モニタの中では、強い明滅を繰り返す光点が、座標空間上を不規則な軌道を取り動い
ている。エネルギーの最大振幅と最小振幅の差は大きく、それは時間が経つにつれ増加
していっていると、グラフには描き出されていた。
 極めて不安定な状態だ。これが基底状態に遷移する際に放出されるエネルギーを思う
と、薄ら寒いものを覚える程度に。
 時刻は1305時。そろそろだ。緊急に出した協力申請は受諾された。
 私は空間モニタを新たに開き、用意していた資料を点検しようとする。そのとき、室
内に呼び出しの電子音が響いた。
「どうぞ。」
 了承すると、空気の圧搾音を響かせて扉が開かれた。
「失礼します。」
 強張った声で言うと、彼女は室内に入ってきた。視線を上の方に逸らしたまま、胸を
張って敬礼をする。
「八神はやて特別捜査官、ただいま出頭しました!」
 緊張してるはやてのその様子に、私は疑問を感じつつ、同じように形式ばった敬礼を
返した。
「ご苦労様です、八神はやて特別捜査官。
 お待ちしておりました。」
 すると、はやては一瞬固まって。それから間接が錆びたみたいなぎこちない動きで、
ゆっくり私を振り返った。
「私を呼び出した執務官って、フェイトちゃんやったん?」









				私







 はやての顔には、信じられない、と書いてあった。
「え、はやて、なんでそんなに驚いてるの?」
 協力要請にも、はやて宛に出した業務メールにも、所属と名前はちゃんと入れておい
たと思ったんだけど、もしかしたら、うっかり忘れたのかな。でも、名前を入れ忘れる
なんて、そんなことあるだろうか。
 私が首を傾げていると、はやては頬を掻きながら、視線をあらぬ方向へ投げた。
「いやあ、
 正体不明の高エネルギーロストロギアを、
 単独で封印しようとしとるなんていうもんやから、
 どんな敏腕執務官が出てくるんやろ思っとたんよ。
 そうしたら、フェイトちゃんが出て来はったから、
 ちょお意表を突かれて。」
 私は首をますます傾げて、はやての言葉を吟味する。
 つまり、メールの内容に気を取られて、差出人名まで気が回らなかった、ってことな
のかな。確かに、協力を仰いだのも今日なら、呼び出したのも今日中っていう、凄く急
な依頼だったけれど。
 でも、なんか、ちょっと、ね。
「はやて、私のこと、そんな風に思ってたんだね。」
 私、そんなに執務官として頼りないかな。目頭がなんとなく熱い気がするのは、多分、
気のせいだと思う。というか、気のせいだと思いたいだけなんだけど。
「ごめん、ごめんてー。
 もうフェイトちゃんそんな顔せえへんといて。」
 はやてが笑いながら、私の肩を叩く。可笑しくって仕方ないという笑いが、今はちょ
っと恨めしい。
「フェイトちゃんかて、敏腕執務官やんか。
 もうそれこそ、ゴキブリを素手で掴むくらいに!」
 言ってから、はやてはお腹を抱えて笑った。ころころとした笑い声は、本当に楽しそ
うで、いいんだけど。だけど。
 私の視界は、今度こそ涙で歪んだ。
「もういいよ。
 ブリーフィングしよう。」
 私が呟いて、デスクの方に向かおうとすると、はやてが私の腕にしがみ付いた。
「あーあー!
 フェイトちゃん拗ねんといてって!
