「あの子、運動神経いいなぁ。」
 あの始まる前からアップまで終わらせていた赤い髪の男の子が、皆を率いてトラックを走っている。ハー
フパンツから伸びる足は遠目に見ても筋骨が発達していることが分かる。彼が作り出すランニングのペース
は早く、数人を除いて皆、必死に後から追いかけている構図だった。手元のストップウォッチに目を落とす
と、トラック一周400メートルは52.7秒だった。
「インターハイ優勝ペースだね。」
 呟きながら、なのはは空間モニタに目を落とした。管理局分局が所有する中でも広い訓練施設だが、設備
自体は古いものが多い。グラウンド設備を操作するコンソールの規格の古さに呆れつつ、なのはは次に行う
簡単なテストの設定を始めた。
 はやての話には矛盾がある。
 彼女は、なのはがこの訓練の教官になるとは思っていなかったと言っていた。自分が潜入捜査をする立場
であれば、いくら男装をしていて、かつ自分の顔が広く知れ渡ってはいないにしても、旧友が教導をする訓
練には参加しない。自分一人の顔ではわからなくとも、二つ揃えば連想される可能性が高まると考えるから
だ。
 さらに、はやてが話を通したのは、この訓練を主幹する教導隊にではなく、武装隊に対してだ。直接関連
するのは教導隊である筈なのに、武装隊にだけ話をするというのは筋が通らない。言い間違いではないだろ
う、でなければ捜査が明るみに出ないという要請を揺るがしかねない、なのはへの教導官変更はなかった筈
だ。教導隊の上部はこの捜査をしらない、だからこそ、なのはも彼女の捜査を知り得なかったのだろう。
 ただの手違いっていう可能性がないわけでもないけど、と胸中で呟くと、なのはは肩を竦めた。局内での
調整もうまくいかなくて、外部での捜査がうまくいくのかなぁ、と考え出すと、もう一つの可能性にも行き
当たる。全部わざと、だ。
 赤い髪の男の子が、全力で最終コーナーを回ってくる。もう残りの21名を全員振り切って、独走状態で
のゴールだ。なのはは左手のストップウォッチを構え、彼が目の前の白線を走り抜ける瞬間を待った。
 1分51秒16。
 良い陸上選手になれそうだった。
 彼はペースをゆっくり落とすと、トラックの内側の芝生にばったりと倒れ込んだ。
「軽いランニングって言ったのに。」
 なのはは小さく笑って、後れて走ってくる他の訓練生を見つめた。2番手はさっき柔軟を手伝った日焼け
顔のベルカ式魔導師で、その後ろにはデータ上では一番評価の高かった青年だ。ティアナに似たオレンジの
髪が燃えるように輝いている。1番手がランニングではなく800メートル走に変えてしまったため、半周後
れまで列はまばらに伸びている。最後尾でビリ争いをしているのは、黒ジャージを羽織った線の細い子と、
ハヤテ・ナカジマだった。二人ともやや顎を上げ、必死の形相で駆けてくる。
 なのはは設備の設定を終え、コンソールを閉じた。
『いや、そう言う事や無くて、紛れ込むのが一番手っ取り早かっただけやから。』
 あの言葉は、どれだけ信頼に足るものだろうか。
 この訓練生の中に問題ある者がいるのかと疑い、警戒するためにその信頼性を必要としているのではない。
人を教え導く者であるために、必要なのだ。教導官としての使命の第一は、必ず生きて帰って来られる魔導
師にすることだ。
 魔導師になった理由、管理局に入った理由はさまざまあるだろう。自分は、さみしそうなあの子を、助け
たかったから魔法を手にした。今でもそれは変わらない。もし、この中にそういう子が居たら、私はその子
を見過ごすことは出来ない。みな、たくさんの事情があって、手を染める。本当はやさしい子も、さみしそ
うな顔をして人を撃ち自分を捨てる。健康に生きていける未来のために、人を斬る。泣きながら、母を求め
て拳を振るう。
 この中に、問題がある子が居ても居なくても、思う。
 彼らがその手にした魔法の力で不幸にならず、大切なものを掴めるようになって欲しい。
 なのははじっと右手の平を見下ろした。随分大きくなった手。その掌紋にはわずかな汗が滲んでいて、初
夏の日差しが眩しかった。
「ナカジマー! アバントー!
 ラストスパートっ!!」
 ゴールした訓練生の間から、最後尾二人への応援が上がる。
 なのはは必死に赤茶のタータントラックを蹴り上げて走る、二人の訓練生を振り返った。日差しが強く、
着込んだ制服が暑い。