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 アギトは隣にちらっと一瞥を送った。隣に座る彼女の膝の上には、陸士隊のスカートを
握り締め震える両の手があった。アギトはそこから目を逸らし、消灯された薄暗い廊下を
見る。時刻は午前3時26分。冬の日の出はまだ遠く、ぽつぽつとだけ点っている蛍光灯
の為に、長い廊下は一層寒々しく感じられた。人の姿はなく、代わりに影と闇ばかりがそ
こかしこに蹲っている。
 エントランスはシャッターが下りていて、真っ黒い壁がそそりたっているようだった。
首を振って、奥を見れば大きな窓が一枚あったけれど、黒い木々に覆われていて、無数の
葉で細切れにされた月明かりだけが、何か不可解な絵を床に描き出していた。朧な光は、
外を走る風のためにか、音もなく揺れ動く。
 二人きりで居る外来受付は広くて、隣の彼女が震わせる息遣いすら、その隅までは届い
ていかない。途中でふ、と立ち消えになって、破片ばかりがアギトの傍に散らばっては蟠
っている。
 唇を噛むと、痛みにも満たないうっすらとした感触が走った。アギトは息を吸い込むと、
顔を引き攣らせた。
「泣くなよ。」
 視界の端で、星が一つ零れ落ちた。消えるまでに、三度願いを唱えたら、お願い事を叶
えてくれる、それは流れ星で。でも、お願い事を考えている間に、いつも消えてしまう。
いくつも、いくつも流れたって、一つもお願い事を唱えられないのに。
「泣くなよ。」
 アギトはもっと強く、でももっと平坦に、同じ言葉を繰り返した。
 彼女の肩口を流れる髪はこの薄暗さでは銀に見えて、星の軌跡を集めたようにも見える
はずなのに、どうしてか、空から落ちる雨粒の軌跡を集めたような色に見えてしまう。雨
が降っては、星は見えなくなってしまうのに。
 嗚咽を噛み殺そうと閉ざした彼女の口の隙間から、涙の音が溢れてくる。止まらない音
は雨音なのだろうか。硬く瞑った目蓋の隙間から、また一粒が溢れ、握り締めた手の甲に
落ちた。
「泣くなったら。」
 声を僅かに荒げて、アギトはそう紡いだ。雨音に掻き消されない様に、雨粒に撃ち落さ
れてしまわないように。それでも止め処なく、彼女の瞳に嵌め込まれた筈の青空は溶けて、
その緩やかな頬を伝う。
「泣くなよ。」
 たくさんの、両手から溢れてしまうほどの涙に、ゆっくりと一つの色がアギトの中に染
み出してくる。それが酸化して黒くなっていく血の海なのか、それとも目の前で彼女が流
す透明な涙の雫なのか、こう暗くてはよく分からなかった。
 目頭がぎゅっと熱くなって、視界の端が滲んでしまいそうで、アギトは意識して瞬きを
した。人の膝くらいの高さの椅子なのに、リノリウムの床はアギトから見ると遠くて、足
を投げ出して座っているはずなのに、自分の姿らしきものは、何処にも見当たらなかった。
 アギトが椅子に爪を立てると、不愉快な音が手の中でした。
「お前まで泣いたら、
 本当にあいつが、はやてがどっか行っちまうみたいじゃねえか。」
 目蓋の裏に描き出されるのは、どうせならいつも笑っている顔がいい。誰に対してだっ
て、そう思っていた。でも、最後に見たのが、土みたいな肌をして、息をしているのかど
うかもよくわからないまま、自らの血に溺れている様な姿じゃ、それも難しくって。
 だから、せめて、リインには泣かないで欲しかった。
「なあ、だから、泣くなよ。」
 お願いだから、という言葉だけは飲み込んだ。
 あの時、一番傍に居た彼女が泣いて、あの現実を肯定してしまったら、本当に、はやて
が帰って来れなくなる様なそんな気は、しだしたらただの妄想だって、振り払おうとして
も難しくって、頭の中にこびりついて離れない。
「・・・リイン、」
 リインのすすり泣く声が、初めてアギトを振り返った。
 アギトが顔を上げると、リインは声をひっくり返らせて、大きく息を引いて途切れ途切
れの言葉を繋いだ。
「リインは、何にも、全然、気づかなかったです。
 はやてちゃんが・・・刺、されちゃう、まで、何にも・・・。
 攻撃行動は分かるようにって、ちゃんとしていたつもり、なのに。」
 アギトを映す青い大きな両眼からは涙が溢れて、零れて、頬を流れていく。むせ返る様
な夜の気配に飲み込まれながらも、数え切れないほどの涙の痕は彼女の頬を、揺れる彼女
の瞳を、淡く浮き上がらせていた。
「ユニゾンしてたです、それなのに。」
 リインが、くしゃ、と顔を歪めた。

