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 ミッドチルダ中央地区、首都クラナガンの夜空は、都市部の放つ光に掻き消され黒には
なりきらず、くすんだ色をしていた。星の輝きは一つたりとも見えず、代わりに昼でもな
いのに雲はうっすらと白んでいる。その不完全な空、中空の一点に、人影が浮かんでいた。
空という、地上からでは明確な距離感を得難い空間において、その人影だけは距離という
ものを定義し得ていた。
 遙か上空にあり、棚引く雲を背景に、彼女は地上を見下ろしていた。背に広げる三対六
枚の羽は夜闇よりもなお深く、悠然と翻る白い衣を浮き上がらせている。
「リイン、合図は?」
 彼女は口の中で小さく何者かに尋ねた。風の中、自分にしか聞こえない小ささ。返事は
音声ではなく、思念として伝えられる。
『予定では、あと40カウント後です。』
 それを聞き、彼女の碧色の目が細められた。目の縁には、街の煤けた明かりが揺らめい
て、下方に乱立する高層ビルの群れを睥睨している。どのビルも、60階は優にあるだろ
う、黒々と聳え彼女に迫り、薄汚れた屋上部分を晒している。遙か足元に敷かれているは
ずのアスファルトは辛うじて知覚できる程度に狭く暗く、殆どが影に飲まれている。
 人通りはない。真夜中であったし、あったとしても、おそらく彼女の目からは点程にも
見えることはないだろう。
 いつもと変わらない夜。まさしく、絶好の夜だ。人の作り出す光が編み上げる、夜景と
いう名の地上の星空を見下ろし、彼女はすう、っと息を吸い込んだ。地面の上よりも余程
冷たい空気は都市部であるためか、家の周りで肺を満たすそれとは違い、微かに澱んでい
るよう感じられた。口の奥に、苦味が残る。
『残り10カウントです。
 作戦変更の指示等はありません。』
 彼女はそれを聞くと、手元に一冊の書物を顕現させた。突如として虚空に現われたその
一見すると革張りに見える本は、彼女が手を触れることもないというのにかかわらず、勝
手に頁が捲られていく。鼓膜を打つその乾いた音を耳にし、彼女は一度目を伏せた。そこ
へ、一つの通達が入る。
 それを受け、カウントを告げていた声が言う。
『はやてちゃん、作戦開始です。』
 はやては目を開いた。
 その手中に、一条の剣十字が現われる。
「了解。
 2500時、ただいまより作戦を開始します。」
 はやてが厳かに口を開いた途端、はやての足元から真っ白い光が迸った。溢れる白光は
空を照らし、はやての足元で正三角形を結んだ。服が光を反射して翻る。その輝きは、は
やての瞳に深く差し込み、強烈な意志を描き出す。はやては剣十字を高々と夜空に掲げた。
 白い光が周りの景色を包み込んだ。
 光は何に遮られることもなく広がっていき、四方1キロメートルにまで展開する。展開
終了と同時にそれは不可視のものとなり、辺りは先程と同じように静まり返る。
 はやては顎を上げ、頭上を仰いだ。
『結界の展開成功です。』
 はやての眼差しに、一筋の笑みが混じる。
 もうこの内部では、通常の念話をすることはできないし、転移魔法のような空間移動を
する魔法も使用することはできない。通常の結界よりも遙かに転移魔法に対する強度は強
い。これでお得意の逃走方法も使えないだろう。走ったり飛んだりすることは可能だが、
人員は既に配備し終わっている。逃しはしない。
「質量兵器不正取引及び保持しとる悪い人達の確保。
 行くで、リイン!」
 シュベルトクロイツを握り締め、はやては足元のビルに向かって、高らかに声を放った。
『はいです!』



『シグナム、そっちの首尾はどう?』
 シャマルの声がシグナムの耳の奥に響いた。思念通話と転移魔法の発動を阻害するとい
