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最終話









 そしてなのはは、屋上へ続く鉄扉を開いた。

 突き抜けるような青空だ。吸い込まれそうな深い青に、足元が揺らいで、落ちていっ
てしまいそうだった。その中で、屋上の縁に立てられたフェンスに寄り添い、空を見上
げている彼女は、まるで崖の淵に縋りついている様に見えた。青に飲み込まれ、溺れそ
うな背中。なのはは囁くように呼びかけた。
「フェイトちゃん。」
 その声に、小さな背中が振り返った。金の髪が空に広がり、白い頬の上を日差しが滑
る。無垢な真紅の目が、なのはを映した。腕の無い左袖が、風に翻る。時が止まった。
ほんの一瞬。その唇から、名前が零れた。
「なのは。」
 涼やかな、澄んだ音色がなのはの耳朶を打った。
 なのはは後ろ手に抑えていた屋上の扉を放す。錆付いた金属の蝶番が耳障りな音を発
する。立て付けの悪い扉は、打ちっ放しのコンクリートを削った。
「こんなところに居たんだね。
 そんな薄着じゃ、風邪引いちゃうよ。」
 なのははフェイトの方へ、ゆっくりと足を進めた。髪が顔に掛かるのを、首を振って
払う。扉が閉まる低い響きが、背後からなのはを撃った。
「今日は暖かいから大丈夫だよ。」
 首を傾げるフェイトの右手は、フェンスを掴んでいた。なのはは手にしていた自分の
上着をフェイトの肩にかけると、その頬に手を伸ばす。柔らかい頬は冷たかった。
「ダメだよ、こんなにほっぺた冷たいのに。
 もっと体を大切にしないと。」
 咎めるように目付きを険しくすると、フェイトは困ったように情けなく眉を垂らした。
「うん、ありがとう。」
 なのはは満足げに頷いた。
「判ればよろしい、なんてね。」
 悪戯っぽく舌を出すと、フェイトが笑った。なのははフェイトの横に並んで、フェン
スに背中を預ける。フェンスが軽く軋む。フェイトがフェンス越しに空を仰いだ。
「こうやって一緒に居るの、久しぶりだね。」
 穏やかになのはが告げる。フェイトが薄く、微笑む気配がした。
「そうだね、私がずっと悪いことしてたから。
 2週間ぶりくらいになっちゃうのかな。」
 眩い太陽の光に目を灼きながら、滔々と輝く紺碧の空を映す赤い瞳は煌いている。痩
せた印象の在るその横顔を一瞥し、なのはは唇を尖らせた。
「もっとだよ。
 フェイトちゃん、その前から全然帰って来なかったし。」
 そうだっけ、とフェイトは笑った。
 木の葉の音がする風が、彼女の空気でなのはを包んだ。微かに甘やかな匂いがした。
コンクリートの床と、屋上への扉と、頭上に広がる青空を描いた視界の中に、金糸が揺
れ、左袖が舞う。耳から静寂が染み込み、胸の奥に降り積もる。
 なのはは飲み込むように、ゆっくりと息を吸い込んだ。
「私、何も出来なかったね。」
 深い呼気と共に吐き出す。コンクリートに描き出されたフェイトの影が動く。フェイ
トが振り返ったのが判った。それでもなのはは、何も無い屋上を見ていた。果ての無い
空に浮かぶ、狭い四角の平面。
「フェイトちゃんのこと、好きだって言って、押付けるばっかりで。
 フェイトちゃんの気持ちなんて、考えもしなかった。」
 言いながら、なのはは一度目蓋を閉じた。暗闇は訪れない。目蓋を貫く日差しに、視
野は橙赤色に染まるだけだった。なのはは目を開いた。
「フェイトちゃんは、何処へも行かなかったのにね。」
 風が木々の枝を撫でる漣のような音色が、二人の頬に触れた。
「私、フェイトちゃんの笑顔を見るだけで、幸せになれた。
 寂しそうな横顔も、決意に満ちた目も、何もかも、好きだった。」
 なのははフェイトを見つめた。真っ直ぐで、曇りの無い眼差しを受けるフェイトは、
ただひたすらに、なのはを瞳に映していた。木漏れ日の音に、金の髪が煽られて、白い
額が覗く。
「フェイトちゃんは、いつでも私のこと受け止めてくれたよね。
 私が墜ちた時も、フェイトちゃんは焦りも不安も、
 全部受け止めてくれた。
 私は、フェイトちゃんが居るだけで心強かった。」

 あなたは星屑の人だった。
 今でも、鮮明に思い出せる瞬間。振り仰いだ先に佇む、一人の女の子。
 斜の在る赤い瞳の奥に、誰にも消すことの出来ない、確かな光を見た気がした。
 私を導いてくれる、星屑の人。

「私、フェイトちゃんにずっと恋してた。
 フェイトちゃんが居るだけで世界が違った。
 何もかも煌いて見えた、輝いてた。」

 翳ることの無い太陽だった。
 

「でも、もう、そんなの嫌なの。」

 なのははフェイトの瞳を覗き込む。赤い瞳に、自分が映りこんでいる。青空は何処ま
でも高い。風は彼方へと舞い上がっていく。木漏れ日が揺れ、小鳥が歌声を上げる。
「フェイトちゃんの辛い気持ちも受け止めたい。
 苦しい気持ちも、痛いのも、全部、分けてもらいたい。
 それで、一緒に幸せになりたい。
 一緒に、幸せになっていきたい。
 だって私、」



