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 血液が肩口から噴き出した。
 生ぬるい液体は噴水のように飛び散り、臭い雨を降らせる。纏わりつくように粘ついた、
汚らしい雨は、月の一片差し込む薄明かりに貫かれて、錆びた色をしている。剣は、男の
右肩を切り裂き、腹まで達していた。握り締めた柄に、血が流れ込む。肉を切り、骨を断
ち、そして。シグナムは刃を振り抜いた。切っ先が描いた軌跡を辿り、血液が弧を虚空に
走らせる。男の足から力が抜け、崩れ落ちる。シグナムは、それすら許さなかった。銀の
閃きは、男の胴体を真横に二分割した。吹っ飛んだ上半身と下半身の間から、廃墟と化し
た倉庫の景色が、見えた。
 シグナムの凝固した瞳の中でだけ。

 息を震わせるな。
 手を戦慄かせるな。
 目を逸らすな。
 シグナムはそれだけを、ひたすらに己が心臓に刻み付ける。胸腔を破壊するよう熱く脈
を打つ、体の中心に向かって、深くその言葉で斬り付ける。指の一本も、動かせなかった。
動かせば、本当に目の前の男を殺してしまう。だから、震える腕を抑え付け、息を詰まら
せ、ただ立ち尽くす。瞳にその姿を焼き付ける。
 はやてを、殺すことになる男を。
 男は、割れた天井から注ぐ月明かりに晒されていた。何度、目蓋の裏に描いたか知れな
い姿。刈り上げた髪と、落ち窪んだ眼窩、そこに嵌る眼球は今、シグナムを映している。
左腕からは血を流し、瓦礫の上に染みを落としていた。それは汚らしい生き物の零す腐臭
だ。
「お前――――っ。」
 男が唇の隙間から声を発した。罅の入った声が出す言葉は、人間の言葉だ。吐き気がす
る。血走った眼が動き回り、辺りを見渡す。血色の悪い唇は再び動く。
「なんてことを。
 ほとんどの物を壊しやがって。」
 臭い、と感じた。穢れている、とも。男の全てに嫌悪を感じる。目付きにも、動く唇に
も、絶え間なく揺れ続ける体にも、その体が落とす影も、差し込む月明かりでさえ、憎悪
すべき物だった。何にも、救いを見出せる物が見当たらない。
「一体、いくらすると思ってるんだ。
 てめぇみたいな糞の給料じゃ、一生掛かったって払えねえ額なんだぞ。」
 シグナムの指が、レヴァンティンを握り締める。右手に提げたままの魔剣は切っ先を地
に付けたまま微動にせず、ただその右腕にのみ、力が溜まっていく。力の名を、シグナム
は知っている。
 殺意だ。
 一度足りともその存在を肯定しなかった物は、今、右腕を膨れ上がらせている。骨が浮
くほどに柄を握り締めさせ、筋肉を燃え上がらせて。
「どうしてくれんだよ!
 人の仕事を台無しにしてくれて!
 てめぇが全部金払うのかよ!?」
 男が顔を上げ、怒鳴り声を振り絞る。晒された無骨な喉仏の生理的な動作に、シグナム
は顔を歪めた。引き攣った口角が歯を剥き出しにする。歯に引っかかった唇が弾けて血が
溢れる。
 主はやて。
 シグナムは胸の中で、その名を唱えた。祈りの言葉だった。ただ一つの、救いの言葉だ
った。熱いその名が、シグナムを押し留める唯一の楔だった。涙が、溢れる、その衝動が
起こって、歯を食いしばる。
 泣きたい程に、この男を殺したかった。
 殺したくて、殺してしまいたくて、しかたなかった。何度だって切り刻んで、この男を。
たった一人の大切な人を奪うこの男を、殺してやりたかった。だが、そうするわけにはい
かなくて、シグナムはただ、声を絞り出す。震えそうな声を。
「時空管理局だ。
 管理外世界への質量兵器売却の罪で、貴様を逮捕する。
 大人しく武器を捨てて、投降しろ。」
 他の者は逃がした。追って捕まえることは十分可能だからだ。だが、この男だけはこの
場で捕まえる。一瞬足りとも、安堵の気配など感じさせてはやらない。逃げ得る可能性な
ど、一抹も与えはしない。ここで全て、潰す。
 男が鈍く左足に体重を掛けた。足元のコンクリート片が破砕音を響かせる。
