はやては死ぬ。
 このまま時が経てばいずれ確実に、苦しんで死ぬ。
 でも、他の人をたくさん殺せば、代わりにはやてを助けることが出来る。正気とか、感
情とか、そういうもの全部捨ててしまえばきっと簡単だろう。覚悟も、力も持った者は止
められないから。
 そう、剣を振るうだけ。
 それだけで、はやてを助けることが出来る。はやてを刺し殺す人間にも復讐し、徒党を
組んだ他の人間も殺戮し、はやてをこの手に戻すことが出来る。
 はやて以外なんて要らない。本当に欲しいもの以外、必要ない。はやてのことが大好き
で大切で、生きていてくれるだけで、本当に、もうそれだけで良いって思えるくらい好き
で。家族になって、一緒に生きていきたくって。それが何より幸せなのに。
 それは人を殺さないと手に入らないんだ。
 人を殺したら、もう一緒になんて生きていけない。でも、人を殺さないと一緒に生きて
いけない。どっちを選んでも、一緒に生きていく道はないんだ。
 はやての命か、他の奴の命か。どっちを選んでも転がっているのは死体ならば、より不
必要な方がそうなるべきだ。例えその中に自分の死体が混ざっていたって、本当に欲しい
もの以外、他に何も要らないなら。はやてが生きていてさえくれれば、他の物なんて要ら
ないなら。
 例え何人殺したって、はやて一人を選ぶ。
 他の全てを捨ててしまえば、守るのなんて簡単だ。
「けど、そうじゃないだろ・・・。」
 アギトの声が、風に切れて流れた。白い息はたなびいて、虚空に溶け消える。翻った翼
が歪な音を立てて、痛みを覚えた。
「剣を振らないって決めたんじゃ、なかったのか・・・?」
 本当に守りたいものを守る。
 あの日、己が剣を握り締め、そう言い放ったシグナムの眼差しを覚えている。怒りも、
憤りも悔しさも、どんな感情もその身に抱きながら、それでも真っ直ぐに見返して来た紺
碧の瞳で。
『大切な人の気持ちや意志というものまで守れてこそ、
 本当に、守るということなんだ。』
 シグナムはあの日、そう言った。
 アギトの目の前には、冬の景色が広がっている。そこには鉛色の空と、それを切り取る
木々の真っ黒い影が作る白黒の景色と、遠景に霞む乾いた街並しかない。寒さしかない。
ベンチに浮いた赤黒い錆は終わりしか予感させず、居並ぶ街灯の表面に載る陽光すら褪め、
風に舞い上がる葉の一枚すら冷たく凍り付いている。
「どうして。」
 薄ら開いた唇から、風が入り込んできて熱を奪った。何もかも、地上からはなくなって
いく。アギトの声も残らない。多くの物を失いすぎて、指すら固まって動かなくなる程に。
肌の触覚すら無くなる程に。
「どうして斬ったんだよ、シグナム。」
 はやての命さえ助かればそれでいいのか。気持ちや意志まで守りたかったんじゃなかっ
たのか。こんなことでは気持ちなんて守れない。踏みつけにするだけだ。
 でも、はやてが死んでも、気持ちを守ろうとすることに意味があるかなんて、解らなか
った。死んでも意志は残る。ゼストの言葉がアギトの中に未だ深く刻まれているように、
はやてが死んでもその意志は残るだろう。
 けど、死んだらはやては残らない。
 選べない。選べる筈無い、こんな二つのことを。
 例え相手をどんなに屑だと思ったって、殺せば業が刻まれる。それを背負わせなくては
ならない。自分だけではなく、はやてにだって。人を殺して自分は生きているんだ、って
思わせなくちゃいけなくなるんだ。それが解らないシグナムでは無い筈だ。ゼストをその
手に掛けたのは、シグナムなのだから。
 殺したら何も残らない。誰かの一生を終わらせる代わりに、自分の持っているものを全
て壊して捨てなければならない。シグナムが人を殺すということは、ゼストの意志も、は
やての気持ちも全て壊して捨てるということだ。
 どっちかしか残らない。
 はやてが死んで意志が残るか、はやてを残して他の全てを殺して捨てるか。
 アギトは腹の前で両の拳を握り締めた。視覚の上では爪が掌に食い込んでいるのに、他
