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 シャマルが夕食の片づけを終わらせて、リビングに顔を覗かせると、いつも小うるさい
はずのそこが妙に静かだった。疑問に思いながら入っていくと、二つあるソファの内の小
さいほう、三人がけのソファに腰を下ろしたシグナムが目配せをしてくる。何かと思い、
その視線が示すほう、大きな方のソファへ目をやると、すぐにその理由が分かった。
「はやてちゃん、寝ちゃったのね。」
 ソファの前、体を丸めたザフィーラに身を預けて、はやては静かな寝息を立てていた。
青い毛並みに半ば埋もれて目を閉ざすはやての表情はあどけなく、シャマルは自然と笑み
が零れるのを感じた。尻尾が掛け布団代わりにお腹の上に載っていて、なんとはなしに寝
心地もよさそうだ。
「ふん、いいよなお前は。」
 ヴィータが小さく言い切って、背もたれの側からソファに飛び乗った。振動にザフィー
ラとはやてが軽く揺れる。垂らしていた耳をぴんと立て、ザフィーラはヴィータを見上げ
た。かち合う視線は互いに無表情だ。
「もう、ヴィータちゃんはやきもち焼かないの。
 はやてちゃんが起きちゃうでしょ。」
 シャマルに窘められて、ヴィータはそっぽを向いた。でも一方で、ソファから投げ出し
た片足が、ザフィーラを蹴っている。
「ヴィータちゃん、駄目ですよう。
 今日ははやてちゃんと一緒に寝るってもう約束してるんじゃないですか?」
 アギトと一緒にリビングに入ってきたリインが言う。その内容に、シャマルは目を丸く
し、ザフィーラはヴィータを見たまま目を細め、ヴィータはといえば顔を赤くした。
「ヴィータちゃん、そんな約束してたの?」
 シャマルが驚きに塗れた声を上げるが、ヴィータは聞こえない振りをして、ソファに寝
転がった。不機嫌を装って、ふん、と一つ鼻をならしてみせる。天井を仰いで目を閉じて、
でも湧き上がるにやけが止まらないのか、引き結んでいるはずの口が微かに震えている。
「ヴィータちゃんはやきもち焼きさんです。
 リインも、はやてちゃんと一緒に寝たいです。」
 唇を尖らせて、リインが訴える。ヴィータは聞こえない、という風に澄ました顔をし続
ける。リインが肩を揺さぶっても変わらないどころか、寝返りを打って更に聞こえない振
りだ。アギトが呆れに顔を歪め、ため息を吐きながらテーブルの上に乗った。
 シャマルはもう、と肩を竦めると、時計を見上げた。そんなに遅い時間ではないから、
もう少しゆっくりしていてもいいのだが、お風呂はそろそろ沸いてしまう。どうしたらい
いものか、と内心で首を傾げつつ、シグナムの隣に腰を下ろした。
「昔から主は、居間で寝ていると思ったら、
 いつもザフィーラを布団代わりにしているな。」
 呟くように言ったシグナムは、はやてを見つめていた。居間を照らす暖色の光に、シグ
ナムの輪郭はいつもより丸みを帯びているように見え穏やかで、緩んだ表情は微笑んでさ
えいた。
 その瞳が映すのは、ソファでじゃれるリインとヴィータ。それを表情を変えず、でも耳
を立てて少し迷惑そうにしているザフィーラと、彼の柔らかな毛皮に顔を埋めてころころ
と身じろぎをするはやて。そんな4人を呆れたように見るアギト。
 シグナムは目を細めて、この空間を目の奥に焼き付けて、記憶にそっとしまいこんでい
るように、シャマルには思えた。シグナムにそのような姿を見るのは、いささかセンチメ
ンタルが過ぎるような気もして、でも、多分あっているんだろうな、と何処かで確信して
いた。
 10年前とは住んでいる場所も変わって、それでも自分たちを包む空気は変わらない。
くすぐったくて暖かで、まどろみすら覚えるようなそれは、いつの間にか胸の奥に満ちて
いて、今の自分たちを成り立たせている。
 シャマルは頷くと、頬を綻ばせた。
「このときばっかりは、私もザフィーラがうらやましい。」
 囁くと、シグナムがシャマルを振り向いた。零れるような笑顔、瞳の中に揺れる光が煌
いて。
「私も、あいつがうらやましいよ。」
 羨望も嫉妬もない微笑みは、ただ幸福なばかりで、シャマルは緩やかに笑みを返す。何
処かから溢れてくる暖かい何かは止め処なくって、言葉すら飲み込まれて不必要になって
しまう。
 別段、何をしているわけでもない。一緒に朝ごはんを食べて、出掛けたり各々いろんな
ことをして、ばらばらの時間に帰ってきて、でも夕飯は一緒に食べて、次の日の朝までず
っと同じ屋根の下にいるだけ。重ねてきたのはそんな毎日だけで、でもそれだけで十分だ
った。
 それっきりのことが、何よりもうれしい。
 お風呂場の方から、間の抜けた電子音が流れた。
