4.締めはおじや










 冷たいフローリングの上に這い蹲る彼女を見下ろして、
 呻き声を聞きながら思うのは一つきり。

 この人、本気で闇鍋全部食べおったわ。
 しかもおじやまで・・・。

 土鍋の中には汁の一滴も残っておらんし、器のほうにもご飯粒の一つも残っておらん。
あの、一口入れただけで吹き出さずには居られない、催涙効果を持たせた奇跡の鍋、闇
鍋をどうやって食べたんやろうか。いや、普通にちょっとずつ食べてたんやけど。でも、
なあ。あれは明らかに、食べ物というよりは兵器やったで。フェイトちゃん、味覚障害
なんかな。病院連れて行ってあげたほうがええんやろうか。リンディさんに育てられた
んやで、味覚に重大な損傷があったとしても可笑しくはないし。むしろ、ここまでくる
とあってくれたほうが安心というかなんというか。
 フェイトちゃんはフローリングの上に体を丸めて、ずっと呻いてる。片手でお腹を鷲
掴みにしていて、手には筋が浮かんでいるあたり、相当、なんというか、来とるんやろ
うなあ。いろんなものが。いろんなもの過ぎて、私にはコメントし難いんやけど。
「フェイトちゃん、どないしたん?
 食べ過ぎた?」
 食べすぎじゃなくて、食あたりに決まっとるけど、私はフェイトちゃんの顔の前にし
ゃがみこむと、ほっぺたをつんつん突付いた。フェイトちゃんの顔は、ご飯を食べた後
なのに妙に青白くって、なんとなく痩せた印象がある。やせた、というよりはやつれた
が正しいんかな。
 フェイトちゃんがぎこちない動作で私を仰いだ。
「う、うん。
 ちょっと、お腹いっぱいになりすぎちゃった。」
 うわぁ、見上げた根性やね・・・。凄すぎんとちゃうかな、この人。流石、執務官。
いや、あんまり関係ないか。
「そっか。
 そんなに上手く出来てた?」
 私はフェイトちゃんの髪の毛を撫でながら笑いかける。衰弱した様子のフェイトちゃ
んは、それでもしっかり頷いた。
「うん、おいしかったよ。」
 瀕死の状態で零す笑顔が輝いとる。ああ、なんやろね、嘘も突き通すと本当になるん
かな。ほんまにあの闇鍋おいしかったんかな。って、そんなわけはないか。フェイトち
ゃん食べながら何度もむせてたし。
 とりあえず、訊いてみる。
「また、闇鍋食べたい?」
 そうしたら、フェイトちゃんは笑顔で答えた。
「次は、お味噌味の鍋がいい。」
 そらそうや。
「お風呂沸かしてこよっか?」
 フェイトちゃんの前髪を掻きあげながら尋ねる。フェイトちゃんは頬を緩めると、お
願い、と蚊の鳴くような声で言った。
 フェイトちゃんが、闇鍋っていうのは、昔の日本人がたくさんの栄養を一度に取った
ろ、思って作り出しためっちゃ合理的な料理だという、私が咄嗟に口にした嘘八百な説
明を何処まで信じているのかはわかれへん。私がその合理的な究極の鍋料理闇鍋を本気
でフェイトちゃんを喜ばせようとして作って失敗したというのも、何処まで信じている
ものやらやけど。
 おいしい、っていう嘘も、突き通して本当にしてくれちゃったわけやし。
 鈍感やから、私の本音なんて、ちいとも理解なんてしてへんに決まっとるけど。私は
何度も来ていて、何処も勝手を知っている、フェイトちゃんの部屋の廊下を、お風呂場
に向かって歩く。洗面所にはぽんと置かれた私の歯ブラシ。ポケットには合鍵。

