1.ポテトの塩気










 フェイトちゃんは世話好きや。それはよう知っとるし、いいところやって思っとる。
小さい子の面倒を見ているフェイトちゃんは凄く優しい顔をしてる。だって、フェイト
ちゃんは、凄く優しい。そら、及び腰っていうところもちょおあるけど。
 だから私は、フェイトちゃんが、先週から補佐官として一時配属となった新人の子の
世話をよう焼いてるっていうのも、微笑ましいなあ、って思ってなあかんわけや。
 あかんわけなんやけども。
「あ、なんかお塩とかいる?」
 私の向かいの席に座ったフェイトちゃんが、テーブルの隅に置かれた塩やら胡椒やら
といったものが乗っかった小さいお盆に手を伸ばす。塩を手にして振り返った相手は、
フェイトちゃんの隣に座っている新人の子。その子の皿の上のフライドポテトさん年齢
不詳をどうにかして差し上げようという心遣いなんやろう。
「大丈夫です、ありがとうございます。」
 それを新人の子はやんわりと断った。まあ、そら、この歳になって、お母さんでもな
いんに勝手に塩寄越されても困るわな。フェイトちゃんはそっかー、なんて言いながら
お役御免になった塩のビンを戻す。
「私はポテト、お塩がいいから、そうかなーって思って。
 ケチャップとかの方が好きなの?」
 尋ねると、新人の子は、そうですね、ケチャップが多いですね、でもタバスコとかも
好きですよ、なんて返事をする。
 ああー、そうですかそうですか、フェイトちゃんはお塩派なんですね、知りませんで
したよ私は。私も塩がええんですけど、私のお皿にもポテトあるんですけど、私には訊
いてくれないんねフェイトちゃんは。ええけどね、ええんよフェイトちゃん、その子は
新人で、本局のこともようわかっとらんからね。
 ところで、新人って言うのは、補佐官の仕事が初めてってだけであって、管理局に初
めて勤め出したってわけやないって知っとる? ほんまの新人は、執務官の補佐なんて
やらしてもらえへんねんで。
「フェイト執務官は、いつもここで昼食をお取りになっているんですか?」
 ポテトを食べながら首を傾げる。敬語でしゃべってるわりに、ポテトと共に言葉を発
してるっていうのは、なんだか妙な光景やね。それにしても、なんやろ、その仕草が妙
に神経を逆撫でする。ご飯もどれもおいしく思えないし、どうしたんやろう私。調子悪
いんかな。
「うーん、大体はここかな。
 でも、外回りの前後で、時間がある時とかは街の方に行くよ。
 ちょっと遠いんだけどね、気に入ってるお店があるんだ。
 今度機会があったら、一緒に行ってみる?」
 新人補佐官さんの顔がぱあっと明るくなる。あれかな、向日葵が太陽を浴びた瞬間み
たいって言えば、ぴったりしっくり嵌るんかな。外に出るほど時間があるときに、上司
のお気に入りの店でお昼やで、そこは嫌そうな顔しとけばかわいげあるんに。
「はい、よろしくお願いします。
 フェイト執務官。」
 彼女はでも、向日葵に似つかわしい、晴れやかな声で答えた。フェイトちゃんの顔も
自然と綻ぶ。上機嫌に頬が緩む。
「期待しててくれていいよ。
 すっごくおいしいから。
 でも、その前に一つだけね。」
 フェイトちゃんはそう言いながら、人差し指をぴっと立てた。
「私のことを呼ぶのに、執務官ってつける必要はないよ。」
 そう言われると、彼女の瞳が輝いた。それから少し言い難そうに紡いだ。
「はい、フェイトさん。」
 私の口の中で、塩気のないポテトの揚げ過ぎでやせ細った部分が、音を立てて弾けた。
 フェイトちゃんが世話好きっていうのはよう知っとるし、いいところやって思っとる。
だから、私は、フェイトちゃんが先週から補佐官として一時配属となった、新人の子の
世話をよう焼いてるっていうのも、微笑ましいなあ、って思ってなあかんわけや。
 あかんわけなんやけども。

