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 それは、銀色の輝きだった。

「やめろ!」
 鋭い声が弾け銀の光が閃く一瞬。
 打ち鳴らされた甲高い金属音が時を制止させる。その中で流れるのは、白銀の刀身を伝
う一条の光だけ。振り下ろされた鉄槌はその刃に阻まれ何にも届かず、抗する戦斧は剣を
持つ者の手によって止められていた。ヴィータとフェイトの間を割る白い剣は、射抜くよ
うに深い声で放つ。
「やめるんだ、ヴィータ。」
 打ち合わされた刃越しに、ヴィータは彼女を見た。そして、その双眸に白い剣と紺碧の
瞳を映す。その刹那、剣は鉄槌を弾き飛ばした。ヴィータの手を離れ、鉄槌が回転しなが
ら宙を舞った。
 冬の白黒の世界の中、舞い上がった落ち葉の下で、桜色の髪が散る。夜の海を嵌め込ん
だ彼女の瞳に空が映える。
 彼女は春の花を思わせた。
 剣を下ろした彼女の元を、白い風が吹き抜ける。
「どうして。」
 アギトはくぐもった呟きを落とす。それは同じ風に呑まれて吹き過ぎて行く。砂礫のよ
うに粉々に砕けて、欠片も残さずに消える。彼女の手の中で、レヴァンティンが一片の光
を弾き、ペンダントへと姿を変えた。
 瞬間、アギトは彼女の名を叫んだ。
「シグナム!!」

 クラナガンの空に厚く垂れ込めた灰色の雲が空と街並の間に昏い水を溜め込んでいた。
誰の姿も溺れさせる影は、バルディッシュを構えたまま硬直したフェイトも、空っぽの手
を掲げ続けるヴィータも飲み込んだ。息を詰まらせていた。そこに波紋を立てるのは、一
抹の囁き。
「シグナム、お前・・・・。」
 羽音と聞き違えそうな程に擦れた声だった。一息だけ、ふっと現れて立ち消えになる呟
き。それが何を縁取ろうとしたのか、アギト自身にすら判らない程の声。
 何かを、強く問いたかった。でも、言葉の代わりに降り積もるのは、枯れ葉のように舞
い落ちる違和感だけ。ヴィータをシグナムが止めた。やめろと、叫んでみせた。その手に、
レヴァンティンを握り締めて。
 そう、もし、シグナムがはやてを救う道を選んだのなら、レヴァンティンを握り締めて
ここに立っている筈は無いのに。
「どうして、ここに。」
 転がり落ちた一声。
 シグナムが緩やかにアギトを振り返る。羽織ったコートの裾を翻し、白い息を切らせて。
虚空を滑るその眼差しが、アギトを微かに映した。でもそれは、不意に伏せられて、睫の
織り成す淡い影に沈む。
「皆に、話さなくてはならないことがあって、ここに来たんだ。」
 シグナムはそれだけを言った。なめらかに唇を動かすでなく、密やかに引き結んで口を
閉ざす。目の縁に滲む朧な影は小さく震えていた。レヴァンティンを握り締める彼女の拳
が微かに揺れるのに呼応するように。
「なんの話を、しようと言うんですか。」
 引き絞ったフェイトの声がシグナムに突き立った。淀みない動作で彼女は姿勢を正し、
シグナムへと向き直る。手に提げた戦斧が頭を持ち上げ、空気が引き攣った音を立てて嘶
いた。フェイトの赤い瞳が金色に底光りする。
 シグナムがフェイトを見た。肩越しに振り返り、口の端を少し歪ませて。
「大切な・・・話さ。」
 そう、シグナムは微笑んでみせた。泣きそうな目をして。その目が、その声音がフェイ
トの心臓を強く叩く。思わず息が震えそうになって、フェイトはシグナムに見えないよう
に左手で拳を作った。
「シグナム、私はあなたに、聞かなくてはならないことがあります。」
 凝然とフェイトは地を踏みしめる。靴越しにでも大地の存在を確かめるように。そうで
なければ、フェイトには背筋を伸ばして立っていることが出来なかった。足下が崩れてし
まう。足は砕け散って折れてしまいそうで、胸の奥からは形の解らない何かが競り上がっ
て来て喉を締める。怖かった。何かが、どうしようもなく。怖かった。
「シグナムが姿を消している間に、第121管理外世界で起こった事件です。
 そこで件の密輸犯の拠点が何者かに破壊され、
 現場にあったロストロギアが持ち去られたんです。」
 無理矢理開いた喉が痛い。舌が妙に縺れて、上手く話すことさえ出来なくなりそうだっ
た。状況は全て、シグナムを疑えと言っている。疑うのは当然だった。職務上、疑わない
訳にはいかなくて。聞かない訳にもいかない。
 けれど、フェイトはこの先を言いたくなかった。
「持ち去られたのは、リンカーコア蒐集蓄積型ロストロギア。
 それさえあれば、はやてを助けることが出来るものです。」

