15.最高のエッセンスは










 フェイトちゃんが足を地面につけるのと同時に、私はフェイトちゃんの腕から飛び出
した。こっぱずかしいことしてくれてもうて、いい迷惑や。歩けないだとかちっさい子
なら別やけど、私はこれでもう十分大人やし、ちゃんと歩けるんやから。
「救護車両はこのビルのすぐ下にあるから、一緒に――――。」
 フェイトちゃんが言いながら、私に手を伸ばす。
「それじゃ、私もう大丈夫やから。
 一人で救護車に行けるし、気にせんでお仕事行っといで。」
 私はその手をするっと避ける。それを足はちゃんと支えてくれとる。うん、やっぱり
思ったより大丈夫やんな。気分がええから、首を巡らして、横手に聳えるさっきまで居
たビルを振り返った。
 ここはさっきのビルのすぐ傍、半分よりちょっと低い建物の屋上みたいや。見上げる
と爆発があったりして随分ぼろくさくなったビルがよう見える。すごい高さやから、太
陽まで目に入ってちょっと眩しいし、首は痛いけど。周りにはヘリコプター的なものが
何機もばたばたと音を立てて回っとって、なんや壮観。しっかし、すごい事件やったん
な。報道のヘリとかもかなり回っとるよね、あれ。
「そんな・・・、だめだよ。
 一緒に行こうよ、ほら。」
 フェイトちゃんが私を追いかけて、また手を出してきた。何がだめやって言うねん。
むしろ正しい局員の在り方としては、そうするべきなんやないの。視界に入りかけたフ
ェイトちゃんの肩までを見ないで済むように、私は顔を背けた。
「人質さん達とかのこと心配なんやろ、
 さっき、フェイトちゃんが来たら安心しとったし、
 さっさと行った方がええんやないの。」
 フェイトちゃんに背中を向けたまま言ってやると、フェイトちゃんが呟くよう言うた。
「はやて。」
 ああー、なんか生ぬるい声やなあ。このまま放って置いても、きっとこのまま動かな
い。ちょっと強情になってるときの声や。どうせ、怪我してる人は放って置けないって
いうだけのくせに。
「大丈夫やって。
 さっさと行けばええやんか。」
 フェイトちゃんは突っ立ったまま、今度は動く気配もせえへんかった。なんや、ちゃ
んと自分で行けるってところを見せてあげなあかんのかなぁ。ええで別に、ちゃんと歩
けるし。
「ほな、またね。
 そのうち事後処理とかで会うやろ。」
 ビル風やろうか、わりかし強い風が突き上げて、服がばさばさ言うんがうるさいけど。
屋上から出て行く方に足を踏み出す。ん、大丈夫。かなりちゃんと歩けるやんか。えら
いぞ私。あのリハビリは無駄やなかった。
 どうせ、フェイトちゃんの邪魔にしかなれへんねや。私よりずっと長い時間閉じ込め
られて、しんどい思いした人いっぱい居るんやから、そういう人に優しさは振り撒けば
ええねん。私は一人で救護車にも行けるし、手当てを受けたら自分で帰れる。一人で出
来る。どうせフェイトちゃんは、私がちゃんと歩いて扉の向こう側に行ったら、ビルに
飛んでくんや。
 一歩一歩、ぽつぽつ前に進んでいって、屋上から出る扉はでも中々近づかへん。なん
や大丈夫やと思ってはいても、あんまり早くは歩けへんもんなんやね。そんときようや
く、フェイトちゃんのマントが翻る音がした。ああ、せやね、それでええよ。その音に
続いてくるのは、そうやね、きっと地面を蹴る音
「はやては、ひどいよ。」
 ぽつりとフェイトちゃんは呟いた。
 思わず、私の足が止まる。
 ざらざらって、私の耳元を強い風が音を立てて吹き過ぎてく。
「なに、それ・・・。」
 ああ、なんか勝手に口が動いた。でも、だって、なにそれ、酷いって。
「酷いって、なんよ。」
 なんでそんなこと言われなあかんの。私、もうこれ以上フェイトちゃんに迷惑かけな
いようにって、ちゃんと自分の足で歩いてるやん。それの何が酷いの。ああ、なに、
「私がやたらと事件掻き回したんに、
 謝りもしないでさっさと行こうとしとるから?」
 なんか声が震えそう。
「そらごめんな。
 ほんま、気ぃ利かなくてすんませんね。」
 いらいらしてる。くそう。絶対にフェイトちゃんの方なんて振り返らない。前を、屋
上からの出口と、もっと先に続くビル街と、青空を睨んで顔なんて動かさない。視線な
んてぶれさせない。
 フェイトちゃんは私の後ろに立ったまま、こっちを見てる。見えなくても視線ってわ
かる。突き刺さってくる視線で背中が熱い。
「そんなこと言ってないじゃない。
 私はただ、一緒に救護車に行こうって、」
 うるさい。いつもいつもぼんやりした反応ばっかり返しおって、もうこりごりやねん。
「せやから、私は大丈夫やって言うてるやん。
 もうフェイトさんのお力なんて借りずに歩けます。
 早く戻りなって。」
 別に私のことなんて心配してへんくせに。どうしてそうやって、突っ立ったまま動か
へんの? さっさと行けって言うてるやんか。
「はやて、私ははやてのことが心配だから、一緒に行きたいって言ってるの。」
 心配? 心配ってなに。うそつき。
「心配ってなに、やっぱりフェイトさんには相当私のことでお手数かけたから?
