第十三話









 薄い層状の雲が、遥か下方を流れていた。その霞に包まれるようにして、はやてとヴィ
ータ、そしてザフィーラの姿があった。ヴィータが何事かはやてに向かって叫び、その体
を揺さぶっている。はやては気を失っていて、弛緩した体は、揺さぶられるままに動き、
何も反応を示さない。血塗れのはやてから雫のように血が降り注いでいく。
「フェイト、ちゃん。」
 なのはの唇が震えた。瞬きを失った目が、フェイトを映す。
 満月の夜空に浮かぶ、彼女の姿は逆光で、金色の髪が艶やかに風に舞っていた。同じよ
うに弄ばれる白い外套には、赤い飛沫が散っている。手甲は砕かれ、バリアジャケットの
左袖はなくなっていた。肩から腕のしなやかな曲線が露になり、その滑らかな白い肌には
肩口から指先へと血液が伝い流れている。
「なに、やってるの?」
 顔が笑みの形に引き攣って固まっていた。心臓が脈打ち、胸の縁を突き破ろうと鳴り響
いて煩い。その合間に、震える呼気が聞えてくる。きっと自分のものなのだろうその音は、
現実味に欠けて遠くから聞えてくる。頭の中が熱を持ったように、麻痺して朧掛かってい
る。
「ねえ、なに、やってるの?」
 目の前の光景が、理解できない。さっき見たのは、夢だろうか。それとも、今ここに居
る自分こそが夢なのだろうか。一週間探し回って、それでも自分で彼女を見つけることの
出来なかったのろまな自分が見る夢なら、こんなことが起こってもおかしくはないのだろ
うか。
 なのはは左手のインテリジェントデバイスを握り締めた。不屈の心という名を冠する杖。
その先端が細かく震えている。
「フェイトちゃんは、やさしいから、だから・・・。」
 なのはの声が冷たい風に呑まれていく。夜空に果てはなく、吸い込まれていくみたいに、
震える声はフェイトへと向かう。シグナムへ向けていた微笑も、先ほどの微かに驚いた様
子も既にない。赤い瞳も、整った相貌も、ただ向けられただけだった。無言のうちに、右
手に提げられたバルディッシュが、歯切れの良い音を立ててハーケンフォームへと変わる。
光が細身の刃となった。
「お母さんのことで、ずっと悩んでたことも、
 ずっと、ずっと・・・お母さんのこと好きだったのも知ってた。」
 息が喉に詰まっているみたいで、でも胸の奥からは何かが突き上げてきて、言葉が突っ
かかって出てこない。視界が歪む。星空が滲んで、その中でフェイトの姿も良く見えなく
なって、霞んでしまう。
 なのはは、消え入るような声を。
「だから、」
 許してあげたかった。
 誰が許さなくても、自分だけはフェイトを許してあげたかった。フェイトが何をしたと
しても、フェイトが何を求めたとしても。誰のところに、行こうとしたとしても。何を間
違えたとしても、フェイトならやり直せると、誰が信じなくても、自分だけは、
「でも、もう、ダメだよ・・・。フェイトちゃん。」
 零れ落ちた一言が、強い風に吹かれて逝く。爪が食い込むほどに拳を握って、目を硬く
瞑って。
「こんなことされたら、
 私、もう、」