 本当に大切な人が笑ってくれるなら、他に何も要らない。
 本当に大切な人を自分の存在が傷つけたのなら、生きてなんか居られない。

 その筈なのに、佇むシグナムの姿は揺らがなくて。
 だからフェイトは言いたくなかった。
「シグナムはそのことについて、何か知っているのではありませんか?」
 なにより、シグナムの回答を聞きたくなかった。

 空気に一本、緊迫した糸が張る。フェイトの息はそれで止まってしまう。自分の心臓の
音しか聞こえず、まるで体中が何かに覆われたみたいに重くなって、バルディッシュが揺
れる。その背に暖かい感触が触れた。コートを越して伝わってくる、ささやかな熱。それ
は、なのはの掌だった。振り向けないでいるフェイトの背に、なのはの手が触れている。
「リンカーコア蒐集蓄積型ロストロギア。
 主はやての命を救うことが出来る剣、か。」
 シグナムが言葉を紡いだ。レヴァンティンを手にしたままの手が、コートのポケットに
入る。一拍の呼吸。引き出した手にはレヴァンティンに繋がる銀の鎖と、錆びた鉄が絡み
ついていた。
 彼女の視線が拳に落ちる。指は、ゆっくり、一本ずつ開いた。
 掌に在ったのはレヴァンティンと、錆びた十字だった。
 細身の十字には、落としようも無く錆がこびり付いていた。元の色すらわからぬ程に赤
茶けた姿は端が腐食しているかのように黒い。力を込めれば砕けてしまいそうなその中心
には袈裟懸けに亀裂が走っていた。深く刻まれた傷の奥、割れた狭間の底に、仄かな輝き
が在る。琥珀のように硬質で、密やかに光を湛える一欠けの灯火。
「それが。」
 アギトが短く問う。シグナムは左手でその手を包み、掌の中、何かを見つめていた。剣
と十字の上に、指が作る影が掛かるだけの掌を。
「そう、主はやての命を救うことの出来る剣だ。」
 その声が広がって行く。空気の震えは伝播して、周りにあるもの全てを叩く。木々も、
空も、皆も、シグナム自身も。シグナムは手を握り締め、顔を上げた。
「私はこの剣を、使わないことに決めたんだ。」