「リインは、融合騎失格です。」

 
 星がまた一つ砕け散って、リインは両手の中に、自分の顔を沈めた。
 沈黙が二人の間に降り積もっていく。雪のように降り積もって、でも触れることの出来
ないそれは、手の暖かさで溶かすことは出来ない。
 アギトは自分の掌を見下ろした。
 例えば、はやてを刺して逃げたあの上位組織の人間が持っていた質量兵器は、管理局で
すらはっきりと実体を知りえていなかったもので、魔導師に対抗するためだけに作られた
ようなものだったから、自分たちの目を欺きえたんだと、お前が自分のことを責めても仕
方ないと、そうやって慰めにもならない言葉を掛ける事は出来る。しかし、それは違うと、
アギトはぼんやりとであるが感じていた。
 融合騎とロード。
 アギトは静かに口を開いた。
「嫌だよな、融合騎ってさ。
 一緒に戦ってるはずなのに、
 こっちが乗っ取りでもしない限り、怪我すんのは必ずロードだけだ。」
 振り仰ぐと、病院の天井に視線は突き当たり、アギトはため息のように漏らす。
「なんか、ロードを盾にして戦ってるみたいで、嫌になるよな。」
 ここには何一つ無い。あの薬湯の匂いも、夜露を孕み少し冷たい風も、隣で木の幹に身
を預けるかつてのロードの気配も、共に見た夜空も。いつも何処か苦しげだった人。それ
が全て自分のせいだったなんては言わないし、実際、殆どが彼自身の問題だったのだけれ
ど。
 彼の中で終わりだけはいつもきちんと目の前に用意されていた。アギトがどれだけ目を
背けようとしたって、追いやろうとしたって、それだけはなくならない。だから、せめて、
剣に。そうなれないならば、盾になろうと、思っていたのに。
「ほんっとさ、割りに合わねぇよな、融合騎なんて。
 嫌な気分ばっかりだ、いつもいつも。
 相性が悪けりゃ負担になるし。
 ただ、力になりたいって、思ってるだけなのにさ。」
 アギトは後頭部を乱暴に掻いた。結んでいた髪がいくらか解れる。苛立ちなのか、鬱憤
なのか、体の奥に溜まって凝っている感情。これを責任とか、自責とか、後悔とか、罪悪
感とか名前を付けるんならきっとどれも間違わないんだろう。
 でも、どれなのかははっきりと分からなくて、もやもやとしたそれに、アギトは顔を歪
めた。そうして、自嘲気味に笑う。
「なんで、人格なんて付けようとか、思ったんだろうな。
 融合騎なんて、ただの、デバイスなのにさ。」
 非人格型デバイスであろうと、人格型デバイスに大きく劣る点等数え上げるほども無い。
人と同じ思考を持つからこそ可能な流動的な判断を追い求めた結果だとしても、所詮は人
の手によって作られたもので、完全に人と同じものになれはしないのに。
 何処まで追い求めても、デバイスはデバイスでしかないのに。
 リインが顔を上げた。それに気づいて、アギトはリインへと向き直る。リインの目から、
涙は止まっていた。唇が動く。アギトを見つめて。
「それは、一緒に生きるためだって、はやてちゃん、言ってました。」
 透き通った声音だった。迷うところの無い静けさは、その言葉への信頼と、そしてその
言葉を彼女に与えた人への信頼に満ちている。リインが自分の胸元を握り締めた。まだ怯
えている手。服に皺が刻み込まれた。
「悲しい気持ちも、うれしい気持ちも、楽しい気持ちも、
 一緒に居れば、一緒に居るだけで、特別になるからって。」
 言葉を続けていくうちに、リインの目の縁に、止まったと思っていた涙が滲み始める。
もう落ちそうなそれを、リインは胸元を握る手に力を込めて、必死に繋ぎとめる。

 リインはそうして、肩を震わせながら、一言を紡いだ。

「一緒に、生きたいから、だって、言ってました。」

 アギトは自分の顔が、困ったような曖昧な笑みを浮かべるのを感じた。
「そっ、か。
 はやてが言いそうなことだよな。」
 脳裏にはやての姿が浮かぶ。甘ったれな家族共に甘やかされて、とろけそうな笑顔を浮
かべたはやてが。そうだ、いつだって目蓋の裏に描き出されるのは、こんな間抜けそうな
顔でいい筈だ。あんな血塗れの姿なんていらない。もっと、沢山の間抜け面でかき消せば
いいんだ。それが出来る。だってまだ、はやては失われてなんかいない。
 アギトはリインの肩に両手を乗せた。
「お前さ、何にも出来なかったなんてことねーよ。
 シャマルが言ってただろ、
 ユニゾンしてなかったら病院に着く前に死んでたって。
 お前がユニゾンしてて、ヤバいと思ったから速攻入れ替わって、
 だからはやての奴は今生きてて、
 それで、帰ってこようって頑張れてんだろ?」
 互いのことが好きで好きで、大好きで仕方ないんだ。それが分かる。だからこそ、自分
を許してやることが出来ないのも、だからこそ、不安になってしまうのも。
 でも、だからこそ、
「それを、お前が信じなくてどうするんだよ。」
 アギトはリインの目を覗き込み、はっきりと強い声を放った。
「お前が、はやては絶対に帰ってくるって、大丈夫だって信じなくて、どうするんだよ!」
 リインの目が見開かれて、拍子に目蓋から涙が一掬零れた。

 ああそうだ、もう何粒でも零してやれ、それはやっぱりきっと流れ星だ。
 たくさん流れたら、きっと一回くらいは成功するさ。
 お願い事を、二人で三回、唱えきってやろうぜ。

「な、お前の、自慢のロードだろ?
 信じろよ。」

 アギトは息を吸うと、静かにその名を紡いだ。

「リイン、フォース。」