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			絶対幸福論








「ったく、あいつら、同じこと何度もやらせやがって。
 覚える気あんのかよ。」
 ヴィータが苛立ちを隠しもせずに、不平を漏らしていた。冬の冷たい空気が、その愚痴
を白く空中に描き出す。幅広のマフラーに隠れきらない耳が赤くなっていた。刺すような
寒さは街灯の白々とした光の中、視覚からも入り込んでくる。シグナムはふっと息を吐い
た。風に呼気が流れていくのが見えた。
「そう不満ばかり言うな。
 誰もが皆、六課の新人のように飲み込みが早いわけではない。
 それは元より承知して、教導隊に入隊したのではなかったのか?」
 諭しているわけでもなく、淡々と事実を述べるシグナムに、ヴィータは鼻を一つ鳴らし
た。不機嫌に細められた目が夜道の先を睨んでいる。シグナムが気付かれぬ様嘆息を漏ら
し、ふっと頭上を振り仰ぐと、その途中でアギトと目が合った。アギトは肩を竦めて呆れ
た顔をしていた。
 塗り潰したように黒い空に、影のように濃い色をした雲が筋を引いていた。上空は風が
強いのだろうか、歩きながらでも見つめていると、遠くに流れていくのが分かる。一陣の
風が後ろから吹き付けて、シグナムはその冷たさにコートの襟を合わせた。ヴィータの歩
調も自然と速まる。家はもうすぐそこだった。
 途切れかけ、断続的に明滅する一つの街灯を通り過ぎ、一個目の角を左に曲がる。角か
ら4つ目の南向きの家の表札には、はっきりと漢字で八神、と記されていた。一般的な大
きさの一軒家。海鳴市にある家と同じくらいの大きさのその家の窓には、既に明かりが灯
っていた。
「シャマルはいつもはえーな。」
 ヴィータが相変わらずの不機嫌な口調で呟いた。鉄製の門を押し開け、庭の脇を通り玄
関へ向かう。
 シグナムは後ろについて歩きながら、庭を横目で見た。落ち葉が隅に溜まっているのが
目に付く。次の休みの朝にでも掃除をして、いつかした様に焼き芋という奴をまた出来な
いものかとぼんやり考える。海鳴の家には拾ってきたドラム缶があったはずだが、今の家
にはない。ザフィーラでも連れて取りに行こうか等と思索しているうちに、ヴィータが玄
関を開けて家に入った。
「ただいまー。」
 間延びのした声が室内に響き渡る。家の中は、玄関と言えど外よりずっと暖かかった。
自然と強張っていた体から力が抜けていくのを感じ、シグナムは息を吐き出した。ヴィー
タの頭上を越して、家の中を見ると、リビングと台所から光が廊下に差し込んでいて、耳
を澄ませば規則正しい包丁の音が聞こえてきていた。
「シャマル、今日の夕飯は?」
 ヴィータは揃え様ともせずに靴を脱ぎ散らかした。元より靴を脱ぐ必要のないアギトは、
ヴィータについて家に入っていく。シグナムはヴィータの靴を少し眺めた後、自分の靴と
一緒にきちんと揃えて置いた。
 シグナムが立ち上がり、続いて奥に入っていこうとしたとき、台所からひょこっと一人
の少女の頭が覗いた。栗色の髪が肩口で跳ねる。
「ヴィータ、ざんねーん。
 私はシャマルやないでー?」
 エプロン姿のはやてが、笑顔でヴィータを出迎えた。
 途端、憂鬱そうだったヴィータの顔が光り輝いた。
「はやて!」
 歓声を上げるや否や、ヴィータは廊下を駆け抜けて、はやてに飛びついた。
「おっとぉー。
 もう、ヴィータは激しいなあ。」
 後ろに一歩よろめいて、でもはやてはしっかりとヴィータの体を受け止めた。首に抱き
つかれたはやては、少し身を屈めヴィータの背に腕を回す。ヴィータの瞳が光を零す。
「今日も残業してんのかと思った!
