あっれー? あっれあっれ?

 前頭葉の電光掲示板をその二文字だけが延々流れていった。

 思い思い体を伸ばし始めた訓練生を横目に、なのはは空間モニタの中、訓練生の名簿をスクロールする。
訓練生の全データが送られてきたのは一昨日のことで、普段に比べれば全く個人の情報は頭に入っていない。
名前と業績と使用する魔法形式くらいだ。顔と名前の一致は当日させれば良いと考えたその時の自分が脳裏
をちらついた。後回しにしたことはいつもそのときになって自分を苦しめる。
 その人は19番目に記載されていた。
 ハヤテ・ナカジマ。
 所属は陸上警備隊の部隊。ナカジマ陸佐の親戚筋の人間で、陸佐からの推薦で1年半前に管理局に入局し
たベルカ式魔導師だ。添付された写真には、今、芝の上で屈伸運動をしているのと同じ、短髪の童顔が映っ
ている。なのははハヤテ・ナカジマの写真と、小さく見えるハヤテ・ナカジマの顔と、自分の記憶の八神は
やてを参照した。
「いや、うぅーん。」
 八神はやてなんだろうな、と思った。
 髪の毛こそ、角刈りとは言わないまでも、ベリーショートまで切り込んでいる。遠目に見た限り胸はない
ようだけれど、サラシを巻けば何とでもなると中学生の頃演劇部の同級生が教えてくれた。さらに、今日は
少し汗ばむ陽気なのに、長袖長ズボンのジャージをわざわざ着ているのもそういう事情だろう。体をかなり
鍛えているフェイトやシグナムだって、手足を見れば女と分かる。はやてならなおのこと、晒すわけにはい
かないだろう。
 年齢16歳って随分サバ読むにしても。
 なのはは空間モニタを消すと、訓練生22名を見渡した。
「みんな分かってると思うけれど、柔軟性を高めることは大切なことです。
 体が柔らかいだけで、怪我がそれだけ防げるからです。」
 はい、とおのおのが頷き返すのを確認し、なのはは訓練生達の間を歩く。中央で左右開脚をしている日焼
けした訓練生は随分硬いみたいで、膝の裏が震えていた。
「あれ、随分硬いみたいだね。
 あなたは確か、地上部隊の。」
 彼の肩はあからさまに跳ねた。やや強ばった声で告げられた名前を、なのはは頭の中にある訓練生のデー
タと符号させる。
「ベルカ式魔導師さんなんだっけ。
 近接戦闘が多いんだから、もっと基礎的な体作りからしておかないと。」
「はい、すみません。」
 殊勝な返答を聞きながら、なのはは傍でアキレス腱を伸ばしている真っ最中な茶色の角刈り男子を手招き
する。
「君、名前は?
 ちょっと手伝ってくれる?」
「はい!」
 返事をし、慌てて走り寄って来た彼の名前も、なのははしっかり頭に入れた。彼が最年長21歳の訓練生
の筈だった。年上に君とか呼びかけちゃったけど、上官なんだから大丈夫だよねぇ、と胸の中で一拍取って
確認する。
「柔軟運動手伝って、一緒にやってあげて。
 足を太もものところに当てて、両腕を引っ張るあれ。」
「わかりました!」
 明朗な返事に、「よろしくね。」となのはは応じると、踵を返した。背中を男子の哀れな悲鳴が叩いたけ
れど、千尋の谷に突き落とすのも親心だ、仕方ない。この調子で、なのはは一人ずつ声を掛け、名前と顔を
一致させていくことに決めた。デジタルの画面を眺めるより、実際に話して表情を見て声を聞いた方が、よ
ほど相手のことが分かるし、名前も覚えられる。
 芝生が靴の下でさくさくと鳴り、覚えた名前が10を越えた。
 なのはは再び、ハヤテ・ナカジマを一瞥した。彼だか彼女だかは、太ももの前面を伸ばすために芝生に寝
っ転がって空を仰いでいた。地表を吹く風が短い前髪を揺らす。他の子は顔を向ければすぐに目が合うのに、
ハヤテ・ナカジマだけはこちらを見ようとしなかった。
 絶対、はやてちゃんだ。
 しかし、なのは、はやて、フェイトは年齢的には若手だが、入局してもう十年が経ち位置づけとしてはベ
テランだ。魔導師ランクもオーバーSなのだから、通常ならこの訓練に参加する必要が無い。それがこうし
て一階の訓練生として皆と肩を並べ、さらにナカジマ陸佐の親戚筋の人間という肩書きを作って来た以上、
おそらく真面目な理由があるのだろう。ナカジマ陸佐の協力もあることから、それは容易に推測できる。
 なのはに何も言わず、ということは承伏しかねるが。
「教導官、それ以上は痛・・・いたたたたたたたたたた!!」
「ほらほら、力まない! 息を吐く!」
 足を前後に開いた赤い髪の男子の肩を掴んで後ろに引き、後ろ足の太ももを踏んで押す。前後開脚は前に
出した足の先を外側になるべく向け、後ろの足はまっすぐ伸ばすのが肝要だ。ハムストリングの伸びる痛み
もさることながら、股関節が引っ張られる感じは痛い。だが、見たところ、彼のおしりは地面まであと2セ
ンチメートルと言ったところだった。
「男の子は筋肉が多いから結構硬いんだよねぇ。
 でもほら、もう下につくんじゃない?」
 なのはは体重を掛けて、彼の後ろ足、太ももの付け根を踏んだ。足が伸びきり、地面につく感触があった。
「いってぇええ!」
 思わず叫んだ彼の頭を眺めて、なのはは思わず苦笑した。
「伸びるようになっちゃえば、結構きもちいいよ。
 両足3分ずつ1セットを3回、毎日やればこの訓練が終わる頃にはやわらかくなってるって。」
 手をぱっと離すと、彼は前のめりになり、両手を地面についてぷるぷる震えていた。
「わ、わかりました・・・高町教導官・・・。」
 か弱い瀕死の声を出し、彼はグラウンドにばったりと倒れた。足がいびつな動きで閉じられていく。なの
ははころころ笑って、後ろの二人を振り返った。一人は以前、戦闘を共にした頼れる陸戦部隊隊員。そして
一番後ろにいるのは、肩の柔軟をしているハヤテ・ナカジマだった。