第十一話









 深夜を過ぎ、電気の消えたリビングに電子音が響く。食卓に座るなのはは、手元の暗
闇を見つめたまま、その音をただ聞き流していた。耳障りな音はややもすると途切れた。
替わりに、空間モニタが開いた。
『なのはちゃん。』
 モニタから発せられたのは、はやての声だった。窺うような声音に、なのはは笑顔を
向けるどころか、顔を上げることすら億劫で、無言のまま身じろぎ一つしなかった。俯
いたままのなのはの横顔に、はやては告げる。
『もう、昨日になるんかな。
 フェイトちゃんが、出てきたよ。
 ある未登録の遺跡の中に現れよって、ロストロギアを盗む手伝いをしとったって。
 シグナムとヴィータが戦ったんやけど、止められへんかった。』
 映像あるよ、見る? とはやては言うと、なのはの返事を待たずに、新しい画面を開
いた。そこに映されるのは、艦隊のモニターで録画された戦闘記録。その動画からの金
の光が、なのはの横顔を照らした。
「フェイトちゃん・・・。」
 なのはが顔を上げた。今日やっとまともに見るなのはの顔は、前にあったときより、
随分憔悴しているようにはやてには感じられた。
 なのはの視界の中で、フェイトは空高くを舞っていた。
 地中より噴き上げた炎が、大地を割り、霧深い針葉樹の森を吹き飛ばして空へと巻き
上げた。岩盤の間を駆け上がるシグナムが、礫の合間に見えるフェイトに怒号を張り上
げる。
『主が、皆が、貴様の為にどれだけの苦労をしたか判っているのか!
 貴様を信じ、どれだけ苦しんだか、
 貴様には判らないのか!!』
 放たれた鞭状連結刃がフェイトを真正面から射抜く。バルディッシュの柄で受けるフ
ェイトは更に高みへと突き上げられ、上昇を続ける岩盤の一つへ叩きつけられた。背を
強かに打ちつけたフェイトの顔に、苦悶が滲む。血塗れの左腕が負荷に耐え切れず、手
からバルディッシュが滑った。
『それを踏み躙り、
 犯罪に荷担するなど、どんな理由があろうと許されん!』
 シグナムが咆哮を上げ、レヴァンティンがフェイトを斬り付ける。肩から脇腹にかけ
て、大きく引き裂かれ、バリアジャケットが千切れた。フェイトが歯を食いしばる。レ
ヴァンティンが魔剣へと姿を変え、シグナムの手に収まる。
『貴様はここで、私が落とす!』
 刀身が纏う業火が一際強く燃え上がった。
 フェイトが目を見開く。透き通った深紅の瞳が、シグナムとその下、破壊された渓谷
を映して輝いた。フェイトが左腕を突き出す。
<< Load cartridge. >>
 バルディッシュが応える。左手の先に現れた環状魔方陣に魔力が集う。
『トライデントスマッシャー!』
 雷撃を伴う大威力を発生させるその砲撃は、立ち塞がるもの全てを灼き落とし、遺跡
へと突き立てられた。シグナムの顔が驚愕に歪む。
『殺傷設定だと!?』
 遺跡内部で爆発が起こり、雷光が溢れた。渓谷の地形すら変貌させ、遺跡が崩壊する。
『お前・・・。』
 眼下の光景を目の当たりにし、息を飲むシグナムをフェイトは遥か上空の高みから見
下ろしていた。外套が風にはためく。金髪が流れる。
 映像がフェイトのアップに変わった。バルディッシュを引っ提げて、フェイトは微笑
んでいた。まるでいつもと変わらない、胸の何処か奥が暖かくなるような、そんな笑顔
で。
『もう回収が終わったみたいなので、私も退かせて貰いますね。』
 フェイトは笑って、別れを告げた。
 転送魔法で消え行くフェイトに、シグナムの叫びが追い縋る。
『母の為に全てを捨てると言うのか!
 過去の為に生きると言うのか!
 それが、貴様が10年で得た答えなのか!!
 答えろ、テスタロッサぁぁぁぁああああああっ!!』
 金の閃光は次元の狭間に消えた。
 そこで映像は終わりだった。
 映像が終了した後の黒いウィンドウを、なのはは見つめ続ける。瞬きも何もかもを忘
れて、その黒を両眼に映し続ける。ずっと。そんななのはを見て、はやては唇を噛んだ。
そして、一つずつゆっくりと言葉を紡ぐ。
『あんな、なのはちゃん。
 フェイトちゃんに対する、非殺傷設定の解除が認められたんよ。』
 なのはの体が硬直した。驚愕に見開かれた瞳が眼窩を滑り、はやてを向く。戦慄く唇
が、無駄な呼気ばかりを吐き出しながら、音を出す。
「い・・・ま、なん・・て?」
 聞き返しながら、なのはは言葉を脳裏で反芻する。非殺傷設定が解除されると、どう
なるというのか。魔法の行使は魔力ダメージのみの非殺傷設定が基本である。なのはが
非殺傷設定を解除して魔法を行使したことなど、岩を砕くとか、火災現場に避難路を作
るとか、そういったときだけだった。
 つまり、こういうことなのかな、となのはは考えた。フェイトちゃんを砕くとか、フ
ェイトちゃんに避難路を作るとか。それじゃあ、
「・・・・フェイトちゃん、死んじゃうよ。」
 口にして、思わず自分の唇を抑える。指先が震えていた。体の奥底から何かが競りあ
がって来て苦しい。視界が歪む。
「なんで?
 どうして、そんなこと―――っ!
 フェイトちゃんがどうして!!」
 目頭が熱い。何かが止め処なく零れて、頬を伝い落ちる。喉に絡まるものがあって、
声が濡れる。
『さっき、上から通達があったんや。
 フェイトちゃんが殺傷設定の魔法を使ったんが確認されたから言うて、
 それで。』
 腰を浮かしていたなのはが、すとんと椅子に座り込む。テーブルに落とされた視線は、
ただ虚空を映していた。何かその口から言葉が漏れるが、はやての耳には届かなかった。
はやては一度目を閉じ、開いた。
『私は一応指揮官として呼ばれとるから、多少やけど権限がある。
 戦闘になったとき、状況はそれなりに操れるから、
 そんなことには絶対させへんって、誓うよ。』
 はやては一人、言い放った。

