「ぅあっつい。
 なんやの、ここ。」
 はやてが肩を落として、うんざりとぼやいた。第103管理外世界の空には、ミッド
チルダや海鳴市に比べると随分攻撃的な太陽が、血走った目で地上を睨みつけている。
「今、ロストロギアが居る世界だよ。
 個人転送で充分、地球に帰れる世界の一つでもあるけど。」
 バリアジャケットを着て居るから、ある程度気温の変化には対応できるはずなのに、
それでも額から流れる汗を私は手の甲で拭いつつ、はやてに答えた。見渡す限りは何処
までも砂漠で、立ち上る陽炎が景色を滲ませている。空は快晴で、見上げていると吸い
込まれるような気持ちすらする。足元が覚束なくなるような。
「フェイトちゃん、あんまり暑いからって、
 来て早々倒れんとって。」
 はやてが私の腕を掴んで、力任せに引っ張った。私はなされるがまま、軽く前のめり
になりつつ両足で砂を踏んで立った。柔らかい砂だ。変なの。
「こらぁ!
 目が泳いどる!
 しっかりするんや、まだ一歩も動いとらんのに、
 倒れてどうするんや!」
 起きろー、と言いながら、はやてが私の頬をはたく。
「大丈夫だよ、
 私、暑いのに強いから。」
 ぼんやりとしたまま言葉を紡ぐと、はやてが私を思いっきり叩いた。
「嘘吐くな!」









				はやて







 叩かれた頭をさすりながら、私ははやての隣を飛んでいた。いくら空気から暑いとは
いえ、空を舞っていれば体を突き抜けるような風が涼しさをくれる。
 眼下を見渡せば、地平の先まで砂漠が続いていた。
 私は隣を飛ぶはやてを見た。精悍な横顔は真っ直ぐに前だけを見ている。茶色の髪が
乱れ、真っ白いバリアジャケットが翻る。今、ここには私とはやて二人しか居ない。封
印対象になるロストロギアは一つきりだし、正直な話、Sランク未満の魔導師を連れて
いても、もしもの時には無駄に危険に晒すだけだからだ。
 これが単純なエネルギー結晶体だと確定していたら、ティアナを連れてきたところな
んだけど、それは仕方ない。少しでも危険な可能性があるなら、それに憂慮して、考え
うる最大の安全策を取るべきだと私は思う。
「フェイトちゃん、目標はそろそろやないの?」
 はやてが足元を見下ろしながら尋ねた。私たちはロストロギアから5キロメートル離
れた場所に転移してきた。確かに、そろそろな筈だ。私は眼下に目を凝らす一方で、現
在位置を確認しようとしたけれど、それは直ぐに意味を失った。
 数百メートル先。大きな砂丘を越えたところで、青白い光が迸った。はやてが唇を歪
めた。
「はっけーん、というわけやね。」
 私は肯いてバルディッシュを握り締めた。
「そういうわけだね。」
 散発的に弾ける光に近づくに連れ、腹の底に響くような轟音が鼓膜を振動させ始める。
発動が近いのかもしれない。最後に現れた時よりも不安定みたいで、魔力光の激しい輝
きは、時折天を射抜いて、砂漠と空を繋いだ。
 私たちの実行する作戦は至って分かりやすい。まず私がロストロギアの封印を試みる。
それが失敗した時には、はやてが封印を上乗せする、というものだ。
 ロストロギアの封印なんて、珍しい任務ではない。むしろ、私の仕事の半分はロスト
ロギアへの対策活動と言っても過言ではないから、慣れていると言っても良い。
「はやて、準備は大丈夫?」
 危険域の手前で止まった私は、直ぐ隣で同じように宙に浮いているはやてに尋ねた。
光の中心に、微かだが眩い光の中に、ロストロギアの影が見える。ほんの一欠けの宝石
で、地上100メートルの高さに居る私には、地表すれすれにあるそれが視認できる筈
がない。なのに、ロストロギアの放つ存在感は私の網膜に焼きつく。
 手の中のバルディッシュが、汗に滑った気がして、私は握りなおした。ロストロギア
の封印と言う任務自体には慣れている。だけど、向き合う瞬間の緊張には、いつまで経
っても慣れない。
 何かあったら嫌だ。絶対に、帰りたい。特に、
 私ははやてをちらりと盗み見る。冷静な眼差しがロストロギアを見つめている。部隊
長として、責任と皆の命を預かってきたからだろうか、迷いも恐れもないような、そん
な居住まいに見えた。私だけじゃない、誰もが信頼している八神はやてという人。
 はやては私の視線に気付いて、こちらを振り向いた。涼しかった表情が、微かに緩む。
「フェイトちゃん。」
 はやての手が、ゆっくりと私に伸ばされる。私はその指先を見つめ、微笑んで目を伏
せた。
 はやてに何かあったら、嫌