う機能を持たせた結界内に於いても、その声はいつもとまるで変わらずクリアだった。夜
天の王を中心とする精神リンクでの通話が、思念通話に対する妨害に影響を受けるわけが
ないので当然ではあったが、それを確認してシグナムは満足する。作戦に狂いはない。
「問題ない。
 今、建物内部を単独で移動中だ。
 不正取引物の倉庫まで、あと6フロアというところだな。」
 答えながら、シグナムは歩調を強め、階段を駆け下りる。このビル自体は既に消灯して
いるため、非常灯しか付いていない階段は薄暗い。静寂に沈んでいるべき建物であるが、
階下から腹の底に響くような低い音がこだましてきている。もう戦闘は始まっているよう
だった。
「戦闘は避けられなかったようだな。」
 呟くように言うと、シャマルが呆れにも似た声を返してきた。
『はやてちゃんが結界を張った時に、
 やっぱり局の捜査が入るってわかっちゃったみたいなの。
 ギンガが52階のオフィスに入った瞬間、
 いきなり撃たれそうになったって。』
 そうか、とシグナムは口の中で返事をする。逃げ足が早いと評判の犯人達だ。余程高感
度のセンサーでも用意しているのか、それとも常に気を張っているのか。どちらにせよ、
今日でそれも終わりだ。三度目の逃走劇はありえない。
 ここを活動拠点に置いているのは、二十余名程で構成される質量兵器の不正取引犯らだ。
彼らは、その背後にある更に大きなグループの下部組織であり、グループ全体での不正取
り引きの総額はミッドチルダ近隣世界を主な拠点にする組織の中でも1、2を争うと言わ
れている。
 この拠点のような小グループの捜査は数年前から続いており、ミッドチルダに於いても、
かつて二度に渡り拠点制圧が試みられてきた。だが、いずれもその中心人物たる上位組織
の人間には逃亡を許す結果となっており、不正取引物も全て押収されたことはない。
「ギンガ達が突入して何分だ?」
 彼らの逃亡を最もよく手助けしているのは、一回の転移可能量は1トン程と言われる、
一介の犯罪者が持つにはかなり高機能な転移装置を保有していることによる。それらは、
世にある正規品の規格に外れた機能を複数備えている。一つが高機能のジャミング能力だ。
それにより、ミッドチルダの区画ごとに置かれているセンサには反応がない。
 これを彼らの上位組織は複数台所有しているらしく、それにより独自のネットワークを
形成しているらしかった。
『2分30秒よ。』
 シャマルが答えた。
 この、クラナガンの72階建てのビルに拠点が発見されたのは3ヶ月前だ。一般企業に
混じり、貿易会社を装って営業していたのを、地上部隊の捜査班が発見したのだ。正面エ
ントランスに続くエレベーターが4台、搬入口に続く荷物用搬入エレベーターは2台。階
段は西と東に一つずつあり、非常用階段を兼ねている。また、エントランスから続くエレ
ベーターは52階にしか止まらない。出入口は正面エントランス、西側搬入口、東側搬入
口であり、そのそれぞれを、ヴィータ、ザフィーラ、そして局員が固めている。ヴィータ
とザフィーラは追々上がって来るだろう。
 52階から59階の7フロア分に犯人たちは入っており、ギンガ達が入った52階は対
外用に貿易会社を装っている部分であった。事前の調査によると、53、54階、56、
57階はフロアを抜いて密輸品倉庫になり、55階は不正取引用の事務所になっていると
のことだ。
 転移装置を破壊なり停止なりさせれば、もう彼らに逃げる手はないだろう。
 転移装置は56階部分にある。シグナムは暗がりの壁を見上げた。58階だ。
「アギト、用意はいいな。」
 シグナムは腰に帯びた剣の柄に手を当て、自らにのみ聞こえるような声を出した。