の感覚器は一切の不和を伝えては来なかった。何もかも麻痺してしまって、もう、何も解
らない。ただ、吐き出した息だけが一瞬、熱い。
「選べないよ、こんなの・・・っ。」
 選ばないということは、何もしないということは、はやての死しか意味しないのに。悩
む時間もない。待っている時間はない。選ばないということは出来ない。
 ならば、はやてを。
 他に何も残らないのであれば、はやてを選ぶしか無い。
 そういうこと、だったんだろうか。アギトは空を仰いだ。白い空には一層黒い雲が流れ
込んで来て、形を変えながら風に流れていく。上空は風が強い。一向に途切れる気配もな
い雲が、彼方から沸き起こってくるばかりで、アギトはいつの間にか、自分の影さえ見え
ぬ程に、日差しが弱まっていることに気付いた。
「なんで。」
 ふ、っと腹の中から笑いがこみ上げて来て、アギトは息を吐き出した。笑いではなかっ
たのかもしれない。ただ、息の固まりが笑ってるみたいに勢いよく突き上げて、アギトは
口角を上げた。目頭が熱くて、視界がぼやけるのに、唇だけは笑っていて不格好で。アギ
トは、
「はやてが助かるからって、なんで人なんか斬るんだよ、シグナム!!」
声を張り上げた。ぽつっと熱いものが目からこぼれ落ちて、頬を伝った。
『だから、信じろ。』
 そう自分に言ったシグナムにだけは、人を斬って欲しくなんかなかったのに。
 硬く閉ざした目蓋の間に、こみ上げてくる水の柔らかい感触が広がる。こんなにも熱い
のに、頬に吹き付ける風は切り裂くように冷たい。そこに浮き彫りになるのは、どちらに
も行けない自分だけ。アギトは犬歯を剥き出しにして食い縛り、声になってしまいそうな
嗚咽を噛み殺す。
「人を殺して、はやてを助けるって、なんだよ・・、それ。
 なんだよ、それっ・・・。」
 語尾がひっくり返って、アギトは思わず唇を噛んだ。それでも歯の根が合わず、奥歯が
かちかちと音を立てる。悔しかった。悲しいのかも知れない、もう自分がいま、なんてい
う気持ちなのか解らない。
 はやては一緒に生きたいと言ってくれていた。家族になろうと言った。あんなに気の抜
けた顔で、あんなにも馬鹿丸出しな顔で、あんなにも眩しい笑顔で、笑ってくれていたの
に。
 ただのプログラムに過ぎないから、魔力を集めることしか出来ないからなんて、
 そんなの、
「はやてのこと、全部否定するようなもんじゃないか・・・・。」
 守ろうとしていた気持ちを、壊して捨てるだけじゃないか。
「シグナム。
 はやてが助かるかればそれでいいのかよ、シグナムっ。」
 睨みつけた先、視界は涙の雫に揺らいで溶けた。自分の掌も、足も、体も翼も、下の方
に見える煉瓦敷も、冬の気配も。目蓋の縁に溜まって震える、大きな一粒の雫に閉じ込め
られて。
 誰も、言葉を紡がなかった。皆から顔を背けるシャマルは微笑も悲しみも浮かばせず白
磁のように整った横顔から首筋にかけてを風に吹き晒し、ティアナは俯いていた。フェイ
トは昏い眼差しでアギトを瞳の表面に湛えたまま。
「はやてが助かるって、どういうことだ。」
 低い声が耳を穿った。
 耳に慣れた、聞き馴染んだ声。幼い容姿の割に憮然とした所のある声音は、
「姉御・・・。」
 中庭への入り口が続く方の道の中央に、ヴィータは立っていた。その半歩後ろにはなの
はとザフィーラが並んでいる。
「なのはと、ザフィーラまで。」
 フェイトが口の中で噛んだ声に、困惑した様子で皆を見比べていたなのはがフェイトを
仰いだ。
「はやてちゃんの病室に行ったら、丁度回診中で。
 看護士さんが、皆は中庭に行ったみたいだから、っていうから、来たんだけど。」
 歯切れ悪く立ち消えになった語尾の向こうに、状況を把握しきれていないなのはの感情
が滲む。アギトの言葉の意味や、フェイト達が黙り込んでいた理由を尋ねたいのであろう。
だがそれよりも早く、ヴィータが声を上げた。
「答えろよ、はやてが助かるってどういうことなんだ?