 ほんますんませんなあ、優秀な魔導師であり指揮官だ、
 なんていうフェイトさんの信頼を裏切って。」
 大切な人質さん達を保護して、危険な犯人さん達を護送してったらええやんか。一番
はそうしたいんやないの。私のことなんて数にも入ってないくせに。
「そら、こんだけ大胆に裏切られたら、もう一回ないかって心配になりますよね。」
 言ってて、いらいらする。変に声が跳ねそう。別に私は、怒ってなんかない。こんな
の怒ることじゃない、当然のことや。職務を全うするように、私はフェイトちゃんに言
う、それの何処に怒る要素があるの。
 怒ったらただのわがままな子供やん。私は、そんなんじゃない。
「はやて、私そんなこと言ってない。」
 言わなくたってわかることが、世の中にはあります。でも、私のことを心配する必要
はないっては言ってたやん。テレビで堂々と、八神陸佐の心配をする必要なんてありま
せん、ってちょうはっきり言うてた。すっごい決まってたしな、なにあれ、あれがあな
たのベストアングルですか、くそくらえ。
「あー、はいはい、すみませんでした。
 人の話もよう聞けない人でごめんなさいなあ。
 とりあえず私のことはどうでもええんやろ、さっさと行きって言うてるやん。」
 はっきり言い放って、でもフェイトちゃんはやっぱり動きそうもない。面倒くさいや
つ。このまま話していても、らちがあかなそうやね。
「じゃあ、私はもう行くから。」
 私は肩越しにひらひら手を振ると、もういっぺん歩き出す。まっすぐ前に、青空とビ
ル街の遠景、その前にぽつっと佇むドアに向かって。私の背に、フェイトちゃんの声が
掛けられる。
「はやて、どうしてそうなの。
 意味わかんないよ。」
 大丈夫、私には意味わかっとるもん。私は、フェイト執務官のお邪魔をしてしまった
のを後悔して、今度はお邪魔にならないように去ろうとしているんや。
「振り向いてよ、はやて。」
強いビル風に煽られつつ。ビル風と共に去りぬ、なんてどうやろうねえ。
「私、怒ってるんだよ。」
 撃ち抜くような声やった。

 いつの間にか振り返っている私の視界の中心で、フェイトちゃんが私を見つめていた。
背後には巨大なビル。風に翻るマントと、長い金髪と。頬を零れ落ちる、
「私が・・・私がどれだけ心配したって思ってるの?
 どれ、だけ・・・っ。」
 涙。
 フェイトちゃんの顔が、くしゃくしゃに歪んだ。手をぎゅって握り締めて、目から涙
が溢れて、沢山の粒が何個も、何個も零れ落ちて。フェイトちゃんの唇が、震えてる。
「はやてに何かあったらどうしようって、
 私、わたし・・・。」
 しゃくりを上げたフェイトちゃんの肩が跳ねた。
 フェイトちゃんが、泣いてる。
 どうして?
「死んじゃうかと思った。
 助けられないかもって、そんなことになったら、どうしようって・・・っ。」
 なんで、なんでそんなに泣くん。
 なんで。
「だ、だって言うてたやんか、私のこと心配してないって!
 全然、心配する必要なんてないって、言うてたやんか!」
 言ってたやんか。
「言ってたやんか!
 私が、犯人さんにぼこぼこにされてるとき、テレビで、言ってたやんか・・・!
 殴られて頭から血が出て痛くって、
 でもそんときフェイトちゃん笑ってたやんか!
 私のこと心配する必要ないって、大丈夫だって!!