 なのはは、自分の胸元を握り締めた。





「フェイトちゃんを、愛しているから。」







 フェイトはなのはを見つめて、ただ、立ち尽くしていた。
 日に透ける金の髪は光を放っているようで、その輝きは眩しさすら錯覚させた。長い
睫は煌いている。なのはは言う。
「ねえ、本当は、お母さんを助けたかったんだよね。
 でも、助けられなかったんだよね。
 あんな戦艦があったら、世の中が変わっちゃうから。
 だから、諦めたんだよね。」
 フェイトが喉を鳴らした。それから、首を傾げ、穏やかな声音で囁く。温和な口調で。
「何言ってるの、なのは。
 私があの人を助けるわけないよ。
 だって、私のことお人形さんだって、
 ずっと、嫌いだって言った人だよ。」
 フェイトは咲き綻ぶ花のような笑みを零した。
「私、幸せなんだよ。
 私のことを、心配してくれて、怒ってくれて、
 私のために泣いてくれるみんなが居て、幸せなんだよ。
 なのに、そんなこと、
 そんな、こと、辛いなんてこと、ないよ。」
 目蓋から涙が溢れた。止め処もなく涙は流れ、顎を伝う。頬を引き攣らせ上げた口角
の端を、一掬の涙が掠めていく。
「フェイトちゃん。
 無理して笑わないでよ。」
 なのははそっと、フェイトの頬に手を伸ばした。指先で涙を拭うと、フェイトは驚い
たように、目を見開いた。
「私は、ずっと傍に居るから。
 ずっと傍に居るから、だから、お願い、
 もう一人で泣かないで。」
 フェンスを握り締めていたフェイトの右手が、ゆっくりと解かれた。笑顔が消えて、
涙に塗れた顔が崩れる。
「なのは。」
 フェイトがなのはの名前を呼んだ。なのはは両手を広げ、フェイトを硬く抱き締めた。
「泣いてよ、フェイトちゃん。
 私、受け止めるから。」
 フェイトは震えていた。元より細い体は、痩せて頼りなかった。微かな汗と、涙の匂
いがした。
「なのは。」
 フェイトの右手が、なのはの背に回された。
「なの、は。」
 その右手はなのはの上着を握り締め、そして。
「なのはああぁぁぁぁあああああああっ!」
 フェイトは大声を上げて泣いた。片腕で必死にしがみ付いてくるフェイトを、なのは
は両腕で強く抱き寄せる。触れ合った所は熱いのに、なのはの肩を濡らす涙は風に、直
ぐに冷たくなった。
 フェイトが涙声で叫ぶように声を上げる。
「なのは。
 私、あの日、見せられたんだ!
 遺跡の奥で、協力しろって言われて、
 お母さんを助けたくないのかって言われて、
 お母さんは本当は悪くないんだって、
 あの事故は本当はお母さんのせいなんかじゃないんだって言われて!」
 フェイトは一度、息を吸い込んだ。
「アリシアの事故の瞬間の映像がさ、隠匿されてただけで残ってるだなんて、
 そんな、馬鹿みたいな話、嘘みたいな、話、なのに、
 信じるほうがどうかしてるのに、
 馬鹿だよね、なんで、あんなの見せたって仕方ないのに!
 見せるんだよ、私に!」
 フェイトはもう怒鳴っていた。泣きながら、ひたすらに。
「事故の瞬間ね、光が溢れるんだよ!
 金色の光が、私の魔力光と、まったく同じ色の光が溢れるんだ!
 それが全部を飲み込んで、それで、それで――――っ!」
 フェイトの腕に、力が篭る。苦しいほどに強く。
「私、母さんにとって、アリシアを奪った事故そのものだったんだ!
 何もかも、私、母さんから奪ったんだよ!」
 触れる肩も、腕も、指先も、フェイトは震わせていた。泣いていた。
「それでも私は、母さんに何も返そうとしないんだ。
 私の、今の幸せがなくなるのがいやだから、
 私が大好きなみんなが変わっちゃうのがいやだから。
 だから、母さん、が、あの船さえあれば、
 アルハザードに行って、何もかも取り返して、
 もう一度、やり直せるって、幸せになれるって知っているのに、」
 フェイトが息を飲み込んだ。
 そして、細く、吐き出す。
「その方法を、全部、壊したんだ。」
 フェイトの呼気は乱れていた。震え続けたままの声は、止まらない。
「私、また同じことがあっても、必ず繰り返すよ。
 アルハザードに行く方法なんて、私が絶対壊すんだ。
 私の幸せを守るために、私は何度でも母さんを見捨てる。
 何度でも母さんを見殺しにするんだ。」
 言い切ったその言葉に、迷いだけは見つからなくて。
 フェイトはなのはの肩に顔を埋めた。くすぐったい筈の感触が、今は苦しい。フェ
イトのくぐもった声が、なのはの耳に届く。なのははフェイトの服を握った。
「それ、なのに、さ。
 なのは。
 私の腕、治るんだって。
 プロジェクトFで、
 母さんがアリシアを取り戻すために作った、
 確立した技術の応用で、
 腕、治るんだって。」

 もう、言葉に意味は無かった。

「フェイトちゃん。」
 なのははフェイトを強く抱き締めた。離れるところが無いくらいに、強く。それに
呼応するように、フェイトの腕がなのはを抱き寄せる。
「フェイトちゃん。」
 慰める言葉なんて、浮かんでこなかった。なんて言って良いかなんて、全然分から
なかった。私には、フェイトちゃんの気持ちは、わからない。だけど、ねえ、この気
持ちだけは溢れてくるんだ、止まらないんだ。
 ごめんね、押付けるばっかりで。でも、必ず、受け止めるから。ずっと、傍に居る
から、もう二度と、手を離さないから。だから、



「愛してるよ、フェイトちゃん。」


 世界で、一番のあなたを。
 私はずっと、愛してる。