後について歩いた。
 なのははフェイトをリビングのソファに座らせると、自分とフェイトの荷物を片付け
台所に立った。ヴィヴィオはリビングの入り口に立って、ソファに身を沈めるフェイト
を見る。
 フェイトは帰ってきたら、必ず制服を脱いでハンガーにきちんとかける人だった。以
前、ヴィヴィオがフェイトの制服にはよれたところが無く格好良いと言ったときには、
執務官という仕事は特別だから、その制服も特別なんだよ、と少しだけ執務官になった
理由を話してくれた。そのフェイトが、今は上着とタイを放り、スカートなどそのまま
で目を閉じている。
 仕事で何か大変なことがあったらしいとは聞いているが、これだけ平素と異なる様子
を目の当たりにすると、どうしてよいのか判らなかった。
「ヴィヴィオ、キャラメルミルク飲む?」
 台所からなのはの声が響いてきた。ヴィヴィオはフェイトを見つめたまま、答える。
「飲む。」
 覇気の無いヴィヴィオの返事に気付いたのか、フェイトが薄く目を開いた。赤い瞳の
表面を、蛍光灯の光が流れていた。首をソファに持たれかけさせたまま、フェイトはヴ
ィヴィオに手招きする。
「どうしたの、ヴィヴィオ。
 こっちにおいで。」
 ヴィヴィオは服の裾を握り締めた。物音のないリビングで、なのはが台所で支度をす
る食器の触れ合う音ばかりが耳につく。
「フェイトまま、本当に大丈夫?」
 窺うようにヴィヴィオがフェイトの顔を覗くと、フェイトは頷いた。
「うん、大丈夫だよ。」
 いつものように優しい声を出して、見るだけで何処か安心する笑みを浮かべて。大好
きな筈のその笑顔が、今は何故か腹立たしかった。憤りが口を割って弾ける。
「うそ!
 フェイトまま、すっごく辛そうだよ!
 それなのに、そんなうそ吐くなんてひどいよ!」
 ヴィヴィオの怒声が室内に響き渡った。フェイトが目を見開いて、身を竦ませる。そ
の怯えるかのような態度が、さらにヴィヴィオを歯噛みさせた。
 気まずい残響のなかへ、なのはが何事かと台所から顔を出した。ヴィヴィオはそれを
見るなり、口を開こうとしたフェイトから顔を逸らし、なのはの元へと走って台所に駆
け込んだ。台所へ続く扉が、ヴィヴィオの手によって勢い良く閉められる。
「ヴィヴィオ、大声出して、どうしたの?」
 なのはの腰に抱きつくと、なのははヴィヴィオの背中を撫でた。台所にはキャラメル
ミルクの甘い匂いが満ちていて、なのはの腕は温かかった。
「フェイトまま、うそつくんだもん。
 全然大丈夫じゃなさそうなのに、大丈夫だよって。」
 ヴィヴィオはなのはのエプロンに顔を埋めたまま、くぐもった声を返す。すると、な
のははしゃがみこんで、ヴィヴィオの瞳を見つめた。澄んだ眼差しが、ヴィヴィオに向
けられる。なのははヴィヴィオの手を握って言う。
「そうだね、フェイトちゃんは酷いよね。
 辛くても辛いって言わなくって、
 大丈夫じゃない理由も聞かせてくれない。」
 目蓋の縁に、少し涙が溜まっている様に見えるのは、ヴィヴィオの気のせいでは無い
だろう。きっと、なのはも同じ気持ちを持っているのだ。何故かは判らないけど、その
確信があった。違いは、なのはは泣きもせず、ヴィヴィオのように怒りもせずに、ただ
そんなフェイトを受け入れているということだけだ。
「でも、そうやって怒って、フェイトちゃんを一人にしないであげて。
 傍に居てあげるだけで、きっと、フェイトちゃんすごくうれしいと思うから。」
 おかしい、とヴィヴィオは思う。そんな、心配でたまらないという風に顔を歪めて、
フェイトのことで頭がいっぱいだろうに、どうして傍に居るだけで満足できると、それ
で良いと言い切ってしまえるのか、理解できなかった。
 苦しいなら、辛いなら、心配だからともっと近くに来てと、言えば良いのに。
 どうして、それをしないのか、理解できない。
 なのはの手がヴィヴィオの頬に伸びた。
「ほら、ヴィヴィオ、泣かないの。
 フェイトままににっこり笑ってあげて。ね?」
 ヴィヴィオは初めて、自分が涙を零していたことに気付いた。何故、零れているのか
理由はよく判らなかった。フェイトのことも、なのはの言葉も、何一つ胸中で釈然とし
ない。
 だが、やっぱり、フェイトを一人に出来ないと思った。
 どんなに頑なに大丈夫だといい続ける人でも、その態度にどんなに苛立ちを覚えても、
それでも隣に居てあげたいと思った。それが何なのかも、やはりよく判らないけれど。
「うん、行ってくる。」
 頷くと、なのはは微笑んでヴィヴィオにお盆を渡した。その上には、湯気を上げるキ
ャラメルミルクが二つ載っていた。甘い匂いがヴィヴィオを包む。なのはがヴィヴィオ
の頭を撫でて、リビングへ続く扉を開けた。
「お夕飯、もう少しで出来るから、
 フェイトちゃんと飲んで待っててね。」
 ヴィヴィオは零さないように慎重に、リビングへの敷居を跨いだ。フェイトはやはり、
ソファに凭れ掛かっていた。窺うように少し遠巻きにしながら、ゆっくりとフェイトに
近づくと、ソファの前に置かれたテーブルに、ヴィヴィオはお盆を載せた。
「フェイトまま。」
 控えめに呼ぶと、フェイトが顔を覆っていた手をどけて、ヴィヴィオを振り向いた。
フェイトは少し躊躇った様子を見せて、ヴィヴィオを手招きする。臆病な仕草。
「ヴィヴィオ、おいで。」
 膝の上を叩き、乗るようにフェイトは言う。しかし、駆け寄ることがなんだか躊躇わ
れて、ヴィヴィオはお盆を前にしたまま、足を竦ませてしまった。そうしているとだん
だんとフェイトの手が力を失っていく。もう、フェイトの顔に、笑顔は無かった。掠れ
た声が唇から零れる。
「お願い、来て。」
 ヴィヴィオの迷いは吹き飛んだ。ヴィヴィオはフェイトに飛びついて、膝の上に乗っ
た。そして、小さな手でフェイトの頬を挟んで、覗き込む。すると、帰ってきて初めて、
フェイトの頬が緩んだ。
「フェイトまま大丈夫?
 なにかあったの?」
 ヴィヴィオはじっとフェイトの双眸を見つめる。フェイトは首を振ると、ヴィヴィオ
を抱きしめた。
「ちょっと疲れちゃっただけだよ。」
 ヴィヴィオはやはり、うそだ、と思ったが何も言わないでフェイトの首筋に顔を埋め
た。背中に回された手も、触れる肩も震わせているフェイトに、追及することは出来な
かった。汗のにおいがカッターシャツに染み付いている。
「うん、じゃあ、ヴィヴィオが抱っこしててあげるね。」
 縋りつくようなフェイトの腕の温もりが苦しかった。
「ありがとう、ヴィヴィオ。」
 ヴィヴィオは応えるように、フェイトの肩を掴む手に力を込める。不規則で早い心臓
の音が伝わってくる。フェイトがぽつりと呟いた。
「ごめんね。」
 その言葉が、誰に向けてのものなのか、ヴィヴィオには判らなかった。