3.闇の鍋










「最近、寒くなってきたからな、
 心ん中からあったまるように、
 日本に伝わる伝統料理の王道、闇鍋にしてみたんやよ。
 残さず食べるんやでー。」
と、私は満面の笑みを浮かべて言い放った。私の向かいの席に座ったフェイトちゃんの
手は震えている。鼻を突き刺す匂いはすっぱいんだか甘いんだか辛いんだかわからない。
ほのかに生臭い気もするその鍋を前に、フェイトちゃんは唾を飲み込んだ。
 何故か目にしみる湯気に当てられた目が潤む。まさか、鍋に催涙効果を持たせられよ
うとは私も思うておらへんかったけど。私はテーブルに肘をつき、花のような形に開い
た両手の上にあごを乗せて、微笑みながらフェイトちゃんを見つめる。
 フェイトちゃんの目が、私と鍋を行き来する。
 まあ、なんというか、あれやよね。料理をよう作れるっていうことはもちろんその逆
に、料理を不味くする方法も心得ているというもので。
「これ、なんて、お鍋・・・なの?」
 フェイトちゃんが口の端を震わせながら、私に問いかけた。
「だから、闇鍋やって。
 鍋料理の究極形らしいで。
 私もやったのは初めてやから、上手く出来てるかわからへんけど。」
 少し不安そうな様子を出して私は視線をさ迷わせる。フェイトちゃんを伺い見て、鍋
をちらっと見てから、手元に目を落とすという風に。
「そう、なんだ。
 すっごく、いろんな具が、入ってるんだね。」
 フェイトちゃんの目が瞬きを忘れていた。
 すっごいいろんな具、というか、冷蔵庫に残っていた余り物全部つっこんだんやよね。
フェイトちゃんが作ったっぽい、肉じゃがとか、レンコンの金平とか、トマトソースと
か、あとなんやピクルスとか漬物も封が切られてるんは入れておいたで。いやあ、栄養
満点やね。
「闇鍋っていうんはな、なんや昔の日本の人がな、
 たくさんの栄養を一度に取ったろ、思って作り出した料理なんよ。
 いろんな食材を鍋の中に集めることで、
 汁にも栄養が溶けて取りこぼしがないやろ?
 体もあったまるし、めっちゃ合理的な料理やねんで。」
 そうなんだ、ってフェイトちゃんは明らかに沈んだ声で返事をした。顔色がそこはか
となく青いのは、私の気のせいとは違うと思う。いろんな栄養取りたいからって、わざ
わざ一つの鍋に投げ込む道理はないと思うけど、口からでまかせにしては信憑性があっ
たかな。私って、才能あるかも知れへんね。
「でも、いろんなものを入れるってことは、
 それだけ味付けが難しいってことやん?
 だから今まで自信なくって作れへんかったんやけど、
 フェイトちゃんがお鍋食べたい、っていうから、
 とっておきのお鍋を作ってあげたいな、思って。」
 人間の味覚というのは、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の5つを基本としてなりた
っとる。今回は、それら全ての味覚を刺激するように味付けしてみました。ベースはも
ちろん昆布出汁のコーヒーです。味見をしたら、一発でむせました。飲めません、こん
なもの。
「そうなんだ、それはうれしいな。」
 強張った返事をしながら、フェイトちゃんが箸を両手で握り締めた。湯気越しに見る
フェイトちゃんの額には脂汗が浮いていた。こんなに緊張しているフェイトちゃんも珍
しい。
 私が意識して上目遣いでフェイトちゃんを見つめていると、鍋からさ迷ってきたフェ
イトちゃんの目と目が合った。フェイトちゃんが喉を鳴らした。
 そして、フェイトちゃんの箸が、煮えたぎる鍋へ、伸びる。
 鍋のスープは闇鍋の名に恥じない、黒っぽくもいまいち黒にはなりきれていない混沌
とした色で、表面には厚く油の層が浮いていて、蛍光灯のせいでてらてらと光っていた。
フェイトちゃんの箸の先端は奇妙に震えていて、迷い箸をしそうになるのを、精神力で
どうにかこうにか抑えとるっちゅうのが伝わってくる。鶏団子とかも入ってるし、そこ
らへんを取れればもしかしたらまあ、ええかも知れへんけどね。
 後悔したらええねん。人のことないがしろにしてると、それ相応の報復があるもんや
ねんで。目には目を、歯には歯をって昔の法律にもあったやない。フェイトちゃんも執
務官なんやから、そんくらい甘んじて受けたらええんや。
 フェイトちゃんの箸がようやく何かを掴み上げる。
 んー、なんやろう、あれ。思い出されへんわ。スープ色に染まってるあたり、なんか
おふみたいなもんかな。フェイトちゃんも何を取ったのか分からなくて固まってるし。
作った本人が中身分からなくなるなんて、闇鍋って凄いな。日本人の叡智やね。
 控えめな箸使いで、フェイトちゃんは器に鍋を取り分けていく。表情が強張ったまま
まるで変化せえへん。小さく山になる程度に取り分けたフェイトちゃんは、一度箸を置
くとお玉を手に取った。スープも入れるんか。チャレンジャーやね。いいけど、吹くで。
まず間違いなく。
 フェイトちゃんが手を合わせて、伺うように私を仰いだ。
「じゃあ、いただきます。」
 私はこれ見よがしに、微笑んだ。
「はい、召し上がれ。」
 フェイトちゃんは器を持ち上げて、鶏団子を口に入れた。

