第十話









 眼下に広がる霧深い渓谷を見下ろすはやての横顔から、シグナムはその感情の程を読
み取ることは出来なかった。谷底から吹き上げる風に、黒髪が揺れる。
「機動兵器は65機。
 強奪犯は全て空戦型魔導師で6名。
 ランクはAA+相当。」
 はやての唇は艦から送られてきた情報を紡ぐ。淀みの無い口調は、しかし抑揚に欠け
過ぎていた。守護騎士の誰もをその目に映さず、ただ一点、針葉樹の生い茂る渓谷の奥
深くを食い入っている。
「敵の目的は遺跡内のロストロギア奪取と断定。
 遺跡への入り口は谷底に確認されとるそうや。
 シグナム、ヴィータは遺跡へ突入して、ロストロギアの確保。
 シャマルとザフィーラは私と機動兵器の殲滅及び敵魔導師の捕獲。」
 目蓋を閉ざし、シグナムは腰に帯びた剣の柄を握り締めた。その頬を、霧が混じり、
水を多分に含んだ空気が撫でる。
「要逮捕者フェイト・テスタロッサ・ハラオウンの姿は未確認。
 やけど、出てくる可能性が高いから。
 その時は皆、分かっとるよな?」
 はやての声が、微かに揺らぐ。他の誰にも分からない、10年を共にしてきた自分達
だけが分かる仄かな変化。シグナムは目を開いた。はやては皆を振り向いていた。精悍
な眼差しが、彼女の守護騎士達を捕らえる。
 シグナムは誓う。
「もちろんです、主はやて。」
 半身たる魔剣を抜き放ち、滔々たる輝きを放つ刀身に己と主を映して。
 はやてが剣十字を高らかに掲げた。



 戦場を引き裂き、指定されていた座標に降り立てば、直ぐにその入り口は見つかった。
霧に飲まれ、日の差さない針葉樹林に覆われた谷底、その岩壁に空いた黒々とした高さ
10メートルは在ろうかという穴は明らかに人口のものだった。目を凝らせば、中の暗
がりに幾何学的な意匠の施された扉らしきものの残骸が見て取れる。切片は、熱で焼き
千切られたのだろう融解していた。空気は生暖かく、希薄ながら残留魔力が感じられた。
 ヴィータが口角を吊り上げ、唇を笑みの形に歪める。
「どうやら、先に行った奴が居るみたいだぜ。」
 シグナムは無表情のまま肯く。
「そのようだな。」
 ただそれだけの会話を交わし、二人は遺跡へと足を踏み入れた。
 内部はそれまでの報告書に在ったとおり、果ての見えない程に高い天井を持つまっす
ぐな通路が一本延々と伸びているだけだった。二人はその通路をひた駆ける。足元には
所々、破壊された見覚えの無い機械が転がっていた。恐らく、遺跡の防衛システムだろ
うそれは、全て壊されたらしく二人の行く手を阻むものはなかった。

 最奥に巨大な空隙を抱く重い扉は、既に開け放たれていた。
 一片の光すら存在しない深い暗闇の中、床に触れたレヴァンティンの切っ先が立てた
音だけが飲み込まれて行く。ヴィータが肩にグラーフアイゼンを引っ掛けた。室内を睥
睨し、ヴィータが言い放つ。
「やっぱ、居るんじゃねぇか。」
 その声に答えるように。
 金属の結合部が噛み合わされる音が鼓膜を打った。金色の刃が暗闇の奥に浮かび上が
る。場を埋める黒を食い潰し顕現する輝きは眩い。静寂の中を、高く鳴り響く靴音が染
み渡る。規則的な音は緩慢さすら感じさせ、刃と共に近づいてくる。
 剣を握る影が、自らの把持するその光の前に姿を現した。
「久しぶりだな。」
 怒気を滲ませた低い声で、ヴィータが嗤う。
 肩を滑る金紗の髪、鈍い光を湛える赤い瞳。黒いバリアジャケット、白の外套。振り
翳される光の剣。
「うん、久しぶりだね。ヴィータ、シグナム。」
 フェイト・テスタロッサ・ハラオウンは笑顔のままに、二人を見つめていた。
