8.素材は鮮度が命です










「すみません、通してください!」
 道を歩いている人を、立ち止まっている人を押しのけて、私は大通りをひたはしる。
 事件の喧騒に飲まれて物々しい気配の中を、もっと、風みたいに駆け抜けられたらい
いのに。私の足は泥のように遅い。
 私は事件に直接関係あらへんから、事件現場の直ぐ傍に転送させてもらえへんかった。
事件現場は何ブロックか先や。ここからじゃ、ビルも見えへん。今、ビルがどうなって
るかも、フェイトちゃんが今どうしているかも、分からない。
 フェイトちゃんがそんな大事件の前線に出されるなんて。私、そんなことがあるかも
知れへんとか、全然考えてなかった。何があるかわからないのに、だからこそ、フェイ
トちゃんがいつも、出来るだけ体調は整えておこうとしてるって知ってたのに、私。
「フェイトちゃん・・・っ。」
 ぶつかりかけた人の吐き捨てる舌打ちが聞こえた。街の空気がどんどんぴりぴりして
くる。三叉路で、どっちかに曲がらんとあかんかったはずや。どっちやろう、来る直前
に見たはずの地図が思い出せない。いつもはそんなん、一度見たら忘れへんはずやのに。
 目の端に、なんかが込み上げて来て視界が歪んだ。苦しい。こんなに走ることってあ
んまりないから、私の息はもう上がってる。雑音ばっかりの呼吸音が耳の裏でなってて、
息は吸っても吐いても苦しくなるばっかりやった。袖で目を思いっきり拭うと、ボタン
が頬に引っ掛かって痛かった。
 三叉路で一度足を止め、私は道を見渡した。肩で息を吐きながら、車が行きかう大通
りを見る。道の両側に、高層ビルが折り重なるようにして並んでいる。まだ、事件のビ
ルは見えないみたいや。こんな高層ビル街で、高層ビル一つを見つけようったって、そ
うそううまくはいかへん、か。こんな、道に迷っている場合やないのに。
 私は息を大きく吐いて無理矢理呼吸を整えると、横断歩道の辺りに突っ立ってた白髪
まじりのおっちゃんの肩を叩いた。
「おっちゃん、立てこもり事件が起こってるいうビルは何処!?」
 思わず荒げてしまった声に、でも、おっちゃんは嫌な顔をせえへんかった。それどこ
ろか、気遣わしげな目を向けてくれる。優しいくせに、悲しい顔。それが、怖い。
 おっちゃんの手が、三叉路の真ん中の道を、指差した。
「道の奥、見えるだろ。
 あのデカいビルが、そうだよ。」
 私はおっちゃんの手の先を辿って、真ん中の道の奥を見た。
 快晴の空を従えて、そのビルは聳え立っていた。真っ直ぐそこまで続く大通りの左右
に居並ぶ高層ビルがまるで、従者が王座への道を開けてるみたいに思えるくらいの圧巻。
飛び交うヘリが小鳥か何かに思える。
「あんたの身内かなんかも、あのビルに閉じ込められてんのかい?
 もう、丸一日も経っちまって、可哀想にな。」
 私の頭の中を、どっかで耳にしたあのビルの情報がスクロールしていく。高さ450
メートル、地上115階建て。新宿のビルの2倍の大きさ。
 三叉路の真ん中の道の奥。なんや私は道に迷っても居なければ、ビルを見つけられへ
んかったわけでもなかった。最初っから、ビルを見つけていたんや。ただ、あんまり大
きいから、気づかなかっただけで。
「おっちゃん、ありがとう。」
 私はおっちゃんに向かって呟くと、ビルへ向かって駆け出した。
「おい、轢かれるぞ!」
 ビルを見上げ、私は一直線に走る。走りにくいパンプスが憎たらしい。遅い足が恨め
しい。周りで急ブレーキの音がこだまする。クラクションの音が煩く耳を劈いた。怒号
が聞こえる。急に飛び出してきた車に引っかかりそうになった。でも、止まらない。止
まれない。
 三叉路を抜けて、ビルまでの一直線の道を走る。視界の左右で、色とりどりの景色が
千切れていく。だんだんと、道に人が増えてくる。立ち止まってビルを仰いでいる人が
たくさん居て、みんな祈るようにビルを見つめている。
「・・・フェイトちゃんっ。」
 知ってる。
 出動要請を出してくる上の人は、勤務状況は知っとっても、その日の体調までは知ら
ないって、知ってる。フェイトちゃんは管理局でも指折りの執務官や。魔導師としての
資質も高いし、事件捜査も鎮圧も今までいくつもこなして来とる。被害の拡大が予想さ
れる事件に、出てきて欲しいと思うのは、当然やって、知ってる。
 シャーリーもあの子も、魔導師じゃない。魔法の制御が、どれだけ精神的な集中に左
右されるのか、実感として知らない。体調の悪いときに、どれだけ手ごたえが鈍くしか
感じられなくなるのかも、あの意識とは逆に拡散して行ってしまう魔力の感触も二人は
知らない。
 その感覚の差が、どれだけ怖いか知らない。
 ビルが見る見る大きくなって、壁のように迫る。青空を反射して輝くビルが、私を、
街並みを見下ろしている。道を何本か横切ると、車は走っていなくなった。交通規制が