『いつでもいいに決まってんだろ!?』
 威勢のいい返答は、シグナムの脳裏にだけ鳴り響く。シグナムは口角を僅かに歪ませた。
笑みだ。好戦的な笑みが、シグナムの顔面に刻み込まれる。青い瞳がぼやけた蛍光灯に照
らし出されて、燦然と光る。
 最後の階段の踊り場から、シグナムは57階のフロアへ続く扉の前へ、一足で飛び降り
た。無骨で愛想のない鉄扉の前に立ち、シグナムは騎士たる証を振り抜いた。
「行くぞ、レヴァンティン!」
<< Jawohl!! >>
 魔剣は高らかに声を張り上げ、騎士の意志を示し、分厚い扉を一刀の下に粉砕した。
 轟音と爆風が淀んでいた空気を震撼させ、シグナムの前に道を開く。耳鳴りを断ち切る
ように、シグナムは57階のフロアに飛び込んだ。
 非常灯だけが点く薄暗い室内は、調査の通り56階までフロアが抜かれ、キャットウォ
ークが張り巡らされていた。うず高く積まれたコンテナの中、まさしく倉庫といった眺め
の中央にその巨大な転移装置は置かれていた。57階部分の半ばまで背丈がある転移装置
は、暗がりの中で黒いシルエットとなり聳え立つようであった。
 いくつかのランプは既に点っており、起動はさせられているようだった。だが、起動は
しても発動はしない転移魔法に狼狽しているのだろう、見下ろすと10人ほどの人間が、
転移装置の前で哀れにも右往左往しているのが見えた。
『どいつもこいつも、雑魚ばっかみたいだな!』
 下のフロアから上がって来る怒号を見下して、アギトが嘲笑を上げた。シグナムは剣を
ぶら下げたまま、眼下の人間たちを一瞥した。魔導師は3人ほどいるらしい、との話であ
ったが、どうやらこの階にはいないようだった。何人かの視線がシグナムへ向けられてい
て、皆、声を震わせている。シグナムは淡々と口を開いた。
「アギト、一つ知っておけ。
 どんな相手であれ、敵には最大限の敬意を持って接するべきだ。」
 見慣れない形の武器。恐らく取り引きの品である質量兵器だろうそれが、各々の手に握
られている。何人かが銃口を向け、シグナムに向かって発砲してきた。耳を撃つ激しい銃
声が、豪雨のように降り注ぐ。しかし、雨垂れは一滴たりともシグナムの頬を濡らすこと
はなく、壁やキャットウォークに染みを作るだけだった。
『こんな奴らにかよ。
 こいつら、魔導師が仲間に居るくせに、
 上から来られる事も予想出来てなかったくらいなんだぜ?』
 呆れ交じりのアギトの声を聞きながら、シグナムはレヴァンティンを掲げた。薄闇の中
でも、白い刃は光を映す。質量兵器も日々進化していると聞く。魔導師の装甲を破ること
もあるというのだから、シグナムと同じ経路で、今、後ろから結界を張り終えてこちらに
向かっているはやてと彼らを作戦通り相対させるつもりなどシグナムには毛頭なかった。
「アギト。
 主の手を煩わせるまでもない。
 1分で終わらせるぞ。」
 宣言すると、シグナムはキャットウォークの手すりを軽々と飛び越えた。銃弾の一発が
シグナムの脇を掠める。だが、それはうっとうしい風で微かに気を引いただけだった。
 シグナムは存在を示すように、重たく足音を響かせて着地した。両足でフロアを強く捉
え、低い音で相手の鼓膜を撃ち抜く。銃撃が止まる一瞬。
『一分でね。
 お前、さっきと言ってること違うんじゃねぇか?
 それは傲慢とか過信っつーと思うんだけど。』
 沈黙の中、アギトが揶揄するように言う。
 シグナムは唇を笑みの形に吊り上げた。歪めた口元、薄暗さの中でも鈍く光る青い瞳、
背中で燃え上がる焔の逆光に彩られ、手にした魔剣が濡れたように輝いた。
「違う。
 これは主の剣である私の、責任だ。」
 瞬間、炎が空間を灼き尽くした。