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第九話









 ヴィヴィオが時計を見上げた。時刻は7時前。数秒間凝視した後で、窓の外へと視線
を投げる。レースのカーテンだけが掛かっている小窓の外は真っ暗だった。既に日が没
した通りを街灯が照らしている。人影の無い舗装路が、延々と伸びている。
 ヴィヴィオは微かに、嘆息を漏らしてソファから跳ねるよう立ち上がり、台所に立つ
なのはの元へ向かう。包丁の音と、スープの匂いで台所は満たされていた。ヴィヴィオ
は少し背伸びをして、まな板の上を見る。規則正しい動きで、なのはの手がニンジンを
切っていく。
「なのはまま、
 フェイトままは、今日帰ってこないの?」
 なのはは、うーん、とうなった。その声音に、今日も帰って来られないということを
悟る。艦隊任務が終わって、今はなのはと同じ本局に居ると言うのに、フェイトがまと
もに家に居たのは結局、あの長いお休みくらいで、他はろくに家に帰って来ていなかっ
た。
 昨日と一昨日は確かにそれまでよりは早かったが、いずれもヴィヴィオの寝る数分前
で、挨拶を交わすことが精一杯だった。
「フェイトまま、大丈夫かな。」
 ぽつりと、ヴィヴィオが呟いた。
 長期任務中には、通信をよく入れてくれるというのに、近頃はそれすらない。ヴィヴ
ィオが最後にフェイトをしかと見たのは、あの倒れた夜だ。翌朝、フェイトは早く家を
出てしまい、ヴィヴィオは会っていなかった。だから、なおさら不安なのだろう。
 なのはは顔を歪める娘に、大丈夫だよ、と微笑んだ。
「フェイトちゃん、元気だってティアナが言ってたから、
 きっとすぐに、帰ってきてくれるよ。」
 ヴィヴィオがなのはを見上げる。その表情はやはり曇っていて、なのはは殊更にこっ
と笑った。その後ろで、鍋が噴く。
「あ!」
 慌ててなのはは火を止める。ヴィヴィオは唇を引き結んで、もう一度窓の方を見た。
ふと、その耳に、低いエンジン音が遠く響いてくる。聞き間違いにすら思えたその音は、
次第に大きくなり。
 家の前で止まった。ヴィヴィオは声を上げて玄関に駆けた。
「フェイトままだ!」
 その声に、なのはが顔を上げたときには、ヴィヴィオは既に台所を出て行った後だっ
た。なのはは洗った手をタオルで拭いて、ヴィヴィオの後を追う。
 帰って来られるときは連絡を入れると言っていた筈だったのに、と多少の疑問をなの
はは感じつつも、自然、足取りは軽くなった。
「なのはままぁ!」
 その耳に、ヴィヴィオの悲鳴染みた叫びが突き刺さる。
「ヴィヴィオ!?」
 なのはは決して長くはない廊下を一目散に駆け抜けて、玄関に飛び出た。
「なのはまま!」
 ドアの前で立ちすくんでいたヴィヴィオは、なのはの顔を見るなり、なのはに抱きつ
いてきた。なのははヴィヴィオの背を撫でながら、開け放たれたドアの向こう、暗闇の
中に、玄関の明かりで照らし出された数名の人影を見る。取り立てて広いわけではない
玄関は、彼らの放つ存在感に歪んでいた。
 なのはは彼らが着ている服に見覚えがあった。
「本局捜査官?」
 思わず口をついて出た彼らの所属に、なのはは疑念を抱く。
 ミッドチルダでも比較的郊外に位置するこの家の周りは、土地も広く治安も良い。入
居してからしばらく経つが、未だに何の悪い噂も耳にしたことが無い。もちろん、管理
局が介入してくるような事件などもってのほかだ。そもそもここの管轄は本局ではなく、
地上部隊の筈だ。
 なのはは一番前に立つ主任と思しき人物を仰いだ。
「何かあったんですか?」
 彼がなのはを見下ろす。探るような険しい目付きに、肌が粟立つ。彼の後ろに控える
捜査官達もまた、威圧的な態度だった。無言の内に科される圧力に、なのははヴィヴィ
オの背に回した腕に力を込めた。
 敷居を跨ぎ、彼が玄関に入ってくる。
「フェイト・T・ハラオウン執務官のご自宅でよろしいですね?」
 口調は極めて慇懃だが、何処とは言えず高圧的だった。なのはは彼の双眸を見返しな
がら、慎重に肯く。彼は了解すると、なのはの前に小さな空間モニタを開いた。細かな
文字が羅列されている長い文章。なのははその題目を読み上げた。
「捜査、令状・・・?」
 呟いて、しかしやはりそれを理解するのは難しかった。本局捜査官が何故、こんな郊