 どうやっても助からないんじゃ、なかったのか。」
 ヴィータの体が戦慄いていた。それは遠目に見ても判る程で、まるで泣き出す前みたい
に見えた。アギトは口を開くことが出来なかった。とてもではないが、伝えられなかった。
今聞いたことを、自分でも受け止めきれないことを、口に出して人に説明出来るわけがな
い。それに、聞いた後のヴィータの反応が、怖かった。
「その、別に上手くいきそうな治療法が見つかったとかじゃ、ないんだ。」
 フェイトが言葉を繋いだ。形の良い唇は、ぎこちなく硬い動きで言葉を紡ぐ。影を落と
す眼差しには、悔恨の色が滲んでいた。こんなにもたくさんの人を巻き込んでしまったこ
とに対する後悔が。本当はシグナムのことを聞くだけで、全員にこんな事情を聞かせるつ
もりはなかったのに、と。だから、卑怯だと知っていても、なんとかこの場だけでも良い
から、取り繕いたかった。
「リンカーコアの蒐集と蓄積が出来るロストロギアをシグナムが手にして、
 それではやてちゃんを刺した人達の誰かを殺したかも知れない、って。
 十分な魔力さえ使えれば、はやてちゃんの治療魔法の問題は解決して、
 はやてちゃんは助かるから。」
 抑揚も感情も無い声が流れた。シャマルが中庭の隅に生えた深い緑の低木の間に視線を
投げたままで紡いだ音色。なのはが息を呑んだ。ザフィーラは耳をピンと立たせ、ヴィー
タはその場で硬直する。
「本当なの・・?」
 ぽっかりと目を開いて、なのはが呟いた。丸い瞳に自分が映っているのが見えて、フェ
イトは溜め息を零した。そして、静かに頷く。
「リンカーコアは、最も安定した魔力源だからね。」
 解けた金色の髪の一筋が、場違いのように煌めいて肩を滑った。
「でも、代わりに大勢の人の命を奪わないといけないんだ。
 胸から直接、抉り出さないといけないから。」
 なのはが息を詰まらせた音だけが鮮明だった。俯いたままのティアナも、顔を背けたま
まのシャマルも一切の反応を示さない。ザフィーラは眉間に深い皺を刻んだだけだった。
アギトは一人、拳を握り締める。誰もなにも言わない、この静寂のまま全てが立ち消えに
なるのを望みながら。
「なんだ、簡単じゃないか。」
 ヴィータが笑った。
 明るい声だった。アギトが振り返った先、ヴィータは目を輝かせていた。
「魔力を集めれば良いだけなんだろ?
 いつもと一緒じゃないか。」
 名案が閃いた時の調子に似ている。けれど、引き攣って跳ねる言葉の端々が、表面を薄
く潤ませる充血した目が、明らかな相違を浮き彫りにする。口と頬だけを笑わせてヴィー
タは、皆に向かって手を広げた。
「お前ら、なんでそんな辛気くさい顔してんだよ。
 はやてが助かるっていうんだ、いいだろ。
 やろうぜ。」
「姉御。」
 アギトは二の句を告げなかった。ヴィータの手が、首から下げている筈のチェーンを服
の上から掴むのを見つめるだけ。なに言ってるんだよ、その一言が、出ない。
「ヴィータちゃん、そんなこと出来ないよ。」
 首を横に振ったのは、なのはだった。その言葉に、ヴィータは大きく片眉を引き攣らせ
た。嘲るような含みさえ交え、ヴィータはなのはを振り仰ぐ。
「なんでだよ?