敷かれている領域に入ったんやろう。道に人がひしめいていて、もう真っ直ぐには走れ
ない。
「通してください、お願い!」
 皆私より背が高い。埋もれながら、おっちゃんやらおばちゃんとか、若い子とか、い
ろんな人を掻き分けて走る。いろんな人にぶつかりながら、その人たちの間に隠れてし
まいそうなビルを目で探しながら、走る。
 太り気味な兄ちゃんの隣をすり抜けようとしたら、前から押されて身動きがとれなく
なった。それでも、手を前に突き出して、道を強引に開ける。
「お願い、通して!」
 兄ちゃんを押しのけると、私は人ごみから抜け出した。目の前には、腰より少し高い
位置に引かれた黄色いテープ。一般人用の規制線だ。私はそれを潜り抜けると、報道陣
や緊急車両の間へと飛び出した。
「君!
 ここから先は一般の人は入っちゃ駄目だ!」
 突然、強い力で腕を掴まれて、私はつんのめった。振り返ると、規制線の傍で警備を
していたらしいこの世界の警察さんみたいな人が私の腕を掴んでおった。ごつごつした
ハンマーみたいに大きな手は、振り解けそうもない。
 私は自分の制服の胸に手を当てて言い放った。
「私は、時空管理局地上部隊二等陸佐八神はやてです!
 本局辞令により出動してきました、手を離してください!」
 辞令なんて貰っていない。フェイトちゃんのところじゃなくって、私のところに依頼
がくればよかったのにって、本当にそう思う。だけど、違う。思わず怒鳴ってしまった
私に、面食らった表情で警察さんは手を離して、敬礼を返してくれた。私はおざなりな
敬礼を返すと、前線に向かって走る。
 報道陣さんがカメラに向かってなんか言ってるのとか、消防の赤い車だとかが入り乱
れる道はでも人は少ない。私は左右を見渡しながら、もう随分前に来ているはずの管理
局の一団を探す。ネイビーブルーの制服を、その中に一人居る筈の金色の影を探す。
 フェイトちゃん。
 フェイトちゃんは昨日の夜からずっと調子が悪かった。私が、私があんなことしたか
ら、だから。あんなんで前線になんて出られるわけない。あんな調子で前線なんかに出
たら。
「フェイトちゃん、どこにおんの!?」
 次元航行部隊の人達の姿がうまく見つけられない。人とか車とか、そういうんが邪魔
で良く周りが見えへん。何人かちらほら視界の隅に映るけど、フェイトちゃんじゃない。
 フェイトちゃん、お願い、出てきて。そんで、ひっこんでよ、前線なんかから。蒐集
行使すれば、私かてフェイトちゃんの代わり出来るんよ。やから、お願い、フェイトち
ゃん。
「はやてさん!」
 鋭い声と共に後ろから肩を掴まれて、私は反射的に振り返った。
「フェイトちゃんとこの―――!」
 立っていたのは、フェイトちゃんのところの新人さんやった。
 この前とは違う、緊張に強張った顔をしとった。だけど、この子が居るいうことは、
フェイトちゃんもシャーリーも直ぐ傍に居る筈や。私はその子の肩を両手で握った。
「なあ、フェイトちゃんは今何処に居んの!?
 昨日からすっごい調子悪かったんに、どうしてんの!?」
 もう構っていられなかった。怒鳴り散らして、私は詰め寄った。その子はちょっと怯
えたような表情になって、それから、目を伏せた。
 何、その反応。すぐ傍に、そこらへんの対策本部のテントだか車の中に居るんやろ。
それやったら、指で指し立ったらええやん。そんな、なんで、目を逸らすの、なあ。
「フェイトさんは先ほど、
 犯人との交渉役の一人として、ビルの内部に向かいました。
 今、交渉中の筈です。」
 私の唇が、勝手に動いた。
「うそ・・・。」
 80年に3回くらいしかないような大事件で、あのビルにはとんでもない人数の人質
がおって、大量の爆薬がしかけられておって、それで。失敗とかしたら、どうなんの?
フェイトちゃんはあんまり装甲が硬くない。そら、そこらへんに居る魔導師に比べたら、
基礎能力値が違うからそれでも硬い部類に入るかしれないけど。
 でも、使える魔力が大きくなればなるほど、普段との違いが怖くなる。フェイトちゃ
んはああ見えて、制御に細心の注意を普段から払ってる筈や。それなのに、あれだけ調
子が悪かったら、どれだけ怖いか。どれだけ、失敗のリスクが増えるかなんて、そんな
の。
「はやてさん・・・?」
 私のせいだ。私があんなことしたから。ムキになって、あんなものを全部食べさせる
なんて、そんなバカなことさせたから、だから。フェイトちゃんになにかあったら。


 突然、爆発音が空気を揺さぶった。

「きゃ!」
 新人さんが、周りに居た全ての人が、驚きに身を竦ませ悲鳴を上げた。絶叫が巻き起
こり、その場を席巻する。響き渡る悲鳴。それを掻き消す程の轟音が空から降り注いだ。
私は弾かれたように、音のした方を、ビルを見上げた。
「そんな・・・。」
 空へ向かってそそり立つビルの中程から、爆炎が噴き出していた。


 フェイトちゃんになにかあったら、

 私のせいだ。