 自分、だけは、

「フェイトちゃんを許せないよぉぉおおおおー―――――――っ!!!」
 なのはから絶叫が迸った。
 大気がその声に震え上がる。
「フェイトちゃん!」
 レイジングハートを振り抜いて、なのはは無数の光弾を中空に生み出した。
<< Axel Shooter >>
 30を超える誘導操作弾は互いに類似性の低い、複雑な軌道を取りながら、フェイトへ
と殺到する。その半数が爆発を巻き起こし、フェイトの姿が掻き消える。しかしそれも一
瞬のことだった。爆発も収まりきらぬうちに、なのはの視野の縁に高速で飛行するフェイ
トが映る。
 振り仰いだ先、なのはの頭上高くを舞うフェイトが、白々とした月と重なった。手にし
たバルディッシュ。ハーケンの刃がまるで、二つ目の月であるかのようだった。月が悠然
と翻る。なのはは月に、声を張り上げる。
「フェイトちゃんは優しいから、
 お母さんを助けられるなら、助けてあげたいんだよね!
 でも、どうしてその為に、フェイトちゃんが全部捨てちゃわなきゃいけないの!?
 皆の気持ちも何もかも、
 どうしてフェイトちゃんが裏切っちゃわなきゃならないの!?
 誰かを助ける為に、誰かを傷つけるなんて間違ってるよ!」
 月の周りを、桜の花弁が踊る。ハーケンを振るうフェイトは何も言い返さない。その双
眸はなのはを見つめるだけで何も伝えない。何も伝わらない。透き通ったその奥には、何
も無いとでもいうように。
 なのはは砲撃魔法のチャージを開始する。設定は非殺傷。だが、アクセルシューターは
殺傷設定だった。より効果のある牽制として用いる為だ。多少の怪我をさせてしまうかも
しれないが、フェイトを止める為ならば手段は選ばない。
「私、絶対に、
 フェイトちゃんをアルハザードなんかに行かせない!」
 アクセルシュータが次々とフェイトに破壊されて散っていく。その間にも、なのはの掌
中で魔力が渦を巻き始める。周囲を飛び回っていた機動兵器が、シグナムの手によって次
々に撃墜されていく。
 そのとき、夜に煌く光の中に、無数の魔方陣が現れた。転送魔法が送ってくるのは間違
いなく、応援の武装局員だ。フェイトの顔に焦りが過ぎる。刃が閃く。なのはが叫ぶ。
「絶対に、行かせない!」
 瞬間、チャージが完了した。同時に、転送魔法が発動をし、魔導師が姿を現す。フェイ
トが身を捻り、なのはがフェイトへと砲撃の照準を合わせた。
 その間隙を、
「フェイトさん!」
 聞きなれた声が、遮った。一瞬、なのはとフェイト、二人の意識がそちらへ取られる。
 それは、決定的な一瞬だった。

 アクセルシューターの最後の一つが、なのはの管制を離れ、フェイトの動作が止まった。
最後の光弾が、バリアジャケットが破れ剥き出しのフェイトの左肩に当たる。
 肉が焼けるのにも似た、耳に残る音がした。

 左腕が、夜空に弧を描いて飛んだ。
 月光の元、切断された左腕は、回転しながら放物線を描く。血が飛び散り、彼女の真っ
白いバリアジャケットも、金の髪も、白い頬も、赤だか黒だか判らない色が撥ね散る。腕
を失った肩口から、血液が際限無く溢れ出し、塊となって降り注ぐ。それはフェイトの鼓
動にあわせて、周期的に多量が吐き出された。
 地表と、天高い雲の合間に漂い、風に衣をはためかせる彼女。金色の。
 フェイトの目は、飛んだ腕を追い、肩口を見つめた。それから、ゆっくりと、先ほどの
声の主を振り返る。武装局員と共に並ぶ、一人の少女。良く見知った人。
「ティアナ、もう飛行魔法を使えるようになったんだね。
 まだ、適正試験から10日くらいなのに、
 やっぱりティアナはすごいよ。」
 フェイトは微笑んだ。
 蒼白な顔をしたティアナを見つめて。はにかむように頬を染めて、うれしそうに。
 いつもと、今までと、まったく変わらない笑顔で。
「フェイト、さん・・・。」
 呟いたティアナの声は、声と言えないほどに震えていた。フェイトはそんなティアナの
様子を見てやはり、笑顔になる。風が強く吹き、フェイトの白かった筈の外套を棚引かせ
た。
 そして、フェイトがなのはを振り返る。