「で、説明してもらおうじゃねえか。
 てめぇが消えた理由と、ここに居る理由をな。」
 グラーフアイゼンが向きを変え、槌がフェイトへ対する。ヴィータの重心が低くなる。
返答次第では叩き潰すと、ヴィータの全身が宣言する。フェイトが軽く首を傾げた。
「あれ、ティアナから聞いてないかな?」
 軽薄な口振りで、フェイトはおかしいな、とうそぶく。情けなく眉を垂らして。
「そうかよ。」
 ヴィータが短く吐き捨てた。足元に展開された魔法陣から、赤い光が溢れ出す。
 金色の刃が翻った。
「悪いけど、ヴィータになんか負けないよ。」
 微笑む深紅の眼差しが焔を灯した。
 その足元の魔方陣から、強い金色の光が吹き上げる。
 同時にフェイトの後方に、複数の魔方陣が現れた。青白い魔力光に空間内が照らし出
され、奥に鎮座する物体がシグナム達の目に映る。闇の中にあってすらなお黒い直方体
は、フェイトの背よりも1、2メートルは高さがあり、横幅に至っては光源の不足の為
か把握しきれない。
 ロストロギア。
 これから奪い合うもの。
 白色光の中に影が形成される。影は直ぐに人になり、彼らはすぐさまそのロストロギ
アの周りを囲んだ。数名の顔にシグナムは見覚えがあった。既に別件で指名手配されて
いる盗掘犯だ。もはや、疑うべくも無かった。
 シグナムがレヴァンティンをフェイトへと向けた
 白い刃が暗闇で鋭く光を反射させる。
「テスタロッサ。」
 何者をも射殺す眼差しが、フェイトを撃つ。
 その低い声は、虚空に吸い込まれ反響した。フェイトはただ黙し、シグナムを見つめ
返す。
「手加減はしねぇぞ!」
 ヴィータの咆哮が貫いた。



 爆発が大気を捩じ切り弾けた。目蓋を突き刺す閃光に目が焼けつく。シグナムは視野
に不鮮明さを残したまま、地を蹴り虚空へ飛び上がった。蹴った地面を射撃魔法が抉る。
振り仰げば、天井付近に身を翻すフェイトの姿があった。白いマントが広がる。
 フェイトはいつになく慎重に、二人との距離を計っているようだった。高速軌道と急
旋回を繰り返し、二人の攻撃を捌き続ける。しかし遠距離攻撃をある程度切り捨ててい
る二人の相手とはいえ、この有限な空間内で、その戦略には限界がある。
<< Schwalbefliegen >>
 グラーフアイゼンが4つの鉄球を叩き、赤い軌跡がフェイトへ迫る。退路を阻む形で
四方から来る誘導操作弾を、フェイトはバルディッシュを振るって潰す。フェイトの姿
勢が崩れ、ヴィータの攻撃射程に収まる。
「アイゼン!」
<< Explosion >>
 カートリッジを叩き込まれ、グラーフアイゼンが地を揺るがす叫びを上げる。
「ラケーテンハンマー!」
 噴出する魔力を推進剤に、ヴィータが爆発的に加速する。フェイトが軌道を変えよう
とする先を見越し、シグナムは天井を蹴った。空中で身を捻るよりも余程早い方向転換。
フェイトの退路を阻み、挟撃を行う。
「飛竜一閃!」
 圧搾音を響かせ、カートリッジが排出された。鞭状連結刃が魔力を乗せ撃ち出される。
 魔力弾を撃ち落したフェイトの顔に、逡巡が過ぎるのが見えた。ラケーテンハンマー
も飛竜一閃も共にバリア破壊能力に長けた一撃だ。フェイトにはこの二つの攻撃を防御
しきることは出来ない。どう捌いたところで、フェイトは大きく損傷を受ける
「喰らえぇぇええ!」
 グラーフアイゼンがフェイトへと肉薄する。
 瞬間、フェイトがバルディッシュ・アサルトの刀身を翻した。ザンバーブレードの放
つ光が弧を描く。
「疾風・迅雷!」
<< Sprite Zamber >>
