寒い。
 体中が凍ってしまったみたいに。もう何処も自分の力で、うまく動かせない。体を壁
に預けたまま、肩を擦りながら足を前に出していく。鉛を付けられた手足。でも、もう、
目もよく見えない。真っ暗で、景色の全てが霞んでしまっている。執務官服が壁に削ら
れて立てる音と、荒れて掠れた呼吸音だけが静寂の中で私の耳にこびり付いている。
 寒い、すごく、寒い。冷気が足元から這い上がってきて、背筋を撫で上げた。
「――――っ。」
 不意に力が抜けて、手からバルディッシュが零れ落ちた。破片が飛び散る音がした。
金属音が響き渡る。
 バルディッシュを、拾い上げなくちゃ。でも、真っ暗で何にも見えない。膝から下が、
全然見えない。どうしよう、バルディッシュは何処に落ちたんだろう。屈んで探さない
と駄目だ。
 でも、もう屈んだらきっと立ち上がれない。体を壁に預けきっている今でさえ、止め
ようもなく震えているのに。こんな足じゃあ、絶対に立ち上がれない。
 バルディッシュ。バルディッシュは、いつも私と一緒だったね。ずっと、私の傍にい
てくれた。どんな時だって。それなのに、ここに置いて行ったり、絶対にしないからね。
あと一歩踏み出すのも、ここで立ち止まるのもきっと一緒だもんね。
 私は背中を壁に預けた。折角の執務官服が、壁伝いに歩いていたせいで擦り切れちゃ
ってる。あんなに勉強してやっと取ったのに、な。
「―――っ、ぁ。」
 冷たい手が心臓を握り締めた。体が一気に重くなる。壁に預けた体が、ずるずると下
に落ちていく。足に力が入らない。
「ぅ、あ。」
 苦しい、寒い、冷たい、もう、本当にここで終わりみたいだ。胸元を握り締めるけど、
胸が凍り付いていくのを止められない。手も冷たいから。
 管理局の救援がくるのはいつなんだろう。はやてがここから抜け出して、私を見るこ
とになるのは、いつなんだろう。3日後くらいに、やっぱりなるんだろうか。はやて、
3日間もどうするんだろう、きっと退屈だろうな。それとも、ずっと、3日間私を怒っ
てるかな。こんな任務に連れ出して、そのくせ勝手なことを、最低なことを言っていな
くなった私を、責めてるのかな。
 きっと、そうなんだろうな。いつかは私の名前も忘れて、それで。小学生からの思い
出にも、私の居たところだけ削り取られちゃうのは、少し、寂しいけど。
 はやて、ごめんね。私は、こんな風にしかはやてを守れないよ。あぁ、でも死んじゃ
ったら、リインフォースみたいに、何処か遠くからでも、見守れるのかな。それだった
ら、いいかなぁ。

 私は欲張りなんだ。
 ああしたいだとか、こうしたいだとか、こんな風になりたいだとか。
 そんなものばっかりで。

 はやて。

 はやての手料理も、デザートも、あの甘すぎるコーヒーも、
 繋いでた手の暖かさも、触れた髪の毛の匂いも、
 声の響きとか、あの笑い方とか、

 ぜんぶ、

 全ぶ、

 全部。


 全部欲しかった。


 触れ合った肌の柔らかさも、
 唇の甘さも、
 私だけを映して揺れている琥珀の目も、
 耳元で囁かれる声も。

 はやての全てが欲しかった。


 でも、もう、いいよ。


 心臓が、一際強く痛んだ。足から力が抜ける。私はずり落ちた。壁に背中を預けて、
座り込む。心臓が端から凍っていく。寒い。


 はやてが何処かで笑っていてくれれば、それで、もう、いいよ。


 はやて、ごめんね。


 腕から力が抜けて、こん、と地面に落ちた。






 一つにはなれないよ、はやて。