そうそれは、まさに桜色の閃光だった。

「やっぱ、嵌った角度が重要なんちゃう? ほら、刺したもんを出すには入れたんと同じ
 角度で引き抜いた方がすんなりいくやんか。な? せやから、フェイトちゃんの身長を
 考えると、だいたいここら辺の高さから斜めに落ちてったはずやから、仰角60度くら
 い目がけて引っ張ればええんちゃうかな!」
 身振り手振りを加えはやてが大プレゼンテーションをかますと、なのはが首を横に振る。

 十年の時を越え、再び解放されんとする魂の咆哮。

「はやてちゃんはまどろっこし過ぎるんだよ、さっきから力一杯いろんな引っ張り方して
 るんだよ? それなのに抜けないんだから、角度なんて重要じゃないんだよ。反動をつ
 けて一気に引っこ抜くしか無いよ! 根の深い雑草を抜く時だって、一息に引っこ抜く
 でしょ、それと同じだよ!」
 熱弁を振るうなのはの足元で、フェイトが呻く。
「わたし、雑草・・・?」

 星をも砕く熱線。
 その名は

 ヴィヴィオは扉の前で拳を振り下ろした。
「なのはまま、スターライトブレイカーだよ!
 スターライトブレイカーなら一撃必殺だよ!」

 今、蘇る。

「もしもし、高倉工務店さんですか? その、うちの子が洋式トイレに嵌ってどうしても
 抜けなくなってしまって。いえ、もう二十歳なんですけど・・・はい、いくら引っ張っ
 てもお尻が抜けないんです。それで、どうにかしていただけないかと。笑い事ではなく
 って、本当にもう十分以上・・・え? トイレメーカーさんに連絡した方がいいですか、
 ええ、わかりました。」
 額を付き合わせた四人は、トイレの狭苦しい個室で互いの顔色を窺い合う。度重なる奮
闘の熱気と、溜まり続けた焦りの為に空気が薄い。はやては詰まる息を解き放つ様に、鋭
い声を放った。
「よし、全部採用や! これしかない!」
 そんなバカな・・・、消え入るようなフェイトの声は壁しか聞いていなかった。
 はやてはハイカットのスニーカーと靴下を脱ぎ捨てると、フェイトに跨がって器用に便
器の縁に立った。フェイトの上半身を抱えると、引っ張る角度を頭の中でシミュレーショ
ンする。なのははフェイトの膝を掴むと、両脇に足を挟んで呼吸を整える。ヴィヴィオは
タンクと壁の間に入り、便器が動かないようにと押さえつける。

 はやては大きく息を吸い込んで、力ある言葉を解き放った。
「せーの! スターライト、」
『ブレイカァァァァアアアアア!!』
 全力全開親子の声が、トイレの個室を突き破った。

 桜吹雪が目蓋の裏に瞬いた。
 フェイトの意識の深奥までを貫く光。
 忘れ難い去りし日と同じ色をした閃光は、
「ぎゃっ。」
 短い悲鳴だけをフェイトに許し、その腰をばっきりと砕いた。