 大剣へと変化したザンバーが放つ雷光が、存在する影全てを吹き飛ばす。回転による
遠心力で更なる威力を得るラケーテンハンマー。そのがら空きの頭上へと、フェイトは
刃を叩きつけた。
「なっ!」
 シグナムに背面を向け、一切の防御を捨て去って放ったその斬撃に、ヴィータの表情
が歪む。防ぐことも、避けることも出来ず、ヴィータは肩から袈裟懸けに切り裂かれ墜
落した。
 フェイトは剣を振り抜いた勢いのまま半身を捻り、レヴァンティンに左腕を差し出し
た。そして、その左腕で飛竜一閃を受け止める。肘から上腕にかけて鞭状連結刃が絡み
付き、バリアジャケットと肌を引き裂く。血が噴出す。それでもなお解けない刃に引き
摺られ、フェイトは床に叩きつけられた。体が跳ね飛ぶ。だが、フェイトは空中で体を
捩り、片手を突いて着地した。そこへシグナムが追い縋る。
「紫電一閃!」
 燃え盛る魔剣が空を破り振り下ろされる。咄嗟に跳ね上げられたザンバーは、渾身の
一撃を前に弾かれ、不安定だったフェイトは床に叩き伏せられた。強かに背を打ちつけ、
フェイトが息を詰まらせる。
「これで終わりだな。」
 レヴァンティンの切っ先をフェイトの喉元に突きつけ、シグナムが言い放った。フェ
イトが目を開き、シグナムを見上げた。シグナムは服が裂け露出したフェイトの左腕を
一瞥する。
「無様だな。」
 白い左腕の肌は傷つき、血溜まりを作る。傷は決して浅くは無い。しばらくは物を掴
むこととて覚束ないであろう。暗闇に爛々と輝く青眼が、フェイトを蔑んだ。
「何のつもりかは知らんが、
 お前一人で出来ることなどこの程度だ。
 皆に額づき詫びるがいい。」
 フェイトはその言葉に微笑んだ。ふ、と唇から小さく息が吐き出される。シグナムは
柄を握る手に力を込める。
「左腕はいいんです。
 私の利き腕は、右ですから。」
 シグナムの視線が、フェイトの右手を追う。力なく横たわっていると思っていたフェ
イトの右手、その指先がバルディッシュに触れていた。フェイトが呟く。
「フォトンランサーファランクスシフト。」
<< Phalanx Shift >>
 シグナムがフェイトに剣を突き立てる。
 視界が金色に染まる。

 深々と食い込んだ刀身を、鮮血が伝う。
 フェイトがすっと、右腕を掲げた。
 光弾の一斉射撃を全て受け、シグナムのバリアジャケットはもはや原型を留めては居
なかった。肩から上着が落ち。シグナムの体が傾いだ。倒れてくるシグナムの上体を、
その右腕が押しのける。
 レヴァンティンが抉ったのは、フェイトの頬だった。剣は平衡を崩し、頬を更に傷つ
けて床に転がる。フェイトは身を起こし、立ち上がった。足元に転がるシグナムには目
もくれず、アサルトフォームに戻ったバルディッシュを拾い上げた。頬から零れる血液
が、数滴落ちる。
 その時、部屋の中心で、一際強い白色の魔力光が灯った。ロストロギアと強奪犯がそ
の光の中に消えた。フェイトはそれを見届けると、歩き出した。マントの裾が、床に這
い蹲るシグナムを掠める。
「可哀想ですね、シグナム。」
 魔方陣がフェイトの足元に瞬く。金色の魔力光が、フェイトの姿を覆い始める。
「てめぇ、待ちやがれ!」
 遠方でヴィータがグラーフアイゼンを杖に立ち上がり声を張り上げる。フェイトはそ
れに見向きもしない。ただ、倒れたシグナムにはき捨てた言葉を浴びせる。
「あなたは本当に、弱くなった。」
 魔方陣が一際強く輝く、瞬間。
 シグナムがレヴァンティンを引っ掴み、フェイトに躍りかかった。
「―――っ!」
 大上段からの一閃を、フェイトはバルディッシュで受け止める。衝撃にフェイトの足
