一歩踏み出すと、また場所が変わった。


 地面が無かった。


「ふっ、ぁ、ああああああああああああああっ!!」
 突然出てきたのは町中に聳える塔の上だ。一層遠くなった日に晒されて、足元の町は
長い影を伸ばしているけれど、この高さから見たら全部米粒だ。宙に踏み出してしまっ
た足を戻すことなんて出来ない。飛行魔法だってろくに使えないのに、このまま今更ど
うすればいい!?
「フェイトちゃん!」
 はやてが叫んで、前のめりに落ちていこうとする私の右手を引っ張った。痛い千切れ
る。でも私が落ちていくのを、はやての力では止められない。だからと言って、私が引
っ張ったらきっとはやてまで落ちてしまう。
 落ちていく。日暮れの街並みに、吸い込まれるように。残された片足が、塔の縁を踏
み外した。
 私ははやてを振り返った。驚愕に顔を歪め、私の手を握り締めるはやて。沈んでいく
夕暮れの空が、背後に広がっていた。
「はやて、手を離し――――っ!」
 声を上げ、振り払おうとするより早く。

 はやては私の手を、両手でしっかり握り締めた。
「フェイトちゃん!」

 はやてが私に引き摺られて、宙へと投げ出された。
 もう怒鳴る余裕なんてなかった。私は墜ちるはやての体を引き寄せると、腕の中で硬
く抱き締めた。はやてが体を強張らせる。
 内臓が浮かび上がる、気色の悪い感覚が背筋を粟立たせた。耳元で風が轟音を立て始
める。私は温かいはやての体を抱く腕に、力を込めて、目を硬く閉じた。はやての髪が
頬に触れる。
 私は唇を強く、噛み締めた。