 ただの冗談やんか。」
 ちらっと振り返ると、はやては私の頬に手を伸ばして突っついた。まったく悪びれた
様子も無くって、私はなんだか溜息が出た。
「この前は、ゴキブリ見ただけでも泣きそうだったのに。
 はやては調子良すぎだよ。」
 口を尖らせると、はやてはぶつかるみたいにして私に抱きついた。
「そら、あん時はいきなりやったし、一人やったし驚くのはしゃあないやん。
 でも今はフェイトちゃんが居るから、
 ゴキブリさん出たって怖いことあらへんかんな!」
 満面の笑顔をはやては私に向けた。光が零れてるみたいな笑顔。その眩しさに、私は
思わず息を呑んで、はやてに見惚れて。急に体に回されたはやての腕が、熱くなった気
がした。いや、私が熱くなったのかもしれない。顔が熱い。
「ご、ゴキブリで、そんなこと言われても、困るよ。」
 心臓の音が大きくなった気がして、それがはやてに聞えたらと思うと恥ずかしくって、
でも私がごまかそうと呟いた言葉はやっぱりちょっとうろたえてた。はやてが可笑しそ
うに言う。
「とか言いながら、顔が真っ赤やで、フェイトちゃん。
 もう、やっぱりフェイトちゃんは可愛えなあ!」
 はやては嬉しそうに、背伸びして私の頭を撫でた。
「と、とにかく、ブリーフィングしようよ!」
 私は叫ぶように告げて、はやての手を逃れた。ああダメだ、なんでこんなに、ただは
やてに抱きつかれて、笑いかけられただけなのに、もうどうしてこんなにドキドキして
いるんだろう。きっともう、耳まで赤くなってる。顔も体ももう熱いよ。
 私はデスクにつくと、頭を振って、気持ちを入れ替えようとした。そんな私の背中に、
はやての声が掛けられた。
「ゴキブリさんだけや無いよ。
 フェイトちゃんが居れば、私、怖いことなんて、あらへんから。」
 弾かれたように振り返ると、はやては真っ直ぐに私を見つめて、微笑んでいた。
 息を呑んでしまうと、私には返せるような言葉はなくって。
「いい、から、そこのソファにでも座ってくれる、かな。」
 震える声で搾り出すと、はやては微笑んだ。
 それから軽く手を振って、ソファに向かう。
「ういういー、りょうかーい。」
 ひらひらと揺れる手を追い、私ははやてがソファに腰掛けたのを見ると、短く息を吐
き出した。はやてと一緒にいると、どうしてこんなに私は簡単に。私はいつも、はやて
に振り回されてしまう。笑顔とか言葉とか、仕草とか、そんなものだけで。私ばっかり
振り回されるのは、なんだか不公平だ。
 でも、今はそんなことを思っている場合でもなくって。私は頬を軽く叩いて、無理矢
理気持ちを入れ替えた。はやてにとっては急な任務になるわけだし、不確定要素も多い
のだから、気を引き締めなければいけない。
 私ははやての前に、大きな空間モニタを展開した。
「これが、今回封印対象になるロストロギアだよ。」
 それは一欠けの宝石だった。
 艦隊からの動画記録の中から切り取っただけの画像が、不鮮明なせいか知れないが、
黒にも、藍にも見えるその宝石は、自らが静かに光を秘めているようだった。はやてが
画面を食い入るように見つめている。
「最初に発見されたのは、一ヶ月前。
 巡航中の次元航行船が見つけた、高エネルギー結晶体と思しきロストロギア。」
 告げると、はやては手を口元に当てて、考える時に良く見せる仕草をした。
「正体不明とは聞いとったけど、
 ただの高エネルギー結晶体かどうかも、確定しとらんの?」
 私はその言葉に肯く。
「高エネルギー結晶体の特徴とか条件は全て満たしているんだけど、
 一般のものとは違って、単独で転移を繰り返すんだ。」
 そっか、とはやては口の中で小さく答える。私はモニタを更に開き、何枚かのグラフ
を提示した。はやてが尋ねる。
「これは?」
 それは、はやてが来る直前まで眺めていたグラフだ。
 モニタの中では、ロストロギアを表す光点が、強い明滅を不規則に行いつつ、座標空
間上を動いていた。依然そのロストロギアの持つエネルギーの最大振幅と最小振幅の差
はオーダーこそ小さいものの、徐々に増加していた。
「これが、今のロストロギアのエネルギー状態。
 転移の周期は大体3、4日ごとで、
 昨日転移を終えたばかりだから、より不安定なんだけど。
 でも近頃、段々励起されているエネルギーが高まってるんだ。」
 励起エネルギーの上昇はすなわち、不安定さの増幅と等価だ。つまり、時々刻々と、
少しずつ危険性が増しているということだ。そして、暴発の瞬間に放たれるエネルギー
も大きくなっているということでもある。
「私でも充分封印は可能なロストロギアなんだけど、
 この不安定さから、
 ずっと封印は見送って、監視と観察を続けてたんだ。」
 言いながら私は、違うグラフを示した。転移先の確率分布関数を描いたものだ。離散
的な数字を変数に持つグラフは、裾が広く、関数値が0に漸近するまでの幅が大きい。
「これは、このロストロギアの次の転移先が何処かっていう確率。
 今までの調査とかで出したもので、結構信頼が置けるものなんだけど。
 何日か前から、次元間に隠れていたロストロギアが
 昨日の昼に姿を現したんだ。
 そうしたら、次の転移先として、高い確率を持っているところに、
 人が住んでいる次元世界が含まれちゃって。」
 はやてが口を開いた。
「それで、今まで続けてた観測とか調査を打ち切って、
 とりあえず早いとこ封印したろいうことになったんやな。」
 見上げてくるはやてに、私は肯定の返事をする。
「そういうこと。
 まあ、調査を打ち切ったと言っても、
 出自すら分からない以上、
 さらに資料捜査をしたところで有用な情報は得られないだろうし、
 高エネルギー結晶体だっていう見解も、
 ほぼ間違いないだろうから、遅かれ早かれ、って言うところではあったんだけどね。」
 そう告げて破顔すると、はやても表情を崩した。
「出自もようわからんロストロギアの資料なんて、ほとんど見つからへんもんな。
 機能なり何なりが分かるのやって、
 大抵が封印なり破壊なりした後で、技術部が解析するっていうんが普通やし。
 ええ判断やないの?
