2.エッセンスはコーヒー










ゃんは。どっちが上司でどっちが部下かわからへんくらいに世話焼いとるフェイトちゃ
んを想像するのって、なんや知らんけどめっちゃ簡単な気がするんは、私の気のせいや
ないと思う。
 書類作る時とか、もー、そらべったりついて教えてそうやよね、自分の仕事ほったら
かして。それこそもうタイトルの付け方からまあまあ、業務メールを出すときのお作法
まで。いちいち画面後ろから覗き込んだりとかして、人の肩越しにキー操作とかしてる
んやできっと。ああ、ここ間違ってるよ、だとか言いながら簡単に修正掛けてあげたり
とかしてんねんで。
 ああー、でも、フェイトちゃんは、あの子は管理局に初めて勤めだした子だって間違
うた認識しとるから、もしかしたらそうでもないかも知れへんね。あの子も結構しっか
りしてそうやったし。執務官の補佐やらしてもらえるってことは、それなりには仕事し
てきたってことやから、フェイトちゃんはいつも驚かされっぱなしかも知れへんね。頼
んだ仕事が思ったより早く片付いてきて、ちょお目を丸くしながら、仕事早いね、って
零して、出してきたものに目を通して満足そうに笑うんやろうなあ。そんでもって、仕
事よくできるんだね、将来が楽しみだよ、なんて上機嫌にほっぺた緩めるに決まってる。
絶対、甘ったるい笑顔なんやで、あのめっちゃかわいい顔をやたらと見せてんねや。そ
うに決まっとる。
「ほんまにありえへん。」
 転がり落ちた声は、シンクの中に吸い込まれた。
「なんなのあの人、
 ほんとうにずっとずっとずぅぅぅううーっと!
 新人の子の面倒見っぱなしとかどういうことなの!? 
 な、に、が!
 私のことを呼ぶのに、執務官ってつける必要はないよー、や!
 そらそうやよね、みんなにフェイトさんって呼ばれてるもんね、
 あの子だけがフェイト執務官って呼び続けるのはおかしいもんね。
 でも、どうしてそういうやりとりを私の前でやるんかな?
 私はフェイトちゃんの何よ!
 見せつけてんの!?」
 思いっきり独り言を撒き散らしながら、私は白菜を葉と芯の部分に切り分けていく。
歯切れのいい音と感触が手に馴染んで普段なら気持ちいいはずなんだけど、今日の私に
は苛立ちをぶつける相手にしか思えない。いちいちシャキシャキ言うな。腹立つ。
「しかもなに、上司って部下の塩加減の面倒まで見なきゃあかんの?
 お母さんかあんたは!
 お塩とかいる? じゃないわぁ!
 ちょっと甲斐甲斐し過ぎるんやないの?
 しかもなに、私のお皿の上にもポテトあるんですけどー!
 どうして部下には訊いて、私には訊かないんですかー!
 ええけどね、どうせ、私は置物かそれか、
 仲の良いただのご友人ですもんね!」
 もうな、フェイトちゃんの過保護っぷりはもうどうしようもないから、一万歩譲って
親子みたいや言われたことは許してあげるとしてもや。なに、友人って。なんでそこで、
フェイトちゃんはただ照れ笑いするだけなの。私はあなたの恋人やありませんでしたっ
け?
 それともなに、私とフェイトちゃんは恋人やっていうのは、私の思い違いか勘違い?
フェイトちゃんはただの仲が良い友達と、ちゅーしたりするんかあああああ!!
「ていうか、したことあんのちゅーだけやないやんか!
 もっと、いろいろ、そのえ・・とか・・・あ、ああああ!もう!
 フェイトちゃんのあほぉっ!!」
 怒鳴ると私は最後の白菜の一欠けを包丁で真っ二つにしたった。他の材料の長ネギ、
お豆腐、春菊、鶏の肉団子と豚バラ肉と海老2匹、ホタテ4つはもう鍋に入れられるよ
うに用意してある。
 コンロにはもう土鍋はセット済みで、昆布出汁もとってある。この土鍋は引越し祝い
かなにかの時に、丁度、良いメーカーさんの土鍋が安かったからお買い得や思てあげた
