第六話









 なのはは物音で目を覚ました。枕元の時計を見ると、時刻は午前4時を示している。
日が昇っていない為に室内は暗く、毛布の外に出ている顔が触れる空気は冷たい。一日
で一番寒い時間帯だ。
 なのはは身を起こし、周囲を見回したが特に変わった様子は無かった。物音は気のせ
いだったと結論付けて、再び床に横になろうと捲れた布団に手を伸ばすと、ヴィヴィオ
の寝顔が目に入った。寝る前は少し不機嫌な様子だったが、今はあどけない表情で寝息
を立てているその姿にほっとする。自分が起き上がったことで出てしまった肩に布団を
かけてやりながら、なのははヴィヴィオの頭を撫でた。
 なのはは視線をその隣で寝ているフェイトの方へ向けた。
 だがそこに、フェイトの姿はなかった。なのはの体に戦慄が駆け抜ける。なのははベ
ッドから転がり出ると、寝室を飛び出した。
「フェイトちゃん!」
 廊下を一目散に走り抜け、リビングのドアをけたたましく開け放った。電気のついて
いない暗い室内に、台所から漏れ出た光が差し込んでいた。ドアの曇りガラスを透かし
て、人影が見える。
「フェイトちゃん!」
 引き戸を壁に叩きつけるよう開けて、台所に飛び込む。すると、出てこようとしたフ
ェイトと正面からぶつかった。
「わ! なのは!」
 フェイトが慌てて、手にしていたマグカップを庇うが、なのははそれに構わずフェイ
トにしがみついた。背に手を回し、顔を肩口に埋める。そうすると、夜明け前の肌寒さ
も、触れ合った温かさに消えた。マグカップから漂うコーヒーの匂いよりももっと深く、
フェイトの匂いが染み込んで来る。
「どうしたの、なのは。
 怖い夢でも見た?」
 なのはの脳裏には昨日のフェイトの様子が浮かんでいた。自分の腕の中に倒れ込み、
意識を失った、人形のような体。局に戻るとすぐに検査を受けた結果、体には何の異常
も無かったが、意識が回復した後も支えなしでは歩けないほどに憔悴していたフェイト。
「起きたらフェイトちゃんがいなくて。
 それで。」
 なのはの声は掠れていた。フェイトはコーヒーを傍の棚に置くと、両腕でなのはを抱
きしめた。
「私は何処にもいかないよ、なのは。」
 なのはの肩を滑るフェイトの声はいつも通りの音をしていた。自分を包んでくれるよ
うで、ほっと体から力の抜けるような、気が楽になるような声。
「フェイトちゃん、もう起きて大丈夫なの?
 昨日、あんなに辛そうだったのに。」
 目を閉じて、全身でフェイトを感じて。それでも拭えない不安に、なのはは怯えてい
た。フェイトはそんななのはの背に流れる髪を指で梳く。
「大丈夫だよ。
 寝すぎて、こんな早くに目が覚めちゃったくらい。」
 言葉尻に笑みが混ざる。なのはは顔を上げて、フェイトを見つめた。フェイトの紅い
瞳が、なのはを見つめ返している。目の前にいるフェイトはもう、いつも通りのフェイ
トだった。顔色はむしろ普段より良く見えるくらいで。
 なのははもう一度、確かめるように口にする。
「本当に、大丈夫?」
 フェイトはたっぷりとした笑みをくれた。零れるような笑顔。
「うん、大丈夫。」
 その笑顔に、なのはは肩の力を抜いた。単純だけれど、本当に、フェイトの笑顔を見
ると、それだけで幸せになれる。胸が少し、熱くなる。それが根拠だなんて、人に言わ
せたら当てにならないなんて言われてしまいそうだけれど、それで充分だった。
 ため息のように、安堵が漏れる。
「そっか。」
 静かな台所に、それは僅かに響いた。そして、なのはは昨日からずっと疑問に思って
いたことを尋ねる。
「ねえ、あの中で何があったの?」
 武装局員は蹴散らされ、フェイトだけが中に引きずり込まれたという遺跡内最奥の部
屋。四方100メートルは優にある広い空間には、大型の古い演算機がある他には、何
もなかったとの報告を聞いている。
 内部の状況と、フェイトの様子の不一致がみなの間で物議を醸しており、皆が何事が
あったのか問うた。昨日のフェイトはか細い声で、何もなかったと繰り返したが、果た
して今日も同じであった。
「何もなかったよ。」
 フェイトはけろっとした顔で言う。
「本当に?