外の一軒家を捜査するというのだろう。救いを求めるよう、彼を見上げると、彼は相変
わらずの冷めた眼差しでなのはを見ていた。
「フェイト・T・ハラオウン執務官への令状です。
 捜査情報の漏洩、服務規程違反、犯罪組織への荷担の容疑により、
 家宅捜索をします。」
 なのはの唇から「え。」という呆けた声が零れた。
「フェイトちゃんに、ですか?」
 なのはは思わず足を踏み出した。ヴィヴィオがなのはに強くしがみつく。
「何かの間違いじゃないんですか?」
 困惑の様相を見せるなのはに、主任は手元に資料を開いた。それを参照しながら言う。
「本日1649時、
 フェイト・T・ハラオウン執務官による長距離個人転送ポートの無断利用を知り、
 ティアナ・ランスター執務官補佐が追及したところ、
 同補佐官を昏倒させ、執務官は現在逃走中。」
 淡々と彼は言葉を紡ぐ。なのははそれを、呆然と目に映す。
「その後の捜査により、
 転送ポートの無断使用の履歴を消そうと試みた形跡や、
 不正アクセスの証拠が見つかり、
 捜査令状が下りた次第です。」
 なのははいつの間にか胸元を握り締めていた。心臓が痛いくらいに脈打っている。耳
の奥で、低く鳴り響いて五月蝿い。
「うそ・・・。」
 誰かの声が、自分の唇から零れた。現実というものが乖離して、全ての知覚が何処か
遠くに消えかかる。彼が続ける。
「全て事実であると確認が取れています。」
 フェイトが犯罪組織への荷担などするわけがない、これは何かの手違いだ。そう、胸
の淵で強く否定する。フェイトがロストロギアによる犯罪を一番に嫌い、それに巻き込
まれる人々を救おうと執務官になり、そしてその意志のために動いているのは今でも変
わらない。
「そんな、フェイトちゃんがそんなこと・・・。
 そんなことしたって、何に、」
 うわ言のように、なのはの唇が呟きを零す。
 彼は捜査資料を見たまま言う。
「なんでも、テスタロッサ・ハラオウン執務官は最後に、
 アルハザードに行く、とかランスター補佐官に言っていたそうですよ。」
 アルハザード。
 その名が持つ、彼女にとっての意味。
 遥かな昔、次元世界の狭間に存在するといわれる魔法が究極の形で在ると言われる世
界。そこに辿り着けばあらゆる望みが叶う理想郷。クロノがかつて御伽噺だと一笑した
物語。少数の人間が現存を信じ、未だに片道での渡航を試み続ける彼岸。
 そして、彼女の母もまた、そこを目指し、虚数空間に消えた。
 彼女を残して。彼女を捨てて。
 なのはは爪が食い込むほどに、自分の手を握り締めていた。
「では、家宅捜索を始めさせてもらいます。」
 彼が合図をして、何人もの捜査官が家に入ってくる。
 立ち尽くすなのはの横をすり抜けて、彼が室内に踏み込む。
「待ってください!」
 咄嗟になのはは彼の袖を掴んだ。いぶかしむよう、彼がなのはを振り返る。
「フェイトちゃんが、そんなことするわけありません。
 何かの、間違いです、だから、だから――――。」
 なのはの声は震えていた。全身が戦慄いている。
 フェイトが母へ愛の全てを注いでいたのを知っている。喪失に悲しんだことも、あの
後もずっと、何処か気にしていたのも知っている。けれど、彼女は、言ったのだ。
 何処にも行かないと、自分を、ヴィヴィオを好きだと、言ったのだ。確かに、この手
の中に居て、はっきりとあのぬくもりすら思い出せるのだ手に残っているのだ。
 それなのに、彼女が、そんなアルハザードになんて。
 視界の中、彼の姿が揺らめいていた。橙色の灯りの中、家を染める明かりの中に彼ら
の黒い影が落ちている。目の前に新たにモニタが展開される。
「捜索差押許可状です。
 本件に関連があると思慮されるものは、全て差し押さえになります。」
 涼やかな声がなのはの耳朶を叩いた。
 彼はなのはの手を逃れ、先行する捜査官達に続いて室内に入っていく。なのはは彼ら
を追うことも出来ぬままその背を瞳に映し続ける。悪い夢だ、と古典的な否定の言葉が、
脳裏を無為に流れるのに意を委ねて。
「なのはまま・・・。」
 目に涙を溜めながら、ヴィヴィオがなのはを見上げていた。
「フェイトままが、どうかしたの?
 お家には帰って来ないの?」
 なのはは何か答えようとして、でも、その開いた口からは何の音も出てこなかった。
 家の中から、フェイトの居た部分だけが全て不自然に削り取られるのに、そう時間は
掛からなかった。