奴だ。そんなに大きくはないんやけど、一人暮らしには丁度いいサイズ。つくづく良い
お買い物だったと思うわ。フェイトちゃんにそのとき折角だから、ピンクのちょっとフ
リルついた可愛いエプロン着せて土鍋を持たせて見るとかいう遊びをやったけど、あん
まりフェイトちゃんに土鍋が似合わないから面白かった。
「今日は醤油味でええかな。」
 ため息を少し混ぜて、私は冷蔵庫に向かった。フェイトちゃんって少し勘違いしてる
とこがあって、別に入れんでもええ調味料が冷蔵庫に入ってたりすんねや。流石に蜂蜜
が入ってたときは慌てて外に出したけど、手遅れもええところやった。結晶化しまくっ
て真っ白になってたし。
 そんなフェイトちゃんの部屋では、お醤油も何故だかいつも冷蔵庫にしまわれとった。
さっき、中を確認したときにも相変わらず醤油が中に入っててちょお呆れた。まあミッ
ド製品のラベルってなんや飲料やろうと調味料やろうと、どれもこれも爽やか路線やか
ら、冷蔵庫にうっかりしまいたくなるんも分かるけど。
 冷蔵庫を開けて、黒い液体の入ったボトルを手に取り、蓋を開けながら土鍋のところ
に行く。
 鍋。確かに、最近寒くなってきたミッドの気候では、鍋が食べたくなる気持ちってい
うのも分かる。良い選択やと思う。ちょうど、日本食系のものを扱ってるスーパーとか
でも鍋の材料がやたらと売られるようになって来たし。あんまりセットになってるのは
買わへんけど。肉団子とか、つなぎ多そうであんまりおいしくなさそうやし。食べたこ
とあれへんから偏見やけど。でも、食文化の違うミッドの人が、どうせ雰囲気で作った
ものよりは、普通のスーパーで手に入る食材はそっちで買って自分で作ったほうがいい。
 日本食扱ってる言うても、まさか輸入しているわけじゃないから、ミッドの人の創意
工夫でいろいろ出来てんねや。豆腐とかお味噌とか醤油とかはそういうスーパーで大抵
買うことになる。だから、パッケージも基本的にちょっと変なんやよね。豆腐とか、な
んやまるでチーズか何かのような扱いを受けとるし。
 それにしても、って思う。
 鍋底に横たわる昆布を取り出して、私はボトルの中身を注ぎ込む。茶色っぽい液体は
一度底まで滑り込むと、霧や霞のように立ち上って水の中に広がる。
 フェイトちゃんは、ちょっと眉間に皺を寄せて、私に作って欲しい料理を長い時間掛
けて思い悩む。ああでもないこうでもない、とか、あれもいいけどこれもいいし、なん
てたまに独り言まで呟いて。それで最後には決まって笑顔で私を見つめて、決めたよ!
って朗らかに言う、それまでの間は、フェイトちゃんの気持ちは全部、私のものになる。
だから、その時間が私は、凄く好きなのに。
「もうちょっと、悩んでくれればよかったんに。」
 あんなにあっさり決めてしまって。
 言ってしまうと、なんだか妙に悔しかった。なんか、欲しいものがちゃんと手に入ら
なかったっていう感じ、かな。まあまさにそうなんやけど。どうしてフェイトちゃんは、
それくらいの私の気持ちというか、そういうの、分かってくれへんねやろ。
「フェイトちゃんって、鈍やからなぁ。」
 口を開いたら、思わず苦笑になった。
 本当に呆れてしまう。私は他の調味料も入れて火をつけると、硬くて火がなかなか通
らない白菜の芯からお鍋の中に入れた。片付けも平行して進めながら、他の具材も入れ
ていく。用意したの全部は一度に入らないから、半分位を。
 洗い物も終わって、温まり出した鍋からは良い匂いが漂ってくる。日も暮れて、蛍光
灯の光だけに照らし出されるだけの少し暗い台所に満ちる、コーヒーの香ばしい匂いは
なんとなく気分を落ち着かせてくれる。夕飯の支度も終わって、あとはフェイトちゃん
が帰ってくるのを待つだけの、一日で、一番時間がゆっくり進む時。