 すっごい、苛々する。

 頭の中が、真っ赤になって燃え上がっとるみたいで視界が不愉快に明滅を繰り返すし。
腸が煮えくり返る感覚って言うのを、私は今、初めて正確に理解しとる。食べたものが
胃の中でひっくり返って消化されていく熱が、お腹の奥で巻き上がって、内臓を焼き尽
くしていくみたいや。肌が毛羽立って、神経が全てささくれ立って、空調の為に起こる
微かな空気の流れにさえ、爆発してしまいそうだった。
 本当に、苛々する。むかついて、腹立たしくって、怒鳴りつけたい感情が喉元まで競
り上がって来てる。
「そうそう、それでいいんだよ。
 一時的なものだけどさ、これからしばらく一緒にやっていくんだからね。」
 フェイトちゃんが小首を傾げて笑った。可愛い笑顔。
 でも、なんでやろう。今は、大好きなはずのその笑顔を、思いっきり殴り飛ばしたい。
 許せない。
 なんやのフェイトちゃん、何考えとんの。意味わからへんわ。
 折角、私が珍しく本局勤めをこの間からやってるっていうんに、忙しい言うてお昼の
時でさえ全然会ってくれへんし。それでメールとか、ちょいちょいすれ違った時にする
話といえば、先週から来てるっちゅう新人の補佐官、つまり今、フェイトちゃんの隣に
座っとって、初々しくフェイトさん、なんて名前を呼んだ子の話ばっかり。
 ようやくお昼時間取れたー言うから、じゃあ、お昼一緒に食べよう、誘ったら三人や
し。別にその子を仲間はずれにするなんていう、小学生みたいなあれは確かに嫌やけど、
でも、でも、だからって何で私が向かいの席で、その子がフェイトちゃんの隣なん?
ふつう逆やないの? 私って、フェイトちゃんの何よ。恋人とか、彼女とかいうのに分
類されるんやなかったの? それって私の誤解ですか?
 しかもなに、さっきからその子と話してばっかりで。いつも仕事中ここんところずっ
と一緒に居る同僚よりも、もっと少ない機会でしか会えない恋人の私を大切にするべき
じゃないんですか。なのに何、そんなにっこにこ上機嫌な顔して、ずーっとほっぺた緩
みっぱなしやない。私の方なんてあんまり見いひんくせに。ほんまになんなの?
「はやて、どうしたの?」
 私は塩気のないポテトをフォークの先で転がす。揚げ過ぎでぱさぱさしてて、そのく
せ時間が経ってるせいでしなびてる、おいしくないポテト。その上、塩気だってない。
塩気のないポテトなんて、ただのじゃがいもや。
 私やって、折角本局の方に来たんやから、こんな若干残念な食堂でお昼を食べるなん
て嫌なんやで。けど、フェイトちゃんがそんなに時間は無い言うから、やっぱり、会え
るだけでもええし、って思って、甘んじてこのポテトを食べてるっていうんに。
 私、本当は外に行って、おいしいもの食べてくる時間十分あったんやで。それを、ど
うしてここで使うてると思っとんの。それなのに、どうしてフェイトちゃんはさっきか
らずっと私やなくって、

「はやて。」
 鋭いフェイトちゃんの声が、私を呼んだ。私は反射的に顔を上げる。
「え?」
 フェイトちゃんの顔が、触れ合いそうなほど近くにあった。開かれた目の赤い色が私
を真っ直ぐに見つめてる。息が詰まる。心臓が沸騰しそう。肌も全部、何もかも、顔も
耳も頬も目頭も熱い。フェイトちゃんの匂いがする。フェイトちゃんの息をする気配が
伝わってくる。滑らかな肌、柔らかそうなほっぺた。淡い色をした、形のいい唇が言葉
を発しようと、少し動いた瞬間。