『フェイトちゃんは、私が必ず守って見せるから。』




 はやてが通信を切るのと、その人物が部屋に入ってくるのは同時だった。ノックも断
りもなく入ってきた人物をはやては振り返る。予想通りの人物だった。フォルスの艦長
であり、本件の総指揮官。
「この艦では現在、届出の無い個人通信は禁止されているはずだが、
 八神はやて特別捜査官。」
 はやては背筋を伸ばして立ち上がり、謝罪する。
「すみません。
 私用が過ぎる短い用件でしたので、
 多忙な通信士を煩わせるくらいならとの独断で行いました。」
 彼のはやてを見る目は鋭かった。確実に疑っている目であったし、その懐疑はまさに
正しいところであった。捜査内容を管理局員とは言え、本件に携わっては居ないどころ
か、目下容疑者の一人である、フェイト・T・ハラオウン執務官の連れ合いに話してい
たということは、明るみに出れば問題になることだった。
「そうか、ならば以降は慎みたまえ。
 次に届け出なく通信がなされた場合には、相応の処分を受けてもらうことになる。」
「処分?」
 はやてはその言葉に、少なからず驚きを覚えた。外部への個人通信の制限が行われて
いるというだけでも異例であるのに、した場合には何かしらの処分が下るという。フェ
イトの情報漏洩により事件を拡大させてしまったということから、神経質になるのは判
るが、処分は些かやりすぎだと、はやてには感じられた。
 そんなはやての訝しげな視線を感じてか、彼は淡々と言った。
「君は自分も充分に疑われうるということを認識した方がいい。
 君とて、大差はないのだよ。」
 その言葉に、はやては唐突に理解した。自分が急に別任務を解かれてまで招聘された
理由を。地上部隊で同種のロストロギアに関わったということや、魔導師のランク的な
問題も確かにあろう。だがそれは本質ではない。
 要は消耗品なのだ。フェイトも自分も、一度は次元犯罪に手を染めたものとして、互
いに潰し合えと言っているのだ。その上で、自己の存在価値を証明するならば、その親
友を、自らの手で討てと、討てる程の指揮官であれと、忠誠を示せと。そう言っている
のだ。
 それに気付くと、はやてはもう先程の笑みを浮かべていることなど出来なかった。
「以後、気をつけます。」
 はやてには、そう答えるのが精一杯だった。
 管理局とは多数の次元世界が主立って運営する、法と力と、そして複数の思惑を持っ
た組織だ。一枚岩とは到底言いがたい。だから、今、自分が感じている憤りは、幾つも
ある管理局と言う組織の、ある一つの側面に過ぎないのだと、納得させる。
 大丈夫だ。指揮官と言う肩書きと、それの持ついくらかの力があれば、まだ、事態を
ひっくり返すことが出来ないわけではない。そう、それこそ、せめて先程なのはへと捧
げた誓いくらいは守れるはずだ。
 そんなことを考えるはやての上に、総指揮官の言葉が降り注ぐ。
「次回、テスタロッサ・ハラオウンが現れた際には、
 八神はテスタロッサの相手だけをすればいい。
 管理局の威信を懸けてな。」
 それだけを言うと、彼ははやてに背を向けた。部屋を辞去する。その姿にはやては愕
然としたまま形ばかりの敬礼をした。
 指揮官という肩書きとその力を以ってすれば、なんだって?
 違う、自分は、指揮官として呼ばれたのではない。肩書きに意味は無く、そしてなん
の力もない。自分は指揮官ではない、

 ただ、フェイトを確実に殺す為だけに、呼ばれたんだ。