 金の光が弾けて、水のように広がり消えた。フェイトが待機させていた魔法が解けて行
く。霧散する光の影が、皆の姿を過る。
 ザフィーラすら目を見開いて立ち尽くしていた。どうして、アギトの口からはその呟き
すら出て来ない。空気も全て、失われてしまったみたいに。シグナムはただじっと皆を見
つめ、静かに伝う。両手で掌を包みながら。
「主はやてとずっと一緒に生きていきたいから。」
 紡がれた声は震えていた。眼窩の中、青い目を揺らし、シグナムは白い息ばかりを吐き
出す口を開く。
「だから、私は他の道を探そうと、思うんだ。」
 言いながら、シグナムの目線は下に落ちて行く。震えるまま彼女は己の手を見つめる。
騎士の証たる剣と、はやての命を決める十字架がその手にはある。銀の鎖と錆びた鉄が指
に絡まっている。
「何処かの世界の医療技術でも、他のロストロギアでもいいから、
 主はやての命を助けて・・・、それで。
 もう一度、あの家で一緒に暮らしたい、から。」
 シグナムは喉を鳴らし、唇を噛んだ。潰れそうに歪めた顔を上げ、今度こそ皆を正面か
ら見据える。アギトへ、シャマル、なのは、フェイト、ティアナ、ザフィーラ、ヴィータ
へも視線を巡らし、シグナムは震えながら立っていた。
「お前、何言ってるんだ。」
 上がったのはヴィータの声だった。拳を作り、ヴィータはシグナムを見上げていた。引
き攣った顔、その中で口の端が痙攣している。
「魔力を集めないと、はやてが死んじゃうんだ。
 お前、はやてのこと見殺しにするのかよ。」
 シグナムがヴィータへと向き直った。胸の前で握り締めていた拳を下ろし、怒りに歪む
ヴィータと向き合う。
「他の道ってなんだよ。
 お前、はやてが生きていてくれればそれで良いんじゃないのか!
 はやてが死んじゃうんだぞ、それなのに、お前ははやてを助けてやらないのか!!」
 激昂がヴィータの喉から迸った。破裂した声は全てを吹き飛ばそうかという程に、鋭く
体に突き立つ。
「一緒に生きたいなんて無理なことだったんだよ、最初っから!
 あたし達ははやてを傷つけてここまで来たんだ!!
 はやてが持ってた筈の幸せ全部奪って、こうやってここに居るんだよ!
 それが解んないのか!?」
 ヴィータ自身にもその絶叫は突き刺さって抉ってしまう。その言葉で、自分は居なくな
ってしまう。自分も誰も居なくなって、何も無くなってしまう。それでも、ヴィータは叫
ぶ。
「要らないんだよあたし達なんて!
 それなのに、はやてが死んであたし達が残ってるなんておかしいだろ!?
 はやてを傷つける奴なんて要らないのに、お前はどうして殺さなかったんだ!!」
 シグナムがゆっくりと俯いた。音がしそうな程に歯を噛んで。目の縁が赤く染まる。目
蓋の中に、涙が滲んだ。
「解ってる。
 解ってるんだ、そんなこと。」
 振り絞った声と共に、左目から一粒の涙が落ちた。涙に濡れた呼気が唇から溢れる。
「だったら、真っ先にはやてを助けることを考えろよ!!
 お前・・・、あたし達はどうせ、ただのロストロギアなんだよ!」
 ヴィータの激昂に、シグナムは唇を噛んだ。伏せた目から、涙が溢れる。
「それでも、何か違うことがしたいんだ。
 このまま魔力を集めることしか出来ないなんて嫌なんだ。」
 頬を伝い涙が唇を横切って顎へと流れた。震える拳を、シグナムは額に押し当てる。声
も言葉も姿も揺らがせて、シグナムは口にし続ける。たった一つの、想いを。
「これじゃあ、ただの闇の書の騎士じゃないか。
 主を・・・、主はやてを、こんなにも大切に思っているのに、
 ただのプログラムのままじゃないか。」
 涙に塗れた顔を、シグナムは上げた。
「家族に、なりたいんだ。」
 拳が胸の前で解けた。その掌に涙が落ちる。それは星屑みたいに輝いて、手の中に降り
積もる。
「家族になりたいんだ。
 闇の書の騎士ではなくって、ただのプログラムではなくって、
 主はやてがずっと求めたように、主はやてがくれた約束の通りに。
 一緒に、仲良く暮らしていきたいんだ。」
 シグナムは憚ることなく泣いていた。両眼から止めどなく涙を流して。それでも力の限
りに声を振り絞る。
「そのためには、魔力を集めることしか出来ないままじゃ駄目なんだ!
 私達には何も出来ないかも知れない、それでも!
 それでも、自分で道を選ばなければ、何にもなれない。
 主はやてが求めたのは最初からずっと、私達が一緒に暮らして行くことだったのに!!
 だから!」
 皆へ向かって、シグナムは言い放つ。ザフィーラにも、シャマルにも聞こえるように、
聞かせるように。同じ闇の書の騎士に向かって。なのはにもフェイトにもティアナにも。
そして、アギトへも聞こえるように声を張り上げた。
「他の道を探そう!
 主はやても失わず、その気持ちも壊さない道を!
 主はやてとずっと一緒に生きていきたいだろう!?」
 残響が空に谺して消えて行った。
 アギトの頬を冷たい風が吹き抜ける。木々が合わせてさざめき、鮮やかな音が舞い上が
って行く。吹き溜まっていた砂埃は流れ、枯れ葉が転がり去って行く。アギトはあの夜を
思い出していた。はやてが刺された日の夜、泣き続けるリインを傍らで見つめていた夜。
「そんな、こと・・・出来るわけないだろ。
 そんな夢物語言うの、やめろよ。」
 ヴィータが微かに首を横に振った。
「そんなの、上手いこと見つかる訳ないだろ。
 はやてが死んじゃうかもしんないっていうのに、どうしてそんなの、
 ある筈ないものを、探さないといけないんだよ。」
 その声にもう、怒りは乗っていなかった。肩を落としシグナムを見上げる姿が、まるで
迷子のようだった。涙に滲んだ瞳がシグナムを見ている。
「はやてが死んじゃったらどうするんだよ。
 見つかりっこないよ、見つけられるわけない。
 だって、そんなこと言ったって、あたし達はどうせプログラムでしかないんだから、
 決められたことしか出来ないよ。」
 首を振ったヴィータの目蓋から、涙が転がり落ちた。デバイスも何も持たない手を広げ
て、戦慄く指が空を掻く。
「あたし達が居なくてもいいから、はやてだけには生きていて欲しいんだ。
 もう他に、何も要らないじゃないか。
 なのにどうして、一緒に生きたいなんて・・言うんだよ。」
 その手が、顔を覆った。覆い隠した手の隙間から、ヴィータは泣き叫ぶ。
「一緒に生きたい、って・・、それだけが、否定出来ないのに!!」
 大声と共に、涙の雫が腕を伝う。いくら隠しても押さえつけても溢れる涙が、顔も首筋
も、袖までもを濡らした。透明な雫が微かな光を零しながら落ちて行く。
「シグナム。」
 低い声が、シグナムを呼んだ。低く穿つような、それはザフィーラの声だった。
「馬鹿げてる、って思うか?
 見つかる訳ない、ただの空想だ、って。」
 振り返ったシグナムがザフィーラに問い掛ける。ザフィーラは頷きも、首を振りもしな
かった。豊かな尾が一度風を切る。
「できるって思うのか、本当に。」
 シグナムは押し黙った。その問いに、一息で答えきることなんて出来なかった。どれだ
け可能性の低いことか解っている。医療に詳しい訳でも、この世の他のロストロギア全て
を知っている訳ではない。自分達は何も知らない。ずっと、魔力を集めることしかしてこ
なかったから。人を斬ることしかしてこなかったから。
 そんな自分が、要らない筈の自分達が、大切な人の場所を奪って存在している。今すぐ
自分の胸を抉って、この場所だけでも返すべきなのかも知れない。その先に、本当のはや
ての幸せが在るのかも知れない。そう、シグナムも思う。それでも、シグナムは歯を食い
しばって、言葉を紡ぐ。
「本当に守りたいものは、主はやての幸せだろ。
 そして、主はやてはこんな私達に、
 私達と居るのが・・・、なにより幸せだって、仰って下さったんだ。」
 いつか、はやてが言ってくれた言葉。シグナムは涙に濡れた自分の掌を見下ろした。レ
ヴァンティンと十字架にも、涙は絡み付いている。昔は空っぽだった掌だ。その手には今、
騎士の証とはやての命が乗っている。そして、あの日渡された星が、この手にはある。
「何も出来ないんじゃないかって、間違ってるんじゃないかって、思う。」 
 あの日渡された星を、シグナムは守りたかった。
「どんなに可能性が少なくたって、どんなに怖くたって、
 それに勝てなければ本当に何も守れない、って思うんだ。
 本当に守りたいものを守る。
 そのために必要なのは、この怖さを受け止める強さだと、思ったから。」
 胸の中は空洞で、命なんて持っていなくて。本当は、感情なんて持っているのかどうか
も、自分では疑ってしまっていて。それでも掌に在った一粒の光だけが、目には見えない
その輝きだけは本物だと、思うから。
 例えそれが自分の思い込みなのだとしても、守りたかった。
 だからシグナムは言う。
「プログラムのままじゃ、今までのことがずっと、
 主はやての命令で家族のフリをしていただけになってしまう。
 私は、私が望むから、主はやてと共に過ごして来たんだ。」
 はっきりと、空っぽの胸に響き続ける、たった一つの想いを。
「私は自分の意志で、今までもこれからもずっと主はやてと一緒に生きていきたいんだ。」

