7.本製品は食べ物ではありません










「え・・・・?」
 ドアが開くのに遅れて、自動で部屋の明かりが点灯する。薄暗かった室内が、一瞬で
隅々まで私の目の前に晒される。数人用の部屋は結構手広く、デスクが3台ほど置かれ
ているけれどそれも気にならないくらいで、部屋のサイドに並んだ棚も綺麗に整頓され
ている。使用者の生真面目さを如実に表した執務室。普段なら、いつでも音と人の気配
に溢れている筈やのに、今はしんと静まり返っている。
 誰も居ない。
 一番奥にある、部屋の中で一番大きな机にいつも澄ました顔で座っている人も、補佐
官にして技師の相棒も、あの新人の子もいない。
「今日、内勤やなかった、っけ?」
 右手で髪の毛を握り潰しながら、私は思わず呟いていた。フェイトちゃんは今朝、確
かに、今日は内勤だけだから行くと言うた。それは間違いない。外回りがあるんやった
ら、絶対に出勤なんてさせなかった。力づくで後頭部を鈍器でぶん殴ってでも止めた。
保証する。
 それなのに、どうして誰も居ないんや。まだ、お昼を取るには早すぎるはずや。それ
ともあれかな、あんまりフェイトちゃんの調子が悪そうだから、皆で医務室に連れて行
ってあげてる、とか。高々1つフロアを移動するだけなのに、デスクも全て整理して?
そんなあほな。
「はやてさん、どうしたんですか?」
 立ち尽くしている私の背中に声が掛けられた。
 聞き覚えのある声に振り返ると、そこにはティアナの困惑気味な顔があった。ティア
ナ。ちょっと前にフェイトちゃんから独立しておったから、会えると思うてへんかった
けど。ええタイミングで現われてくれた。これを利用せえへん手は今の私にはない。
 私はもぬけの空な部屋を指し示す。
「ティアナ、今日フェイトちゃん内勤やって聞いてたんやけど、
 どうして誰もおれへんの?」
 ティアナが微かに目を見開いた。
「何があったん?」
 私は先手を制して、常より強い声を出す。ティアナの両眼を真っ直ぐに見上げる。目
は逸らさせない。今更表情を取り繕ったって遅い。見逃せる一瞬やない。
「いえ、別に。」
 気まずげに顔を歪めて、ティアナが僅かに身を引いた。踵が僅かに後ろに擦れて下が
る。でも、言い逃れさせたりしない。
「話して。」
 私が半歩踏み出して詰め寄ると、ティアナが息を飲み込んだ。周りの気配を窺ってい
るみたいだけれど、人の気配は通路のどちらからもして来ない。助け舟は来ない。来る
前に聞きだす。
「ティアナ。」
 名前を口に乗せた。助けを求めて揺れていたティアナの目が、私を捉えて止まる。テ
ィアナは肩を落とすと、額に手を当てて小さくため息を漏らした。そうして、やや顔を
俯けながらため息混じりに口を開く。
「これは、
 今からミッドや他次元世界のメディアにも公開されることなんですけど。」
 潜められた声には、慎重な響きが篭っていた。小脇に抱えていた書類を掴みなおし、
ティアナが顔を上げた。オレンジの髪の奥、歳よりもずっと落ち着いた濃い青の目が私
を見据えた。もう、さっきの迷っていた様子はない。話すことへの決意だけがある。私
は、固い唾を飲み下した。
 ティアナが息を吸う。
「第24管理世界で、立てこもり事件が発生しているんです。
 発生時刻は現地時間にして26時間前。
 人質は数百人に上ると見られていますが、
 場所は第24管理世界の統治政府所有の高層ビルであり、
 人質の中に政府高官等が含まれているために、管理局は手出しが出来ませんでした。」
 管理局は、質量兵器の規制とロストロギアの管理を目的とした組織であり、政治組織
ではない。いくらやばかろうと、他の世界への内政干渉になるようなことは一般に行う
ことは出来ない。
 許可には、管理局運営に深く関わるいくつかの世界全ての同意が必要とされ、許可を
求めるにもいくつかの条件がある。その中で、もっとも重要視されるのは、一つ。犯人
による危険度の高いロストロギアの使用もしくは質量兵器の大量投入。
 介入を認められた事件は全て、民間人の死傷者だけで300名以上を出し、前線に出
た管理局の魔導師にも数十名の殉職者を出している、けど。でも、今までに新暦以降後
に認められた政治的事件への干渉例は3件しかない。80年くらいの間に3件や。そん
な事件がぽこぽこ起こるようなら、管理局はそれこそいらへんしな。そうそう起こるこ
とやない。ほんまに。
 だから、管理局は手出しが出来ませんでしたと、ティアナが過去形で言ったのは、管
理局が手出しを出来ないうちに事件が終了してしまったという意味やろう。
 ティアナが私を見つめていた。静かな眼差しから、思わず目を逸らしたくなったでも、
逸らせなかった。それで、と私は先を促す。擦れた、空気みたいな声で。小さすぎて、
震えているかどうかもきっと、ティアナには分からなかったと思う。私には分かった。
震えてた。
「ビルへの多量の爆発物設置による質量兵器の大量投入を理由に、
 本件への管理局の介入が認められました。」
 ティアナは私から目を逸らさずに、そう答えた。
「へえ。」
と、私は相槌を打った。顔が勝手に、妙な笑みを片側に作り上げていく。視界が滲む。
私は軽い口調で、尋ねる。少し首を傾げただけでは、前髪すら動かなかった。
「それがフェイトちゃんが居ないことと、どう関係あるん?」
 ティアナが一度、目を伏せた。ティアナはやっぱり睫も髪と同じ色をしていると、初
めて知った。オレンジと青、そのコントラストが映える。ティアナが告げる。
「フェイトさんは本局執務官並びに空戦S+ランク魔導師として、
 前線任務に就きました。」


 私はいつの間にか、服の上から首にかけたシュベルトクロイツを握り締めていた。
 十字が掌に刺さる。
「ティアナ、第24管理世界やって、言うたよね?」
 第24管理世界。転送ポートはこの階の一番奥だ。
「ええ、そうですけど。
 はやてさん!?」
 私は転送ポートに向けて、一直線に走り出した。