 言ってたやん!」
 怒鳴ると喉が痛い。目もなんか霞む。
 なんでかなんて考えたくない、もう嫌や。フェイトちゃんがまた涙を零した。食いし
ばってる歯の間から、嗚咽が漏れ聞こえてくる。どうして!
「なんでそれなのに、フェイトちゃんがそんなに泣くん!?
 心配なんかしてなかったくせに!
 ええよ、別にしてくれなくったって!
 どうせ全部私のせいやもん!」
 涙を溢れさせて、濡れた目で、どうして私を見るん? どうしてそんなに、泣くの。
「勝手に嫉妬して、
 むかつくからって失敗した料理をもっと酷くして食べさせて!
 それ全部食べてフェイトちゃんお腹痛くなっちゃって酷そうだから止めてんのに、
 私の言うことなんて聞いてくんなくて、仕事行っちゃって!
 全然私の言うこと聞いてくれないのが嫌で、
 だから、気になるのに、連絡とか、出来なくて・・・っ。」
 駄目や。涙出てきた。泣きたくなんかないのに。涙で景色が歪む、顔が熱い。
「そ、そんでも、気になって部屋に行ってみたら、誰も居なくって。
 ティアナに聞いたら、こんな大事件に出て行ってる・・・って、そう言われて。」
 涙が止まらない。なんで。目を瞑ったら、ぼろぼろ零れ落ちた。涙が喉に絡んで、声
が引き攣る。手が、震える。
「朝、あんなに調子悪そうだったのに、
 こんな事件に出て行ってるって、そう言われたら、
 もうどうしてええかわからなかった!
 こっち着いたら、交渉に、ビルの中に行ってるって、そう聞いた時に、
 ビルで、爆発が起こって。」
 あの爆発が起こった瞬間、ビルの破片とかが降ってきた時の怖さが、まだ背中に残っ
てる。肌を震わせた爆音が。耳を貫いた轟音が。目に飛び込んできた、炎の色が。
「フェイトちゃんが、しんじゃ・・・たら、どうしようって・・、
 わたしのせいだって、
 怖かった・・・・。
 すごく、しんぱいで、もう、どうしようもなくって。」
 目を開いたら、拍子にまた涙が落ちた。その一瞬だけ、視界が鮮明になって、屋上の
コンクリートが見えて。でも、すぐに滲んだ。
「でも、ビルの、炎の中を探しても、フェイトちゃんは見つからなくって。
 どこにも・・・、居なくって。
 無事かどうかもわからないうちに、私、つかまっちゃっ・・・て。」
 私は手で、顔を覆った。
 嗚咽で息がうまく出来なくて、苦しい。子供みたいや、こんな、ひっくり返った声出
してる、なんて。
「それなのに、フェイトちゃんは、助けてくれたときも、
 その後のときも、全然私のこと見てくれなくって・・・!
 私、一人で、怖かった、のに・・・っ。
 すっごく、フェイトちゃんのこと、心配してたのに・・・!
 私だけなんだって、そう、思って。」
 顔を覆ってる手に、涙が溜まる。指の間から流れて、手のひらを伝ってく。
 嗚咽も、しゃくりも止まらない。ほんま、こんな声上げて、泣くなんて、私―――。
「心配してないわけ、ないよ。」
 フェイトちゃんの声が、耳元に降ってきた。
 私はフェイトちゃんの腕の中に、抱き締められた。
 やさしくて、あったかい腕に包み込まれて、フェイトちゃんの胸がすぐ傍にあって、
髪が私の頬に触れて。フェイトちゃんの匂いがして。フェイトちゃんの優しい声が、す
ぐ傍にあって。
「私、はやてのこと心配で、しんぱい、で、
 死んじゃうかと、思った・・・っ!」
 フェイトちゃんがぎゅっと私を抱きしめる腕に、力を込めた。
「こんな、怪我して。」
 フェイトちゃんも、震えてる。私の背中に回った腕が、指先が、息が、声が、
「よかった。
 無事でよかった。
 ほんとうに、よかっ・・・。」
 震えてる。
 
「ごめん、フェイトちゃん。
 ・・ごめ、なさいっ。」
 顔をフェイトちゃんの肩に押し付けて、ぎゅっとフェイトちゃんにしがみついた。フ
ェイトちゃんが抱きしめ返してくれる。ないてくれる、心配して、私を離さないでいて
くれる。
「怖かった、怖かったよぉ・・・。」
 フェイトちゃんが私の頭を抱き寄せた。その頬が私に強く寄せられる。 
「ばか、ばかはやて・・・っ。」
 ずっと、一人で怖かった。
 フェイトちゃんが居なくて、怖かったんだ。