「うるせぇよ。
 管理局がなにノコノコ出て来やがんだよ、屑が。」
 吐き捨て、男はシグナムを睨め付ける。男の目は、濁った黄色をしていた。何処も汚い。
男が存在した空間すら腐敗するように。シグナムはもう一度だけ、口で言語を作る。
「大人しく投降しろ。」
 皮肉気に、男が唇を吊り上げた。
「失せろって言ってんだよ!」
 魔剣が白い刀身から炎を燃え上がらせた。眩い炎が光を放射し、薄暗い倉庫内を明けの
色に染め上げる。踏み出した足に、劣化した床材が弾けた。水平に剣を構え、シグナムは
口を動かす。
「もう一度だけ言う。
 大人しく投降しろ。
 さもなくば、ただちに武力を以って鎮圧する。」
 燃え上がる焔は大気を歪め、シグナムの姿が異形に揺らぐ。異形の姿は燃え盛る炎に膨
れ上がり、原型を留め置かない。揺れる陽炎に滲む姿、伸びる影はその背丈の何倍にも大
きく地に張り付く。
 男は不快気に首を振るった。汚濁した顔面が、喉を震わせ音を発する。
「下っ端風情が、でかい口叩いてんじゃねえよ!」
 左腕で短い髪を掻き毟り、男は唾を飛ばし怒鳴った。
 瞬間、炎が男を飲み込んだ。

 影も残すことなく、悲鳴が空気を引っかくこともなく、男は燃え盛る炎に飲み込まれ消
える。振り切られた炎を纏った魔剣。その解き放たれた業火は人間一人では飽き足らず、
触れるもの全てを焼き滅ぼし、渦となって大気を焼き落とす。
 火柱に炙られて、転がる残骸全てが熱に身悶えし、その身を変形させていく。金属は融
解し、有機物は異臭を放ち火の手を上げる。夜の廃墟には今まさに昼が訪れている。
 細められたシグナムの青い瞳に、炎が照り映えていた。放たれる光の眩さに影が色濃く
伸び、震える睫が綾を織り上げる。熱波に翻弄される髪は乱れ、頬を打った。耳にはただ、
炎が上げる咆哮だけが響き。
 下ろされた魔剣、その刀身には冷たく光が流れていた。手に提げられただけの剣は、力
なく切っ先を地につけている。何も斬ることはない、白銀の刀身。そこに映りこむ炎の赤
は、自分の手足を緋色に染めている。ただ、立ち尽くすシグナムの足元にだけは、穿った
ような黒が穴を開けていた。自分の影が蟠る、黒。
 殺したかった。
 本当に、あの男を殺したかった。
「主。」
 竜巻にまで発達した炎が天井を舐める。火柱はまるで生き物のようだった。夜空に慟哭
を投げかける、生き物。シグナムは僅かに開いた口の隙間から、細く、長い息を吐き出し
た。
 放った魔力は非殺傷設定だ。先程、この場所を起点として放たれた数多の魔力光を持つ、
幾百もの射撃魔法の発生源を無力化する為の炎。それは、人間であれば苦痛を感じ、魔法
を媒介するものであれば力を大きく削がれる。男は今、決して肌を焼くことはない炎の中、
その脆弱なリンカーコアを蝕まれ、苦しみに悶えていることだろう。あの吐き気のする顔
を歪めて、汚らしい罵声を上げながら。
「それが一体、なんになるっていうんだ。」
 呟きは、倉庫内を食い荒らす炎に揉まれ息絶えた。
 いくらこんなことをしたって、いくらあの男が苦しんだって、失われていくものは取り
戻せないのに。
 目頭が熱かった。
 何をしたって、何を思ったって、もうあの人が戻ってくるなんて夢を見ることは出来な
くて。私は騎士だから。守るべきものを持つ騎士だから。私が振るうべき剣は復讐の為で
はなくて、守る為に振るう剣だから。私は夜天の王八神はやての騎士だから。
 本当に守りたいものを守る。
 それは復讐によって守られる自分の心の安寧ではない。それは、主はやての意志だ。守
るということは、身を守るということだけで終わりではない。その人の意志まで守れてこ
そ、本当に守るということなんだ。だから、
「主はやて。私は、」
 拳を握り締め、目を硬く瞑っても尚、炎が目蓋を貫いた。そこに描いたのは一人の笑顔。
アギトがあほ面と称する笑顔、リインが大好きだと言う笑顔、ヴィータを嬉しそうに微笑