 さすが敏腕執務官やね。」
 腕を組んで、はやてはうんうんと頷く。
「またはやてはそうやって。」
 私が眉間に力を込めると、はやては慌てた様子で手を左右にぶんぶんと振った。
「冗談、冗談やって!
 怒らんとってや、フェイトちゃーん。」
 眉毛を垂らして困った風な、情け無い声をはやては上げた。さっきまでの、モニタを
食い入るように見つめ、思考に耽る真剣な横顔は何処かへ消えてしまって、その面影す
ら残っていない。でも、そのどちらも同じ、はやての姿なんだって思うと、少しだけ不
思議で。でもよく判らないけど、同時になんだか嬉しかった。
 だから、私は笑った。
「大丈夫だよ、はやては、敏腕執務官の私が守ってあげるから。
 たとえ、どんなに大きなゴキブリさんが出たってね。」
 はやてがその言葉に笑った。
「もう、フェイトちゃんは大げさなんかせせこましいのかよう分からんわ。」
 鈴の鳴るような笑い声が、なんだか耳に馴染んで。私は、「そうかな?」と返した。
それから、もう一度、さっきのエネルギーのグラフに視線を移す。
「はやてを呼んだのは、
 私でも充分封印は可能とは言っても、
 これだけエネルギー幅があって、不確定要素も多いからなんだ。
 上手く行かない、ってなったときに、何も打つ手がないと困っちゃうからね。」
 正式に分類こそされていないものの、現状ではこのロストロギアの危険度は決して低
くはない。励起されているエネルギーは高い。ただ、発動していないという一点に於い
て、封印が比較的容易になっているだけだ。
「これが基底状態に突然遷移なんてしたら、
 どれだけの被害が出るか分からない。」
 次の転移先に人が居ない世界になる確率のほうが余程高い。けど、もし、人の居る世
界の、それこそ市街地なんかに出現して、突然エネルギーを放出したらなんて。
 想像するだけ、無駄だ。
「そんなことには、絶対させない。
 私がここで、止めてみせる、必ず。」
 私はいつの間にか握り締めていた拳を見つめ、ゆっくりと解いた。この手には力があ
る。みんなを守るための力だ。誰も、傷つけさせない為の力。
「私がみんなを、守るんだ。」
 吐き出して、私は確かめるように指を折り曲げ、拳を握り締めた。
 そうやって静かに息を数度繰り返して。
「こほん。」
 はやての咳払いが聞え。
 私はそのまま固まった。
 今の、はやてに、思いっきり聞かれてた、とか、そういう次元じゃ、ない、よね。
 恥ずかし、い。私は首を思いっきり捻って、はやてから思いっきり視線を逸らし、上
擦った声で言い訳する。
「えと、私、なに言ってるんだろうね。
 そんな、はやてに援護とか頼んでるのに。
 なんかちょっと、変だよね。」
 そうしたら、後からはやての足音が聞えた。ゆっくりと私に歩み寄って、そして、私
の背をぱしっと叩いた。小さな声がした。
「フェイトちゃんはずるい。」
 呟いたはやての額が、私の背中に触れた。
「ずるいって、何が、ずるいの?」
 問い掛けると、はやてはただ笑みを零して、私の背をもう一度叩いただけだった。