『一緒に、生きたいから。』
 アギトの脳裏に、あの夜リインが言った言葉が谺する。なんで感情なんてあるんだろう、
ただの物に過ぎないのに、そう呟いたアギトにリインフォースが返した言葉。いつか、は
やてが言ったとかいう、一言。
『悲しい気持ちも、うれしい気持ちも、楽しい気持ちも、
 一緒に居れば、一緒に居るだけで、特別になるからって。』
 それまでぽろぽろ流星みたいに零していた涙をその時だけは塞き止めて、リインは言う。
『一緒に、生きたいから、だって、言ってました。』

 アギトはやっと、はやてのあほそうな笑顔の訳が解った気がした。ただのロストロギア
や融合騎に向かって、あんなにもやわらかな笑みを零していた訳が。
 辛いことも苦しいことも受け止めて、それでも自分の意志で道を選べるならば、
 共に生きていけるということだから。
 一緒にいるだけで、どんな気持ちも特別に出来るなら、それは――――――。

 シグナムが今一度、皆を見据えた。最後の涙が頬を伝って、星になって掌に落ちる。
「私は本当の、主はやての家族になりたいんだ。」

 家族になろう。

 はやては、一緒に幸せになろうと言ったんだ。




 その夜、クラナガンには予報通り初雪が降った。
 夕暮れから細く降り始めた雪は、日が暮れると柔らかな綿のように風に舞った。
 音もなく積もった雪は明け方、晴れた空の下、街並を白銀に煌めかせた。突き抜けるよ
うな青空に靡く真っ白い雲と共に。