「お風呂が溜まったみたいね。」
 シャマルは廊下へと続く扉の方に顔を向け、それからはやてを見た。相変わらずの寝顔。
力の抜けた表情は安心しきっていて気持ちよさそうで、起こすのはどうにも躊躇われた。
いつまでも眺めていたい寝顔なのに、と思うと、うっかりお風呂を沸かし忘れればよかっ
たかな、という気すらしてしまう。
「ザフィーラ、はやてちゃんを起こしてあげて。」
 でも、そんなことをすると、明日の朝、はやてはきっと大慌てで用意をしなくてはいけ
なくなるだろうから、シャマルはザフィーラを促した。ザフィーラは鼻先をはやての髪に
埋めると、顔を摺り寄せた。くすぐったさにはやてが身を捩る。
 はやてが口の中でもにゃもにゃと何かを呟くのが聞こえるが、何を言っているのかはわ
からない。リインがソファの上から声をかける。
「はやてちゃん、お風呂入るですよー。
 起きるですー。」
 はやては目を閉ざしたまま、いやいやというように首を振って、ザフィーラの毛並みに
顔を埋めた。幼い仕草。ザフィーラが頬を舐めると、何度も瞬きをしながら、薄っすらと
目を開く。
「ん・・・、おふろ・・・?」
 寝ぼけていまいち呂律が回っていない口調で、はやてが尋ねた。目を擦りながら、でも
まだ起き上がりたくないのか、ザフィーラにしがみついている。
「そうですよー。
 ヴィータちゃんが三人一緒に寝ましょうってお願いしても、
 駄目って言うですから、
 リインと一緒にお風呂入るですー。」
 リインがそう言うや否や、シグナムが無言のまま立ち上がった。そして、はやての元に
歩み寄ると、その頭を撫でながら微笑む。
「主、寝るならお風呂に入ってからにしましょう。
 朝に入るのは大変ですよ。」
 シグナムの言葉に、はやては曖昧に頷いた。シグナムは髪を指で梳くと、はやてを抱き
上げた。目を瞑ったまま、はやてはシグナムの首に腕を回す。抱きつくと肩に顔を埋めて、
また寝息を立て始めた。
 シグナムがうれしそうに破顔する。
 リインはその様子を見上げて、目に涙を溜めていた。結んだ口が震えている。アギトが
それを見て言う。
「帰ってくるなり、
 そいつら一緒に寝る約束と、風呂に入る約束してたからな。」
 半眼になり、呆れたぼやき。それを聞き、リインは両手を胸の前で握り締めた。リイン
が帰ってきたのは、シャマルと同時、一番最後だった。
「みんな、ずるいですぅ!」
 涙声を漏らすと、リインはシャマルに泣きついた。



 湯に浸かりながら、はやてがくあっ、とあくびをした。
「はは、まだちょお眠いわ。」
 目尻に涙を浮かばせながら、シグナムを振り返る。血色のよい頬は上機嫌に綻んでいて、
解れる笑みはとろけそうに甘い。
「それでは、長湯をせずにあがりますか?」
 顔を覗き込み尋ねると、はやては首を振った。
「ううん、まだ入っとるー。」
 間延びした口調でそう言うと、シグナムに擦り寄ってきて、その肩に頭を預けた。閉じ
かけている目はやはり眠そうで、どうするべきか分からぬまま、シグナムははやてを起こ
さないように息を潜める。
 肩に掛かる重み。風呂場には湯気と穏やかな寝息が満ちている。頭にぼんやりと、以前
シャマルが風呂の中で寝るのはよくないと言っていたことが浮かぶ。だが、どういう意味
でよくないのか、というところまでは思い至らない。シグナムの呼吸のリズムも、いつの
間にか緩やかになっていた。
「なあ、シグナム。」
 呼びかけにはやてを向くと、はやては水面を指先で弾いていた。細い指が水滴を飛ばし、
静かな風呂場に波紋を広げる。
「さっき目を覚ましたら、私、シグナムに抱き上げられてたやん。
 でも、家に帰ってきたとき、
 私がいくら手を広げても、ぜーんぜん抱きついて来うへんかったよね。」
 言いながら、はやてがシグナムを見上げてくる。無垢な眼差しに、シグナムは息を呑ん
で目を背けた。それでもはやてはシグナムを見つめていて、シグナムは顔に血が上るのを
感じた。湯の熱さの為ではなく、顔が熱くなる。
「そ、そうでしたか・・・?」
 ぎこちなく唇を動かすと、はやては「そうやよー?」と答えた。
「シグナムは、起きてるとダメなんに、
 寝てるとええやなんて、
 ちょお、それ寝込み襲ってるみたいやない?」
 う、と鈍い声を上げて、シグナムが黙り込んだ。逸らされた顔を覗き込むように、はや
ては首を傾げる。消え入るような声で、シグナムは一言呟いた。
「そんなことは、ありま、せん。」
 普段に比べれば、驚くほどに歯切れの悪い口振りに、はやては頭を起こしてシグナムに
向き直った。シグナムがさらに顔を背ける。それを、両手で挟み込んで自分の方を向かせ
た。
「ほんまー?