 瞬間、ものっそい勢いで吹き出しました。

「ごほ、げほ――――っ!」
 断末魔に漏らす咳みたいな、切羽詰った息遣いで口を押さえて激しく背中を引き攣ら
せています。あー、鶏団子でも食べられへんかったか。まあ、そうやろうなあ。
「だ、大丈夫、フェイトちゃん?」
 声を掛けると、フェイトちゃんは咳を零しながら顔を上げた。涙目になりながら頷い
てみせる。
「大丈夫だよ、ちょっと、変なところに入っただけだから。」
 枯れた声は砂でも飲み込んだみたいにざらついていた。
 変なところに入ったとかやないやろ、嘘こけ。こんなん食える人間が居るか。っては
思うんやけど、まあ、フェイトちゃんが言うところによると、どうやら変なところに入
っただけらしいからな。
「そうなん?
 気ぃつけてな。」
 やさしく言葉を掛けながら、私は目で、味はどう?と尋ねて見る。変なところに入っ
て、味わからへんかったんやろうから、二口目食べんとあかんよね。別に変なところに
入っただけなんですもんね、別に食べられるようなあれじゃなかったってわけじゃない
んやもんね。言ったことの責任は取って貰いましょうか。それが指導者ってものじゃな
いんでしょうかね。
「うん。」
 涙を浮かべた目が、一瞬泣きそうに歪んだのを私はしっかりと見たけれど。気づかな
かった振りをして、フェイトちゃんの二口目を促す。ほら、私の作った料理無駄にせえ
へんといてや。闇鍋だって鍋料理やで。
 フェイトちゃんが半分かじった先ほどの鶏団子を箸で持ち上げて、出動前にするのと、
全く同じ表情をした。相変わらず凛々しいご尊顔なことで。フェイトちゃんは大きく口
を開けると、鶏団子を口の中に入れた。
 顔が引き攣って、背中やら肩やらが痙攣しかけるけど、フェイトちゃんは今度は吹き
出さず、小学生なんかに見せるには十分な、思い切りのいい咀嚼っぷり。じわじわ目尻
に涙が浮かんで来とるけど。作っといてなんやけど、フェイトちゃん凄いわ。
 フェイトちゃんが喉を鳴らして飲み込んだのを見はからって、私は小首を傾げた。
「どう?」
 フェイトちゃんは私を見ると、顔を笑みの形に歪めた。
「お、おいしいよ、はやて。」
 あ、嘘吐いた。
 へぇー、フェイトちゃんはそういう嘘吐いてしまうんやねー。へぇー。
 これって、私の作った料理は何でもおいしい、っていう言葉の信憑性が倒産した会社
の株価並に大暴落した瞬間やよね。
「そうなん?
 よかったー、上手く出来たかちょお不安やったんよ。」
 私は手を合わせて嬉しそうに笑って見せる。
「前にフェイトちゃん、私の作った料理はなんでもおいしい、言うてくれたやん?
 だから、初めての料理作るの不安やったけど、
 それ聞いて安心したわ。」
 フェイトちゃんの顔色が段々悪くなっていくけど知ったことやない。言ったこと全て
責任取って貰いましょうか。新人さんにこれからいろんなこと教えていくんやよね、な
ら指導者としての姿勢を見せて貰おうやないですか。
 私はフェイトちゃんに微笑みかけた。
「たんと食べてな、フェイトちゃん。」
 フェイトちゃんが、弱弱しく肯いた。