 魔力を集めるだけなんだ、簡単だろ。
 今までだってずっとやって来たんだ、上手くいくさ。」
 ヴィータの目は、瞬きを忘れていた。大きく開いた眼になのはを捉えて首を傾げる様は、
本当に不思議そうだった。なのはは言葉を積もらせる。
「代わりに誰かを死なせるなんて、駄目だよ。
 それにこれじゃあ、あの時の繰り返しじゃない。」
 脳裏を掠めるのは十年も昔のこと。はやてを助けたい、そう言って起こした一つの事件。
なのはは手を硬く握った。左手の裏に、あの日の感触が蘇る。はやてがヴィータ達には見
せず、なのはとフェイトの前でだけ流した、いくつもの涙も。
「自分がしっかりしてなかったから、みんなにこんなことさせちゃった。
 はやてちゃんあの事件の後、そう言って凄く後悔してたんだよ。
 今だってはやてちゃんはヴィータちゃんにそんなことして欲しくないよ。」
 ヴィータが顔を俯けた。微かに頷いたようにも見えた。なのはは黙って、十年前から変
わらない小さな姿を見つめ続ける。シャマルもザフィーラも、口を挟まなかった。ただザ
フィーラの痛い程の視線だけを感じる。
 ヴィータが微かに、顔を上げた。
「それじゃあ、今回は悪い奴からだけ集めればいいんだよな。」
 唇に載せたのは、軽やかな旋律だった。
「ヴィータちゃん?」
 なのはは思わず、俯くヴィータの顔を覗き込む。前髪に隠れてその表情は見えない。だ
が、僅かに影の掛かった口元が笑みを描いていた。
「だってさ、人間の命の重さって、悲しんでくれる奴の数で決まるんだろ?
 だったらはやての為になら、あんな奴ら殺したっていいってことじゃないか。」
 ティアナが弾かれたようにヴィータを振り向き、なのはは息を戦慄かせた。ヴィータが
顔を上げる。その口元に歪な笑みを刻み込み、ヴィータは瞳に確信を宿して嗤った。
「悲しむ人が居ないから、犠牲にしても構わない。
 あの時は、はやてのことをそう言って見殺しにしようとしてたんだろ?
 闇の書を封印するためにさ。」
 充血した目の淵に、涙が溜まった。話すヴィータの手が震えている。寒さではない。そ
の姿を揺らめかせ、ヴィータは塗り潰すように熱い息を吐き出す。
「家族も身寄りも無いはやては、居なくなっても誰も悲しむ奴が居ないから、
 死んでもいいって思ってたんだろ?
 それでなんにも知らないあたし達が、
 はやてを死なせるのを黙って上から見てたんじゃないか。
 手間が省けるとか思ってたんじゃないのかよ。なあ?」
「・・・えっ?」
 間の抜けた音。アギトは自分の口が勝手に声を出すのを聞いた。それはヴィータにも届
いて、彼女を振り返らせた。皮肉気に口角を吊り上げて、ヴィータは鼻で笑う。
「お前、知らなかったのかよ。
 あのグレアムおじさんがさ、はやてを犠牲に闇の書を封印しようとしてたんだ。
 早く済むようにって、あたし達に手まで貸してくれてさ。」
 捕まりそうになれば助けてくれた仮面の男。でもそれはなんのことはない、早く闇の書
事件を終結させる為だった。八神はやてというまだ9歳の子供を永遠に次元の狭間に封印
する代わりに、これ以上犠牲者が出ないようにする、その為に。
「解ってて見殺しにしようとしたんじゃない。
 都合良く殺す為に観察してただけだ!