が沈み、床が捲れ上がる。
「テスタロッサぁぁあああ!」
 シグナムの咆哮が場を席巻し、フェイトを押し潰す。鬩ぎ合う魔力が弾け、空間が軋
む。過負荷に裂けているフェイトの左腕から血が迸る。
「バルディッシュ!」
<< Load cartridge. >>
 薬莢がデバイス内に打ち込まれ、跳ね上がった魔力でもって、フェイトはレヴァンテ
ィンを退けた。ソニックムーブで空へと逃れる。シグナムは地を蹴り猶も喰らいつく。
<< Explosion. >>
 レヴァンティンが吼え、残っていたカートリッジが全弾ロードされる。
「貴様ああああぁぁぁぁぁあああああ!!」
 業火が燃え上がり、空間が炎で埋め尽くされる。放たれた焔は、大気も距離も焼き千
切り、天井もその上の厚い大地も打ち砕き、空へと吹き飛ばした。崖が粉砕される轟音
が響き渡り、地下空間内に太陽光が差し込む。巻き上げられる岩盤の間を、シグナムは
空へと駆け上がる。フェイトが礫の合間に見える。その姿に、シグナムは怒号を張り上
げる。
「主が、皆が、貴様の為にどれだけの苦労をしたか判っているのか!
 貴様を信じ、どれだけ苦しんだか、
 貴様には判らないのか!!」
 放たれた鞭状連結刃は、邪魔な岩盤を破砕し、フェイトを真正面から射抜いた。バル
ディッシュの柄で受けるが、防ぎきることが出来ず、フェイトは更に高みへと突き上げ
られ、上昇を続ける岩盤の一つへ叩きつけられた。
「それを踏み躙り、
 犯罪に荷担するなど、どんな理由があろうと許されん!」
 フェイトのガードが崩れる。そこをシグナムは返す刀で切りつけた。肩から脇腹へか
けて刃が走る。シグナムが咆哮を上げた。
「貴様はここで、私が落とす!」
 レヴァンティンが炎を上げる魔剣へと姿を変えた。灼熱が視界を揺らめかせる。シグ
ナムがとどめの一撃を振るう。
 フェイトが左腕を突き出した。
<< Load cartridge. >>
 バルディッシュが二度、カートリッジを呑みこんだ。左手の先に、環状魔方陣が現れ
る。魔力が渦巻き、解き放たれる。
「トライデントスマッシャー!」
 放射面の魔法陣中央から一本、続いて中央を基点に上下に一本ずつ直射砲撃が伸びる。
着弾点で結合することで反応、雷撃を伴う大威力を発生させるその砲撃は、立ち塞がる
もの全てを灼き落とす。その様に、シグナムの顔が驚愕に歪む。
「殺傷設定だと!?」
 純粋魔力攻撃と、質量を伴う攻撃は別種の力だ。相殺しあうことはない。シグナムは
身を捻り、高速でその場を離脱する。砲撃はシグナムの髪数本を焼き、遺跡へと垂直に
突き立てられた。遺跡内部で爆発が起こり、雷光が溢れる。
 渓谷の地形すら変貌させ、遺跡が崩壊する。
「お前・・・。」
 シグナムは眼下の光景を目の当たりにし、息を飲んだ。
 フェイトは遥か上空、シグナムもヴィータも追いつくことの出来ない高みで、同じよ
うに変わり果てた渓谷を睥睨していた。外套が風にはためく。
 フェイトが笑った。いつもの別れの挨拶と、同じ笑顔で。
「回収も終わったことですし、私も退かせてもらいますね。」
 シグナムは掌中のレヴァンティンを握り締めた。憤りが喉を突き抜けて怒号が吸い込
まれるような蒼穹に立つフェイトを撃つ。
「母の為に全てを捨てると言うのか!
 過去の為に生きると言うのか!
 それが、貴様が10年で得た答えなのか!!」
 転送魔法を発動させるフェイトは目を閉ざしていた。シグナムは吼える。
「答えろ、テスタロッサぁぁぁぁああああああっ!!」
 一度も目を開くことは無く、フェイトは金色の光の中に掻き消えた。