 じゃあ、何で倒れたの?」
 なのははいぶかしむ。言葉通り何もなかったとしたら、フェイトが倒れる理由が存在
しない。フェイトはそんななのはの視線を受け、頬を掻いた。珍しく、歯切れの悪い口
調で話す。
「その、ね。
 いきなりまったく視界の聞かない空間に引きずりこまれて、
 外にも出られなくって、
 えと・・・・気が、動転しちゃったんだ。」
 顔を少し赤らめた照れ顔に、心臓がきゅっと痛くなって、なのははごまかすように、
フェイトの額に自分の額を合わせた。顔が熱い。
「もう、すごく心配したんだからね。
 それならそうと、早く言ってよ。」
 少し拗ねた声を出すと、フェイトは眉を情けなく垂らしてやはり微笑んだ。
「ごめん、なのは。」
 昨日ヴィヴィオに言ったことが思い出された。結局、傍に居てあげたいのではない。
傍にいて欲しいのだ。わがままな自分。失うことばかり怖くて、何もしてあげられない。
「なんて、私、こんなに頼りなくて、
 フェイトちゃんもこれじゃあ、言い辛いよね。」
 なのに、ずっと、一緒に居て欲しいと思う。
 一緒に居るだけで不安も何も吹き飛ぶのに、一緒に居るからこそ不安になる。与えら
れるばかりで、何も返せなくって。
 フェイトがゆっくり頭を振った。なのはと頬を触れ合わせ、囁く。
「そんなことないよ。
 私、なのはやヴィヴィオが居てくれるから、こうやって居られるんだよ。」
 目蓋を閉じて、フェイトの声に体を預けて。見ないでも今、フェイトがどんな表情を
しているのか、何故だか判った。心地の良い不思議な感覚。
「なのはやヴィヴィオ、大好きなみんなが居てくれるから、
 私は何があっても大丈夫なんだよ。」
 フェイトの腕に力が篭った。なのははそれに応えるように、フェイトの上着を握り締
める。顔を少し傾けると、自分を見つめるフェイトの視線と出会った。何の変哲もない
蛍光灯に照らされているだけなのに、その眼差しがこの世界で一番綺麗な宝石に思える。
誰にも触れられない、自分だけのものに。
「本当だよ。
 みんなが居れば、どんなことも乗り越えられるって、
 本当に思うんだよ。」
 向けられたその笑顔は、先ほどなのはが思い描いたものと同じだった。
 フェイトは薄く頬を染めた。なのはは破顔すると、またフェイトの肩に顔を埋めた。
フェイトは本当に温かくて、猫がするみたいになのははフェイトに頬を摺り寄せた。
「もう、なのはくすぐったいよ。」
 キャミソールの上に一枚羽織っただけのフェイトは、首筋に掛かるなのはの呼気に、
僅かに身を捩ったが、言葉の割りに腕はしっかりとなのはの背に回したまま緩める気配
はない。それが嬉しくて、なのははフェイトに甘える。
 なんでこんな時に言うのだろうと思うけれど、
「フェイトちゃん、好きだよ。」
 その言葉が、胸から溢れて仕方なかった。
「うん、私も好きだよ。
 なのは。」
 フェイトは顔を赤らめて、でもはっきりと答えた。