ませる笑顔、シャマルが可愛いと目を細める笑顔、ザフィーラが安心するという笑顔、シ
グナムが、
 くしゃくしゃに顔を潰して、シグナムは呻くよう唇から声を絞り出した。
「私はあなたを愛しています。」
 愛している笑顔が、閉じた目蓋の裏に映った。目蓋の隙間から溢れようとする、熱い涙
にも滲まずに。

 その時、炎が爆ぜた。

 白が満ち溢れる。閉ざした目蓋を灼き、鼓膜を貫き肌を吹き飛ばし、太陽が爆発したか
のような輝きを放ち、炎が弾け飛ぶ。唇から漏れた筈の己が声すら耳に届かない。平衡感
覚すら損なわれる、永遠の一瞬。
 そして。
 呻きだけが口から零れ落ちた。
 辺りは暗闇に閉ざされていた。炎の一片もなく、僅かな風だけが後に残されている。生
暖かい風は穏やかにシグナムの肌を撫でる。瞳に舞い込むのは、星明りだけ。もう人工灯
は一つとして残っていない。割れた屋根の間から見える遠い星空が、小さな星屑の瞬きが、
暗い倉庫の中に差し込んでいる。炙られた天井の建材が溶けた金属の雫を落とした。重い
雨垂れは、砕かれたコンクリートの上に落ち、弾ける。赤く輝いたそれは、地に落ちれば
瞬く間に黒く染まり。
 灰が足元を転がり去っていった。何もない、静謐な夜。
 そこに、鮮やかな色が咲き誇っていた。
 月明かりが流れ込む場所。立ち込める焼け焦げた鼻を刺す匂いも、蟠る大量の熱も届か
ない、至高の静寂の点。黒色の原野の中心。唯一残された、真に穏やかな夜の中。
 彼は、変わらず立っていた。
 短く刈り上げた髪、落ち窪んだ眼窩、そこに嵌る濁った黄色の目。罅の入った声が、空
気を震わせた。
「台無しだ。」

 息を忘れた。
 頭が熱に熟れた気がする。喉が乾いて痛む。
「な、ぜ。」
 掠れた声が、シグナムの唇を転がり落ちた。男はシグナムを不快そうに眺め、鼻を鳴ら
す。その下品な動作にさえ、シグナムは顔を顰められなかった。今の一撃は並みの魔導師
はもちろん、名の知れた魔導師でさえ耐え切るのは難しいだろう。尚のこと、非魔導師で
あるこの男が、無傷で立っていられる訳がないのだ。それが。
 男が口角を吊り上げた。そうして、軽く右腕を上げてみせる。そこには一振りの大剣が
握られていた。レヴァンティンより一回りは大きいであろう、両刃の剣。古い品なのだろ
う、柄には大きく亀裂さえ入っている。今にも留め金が壊れて、刃など失ってしまいそう
な程の剣。だが、最も異様なのは、その刀身だった。
 刀身はこびり付く赤い錆で覆われていた。
 朽ちた刃。本来持ちえた筈であろう銀の輝きは欠片さえ見出せない。
 シグナムが眉を顰める。それを目にしながら、男は大剣を振るった。切っ先は低い音を
立てて空気を掻き混ぜる。武術の心得などまるでない動き。力と剣の重さに任せた乱雑な
軌道は、虚空を過ぎる。
「何を、――――。」
 言いかけたシグナムの眼前で、その剣の軌跡から青い輝きが迸った。空間から溢れ出し
たかのような光は、濁流となってシグナムに向かい直進する。甲高く風を切る青い光。シ
グナムは咄嗟にレヴァンティンを跳ね上げた。
「―――っ!」
 衝撃がレヴァンティンに打ち付けた。激震による一瞬の眩暈と同時に、鮮烈な感触がそ
の身を覆う。周囲に散った光の気配に、シグナムは目を見張った。
「魔法だと!?」
 驚愕の色を滲ませ、シグナムが男を仰ぐ。男は口元に引き攣った笑いを浮かべていた。
「ああ、そうさ。」
 不愉快と愉快の間を揺らぐような声音で、男は短く答え、大剣を翻し掬い上げるような
一閃を空に描いた。その軌跡から、今度は無数の光が打ち出された。大風が吹き込んでく
るように、鋭い速さで床も瓦礫も粉砕し、シグナムに追い縋る。
 シグナムは強く舌打ちをすると、大きく上方へと跳躍をした。空中で身を翻し、立ち枯
れたように残るコンテナの一つへと着地する。抜き身の魔剣が金属に触れ、高い音を上げ
た。
「はは、逃げたか!