「だっ!!」

 さっきと同じところをぶたれ、私は無様に悲鳴を上げた。
「い、いたいよ、はやてぇ。」
 涙で霞んだ目をはやてに向けると、はやては厳しい顔付きで私へ視線を返してきた。
無言のまま、はやては今度は両手を私に近づける。そして、私の頬を両側から思いっき
り引っ張った。
「いっ! や、やめてよはやて!」
 懇願してもはやては私を睨み付けたまま、頬を抓る指に更に力を加えた。
「はやてぇっ!」
 堪らず抵抗すると、はやてはもう一センチくらい頬を引き伸ばしてから、勢いよく放
した。すっごい、ひりひりする。熱いよ、いきなり、酷いよはやて。恨めしくってはや
てを仰ぐと、はやては掌で私の頬を御餅みたいにこねた。
「フェイトちゃん、変に緊張するのはようないで。
 私とフェイトちゃんが居るんやから、怖いことなんてなんもあらへん。」
 琥珀みたいに澄んだはやての目に、私が映っていた。真剣な眼差しは、私を捉えて放
さない。何かが心臓に突き立てられたみたいで、息が詰まった。
 はやてが言った。
「絶対や。」
 そして、花が綻ぶみたいに、はやては笑顔を零す。
 よく判らないけど、私はうれしくなって、それで。
「はやてが居れば、百人力だもんね。」
 はやてが悪戯っぽく舌を出した。
「あったりまえや。」
 よっしゃ、がんばろ! とはやては言って、私の肩を軽く叩いた。私は改めて、ロス
トロギアに向き合った。青白い光が砂塵を舞い上げる。音は依然五月蝿い。だけど。
「バルディッシュ。」
 私の声の方が、余程凛と澄んで響く。
<< sealing form. set up. >>
 金属音を立て、バルディッシュが変形する。ヘッドが反転し、光翼が開く。はやてが
シュベルトクロイツを構えた。
「早いとこ終わらせて、」
 はやての言葉を、私は引き継いだ。
「今夜ははやての手料理だ。」
 まじで? というはやての驚きを掻き消すように。
 私は魔法を放った。
 光の矢は、溢れる魔力を引き裂きながら、ロストロギアへと突き刺さる。魔力の最大
出力での放射により、手足が急激に冷えていく感触が襲う。ロストロギアの力と拮抗し
合う一瞬。私は力を込めて、それを一気に叩き潰した。
 ロストロギアの力を凌駕する。稼働中のプログラムは順調に停止されていく。止まる。
放たれていた光が無くなり、砂漠に静けさが戻ってくる。突然の空白に、耳鳴りを覚え
るほどに。
 眼下で点ほどの大きさのロストロギアは、沈黙を保つ。黒い小さな宝石だ。1秒、2
秒、3秒。再発動は、ない。
 はやてがシュベルトクロイツを振り下げ、細く息を吐き出した。
「どうやら、完了みたいやね。」
 安堵した表情に、私も肩の力を抜いた。そして、揃ってゆっくりと降下をする。
 砂漠の砂は、踏まれて微かな音を立てた。
「奇麗な、ロストロギアやね。」
 それは、まさしく一欠けの宝石だった。一見すると黒に見えるその宝石を覗き込むと、
光の反射なのか、青みがかっているように思えた。見ているだけで、吸い込まれそうな
深い黒。
 まるで、宇宙を中に封じ込めたみたいだ。目を凝らせば、星空が中に詰まっているみ
たいに、小さな無数の輝きが奥に秘められていた。
「うん、奇麗だ。」
 私は肯いた。
「それじゃ、早いとこ帰るで。
 今日はぱっぱと書類上げて、
 フェイトちゃんにお夕飯作ってやらなあかんみたいやしな。」
 はやては、まったく、フェイトちゃんは甘ったれさんで仕方あらへんなあ、って呆れ
たフリをする。ただのフリだって、私は知ってる。だって、はやてのご飯が食べたいっ
て言った日は、絶対に、いつもよりずっと手が込んでて、すっごくおいしいご飯を作っ
てくれるから。
 はやてがロストロギアに近づきながら、肩越しに私を振り返る。
「それで、フェイトちゃんは何が食べたいん?」
 うーん、ここは暑いし、そうめんとか美味しそうだ。でも、折角はやてがすっごいご
飯を作ってくれるんだから、そうめんじゃあもったいない気がする。はやての作るグラ
タンはとんでもなく美味しい。でも暑い。冷たいもの。カキ氷じゃあはやてとか関係な
いし。
「あーあぁ、唸っとる唸っとる。
 日が暮れるまでに決めてな。」
 腕を組んで考え込む私に、そう告げて、はやてがロストロギアを掴んだ途端。
 ロストロギアから光の奔流が迸った。
「なっ!!」
 はやてが驚愕の叫びを上げる。その姿が視界を真っ白に焼き尽くす光に飲み込まれる。
「はやて!」
 私は怒号を張って、はやての体に腕を回し、強引に引っ張った。バルディッシュが吼
える。
<< Load cartridge. >>
 溢れ出す魔力量が先ほどとは比べ物にならない。カートリッジ4発を叩き込み、それ
でも押さえ込むことが出来ない。バルディッシュを突きつける腕が震える。何もかもが
根こそぎ持っていかれそうだ。力を込めた足が、ロストロギアに引き摺られる。
「フェイトちゃん!」
 腕の中のはやてが声をあげ、援護をしようと魔法を起動しようとする。ロストロギア
から放たれる力が一段強くなる。前が見えない。白い闇が私の五感を埋め尽くす。
「はやて、早く!」
 このままでは、振り切られてしまう。怒鳴り、私はバルディッシュにさらに魔力を注
ぎ込んだ。
 小さい、けれども耳障りな音が、響いた。手元から。その音を私は知っている。その
音は、
「バルディッシュ!!」
バルディッシュの本体に、亀裂が入る音だ。玉を大きく断ち割って入った罅から、破片
が弾け飛ぶ。瞬間、過負荷に耐え切れなくなったバルディッシュに、亀裂が走り抜ける。
 壊れる。バルディッシュが、手の中で。
 負ける。
「あああああああっ!!」
 抑止を失ったロストロギアの力が、辺りを、私を、
 はやてを、