 早かったんだな!
 言ってくれれば、もっと早く帰ってきたのに!」
 はやての肩に顎を載せ、頬を摺り寄せながらヴィータが弾んだ声を上げる。屈託のない、
満面の笑顔。その足はリズムを刻むように軽く跳ねている。
「ごめんなぁ。
 急に早く帰れることになったから、
 たまには凝った夕飯作ったろ、思って熱中しとったら、つい。」
 眉を垂らして、はやてが言う。ヴィータは腕を少し離すと、はやての顔を覗き込んだ。
「つい、じゃねーよ!
 折角はやてと一緒に居られる筈だったのに、
 時間が無駄になっただろ!?」
 眉間に皺を寄せ、ヴィータが拗ねた声を出した。甘えたい時に出す拗ねた声。はやては
首を傾げて、ごめん、ごめん、と軽く謝る。
「じゃあ、ご飯の後に一緒にアイス食べようか?
 それとも、ヴィータの食べたいおかず、一品増やす?」
 はやてがヴィータの目を見つめて問う。真っ黒な、まるで夜空みたいなはやての目。大
きな目はきらきらと輝いているみたいで、その目に映っている自分は夜空に光る星の一つ
になったみたいだった。自分が特別に思えて、見つめていると顔が熱くなるのが止められ
なくて、でも、目を逸らすのはあまりに惜しくて。ヴィータは赤らんだ頬が見られないよ
うに、額をはやてのおでこに押し付けた。ごく間近にあるはやての顔。夜空の星は消えな
い。
「最近、はやて、忙しくってあんまり一緒に居られなかったから。
 今日、その、」
 アイスは好きで、はやての料理も好きで、でも、一番好きなのは、やっぱり決まってい
て。ヴィータは一つ息を呑み込むと、消え入るような声で、はやてにだけ聞こえるよう囁
いた。
「一緒に、寝てーんだけど、いいか?」
 ヴィータは伺うようにはやてを見つめた。はやてはきょとんとした様子で目を丸くして、
すぐに返事をしなかった。僅かの間の内に、ヴィータの顔が赤くなっていく。
 はやてはヴィータの頭を撫でると、咲き誇る花のように笑みを零した。
「もちろんや!
 私もそろそろ、ヴィータを抱っこして寝たいなぁ、思ってたところなんよ?」
 はやての笑顔に、ヴィータは赤くなっていた顔を、ますます赤くした。もうそれ以上な
いくらいに。喜びで緩みきった頬で、ヴィータははやてに言う。
「ちげーよ!
 あたしがはやてを抱き締めんだよ!
 はやての騎士なんだから、当たり前だろ!」
 ヴィータはもう一度、はやてを力いっぱい抱き締めた。はやてが笑い声を上げた。
 よく分からない理論。でも、その中にあるのはただのうれしさとか、幸福感とか、そう
いったものだけで、それはヴィータの、幸せだけで構成された完全無欠の理論だ。
「ったく、甘ったれた騎士だな。
 呆れっちまうぜ。」
 アギトが口を歪めて、シグナムに言った。小ばかにしたような口調。でも、その声には
何処か照れたようなところがあって、アギトは自分で自分に呆れた。帰宅を告げる挨拶を
するタイミングを逃して、廊下に突っ立ったままだっていうのに、実のところ不平の一つ
も胸の縁には浮かんでこないのだから。
「あいつ、さっきまで不機嫌だったのも綺麗さっぱり忘れやがって。
 お前んとこの騎士は、みんなどうかしてるぜ。」
 そんな自分がなんだか可笑しくって、アギトは更に言い募り、肩越しにシグナムを振り
返った。シグナムは口を歪め、小さく応えただけだった。
「そうかもな。」
 シグナムはヴィータとはやてを見つめて、目を細めていた。柔らかく緩められた唇。穏
やかな弧を描く眉。凪いだ夜の海を思わせる青い瞳は、星を水面に映してたゆたっている。
「シグナム、アギト、おかえりな。」
 はやてがシグナムとアギトを見上げて微笑んだ。柔和な笑顔は誰も彼もを構わず包み込
んでしまうようで、アギトは視線を切って短く返事をした。
「おう。」
 シグナムは穏やかに告げる。
「主、ただいま帰りました。」
 はやては立ち上がると、シグナムに歩み寄った。
「おつかれさま。
 外は寒かったやろ。
 リビングは暖房ついとるからね。」
 シグナムのマフラーを取り、はやてはそう促した。ヴィータは既にリビングに入ってい
ってしまった。それは分かっているが、シグナムは頷きながら、その場を動かない。頬を
仄かに染めたまま、はやての顔をちら、と見、視線を逸らす。何か言いたげに、僅かに口
を開いたり閉じたりする。
「どうしたん?
