「あっひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!
 とっ、トイレにぶふっ、はまっ、嵌っとるなんてげほっ、あはっはははは!
 そらかわいそうやったねぇーうひゃひゃひゃひゃ!」
 はやては腹を捩り、涙を零しながらのたうち回り、
「ふぇ、フェイトちゃん・・・どうして、ぷっ、そんなことに。」
 なのはは口許を覆った手の下で唇を戦慄かせ、
「フェイトまま、トイレの神様だったんだ。」
 ヴィヴィオがなんだかよくわからない感嘆のため息を零し、
「あらあら、お風呂に入らないといけないわねぇ。」
 リンディが安堵して肩を落とした。
「・・・はい。」
 フェイトは便器の縁に肘をついたまま、頭を両腕で抱えた。便器と擦れ合って腰骨は痛
いし、ウォシュレットは背中に突き刺さるし、便器の中に溜まったブルーレット入りのブ
ルーウォーターはパンツまで染み込んで、お尻からお腹から体温を奪う。しかも、嵌って
しまったお尻はどうあっても自分で動かせないくらいジャストフィットしていて、もがい
た分だけ体力も減って、フェイトには抗議の声を上げる元気も無かった。
「自分で出らんないくらいきっちり嵌っとるとか・・・っ、そ、相思相愛やんけ・・。」
「ぷっ、相思相愛・・。ちょっとはやてちゃん、あんまり笑ったら可哀想だよ。」
 私だって、嵌りたくってトイレに嵌ってるわけじゃないやい! フェイトの魂の叫び
は音声にはなり得なかった。穴に入ってしまいたいとはまさに今のフェイトの為にある
言葉だろう、もう穴に入っているけれど。ひぃひぃ笑いを噛み殺すなのはとはやては涙
目になりながら、ぺらぺらと手を振った。
「もう、フェイトちゃん、そんな落ち込まへんでって!
 トイレに嵌っとっても、フェイトちゃんは美人さんやから!」
 フェイトの肩をぱんと叩き、はやてが目尻を擦る。
「うれしくない・・・。」
 膝の間に顔を埋めてフェイトは呻いた。金髪も思いっきり水洗式トイレ内の液体に浸
かっているし、体は二人の笑いと、ヴィヴィオの興味津々な眼差しと、リンディの気の
毒げな眼差しに包まれている。
「ま、もうトイレに落ち込んどるけどな!」
 二人の声が爆発した。いっそこのまま流されてしまった方が気が楽なくらいだ、フェ
イトは便器の中で小さくなった。排水管の太さから言って物理的に無理だけれど。
「ほら、へそ曲げんといて。
 誰にだって失敗する時はあるやんなぁ?」
 はやてがまだ唇を浮つかせたまま、フェイトに右手を差し伸べた。あれだけ笑ってお
きながらよくもしゃあしゃあと、脇腹あたりに巣くっている恨みがましい部分が呟いた。
眉間に皺を寄せたまま、フェイトは掌とはやての顔を見比べる。細くなめらかな手は戦
斧を幼い頃から毎日の様に振るって来たフェイトとは違う。何度も重ねた柔らかな掌に、
フェイトは渋面のままではあるがそっと自分の手を置いた。
「ありがとう。」
 呟くと、にしし、とわざと声を立ててはやてが笑った。トイレの橙色の灯りに縁取ら
れ、暖かな色がついていた。
「じゃあ、私、タオル持って来るね。」
 二人が腕に力を込めたのを見ると、なのはが踵を返した。トイレからの救出作戦を開
始するはやてを目にし、やっと夢からさめたヴィヴィオが勢い良く両腕をあげる。
「わたし、行って来るー!」
 ぴょんと軽く飛び跳ねて、ヴィヴィオははやてとリンディの足元を擦り抜けると、店
内へと駆け出した。
「お願いねー。」
 軽く手を振り目で追いかけると、カウンターで接客をしている桃子と視線が合った。
なのはは大丈夫だよ、と口の形で合図をする。その隣で、リンディはバッグから携帯電
話を取り出すと、電話帳を開いた。
「アルフさんにフェイトの着替え、頼んだ方がいいわね。」
 呆れた様に肩を竦めるリンディに、なのははころころと笑った。
「裏のお風呂、使いますか?