 私、コーヒーなんて淹れたっけ?

 一息つこうと思って座った椅子を蹴倒す勢いで立ち上がって、私は冷蔵庫へ猛ダッシ
ュした。フェイトちゃんはいつも、醤油をボトルごと冷蔵庫に入れてた。入れてたはず。
蜂蜜だって冷蔵庫にしまっちゃう子やねんで、醤油ぐらいおちゃのこさいさいや、じゃ
なくって。
 私は渾身の力でもって、冷蔵庫の扉を開けた。そして、さっき手に取ったボトルがあ
るところを見る。そこには黒い液体の入ったボトルが、二本並んでいた。どちらも、や
たらと爽やかな印象のラベルで、ミッドチルダ製だってことを主張してくる。私は二本
のボトルを手に取ると、ラベルを見つめた。
 どっちも似たようなセンスで、同じ青の色調。
 奥に入ってた方は、正真正銘、醤油という言葉がミッドチルダの文字で並んでいる。
 そして、手前にあった方には、爽やかにコーヒーの文字が躍っている。
 私が入れたのは、手前にあったボトルだった。

 やってしまった・・・・。
 頭の中を、そんな言葉がえんえんスクロールする。私はそのまま頭を抱えて蹲った。
奇跡の部隊を指揮した部隊長が、奇跡の大失敗です。コーヒーとか、コーヒーとか・・。
これ、どうやって修復したらええんかな。そら小さい頃とか、たまに失敗してたけど、
流石に醤油と思ってコーヒー入れた経験はないんやよね、残念ながら。フェイトちゃん
に、今度ちゃんと調味料ごとの適切な保存方法を教えとかんとあかんね、これはね。う
ん、しかし、なあ。
「ああ、どないしよう、これ。」
 土鍋がぐつぐつと音を立て始めてて、コーヒーの匂いが強くなる。まさか、コーヒー
入れてしまうなんて、私、熱でもあったんちゃうかな。どないしょ、これ。食べられる
ん、かな。作り直したほうが、ええんかな。
「ただいまー。」
 玄関の鍵が開く音がして、フェイトちゃんの声が飛んできた。時計を見上げると、ま
だ7時半。8時過ぎになるかも、言うてた割りに早い。コーヒー鍋しかまだ用意できて
へんねんけど、これは・・・万事休すって奴やろうか。
 廊下を歩いてくる軽い足音がして、部屋のリビングのドアが開く。荷物を置く音とか、
上着を脱ぐ衣擦れの気配とかがして、それからフェイトちゃんは台所へと歩いてくる。
私は立ち上がって呼吸を少し整えると、起こってしまった悲劇を正直に伝える決心を固
めた。
「はやてただいま。」
 フェイトちゃんがひょこっと顔を覗かせた。白いカッターシャツに笑顔が映える。ご
機嫌で、緊張感なんて何処にも無い、ゆるゆるな、それこそとろけそうな笑顔やった。
「おかえり、フェイトちゃん。」
 応えると、フェイトちゃんはそんな笑顔のまま私のところに来て、私を抱き締めた。
「帰ってくると、はやてがいるって、すごくうれしい。」
 甘ったるい声やった。それよりももっと甘ったれた仕草で、フェイトちゃんは私を腕
の中に包み込んでしまう。私より背が高くって、体つきもしっかりしてて、でも大人び
た女の人のラインで。フェイトちゃんの腕の中に居ると、私は身動きが取れない。息だ
って、上手く出来ない。フェイトちゃんの匂いに、あったかい腕に納まってしまうと、
もう、どこも私の自由にはならなかった。
 頬が熱い。心臓が煩い。身長差のせいで、顔がフェイトちゃんの肩口に埋まる。薄い
シャツ一枚越しだと、フェイトちゃんの体温とか、体のラインとかがはっきりとわかっ
た。心臓の音も、息を繋ぐ音も聞こえる。
 フェイトちゃんの心臓の音は聞いてると安心して、それなのに苦しいような気がして、
なんか、なん、なんやろう。わからない、けど。
「帰ってくるの、早かったんね。」
 しゃべると私の息はフェイトちゃんの腕の中に篭った。あのコーヒー鍋の中身は、取
り出して他で味付けし直せばなんとかなるか知れへん。フェイトちゃんも居るし、二人
でやればなんかいい打開策が出てくるやろうし。久しぶりに一緒に料理したら、楽しい
やろうな。
 フェイトちゃんが少し、微笑む気配がした。手が私の後ろ髪を撫でる。
「うん、でしょ?
 あの子がね、すっごい仕事できるから、助かっちゃった。」
 フェイトちゃんはそう言うと、腕を解いた。それから、嬉々とした様子で続ける。
「新人さんなのに凄いよね、
 まだ一週間くらいなのにちゃんと次にやることが何かわかってるんだよ。
 だからもっとかかると思ってたのにすぐに済んじゃって。
 明日も内勤だし、これなら、もっといろいろ教えてあげられるよ。」
 あ、うん、そうなんか、よかったね、って私はなんとか返したと思う。フェイトちゃ
んは嬉しそうに頬を染めると、着替えてくるね、と言い残して台所を出た。私は鍋を振
り返る。沸騰している鍋の火を一度止め、私は蓋を開けた。コーヒーの香りが舞い上が
る。
 この世に、コーヒー鍋という料理は、存在しない。
 だけど、

「はやての作った料理って、本当に、なんでもおいしいよね、か。」
 私はいつだったかフェイトちゃんが言った言葉を呟くと、冷蔵庫を開け放った。


 闇鍋、という鍋料理は、確かに存在する。