 なんか、用事でも思い出した?」
 首を傾げるはやて。シグナムは、いや、なんでもありません、と小さな声を漏らす。だ
が、アギトにはなんとなく分かっていた。澄ました顔をしているが、さっきの騎士が甘っ
たれなら、その騎士の将も結局のところ甘ったれだったというだけだ。
「主に抱き付きてぇーんだろ。」
 アギトが言った瞬間。
 シグナムの顔面が火を噴いた。
 はやては驚いた顔をし、目がまん丸になる。一瞬のうちに、シグナムの額をだらだらと
汗が洪水のように流れ落ちる。
「なんや、そうやったんか。
 ほら、シグナム、おいでー。」
 合点が言ったらしいはやてが、笑顔でシグナムに両腕を広げた。シグナムは真っ赤な顔
のまま、切羽詰った顔で動きを止める。耳まで赤い。
「い、いえ、わ、わたしは・・・。」
 狼狽のためにシグナムの声は震えていた。欲望と戦っているのはなんだろうか、騎士の
誇りとかいう奴だろうか、とアギトは考える。まあ、そんなに大したものではないだろう。
せいぜい、羞恥心というのが関の山だ。案の定、視線を逸らそうとしているのだろうが、
瞳は眼窩の内で微かに震えるだけで、はやてから1ミリもぶれない。
「ほらー、遠慮せんでええで?
 もー、小学生のころはよう抱っこしてくれたやん。」
 ほらほらー、と促すはやてに、シグナムは目尻に涙さえ滲ませていた。ほら、さっさと
抱きついてしまえ、どうせ頭の中では主を抱き上げてる自分が無限ループで再生されてい
るんだろ、とアギトは思うのだが、シグナムは頑なだった。
「いえ、そんな、主に甘えるようなこと、出来ません。」
 絞り出した声には、明らかに悔恨が滲んでいた。アギトはシグナムの意気地の無さに、
大げさにため息を吐いた。はやてが不満そうにしぶしぶ腕を下ろす。
「シグナムは意地っ張りやなぁ。
 最近、ちょおお堅いんちゃう?」
 頬を膨らませて、はやてはそう口にする。
「しゃあないなあ、シグナムは。」
 惜しそうにしながら、はやてが引き下がる。夕飯の用意がまだ残っているのだろう、エ
プロンを整えると、台所へと歩いていく。シグナムははやての後ろ姿を見ながらますます
残念そうだった。その視線には、多分に後悔やら未練やらが含まれている。
 はやてが台所へ入る、そのとき、シグナムは盛大に肩を落とした。すると、はやてが足
をふっと止めて、シグナムを振り返った。
「そうだ、一緒にお風呂入る?」
 不意打ちの提案。
 シグナムは本能のまま答えた。
「はい!」
 爛々と目を輝かせてそう口走ったシグナムを見ながら、こいつらもう駄目だ、とアギト
は思った。