「ふぇ・・・、フェイトちゃん、ごめん。ごめんなぁ。
 まさか、そんなしっかり嵌っとるなんて思わなかったんよ。」
「大丈夫? 湿布・・・は貼れないか。やっぱり力づくなんてしなければ良かったね。」
「フェイトまま・・・しんじゃやだよう。」
 自分の手をしっかりと握るヴィヴィオに、フェイトは便器の中に半ば沈んでいた顔を上
げた。顔面蒼白で眉間に異様に深い皺が刻まれていたが、フェイトは唇を引き攣らせ笑み
を象った。
「・・・だいじょうぶだよ、こんなことでしんだりしないから。」
 便器の中で、フェイトはよれよれの紙切れみたいになっていた。お尻ががっちり固定さ
れたまま全力で手足を引っ張られる、というのはフェイトの腰部に壊滅的なダメージを与
えたのは間違いないようだった。脂汗が額で光っている。
「フェイトままぁ・・・。」
 握る手に力を込めるヴィヴィオを尻目に、はやては額に手を当てて座り込んだ。オレン
ジのリノリウムには靴の裏にくっついて来たらしい砂粒がいくつか転がっている。その中
の一つ、角張った粒を睨みつける。逆転の発想が求められている。はやてはそう確信した。
卵を立てる者にならねばならない。時代を改革するものにならねばならない。正攻法では
抜けないくらいに、フェイトのお尻はトイレと志を共にしているのだ。それゆえ、お尻の
大きさとトイレの大きさがシンクロし、歯車の様に噛み合って離れないのだ。どうすれば、
熱き絆で結ばれたが故に、互いの在るべき姿を見失った二人を、元の道に戻すことが出来
るのか。額に熱を集めるはやての隣で、なのはが人差し指を立てて提案した。
「うーん、もういっそ、次元転移しちゃえば。
 バルディッシュは?」
 刹那、稲光がはやての頭から足先までを貫いた。
「それや!
 次元転移でええやんか! 別世界からこんにちはや!」
 跳ねあがり、1/2ひねりでフェイトを振り返って指を突きつける。そんなはやてを、
フェイトは困った顔で見上げた。40度の傾斜がついた眉毛が額に寄る。
「バルディッシュはポケットの中に入ってるけど・・でも、こんなに嵌ってるんだよ。
 次元転移したら、トイレがもげちゃうよ。」
 う、となのはとはやての顔面が引き攣った。改装後わずか一ヶ月の真新しいトイレを中
古品にするのは忍びない。トイレもフェイトも救う、もっとスマートな方法を出来ること
なら取りたかった。そのとき、はやての脳裏に天啓が閃いた。
「せや、変身魔法や!
 アルフさんが使えるんやし、フェイトちゃん使えるんとちゃうの。
 それでちょっと小さくなって出てくれば−−−!」
 はやてが指を鳴らす。なのはがそれは名案とばかりに顔を輝かせた瞬間、後ろから被さ
ってくる声があった。
「なにまどろっこしいこと言ってんだい。
 抱き上げれば抜けるに決まってるだろ、トイレなんだから。」
 子供の高い音色の中に、一筋通る芯のある響き。トイレの入り口を振り向けば、芳香剤
に紛れることなく、未だ外の空気を纏った人がそこには立っていた。手に大きな紙袋を提
げ、赤い髪を揺らす彼女はそう。
「アルフ!」
 フェイトの双眸に光が灯る。明るく放たれた自分の名前に、アルフは苦笑気味に振り返
った。
「まったくフェイト、あんたって子はどうしてこう、妙な所で抜けてるんだい?
 トイレでそんなに嵌る奴なんて、世界中探してもそういないよ。」
 むしろフェイトちゃんだけなんちゃうか、と口をついて出そうになった言葉をはやては
ぐっと飲み下した。子供フォームのアルフはヴィヴィオと同じくらいの背丈だが、態度は
大人の時と変わらない。堂々とした歩きっぷりで個室のドアをくぐると、なのはに紙袋を
渡した。
「フェイトの着替えなんだ。
 いきなり、下着もみんな着替え持って来るよう言われるから、何事かと思ったよ。」
 肩を竦めると、なのはが笑った。
「本当だよね、こんなに嵌るなんてなかなかないよ。
 しかも、ぜんぜん抜けないんだもん。まいっちゃうよ。」
 フェイトはトイレの中で小さくなって、アルフを見上げた。便器に嵌ったままでは、子
供フォームのアルフの方が目線が高いくらいだった。フェイトに見上げられるなんて久し
ぶりで、アルフはくすぐったいような面白いような、妙な気分が込み上げて来るのを感じ
ていた。
「フェイト、元に戻ってもいいかい?」
 アルフがフェイトを見た。唇に引かれた笑みに、フェイトは頷き返した。
「うん。」
 フェイトからアルフに注がれる魔力流が太い川になる。目には映らないその奔流を、は
やては肌で感じた。二人の間を繋ぐ力が増し、それを吸い込みアルフが立ち上がる。大人
の女性の姿に変わり、普段のフェイトより背丈のある格好へ。筋骨のある腕を握り締め、
アルフが牙を零した。
「大丈夫、あたしがすぐに出してやるからな。」
 アルフとフェイトは見つめ合うと、頬を解いて笑い合った。
 個室が一気に狭くなり、なのはがするっとトイレを出た。ヴィヴィオは洗面所の壁に張
り付いて、アルフがしまい忘れた豊かな尻尾を凝視している。狼の尾が一度振れると、ア
ルフは袖をまくり上げた。
「さって、フェイトを抱き上げるなんて久しぶりで、腕がなるねぇ。
 小さい頃はよくそこらへんでコロコロ寝て、ベッドに連れてったりとか結構したけど。」
 顔を綻ばせ、アルフは尻尾をぱたぱたと振る。たっぷりとした笑みを浮かべ、緩やかに
腕を伸ばすアルフは頼りがいのあるお姉さんのようだった。その腕を、はやてがちょろっ
と引いた。けれどはやてが口を開くより早く、アルフはにっと歯を剥いた。
「はやてじゃあ、フェイトを抱え上げられないだろ。
 バリアジャケットにでもなるっていうのかい?」
 先に言われてしまって、はやてはなんの音も喉から発することが出来ないまま引き下が
った。ちら、と外に目を向けると、目と眉を弧にしているなのはと視線がかち合った。な
んとも言えない味が口の中に広がって、はやてはトイレへと顔を背ける。フェイトがます
ます困った様に眉を垂らしていた。
「よし、気合い入れて行くよ、フェイト!」
 アルフはフェイトの肩に右腕を回すと、左腕で空を掻きながら問い掛けた。
「で、フェイト。あんた足は何処やったんだい?」
 なのはとはやては弾かれた様に振り返った。日本の高い技術力が反映された陶製の便器
が、滑らかな曲線を描いている。真っ白の表面に橙色の照明が溜まるそこに、足はない。
さっきまで、便器の縁でふらふら宙を彷徨っていたフェイトの両足がない。
『え。』
 驚愕の声が、なのはとはやて、そして、フェイトの口から零れ落ちた。