 俺はな、魔法さえ使えんなら、
 てめぇらみたいな能無しに負けるつもりはねえんだよ!」
 男が吼える。その手中にある大剣が輝きを宿していた。剣の持つ金属光沢ではない。内
部に熱を留めた琥珀の様な明かりを灯している。表面に纏わりついた錆は有機的な模様を
描き、内側から照らし出され、樹脂のような濃い色を灼きつけていた。
「いちいち邪魔しやがって、局員風情が邪魔なんだよ!
 しかもあの糞め、話が違うじゃないか!」
 刃がまたも空を劈き、数多の射撃魔法を生み出した。ステンドグラスの破片が降り注ぐ
かのごとく様々に光を放つ弾丸は、撃墜しきれる数ではない。シグナムはコンテナを蹴り、
矢のように駆けた。
 追いかけてくる魔法がシグナムの背後で跳ね続ける。シグナムは跳躍のごとく走りなが
ら横目に男を見、目を眇める。だがいくら目を凝らそうとも、男の胸の奥、体の中心に光
はなかった。この男は、魔法を学んだことがないために魔導師足りえないのではない。魔
力素養を持たないために、この男は非魔導師なのだ。魔法が使えるほどに、この男のリン
カーコアは発達していない。
「―――っ。」
 足元を射撃魔法が直撃し、足場にしていたコンテナが崩れる。続いて迫る幾つもの魔法
に向き直り、シグナムは腰溜めにレヴァンティンを構えた。
「はあああああっ!」
<< Sturmwinde ! >>
 真横に振り抜いた魔剣が衝撃波を生み出した。嘶いて大気を切り裂き、射撃魔法を粉砕
する。砕かれた魔力光が宝石のように輝いた。シグナムは爆煙の中、頭上へと顔を上げる。
煙に紛れて遥か高く、地を蹴り一気に天井を渡す梁へと上り詰めた。
 梁の上に膝を着き、シグナムは鋭く呼気を吐き出す。追撃は来ない。恐らく男はシグナ
ムを見失ったのだろう。広大な倉庫面積に見合っただけの太い金属の梁の上だ。男の立つ
場所からは直ぐに見つけられはしない。
 シグナムは頬を伝う汗を手の甲で拭った。そして、半ば廃墟と化した倉庫内を見下ろす。
 非魔導師が魔法を使う方法が存在しない訳ではない。例えば圧縮された魔法のプログラ
ムの入ったデバイスを用意し、それに魔力を注ぎ込むという方法だ。理論として完成して
いる物には、それに見合った分の入力さえあれば出力は得られる。だがこの場合、元より
魔力素養の低い者では、威力の弱い魔法を数回放つのが限度である。とても実用に足るも
のではない。
 入力にエネルギー結晶体を用いこれを解決するという方法が過去取られたこともあるが、
暴走のリスクが跳ね上がり、かつ元々の魔力素養が低い人間には一度暴走させてしまえば
収めることは不可能である。その危険性の為にこちらも現在あまり研究はされていない。
 非魔導師、特に十分な魔力素養を持たないが為に魔法を使えない者にとっては如何なる
方法を取ろうとも、魔法を使うことは難しい。
 だが、あの男は魔法を使って見せた。しかも、並みの魔導師では到底及びもつかない威
力で、本来ありえない筈の数多の魔力光を放って。
 眼窩では先程の煙が晴れ始め、夜の明かりに仄白く、男の姿が浮かび上がっていた。男
はシグナムの姿を探し、辺りを見渡している。その右手で、大剣の刀身が眩い光を滲ませ
ていた。脈動する光。
 考えられるのはあの剣が集積型ストレージデバイスであるという可能性だろう。夜天の
魔導書が魔力を蒐集することにより、数多の魔法と魔力光を放ちえたのと同様の働きを持
っていると思えば、一応の説明はつく。ただし、その場合にはやはり、魔法を発動させる
のに術者の魔力素養が必要になる、という点に疑問は残る。
 それに、男は言った。
 話が違う、と。
 シグナムは梁を蹴った。
 空を切り、風きり音が耳元で唸る。視野の脇では景色が線に変わる。その時、男が弾か
れたようにシグナムを振り仰いだ。反射的に動く男の腕、錆びた大剣の切っ先から魔法が
溢れる。それでも構わず、シグナムはレヴァンティンを大上段に振り被り、男に踊りかか
る。その体に射撃魔法が突き刺さり、血が舞ってもその突進は止まらない。