 明日の朝は、おいしいものをちゃんと作ったげよう。






 そう思っていたんやけれど。
「う、ううう・・・。」
 指通りの良いフェイトちゃんの金髪が、朝の眩しい日差しに晒されている。相も変ら
ずフローリングの上で。夜中、一回目を覚ました気配があったような気がしたけど、気
のせいじゃなかったみたいやね。でもまさか、朝までリビングで蹲ってる、とは。
「フェイトちゃん、大丈夫?」
 私は丸まってるフェイトちゃんの肩を揺すりながら顔を覗き込んだ。真っ青。これ以
上ないほど、紙みたいな色してるわ。さすが、最終兵器闇鍋。とか、感嘆してる場合や
ないか。
「う、うん、大丈夫、だよ。」
 昨日の夜よりもか細い声で、フェイトちゃんは返事をした。笑顔を浮かべようとして、
顔が少し引き攣る。こんなに弱弱しいフェイトちゃんを見るんは、正直言って初めてや。
いつも、多少きつくても虚勢を張るタイプなのに、そんなものの欠片も転がっておらへ
ん。
 恐るべし闇鍋。
「顔、真っ青やで。
 病院、行こうか?」
 恐ろしすぎて、流石に私も、ちょっと心配になってくる。自分で作って、自分で全部
食べさせたんやけど。でもそこは、フェイトちゃんがとんでもなく鈍くって、そんでも
って嘘吐いたせいだ。私のせいじゃない。フェイトちゃんの自業自得やねんで。
「私、送って行くで。
 フェイトちゃん、車のキーどこ?」
 脂汗でひっついた前髪を指で剥がしつつ、フェイトちゃんの様子を伺う。フェイトち
ゃんはなんとなくぼんやりした目をさ迷わせ、私をようやく見上げた。
「寝室の、サイドテーブルの一つ目の引き出しの中、だけど。」
 あれか、と思い出し、私は腰を浮かせる。でも、私の手を、何故かフェイトちゃんは
掴んで引き止めた。
「どうしたん、フェイトちゃん。」
 振り向くと、フェイトちゃんは腕を若干震わせながら、起き上がろうともがいている
ところだった。下唇を噛み締めて、蒼白な顔で上体を起こすのを、私は慌てて引き止め
た。
「ちょ、フェイトちゃん、起きなくてええから!
 寝ててって!」
 肩を押して、私はフェイトちゃんを再度寝転がそうとする。けれど、フェイトちゃん
の体は横にはならなかった。いつもより弱くはあるけど、確かな力で私を押し返して、
私を見つめる。赤い瞳が私を映す。
「今日、内勤だけだから、普通に出勤するよ。
 大丈夫だよ。」
 青い唇を震わせながら、フェイトちゃんはそう言ってのけた。
 って、あほかい。
「何言うとんのフェイトちゃん!
 自分が今、どんだけ真っ青な顔してるか分かっとんの?
 もう幽霊やで!」
 半分怒鳴り声に変えてしまいながら私が荒げると、フェイトちゃんは困ったように笑
った。顔色の割りにのんきな表情。でも、のんきな表情でどうにかごまかせるような顔
色じゃあない。全然そんなんやない。
「ええから、病院行こ?
 なんなら行く途中、アイスとか買ってあげようか?」
 思わず頭を撫でながら言うと、フェイトちゃんはふにゃふにゃな笑顔を浮かべた。そ
れ、完璧に調子が悪いときの表情やんか。熱出してその顔するときって、必ず後で吐く
やんか。う、うーん、変なものは全然入れてないんやけれど、なんていうか、その、食
べ合わせって、大事なんやね。
「アイス食べたら、お腹壊しちゃうよ。
 大丈夫だよ、はやて。
 今日内勤だけだし、本当に悪くなったら、医務室行くもん。」
 もん、て。あんた、もんやないよ、もんや。小学生のころやって、もんなんて言わへ
んかったやんか。本当に悪くなったらって、もう十分本当に悪いやないの。悪いという
より、ヤバイやんか。
「そんな無理して行くことあらへんねんで。
 今、事件の捜査をしてるわけじゃないんやろ、
 一日くらいお休みしたって、大丈夫やって。」
 な、って言って、フェイトちゃんに頷くように促す。だけど、フェイトちゃんは首を
振った。
「それはそうかもしれないけど、
 あの子がね、うちでやるのはひとまず来週までなんだ。
 その後の配属先はこれから決めるんだけど。
 残り時間少ないから、教えて上げられるだけのことは、教えてあげたいんだ。」

 この期に及んで、また、あの子の話ですか。

 私がこれだけ言うてるのに、そうですかそうですか、フェイトちゃんはそうやよね、
過保護やもんねぇ。言いたいことはわかるよ、フェイトちゃんは関わった人全員に対し
て、律儀で、誠実に接しようとする。人に真正面から向き合う、それがフェイトちゃん
なんやって、知ってる。多分、私は、フェイトちゃんのそういうところが一番好き。だ
けど、それとこれとは別の話や。
 どうして、私の言うこと聞けへんかな。そんな、夜の間ずっと蹲ってるくらいなら、
素直に休んだったらええやんか。私なんか間違ったこと言うてる?
「はやて?」
 フェイトちゃんが私を見ていた。疑問符を浮かべているようなそんな感じで、やっぱ
り、私の気持ちなんてわかってへん。私は立ち上がると、フェイトちゃんの頭を撫でた。
「そうなんか。
 そら、仕方あれへんね。
 ちゃんと頑張るんやで。」
 そうして、目を合わせずに、部屋を出てフェイトちゃんのクローゼットに向かう。ま
だカーテンの引かれた薄暗い室内の、左から二番目のところに、フェイトちゃんは制服
一式をしまっている。私は執務官服をハンガーからひったくると、フェイトちゃんのも
とに戻った。
「ありがとう、はやて。」
 制服を持って戻ってきた私に、フェイトちゃんが笑みを向けた。ふやけたその顔を見
たくなくって、私は制服をフェイトちゃんの頭の上に落としてやった。軽いとは言えな
い服にフェイトちゃんが埋もれて声を上げる。
「ひどいよ、はやてぇ。」
 情けない声。見やると、フェイトちゃんが捨てられた子犬みたいな目で、服の下から
顔を覗かせていた。私は口を歪めると、その様を笑い飛ばした。

 そんなにあの子が可愛いんなら、さっさと行ってしまえ。