 じゃあじゃあ、いま抱っこしてくれてもえんやない?」
 シグナムの顔が沸騰したように赤くなった。はやての目を見たまま固まって動けなくな
る。悪戯なはやての表情は楽しげで、瞳の奥には純真という光が輝いている。小首を傾げ
ると、肩口で濡れた髪が跳ねた。それから頬を挟んでいた手を滑らせて、首に腕を絡める。
 シグナムがもうこれ以上ないくらいに耳まで赤くした。
「ほらあ、ぎゅっとやってみいよー。」
 からかい半分の目つきで、はやては抱きつく腕の力を強くして、シグナムに近寄った。
すぐ傍にあるはやての顔に、シグナムは目を回す。
「あ、主はやて・・・、わたしは、騎士ですから、その・・・っ!」
 降参のように両手を上げ、シグナムは情けない声をあげる。はやては更に顔を近づける
と、えー、と不満げな声を上げた。
「私の騎士が、まさか、寝こみしか襲えへんような、
 そんな情けない騎士やったなんて、
 まさかそんなわけあらへんよね?」
 シグナムの、言葉を紡げない口がわなわなと震える。その両腕は葛藤に揺れ動き、宙を
さ迷い、体が僅かに後ろに退かれる。そのときだった。
 シグナムの体が浴槽の中で滑った。
「うわぁっ!」
「ひゃっ!」
 膝の上に乗っていたはやてごと、シグナムは背中から湯の中に突っ込んだ。
 派手にあがる水飛沫と、人が滑った大きな音がけたたましく鳴り響く。お湯の中に頭の
天辺まで突っ込んで、息を止めたのは僅かに一秒。はやてまでが沈んでいることに気づく
と、シグナムは咄嗟に浴槽の縁を掴み、はやてごと一気にお湯の中から体を起こした。
「主はやて、大丈夫ですか?」
 ひっくり返したお湯が、洗い場に大洪水を起こして手桶等々を流していく。互いに顔面
から湯を滴らせて見詰め合うこと数秒。タオルで纏めていたシグナムの髪は解けている。
はやての髪の毛はぺったりとストレートになっていて、その頬をお湯が伝い落ちていく。
 はやては濡れた顔を手で拭くと、ころころと笑い声を上げた。
「あー、びっくりした。
 シグナム、突然滑らんといてや、もう。
 寿命縮むかと思った。」
 その笑顔にシグナムは安堵して、表情を和らげた。首筋に纏わりつく解けた長い髪を、
はやての手が払う。笑いあう二人。
 するとそこへ、外から騒々しい足音が駆け寄ってきた。なんやろ、とはやてがドアを振
り仰いだ瞬間、そのドアは勢いよく開かれた。
「大きな音しましたけど、大丈夫ですか!?」
「おい、なんかあったのか!」
 口々に叫んだのは、シャマルとヴィータだった。確かに凄い音だったから、心配を掛け
たのだろう。はやては安心させるよう微笑んだ。
「ん、大丈夫やよ。
 ごめんな、ちょお滑ってしもうて。」
 はやての返答は、しかし二人には聞こえていないようだった。二人の目は、はやてとシ
グナムを映して停止していた。湯船に半ば横になるように埋もれているシグナムと、その
上に乗っかる形で向かい合っているはやてを映して。
 怒号を張り上げたのはヴィータだった。
「てめぇ、シグナム!
 はやてに何やってんだよ!!」
 怒鳴りながら、ヴィータの腕が胸元に下げたグラーフアイゼンを引っ掴む。途端、シグ
ナムの顔が青ざめた。
「いや、ちょっと待て、誤解だ!
 私がただ滑っただけだ!」
 慌てて言い返すがもう遅い。ヴィータの目には焔が燈っている。
「どうしてお前が滑っただけでそんな体勢になるんだよ!
 そこへ直れ!
 叩き潰してやる!」
 いや、だから、と腕を振りながら否定の言葉を募らせるシグナムの膝の上で、はやてが
視線を斜め下に落とした。
「私、やさしくしてって、言うたんやけど・・・。」
 シグナムが口をあんぐり開けて凍りついた。その後ろで、グラーフアイゼンの起動音が
響いた。
「アイゼン!」
<< Explosion. >>
 鉄の伯爵が、烈火の将の頭を、ストレートにブッ叩いてブチ抜いた。