 男の血走った目が驚愕に大きく見開かれるのを、シグナムは見た。
「紫電一閃!!」
 燃え上がる魔剣が叩きつけられた。男が咄嗟に跳ね上げた大剣が、その刃を受ける。切
りあう刃から迸る光が跳ね回る。相克する二つの力に捻られて、大気が唸り声を上げた。
「はああああっ!」
 シグナムは吼え、魔剣を振り抜いた。姿勢が崩れ、男が大きく後ろによろめく。それを
見逃さず、シグナムは大剣を斜めに打ち払い、その腕から弾き飛ばした。空中で回転し、
剣は甲高い音を立てて落ちる。
 男がどん、と尻餅をついて座り込んだ。潰れた表情、飛び出んばかりに見開かれた眼、
上がっている息、何もかもが気色の悪いその男へ、
「お前を、逮捕する。」
レヴァンティンの切っ先が突きつけられた。

 底冷えのした青の瞳が男を射抜く。夜に霞む倉庫の中、レヴァンティンの刀身が宿す銀
の煌きだけが、シグナムの姿を浮き立たせている。無様に尻をついた男は、顔面を引き攣
らせたままシグナムを見上げていた。
 本当に、見れば見るほどに小汚い男だ。こんな人間に何故、と思わずにいられない程に。
シグナムは刃を男の首筋に突きつけて、短く吐き捨てた。
「持っているものを全て捨てろ。」
 男が頬を跳ねさせた。シグナムは男の皮膚に刃を当てる。魔法を使わなくともレヴァン
ティンは真剣だ。このまま引けば切れる。それが判ったか、男は緩慢な動作で懐から細々
と物を取り出し、床に放った。しょうもないがらくたの中には、いくつか記憶デバイスと
思しきものがある。シグナムは刃を突きつけたままそれを拾い上げた。
「他には。
 ナイフか何か、隠し持っているんだろう。」
 言い放ち、シグナムは僅かに剣を引いた。男の首の皮が裂け、血が滲む。男は息を呑む
と、ナイフを一振り取り出した。その手は震えている。顔を強張らせ、両手でナイフを握
り締め、身を縮こまらせている姿は酷く滑稽だった。先程まで大口を叩いていたにも関わ
らず。所詮は初めて手にした魔法という力に舞い上がっていただけなのだろう。剣を持っ
ただけで、少し魔法が使えるようになっただけで、自分が強くなったように錯覚できる。
よくある、詰まらない話だ。
 男は怯えている。自分にだろうか、と考えてからシグナムは嘲った。男は首に突きつけ
られた剣が怖いのだ。その先に潜む、死が恐ろしいのだ。自分は人を躊躇わず傷つけるく
せに。
「捨てろ。」
 命じるシグナムの額を、赤く血が伝っていた。無数の射撃魔法に正面から飛び込んだシ
グナムは、裂傷に塗れている。男に突きつける剣を握る指の端からも、血が滴り落ちてい
た。足元には幾つかの小さな血溜まりが出来ている。その中に、男の捨てたナイフが転が
った。それを目に留めると、シグナムはバインド魔法を発動した。
 これで終わりなんだ。
 何もかも、みんな。
 主はやてを刺した男が今ものうのうと生きているという苦しみも、そんな人間を自ら捕
まえに行けないという現実も、管理外世界に居るからという理由で野放しにしか出来ない
という憤りも、どうして人を傷つけて生きる人間が居るのだという疑問も、この男を殺し
てしまいたいという衝動も、これで終わりなんだ。全部。
 後に残るのはただ、この男に主はやてが殺されるという事実だけ。
 シグナムは男が捨てたナイフをレヴァンティンで叩き切ると、魔剣を鞘に納めた。そう
して、地に転がる男を尻目に、瓦礫の山を歩いていく。
 星明りの届かないそこに、大剣は倒れていた。
 コンクリート片や燃え滓の中に飲まれて、判別もつかなくなりそうな程に古く、錆びた
大剣。シグナムは腰を屈め、それを拾い上げる。見た目よりも重いその剣は、薄っすらと
刀身が燐光を纏っていた。
「ロストロギアか。」
 呟いて、シグナムはそこに微かな魔力を流し込む。一拍、脈打つかのような感触があっ
た。柄が仄かに温かいのは、男がずっと握っていたからか。刀身は根元から緩やかに光を
湛え始める。琥珀の光が、ぼうっと溢れ出す様は、燈に火を灯しているかのようだった。
錆は内側から照らし出され、飴色の幾何学模様を描く。それは意味のある記号のようにも、