 一応、ランチ後に掃除したばっかりだったんですけど、トイレはトイレですし。
 第一、ブルーレット入っちゃってますから。」
 なのはの申し出に、リンディは手を揃えて軽く頭を下げた。
「あら、助かるわ、なのはさん。
 じゃあ、お言葉に甘えさせてもらって良いかしら。
 風邪を引かせる訳にもいかないし。」
 二人のお母さん達が手洗い場で談笑をする。その脇を、はやての憮然とした声が通り
抜けた。
「ちょっと、なんで抜けないんよ。」
 携帯電話の通話ボタンがリンディの掌中で小さく鳴いた。
「二人とも、どうかしたの?」
 なのはが個室を振り返ると、はやてが袖をたくし上げた腕を腰にあて、肩で大きく息
を吐いていた。トイレの中心をじとっと睨みつけ憤る背からは、揮発する汗か沸騰する
怒りかよくわからないオーラが噴出され空間が歪んでいる、ような気がした。
「な、なんかよくわかんないけど・・・、その、すごくよく嵌っちゃってる、のかな。」
 語尾を僅かに震わせて、フェイトが視線を床に投げた。はやての肩越しに、なのはは
便器を覗き込む。フェイトは未だにトイレと深い愛で結ばれたままだった。トイレと合
体することを決心したのかと錯覚する程に、最初見た時のポジションからフェイトは全
く動いておらず、お腹の辺りまで黒のカットソーに水が染み込んでいる。
「え、なに、もしかして抜けないの?」
 伺うと、はやてが呆れ腐った様に深々と頷いた。
「そーなんよ、もー、ぜんっぜんビクともせえへんもん。
 こいつ、わざと嵌っとるんちゃうか?」
 そんなわけないよ、と蚊の鳴くような声でフェイトが呟く。赤い両目に涙が滲んで、
引き結ばれた唇の端が微かに戦慄いている。ぐずって泣き出す前のヴィヴィオとそっく
りの表情だ。なのはは目元を綻ばせると、サイドテールを首に掛け、袖を捲った。
「腕を引っ張るんじゃなくって、脇を抱え上げたらどうかな。
 そっちの方が力が入りそうじゃない?」
 フェイトに腕を伸ばしつつ肩越しに見遣ると、はやてが「そうかも知れへんな。」と
相槌を打った。手洗い場でアルフと電話をしているリンディがちらりとなのはとフェイ
トに目配せをくれる。なのはは小さく頷くと、フェイトの脇に腕を入れた。
「なのは、ごめんね。」
 フェイトの二つの腕がなのはの首筋に回る。雨に濡れる子犬みたいな目を見ると、な
のははその頭を撫でた。細い髪の毛が指の間を滑る。
「もう、そんな泣きそうな顔しないでよ。
 ほらしゃきっと! ね?」
 鼻先を近づけて、なのはは小首を傾げて見せた。睫の零す影も、瞳の虹彩も見える近
さ。互いの目に互いの姿が映っている。金の睫に縁取られた真紅の眼差しをなのはは見
つめる。
「うん。」
 答えたフェイトの声が頬に触れる。なのはが微笑み返すと、自然とフェイトも表情を
和らげた。二人の間で
「なのはちゃん。」
 はやてが後方から一声放った。
「さー、フェイトちゃん、頑張ってトイレから出ようねー!
 行くよー!」
 ことさら明るく言い放つと、なのははぎゅっとフェイトの体を抱えた。いつもは大抵
笑ってやりすごすくせに、私にはストレートに嫉妬してくるからなぁ、なんてぼやいて
いると、フェイトが抱きつき返して来る。なのはは息を軽く吸い込むと、気合い一閃。
「せーのっ!」
 大きなカブをひっこ―――
「・・・・・・あれ?」
抜けなかった。便器とフェイトはがっちり噛み合ったまま、1ミリたりとも動かない。
それどころか、床と便器の接合部の方がみしみしと音を立てる。
 なのはは知らず、沈黙していた。もう一度、力を込めてぐりぐりとフェイトの上半身
をひっぱったり足をぐいぐい引いたりするも、フェイトとトイレは一心同体とでも言わ
んばかりに離れる気配がない。なのはが立ったりしゃがんだり、洋式トイレにお尻をす
っぽり嵌めたフェイトをあらゆる角度から観察するが、どこにもフェイトとトイレを繋
ぐボルトや留め具は見当たらない。なんの変哲も無いトイレにばっちりきっぱりただひ
たすら単純に嵌っているだけなのに、恐ろしい精度でもってジャストフィットを決め込
んでいる。
「え、なんで、どうして?
 どうやったらこんなにトイレと一体化出来るの?」
 驚愕の雷を背中に負い、なのはは一歩退いた。肩がぶつかった先は、先に挑み破れた
かつての挑戦者だ。
「な、抜けへんやろ。」
 はやてはどんよりとため息を吐き出した。重たい空気が垂れ込める中、便器の淵でも
がくフェイトが弱り切った呻きを漏らす。
「・・・・・えっと、その、勢い良くトイレに転んじゃった、だけ・・・なんだけど。
 なんかバランスを崩しちゃって。
 それで、すっぽり深く嵌っちゃったんじゃない、かな。」
「oh…miracle.」
 何故か外人口調になって、はやてが感嘆した。
 普段、運悪くトイレに嵌ることはある。それは、便座があげられているのに気付かず
腰を下ろしてしまった場合だ。そのとき、立ち上がるのはそれなりに苦労する、物理的
についでにいうと精神的にも。だが、静かに腰を下ろすつもりからの悲劇なので、それ
ほど便器に落ちる時の高低差はなく、それゆえ衝撃も少ない。つまり、嵌り方としては
必然的に浅くなる。
 しかし、フェイトは立った状態でバランスを崩し、恐らくはノーガードでトイレに嵌
ったのだ。お尻を便座に付ける時の繊細さなどまるで無く、その勢い、衝撃はKONISHI
KI並であったろう。それ故、こんなにも深くお尻が便器の奥まで嵌ってしまったのだ。
まるで、トイレと共に生まれて来たのではと錯覚させる程に。
 たぶん。
「運動神経いいのに、ときどきミラクル起こすよね。
 頭とかぶつけなかった?」
 なのはが頭を撫でながら問うと、フェイトは控えめに頷いた。
「うん・・・、膝の裏は打ったけど。」
 その仕草が、あまりに心細そうで消え入りそうだったので、なのはとはやては思わず
顔を見合わせた。入り口の方ではヴィヴィオとリンディが女性客を裏のトイレに案内し
ているようで、応対している様子が伝わって来る。持って来てくれたタオルは、水道上
の棚に置かれていた。
「ごめんね、お店、じゃましちゃって。」
 俯けた目蓋の間から涙が溢れて来そうで、なのはは慌てて両腕を振った。
「今までのはただの予行演習だから! 予行演習!
 ほらはやてちゃん、本番、きばっていこー!
 ね!!」
「せやせや、入ったもんは出られるって!
 な、これからが私達の本気やから!」
 さっき、さんざっぱら笑い飛ばしたが故の良心の呵責も手伝って、はやては近年まれ
に見る程に気合いをいれて、
「よっしゃ、やったるで!!」
と号令をぶちかました。