 私はけたたましく椅子を蹴倒して、飛び退るように立ち上がっていた。

 甲高い音が、突然静まり返った食堂に響き渡る。
 フェイトちゃんが目を丸くして、私を見上げていた。フェイトちゃんだけじゃない。
食堂中の視線が、私に集まっているのを感じる。
「も、もう、びっくりさせないでやもう!
 ちょっと考え事してただけやんか!」
 搾り出した声は上擦っていた。それがどうにも情けなくって、もっと顔が赤くなって
しまいそうだった。変な汗が吹き出してくるのが分かる。心臓が煩くって耳の裏で鳴り
響いてる。
「そうなの?
 なんか気分でも悪いのかと思ったんだけど、大丈夫?」
 フェイトちゃんが不思議そうに表情を崩す。分かってる、だからそんな風に見ないで。
私の顔は今真っ赤で、しかも目だってきっと潤んでるってことくらい、分かってるから。
「や、私、熱あるとか全然、そんなんちゃうから。
 大丈夫やよ。」
 私は手をひらひら振って、取り繕うように顔を歪める。笑顔って、どう作ればええん
やったっけ。涙が滲んでちょっと縁のぼやけた視界の中にあるフェイトちゃんの表情を
見る限り、私の作った笑顔の判定はグレー。ああでも、本当に熱はないんやで。本当や
よ。ただ上手く笑顔になれないだけやから、そんなに見つめんといて。
 なるべくフェイトちゃんから顔を背けるようにしつつ、私は倒してしまった椅子を立
てた。私のせいで黙る羽目になってしまった食堂利用者のみなさんは、どうやら揉め事
の類ではないと判断してくれたらしく、もういつも通りの食堂の雰囲気に戻っている。
でも、私の心臓は駄目やった。すっごい早さで鼓動をしている。血液が体中を駆け巡っ
てる。
 それでも私は、落ち着けるように息を吐き出すと、フェイトちゃんに一瞥を送った。
 目が合った。一発で。
 でも、フェイトちゃんの目は、私に視線を逸らすことを許さなかった。真っ直ぐに私
を見つめて、一言一言、確かめるようにして私に言葉を手渡す。
「気分悪くなったら、ちゃんと言うんだよ。
 私が行ける時は少ないかも知れないけど、
 何処に居たって、私ははやてのこと心配してるんだからね。」
 少し眉間に力を込めて、いつもは垂れ気味の眉尻を心持ち上げた顔は、フェイトちゃ
んが真剣な証拠で。そして私は、フェイトちゃんのその顔が苦手やった。私は何とか、
顔を僅かに逸らして、大丈夫やよ、と繰り返す。けど、フェイトちゃんは私のその返事
が不満みたいで、視線が私のことを追っかけてきた。
「本当に大丈夫?
 顔赤いよ。」
 誰のせいや誰の。何処に居たって心配してるとか言うなやいきなり、お昼の席で。
「熱とかないから、大丈夫やって。」
 私はそうやって否定を重ねるけど、フェイトちゃんは相変わらずの心配顔だった。本
当にこの人は心配性なんやから。子供やないんだから、体調くらい自分で分かるって言
うのに。
「医務室一人で行くのが嫌なら、私、付いていってあげようか?」
「だから、大丈夫やって言うてるやん。」
 睨みあう私たち。そのとき、フェイトちゃんの隣に座っている彼女が、小さく笑い声
を上げた。微笑む彼女を、私たちは振り返る。
「あ、すみません。
 なんだか、お母さんと娘さんみたいなやりとりで面白くって。」
 心からって感じの笑み。余裕の見えるような表情に、急に心臓の辺りが嫌な音を立て
た。なんやろ、ほんとに。気分が悪い。ポテトの油が中ったんかな。私は悟られないよ
うに笑った。
「フェイトちゃん心配性過ぎるもんなあ。
 親子みたいに見られるなんて、同い年なのにきっついわぁー。」
 なんやろ、自分の口にした台詞が酷く腹立たしい。胸の中に気持ちの悪い衝動が充満
してくる。なにフェイトちゃん照れ笑いなんてしとるの。違うやろ。フェイトちゃんは
私のお母さんやなくって、お父さ、間違った、恋人やんか。親子呼ばわりされたことを
もっと気にしてよ。
 新人の子が談笑する。
「本当に、仲の良いご友人なんですね。」
 フェイトちゃんが、嬉しそうに頷いた。

 私の中で、何かが切れる音が、聞こえた。

 私は食器をテーブルに置くと、両手をついた。声を宥めすかし、笑いあっているフェ
イトちゃんに尋ねる。
「今日、フェイトちゃん家行っていい?」
 フェイトちゃんは面食らった顔で私を振り返った。なんでそんなに驚いてんの。ええ
やん、別に。突然泊まりいったって。
「いいけど、私、今日帰るのあんまり早くないよ?
 明日も仕事あるし、はやてもそうだよね。」
 そうですね、そんなことは分かってるに決まってるやん。それでもいいから行きたい
って言ってるの。なに、恋人さんが突然泊まりに来たって別にうれしくないんですかね、
フェイトちゃんは。あ、私って、仲の良いご友人でしたっけ。
「ええよ、合鍵持ってるし。
 夕飯でも用意して待ってる。」
 気を払うと、ポケットの中に鍵の感触があるのが分かる。私は右手で、服の上からポ
ケットを押さえた。
「え、ほんと?
 何作ってくれるの?」
 フェイトちゃんが期待に満ち溢れた目で私を見つめる。今日、これまで一回もそんな
顔向けてくれへんかったよね。ええけどね、別に。
「んー、まだ考えてへんけど。
 フェイトちゃんの食べたいもの作るよ?」
 そう答えると、フェイトちゃんはうーん、と唸り出した。フェイトちゃんは食べたい
ものを決めるまでが長い。お昼休みはあと10分。さて、今日はお昼休みが終わるまで
に決まるんやろうか。しったことか、そんなこと。もううんと悩んだらええんや。業務
中も悩んで、ぼーっとしてシャーリーにでも怒られてしまえ。
 ふと、新人さんがフェイトちゃんに顔を向けた。
「最近ミッドは寒くなってきたそうですから、
 体が温まるものとかがいいんじゃないんですか?」
 その言葉に、フェイトちゃんがパッと顔を上げた。手を打って、新人さんに満面の笑
顔を向ける。
「そうだね!
 温まるものがいいよね!
 はやて、お鍋にしよう?」
 同じ笑顔のまんま、フェイトちゃんは私を振り仰いだ。

 ああ、そう。
 お鍋ね?

 私はことさらゆっくり笑みを浮かべると、明るく頷いて見せた。
「わかった。
 取って置きのお鍋、作ったるな。」


 それは今日一番の、とっておきの笑顔だった。