 そして。


「あいた!」
 私たちは、何処かの螺旋階段の、最下段に寝転がった。









				私







「もう、なんやの・・・ここ。」
 腕の中で、はやてが盛大に溜息を吐いた。
「寿命が、縮むかと思った。」
 緊張から一気に解放された為か、私の頬には引き攣った笑いが張り付いていた。叫び
出すか泣き出すかするにも、驚きすぎて気持ちの方がついて行かない。
「下手なホラーハウスとか、ジェットコースターより怖いんやないの?
 私、もう歩きたない。」
 はやての声には、本当に欠片も覇気がなかった。弱気な声は半泣きだ。私はあやす様
にはやての背を軽く叩くと、螺旋階段を見上げた。
 直径はだいたい、15メートルくらいってところで、高さはというと、何メートルだ
ろう。天井は小さな円にしか見えない。巨大な石で作り上げられている塔は古く、横た
わっている床には、厚く埃が溜まっていた。石の間には所々草が伸び、影と湿気の溜ま
る端には、苔が生していた。
 壁面には等間隔に細長い採光用の穴と言うか窓があって、そこから淡い光が滲んでい
る。時間の流れは、外と違うみたいで、取り込まれてから2時間は経っているのに、未
だに日の残光は街を染めていた。
 だけどもう、窓の形に切り取られた光は朧だ。空気は冷え始めていて、少し肌寒い。
「随分歩いたけど、
 脱出の糸口になりそうなものは、まだないね。」
 言いながら、私は体を起こす。はやては私の上から退いて、膝の上に当然のように座
り込んだ。ちゃっかりしてる。いいんだけどね。
 はやては不満そうに唇を尖らせた。
「このロストロギア作った人、どうかしてるんちゃうの。
 なんやのこの不思議のダンジョン。
 バリアジャケット着とらんかったら、今頃痣だらけやで。」
 怒ったような拗ねたような表情で肩を落とすはやて。なんだろう、あれだ、テレビと
かでたまに見る、サル軍団のお猿さんが反省してる時の雰囲気に凄く似てる。項垂れ具
合とか。
 そんなことを考えていたら、俯いていたはやてがいつの間にか私の顔を覗きこんでい
た。不機嫌な気配が私の肌を刺す。
「なんや今、ちょお失礼なこと考えとらんかった?」
 多分、図星。私はとりあえず、笑った。ごまかし笑い。
「そんなことないよ。」
 はやては疑わしげに眉を歪めて、私の頬を両手で挟んだ。
「嘘はあかんで、フェイトちゃん。
 私の目をよう見て、もっかい言ってみいや。」
 頬を挟むはやての手が、私の顔を持ち上げた。はやての発する圧迫感の前に、私は観
念してはやての目を見た。まっすぐな、私を問い詰める眼差しが意識に突き刺さってく
るようで、見つめているのがすごく、辛い。
 ああ、螺旋階段、長いなあ。
「なに目ぇ、逸らしとんの。
 さては、やっぱり失礼なこと考えとったなー。
 このぉー!」
 はやては頬を挟んだ手を、交互に動かして、私の頭を揺さぶった。
「や、やめてよ、はやてぇ。」
 ほっぺが取れちゃうよ。思わず悲鳴を上げると、はやてはふん、と息を吐いて、放し
てくれた。なんか、今日はこんなのばっかりだ。ほっぺた伸びちゃうんじゃないかな、
大丈夫かな、私。
 はやてが人差し指を私に突きつけて言う。
「フェイトちゃんは、嘘吐くと顔にすぐ出るんやから、
 もう私に嘘吐こうとするんやないで。
 わかった?」
 はやてが至極真面目に言う。でも、そんなに私、わかりやすくは無いと思う。ただ、
今まであんまり嘘吐く機会なんてなかったから、慣れてないだけだよ。いや、そんなに
いっぱい嘘吐いてもしかたないんだけど。でも、きっとこれからいっぱい嘘を吐けば、
すぐに上手くなるよ。
「今、またしょうもないこと考えたやろ。」
 ぐさ、とはやてが人差し指を私の額に突き刺した。
「痛い。」
 爪が痛い。
 はやてはエスパーなの? そんな気持ちを込めてはやてを見上げると、はやては呆れ
たように口元を歪めた。
「フェイトちゃんがわかりやすいだけや。」
 私はその言葉に笑った。もう、本当に、はやてには敵わないや。そう思っていると、
はやてが右手の小指を差し出してきた。
「じゃ、約束しよか。」
 私も指を出しながら、問いかける。
「なんの約束?」
 まあ、答えは分かってるんだけど、再確認。嘘を吐きませんだなんて、小学生の頃に
だって、そんな約束させられたことないのに。可笑しくって、私は破顔する。指を絡め
ると、はやては口を開いた。
「フェイトちゃんは私にもう嘘は吐かない、いうんが一つ。」
 一つ?
 あれ、他になにかあった、かな。ゴキブリ掴まない、とか?
「それと、」
 はやての両眼が、私を捉えた。静かな湖面のような瞳の奥に、何かが灯っていた。唇
がゆっくりと言葉を紡ぐ。
「もう二度と、手を離せなんて、言わないで。」
 はやては微かに、震えているように思った。なんでそう思ったのかは、あんまりよく
判らない。はやての体は震えてなんかいないのに。ただ、怒ってる気もした。だって、
絡めた小指には力が篭っていて、私を見つめる目は、今度こそ私に逸らすことを許さな
い、確かな意志を宿していた。
 私は喉を鳴らした。
 緊張だけは、確かにしていた。私は小指に少し力を込めて、誓う。
「うん、約束するよ。」
 微笑んで、指切りをする。
「私はもうはやてに嘘は吐かないし、
 手も離しません。」
 はやては私の言葉に頷く。その頬に、私は一つキスを落とした。それから、顔が赤く
なりそうなのを堪えて、不敵に聞えるよう笑う。
「たとえ、離せって言われてもね。」
 はやてが真っ赤な顔で頬を押さえて。
 私に軽く頭突きをした。囁くように、零す。
「あほ。」