植物の張る根のようにも見えた。
 剣がまた一つ、拍動をした。エネルギー結晶体が使われているようには見えなかった。
管制用の機構を持っているようにも感じられない。だが男は魔法を使って見せた。恐らく、
魔法などを学んだことのないような人間が、だ。シグナムは目を細めると、脳裏に射撃魔
法のイメージを構築する。古代ベルカ式魔法の使い手であるシグナムは、未だかつて一度
足りとも使ったことも、使おうと思ったこともない魔法だ。
 シグナムは好敵手の真似をし、力のある言葉を口にする。
「フォトンランサー。」
 眼前に、数十基の射撃魔法が現れた。
「なっ!」
 驚きのあまりに気を散らすと、数十基の魔法はたちまち霧消する。千切れた魔力光の破
片が辺りに舞い、吹雪を作り上げる。
「なんだ、これは。」
 発動にはほんの僅かな魔力、制御には単純にイメージだけ。ロストロギアとはいえ、そ
んなことがどうすれば可能だというのだろう。夜天の魔導書でさえ、発動と制御には己の
魔力をある程度必要とする。魔法の知識もだ。だがこれは、それとは一線を隔している。
 蒐集集積型ストレージデバイスではないのか。疑問が駆け巡るシグナムの手の中で、大
剣がまた一つ、脈を打った。掌にはまだ確かに、何かの温かさがある。シグナムは唇を引
き結ぶと、切っ先まで光を灯した刀身を見つめた。
 内部に熱を持った水晶のような輝き。錆は見かけだけで、まるで中は透き通っているか
のようだった。熱い光、その奥をシグナムは透かし見る。
 結晶の中にいくつもの輝きがあった。星々の瞬きのような明かり。琥珀の光。夜を照ら
す街灯の様な淡い色。寝室に灯すテーブルランプの明かり、寝れない夜に点けているオレ
ンジの小さな電灯の色。
 リンカーコア。
 シグナムの脳幹を、その単語が貫いた。
 リンカーコアそのものが、中に封じ込められている。夜天の魔導書のようにリンカーコ
ア内の魔力を抜き取ったものではなく。なるほどこれなら、魔力素養がほとんどなくても、
ほんの僅かな魔力、すなわち内部のリンカーコアを起動させる分の魔力だけで、多様な魔
法を扱うことが出来るだろう。リンカーコアはエネルギー結晶体と違い暴走の危険はほと
んどなく、魔導師のものならば、魔法は元から制御できる状態で組み込まれている。あと
は自分で使いたい魔法のイメージを構築すれば、内部のリンカーコアが勝手にその条件に
合うものを発動させてくれるという訳だ。射撃魔法などは一般的に広くたくさんの魔導師
が使うものだから、いくつものリンカーコアが反応を示し、無数の魔力光を持つ魔法が発
動する。
 それだけを考えれば、よく出来たロストロギアだ。リンカーコアを生かしたまま保存し
ておくなど、並みの技術ではない。だが。
「貴様、この剣をどうした。」
 シグナムは大剣を手にし、バインドされて地に座り込む男を振り返った。男が乾いた笑
いを浮かべた。
「貰ったんだよ。
 こいつがありゃ、魔導師に勝てんだろ、ってな。」
 非魔導師にとって、魔導師との対峙は圧倒的不利に置かれる。防御、攻撃、探査、全て
の威力においてまたその範囲について、基礎能力のオーダーが違う。それを埋めようとす
れば取れる手段は二つ。すなわち兵器の開発か、ロストロギアの使用だろう。このように
ロストロギアを不正に所有し、かつ振り回す人間は今まで幾度と無く目にしてきた。何も
この男に限った話ではないし、初めて出会う状況でもない。だが、それは今までのものと
は違う。
「それでお前、これがどんなものか、判っているのか。」
 リンカーコアの発現のメカニズムは一般には解明されていない。だが、科学者が総じて
認めるところであるのは、リンカーコアは肉体の一部であること。そして、ほぼ例外なく
全ての生き物について、それが体の中心線上に存在しているということだ。人間であれば
胸部中央。この剣はそんなところにあるものを集積することで発動する。すなわち、
「この剣は、人を殺して奪ったリンカーコアで起動しているんだぞ!」
 シグナムの怒号が、喉を切り裂き響き渡った。