 他の奴が死んで、悲しむ人間ってのが他に出ないようにするために、
 はやてを死なせようとしてたんだ。」
 ヴィータはなのはに向き直った。差し出すようにして緩く握ったヴィータの手を風が撫
でる。ヴィータはゆっくりと、指を解いた。
「なのは、あたしはもう許せない。
 はやてが死ぬっていう今、誰のことも許せない。」
 開かれたヴィータの掌には何も無い。寒さに真っ白く、色さえも。
 待っている。
 何も出来なくても、信じて待っている。
 辛いことも悲しいことも受けとめられる。
 はやてと、もっと、一緒に生きていたいから。
 いつか、ヴィータはなのはにそう言った。でも、これを受け止めて待っていろ、なんて
言えなかった。例えその時がくれば、受け止めなければならないことだとしても。はやて
が死ぬ時を何もせずに待っていろなんて、言えなかった。
 口に出来るのは、昔、はやてが零した涙のことだけ。
「はやてちゃんはあの時、泣いてたんだよ。
 こんなことしても、はやてちゃんは絶対、喜ばないよ。」 
 ヴィータはふ、っと白い息を膨らませた。
「今もはやてがそう思ってるって、判るのかよ。
 精神リンクだって切れてるっていうのに、お前、声でも聞いたのか?」
 呆れさえ滲んでいた。困った子供を見るみたいに、ヴィータは片眉を歪めて、なのはを
眺める。
「声は、聞こえない。
 でも、はやてちゃんがそんなこと望むわけないって、
 ヴィータちゃんが一番解ってるでしょ?
 はやてちゃんはあんなにヴィータちゃん達を大切にしてたんだから。」
 小さく頭を振って、なのはは答えた。ヴィータは静かに頷いた。
「だから、はやてを助けるんだよ。」
 空中に描き出された想いは、何処までも透明だった。ヴィータは諭すように言う。
「そんなこと言ってて、はやてが死んだらどうするんだ?
 死んだはやてが悲しむって言うのか?
 そんなのは妄想だ。」
 冷厳な双眸が、なのはを見た。
「死んだら二度と笑ってくれない。
 泣いても、くれないさ。」
 穏やかな声には、怒りが編み込まれていた。その頬は微かに引き攣り跳ねる。泣き出し
そうな目で、ヴィータは言い放つ。
「そんなのは絶対嫌だ!」
 咆哮だった。聞くもの全ての鼓膜を穿ち、ヴィータは吼える。
「はやてが死ぬなんて絶対嫌だ!
 どうしてだよ!?
 どうしてはやてなんだ!!」
 喉を枯らす、それは絶叫だ。誰も応えることの出来ない叫びは、独り谺して消えていく。
くしゃくしゃに表情を潰して、ヴィータは涙を目頭から溢れさせた。
「もっと、要らない奴なんていっぱい居るじゃないか!
 なのにどうしてはやてが死ななくちゃならないんだ!
 悲しんでくれる奴が居るんだから、はやてが死ななくたっていいじゃないか!!」
 拳を振り、ヴィータはなのは達を睥睨した。凍り付いているティアナを、顔を歪めるな
のはを、俯いているフェイトを視界に映して、ヴィータは声を弾けさせる。
「なあ、悲しんでくれる奴が居るんだったら、生きてる価値があるんだろ?
 だったら、あんな奴ら、はやての為にだったら死なせたっていいじゃないか!」
 アギトはもう、見つめていることしか出来なかった。
「姉御・・・。」
 擦れた呟きは誰にも届かない。もしも、シグナムが自分はただのプログラムに過ぎない
から、魔力を集めることしか出来ないから、はやてを助けるには、自分にはこれしかない
から。そう言って、人を斬ったのなら許せないと、なんと弱いんだと、責める気持ちがあ
った。でも、
「あたし達は元々、はやてを死なせる為の物でしかなかったじゃないか!
 別にもう、封印されたって壊されたっていいよ!
 はやてが助かるならそれでいい!」
闇の書の騎士とその主の関係は、違うなら。どうすれば、責められるって言うのだろう。
どうすれば、止められるっていうのだろう。
「人を傷つける物さえなければよかったんなら、
 あたし達が居なければよかったんだから。」
 ぽつ、と落ちた一言が足下を転がった。
 ザフィーラが硬く拳を握り込み、尻尾を一度脈打たせた。隆々と立ち上がった耳が、風
を受けて揺れる。
「あたしはもう、自分を許せないんだよ。」
 闇の書がはやての元になかったのならば、きっと、悲しむ人が居ないから死んでもいい
なんて思われず、もしかしたら誰かと幸せに今も暮らしていたかも知れないのに。
 自分が大好きな人から、幸せを奪ったのならば、どうして自分を許せるのだろう。
「あたし達に出来ることはこれしかない。
 魔力を集めることしか出来ない。」
 ザフィーラがヴィータを見た。細めた赤い瞳に、ヴィータを映し込む。寡黙な彼は何事
も口にはしない。ただ黙って、見つめていた。
「はやてを、助けるだろ?」
 ヴィータが確認の為だけに声を発した。微動だにしないシャマルの睫の上で、朧な光が
跳ねる。ザフィーラは唇を引き結んだ。
「ヴィータ、それ以上言うのはやめるんだ。」
 間隙を射抜いたのは、フェイトだった。立ちはだかる彼女のコートが翻り、下ろした右
手の中に光る金色の台座を閃かせた。
「フェイトちゃん!」
 目を剥いたのはなのはだった。駆け寄って止めようとするなのはに、フェイトは鋭い視
線を向ける。拒絶すら込めて、フェイトはなのはを撥ね除ける。
「このままヴィータ達まで同じことをすれば、
 全員に破壊処分の決定があったっておかしくない。
 そうしないためになら、私はここでヴィータ達と戦ったっていい。」
 呼応するように、バルディッシュの電子音がなのはの耳朶を打った。なのはは駆け寄っ
てフェイトの腕を掴んだ。
「フェイトちゃん、なに言ってるの。
 そんなことやめてよ。」
 フェイトの白い頬がなのはを向いた。滑らかな顔から喉元に掛けてのラインに、淡い影
が流れる。金色の髪に彩られ、赤い瞳が眼窩で動いた。
 世界で一番大切な人だ。他には居ない、代わりなんて存在し得ない。笑顔を見るだけで
嬉しい。一緒に居てくれるだけで嬉しい。そんな人にただもっと、笑って欲しい。願いな
んていつも、それだけだ。
「大切な人が笑ってくれるなら、他の物なんて要らないんだ!
 なのはには解らないよ!」
 フェイトが声を荒げた。
 思わず、なのはが手を離した。それに、フェイトは自分が何を言ったのかに気付いて、
目を逸らした。
 何処までも、誰よりも大切で、大好きで、他の何にも比べようもなく愛している人で、
そしてその人は自分と同じように、もっとたくさんの愛を、いとしさをくれる。愛してく
れている。そんなにも大切な人が笑ってくれるなら、自分がどうなろうと、他がどうなろ
うと。
 構わない。
「やってみろよ、テスタロッサ。」
 ヴィータが首に下げたペンダントに手を掛けた。銀の鎖が鈍く光る。
「フェイトちゃん、ヴィータちゃん!」
 なのはの声が空しく響いた。応えるのは二つの電子音だけ。
<< Bewegung. >>
<< get set. >>
 掌中にそれぞれ、鉄槌と戦斧が現れる。鳴動を始める前の魔力が、寂としたまま張りつ
めた。その中で、アギトは立ち尽くしていた。
「・・・や・・めろ。」
 どうして、こんなことになったのだろう。怒りのまま力を振るってはならないと、人を
守るために捜査官をしていたというはやての気持ちを守りたくって、言い聞かせて来て。
人は、人と共に生きる中に幸せがある、その言葉を信じてここまで来た。なのに。
「あたしははやてを助ける為に、魔力だってなんだって集める!
 それだけが、はやてにしてやれることなんだ!」
 大切な人が守りたかったものだから、大切な人の思いを守る。
 本当に守りたいものを守る。
 だから、その幸福論を信じた。
 なのにどうして、こんなことになるんだ。
「姉御、・・・・・やめて、くれ。」
 死んでしまえば、幸福もへったくれもなくなってしまう。だけど、そんな風に生かされ
て、本当にそんなことを喜ぶだろうか。でも、死んでしまえば喜ぶも喜ばないもなくって。
 本当に守りたいものって、一体、なんなんだ。
『私のこと、なんて呼んでもええよ。
 一緒に住んでる、家族なんやからな。』
 アギトの目の前で、はやてが微笑んだ。
「それ以外に、出来ることなんてないんだああああああああっ!!」
 ヴィータが怒号を張り上げて、グラーフアイゼンを振り被った瞬間、アギトは絶叫を迸
らせた。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおっ!!」