食堂の白いテーブルの上に、降り注ぐ陽が眩く木の影を描き出していた。風に合わせて
揺れる影の形は鮮明で、見上げれば窓のすぐ傍に背の低い常緑樹が生えていた。厚く硬そ
うな葉の色は濃い緑をし、冬の日差しをその表面で揺らめかせている。
 冷たい空気を温める、真昼だと言うのに傾いて差し込んでくる冬の日は、外の寒さとは
裏腹にヴィータを熱した。手元に掛かる木漏れ日から辿り、自分の影を振り返ると、周り
に陽炎のように何かが揺らめいていた。日差しに溶ける湯気か何かだろうか。朝、窓を凍
りつかせていた霜はもう流れてしまっていて、硝子は少し汚れたまま乾燥しているばかり
だった。
 食堂には段々と人影が増えてくる。数人で談笑しながら座っている人々が離れたテーブ
ルに何組も座り始める。
 面会時間は午後一時からだ。壁に掛かっている時計を見上げると、時刻はまだ十一時半
だった。ヴィータは視線を切ると、組んだ腕の中に顔を埋め、テーブルに突っ伏した。寝
そべると、窓の高いところから、空の切れ端が見えた。光る空を見上げ、そこに浮かぶ真
っ白い雲の数を数える。風は強くないのか、雲はゆっくりと動き、木々と窓枠の隙間を突
き破り静かに近づいてくるように見えた。空が落ちてくるような錯覚。潰れてなくなって
しまうような、空に溺れてしまう様な、曖昧な。
 光に満ち溢れた外に比べて、食堂の中、病院の中は蛍光灯の朧な灯りだけで薄暗かった。
仄暗い水が、ただひたすら溜まって蟠っている。温度のない水を、鼻から肺に吸い込んで
いる。その中で、微温湯の世界に差し込む木漏れ日は、一条の道のようだった。見つめて
いると、何処かから舞い込んできた小さな埃が、光のステージで身を回し踊る。バレリー
ナより華麗に回転をして、自らの白さを見せつけ、眩い。ヴィータがそっと手を伸ばし捕
まえようとすると、いつの間にか掌をすり抜けて、また舞い上がった。
「ヴィータちゃん。」
 水にそっと、漣が走った。澄んだ声音に、ヴィータはゆっくりと腕の中で首を回し振り
返る。そこには声の通りの人が佇んでいた。青い教導隊のスカートから伸びる足だけが、
光に切り取られている。
「なのは、来たのか。」
 そっけなく呟くと、なのはは微笑みの形に顔を歪めた。長い髪がコートの肩口を滑る。
「うん。」
 なのはは頷くとコートを脱いで、窓際の椅子の背に掛けた。その上から、手にしていた
マフラーを置き、ヴィータの前の椅子に腰掛ける。
「まだ面会はできねーって、シャマルから聞かなかったのか?」
 なのはの行動を目で追っていたヴィータが、テーブルに寝そべったままそう切り出した。
なのはやフェイト達に連絡したのは、結局昨日の夜だった。あの夜からもう三日が経とう
としているが、はやては未だ集中治療室で面会謝絶中だ。
「聞いてるけど、それでも来たかったの。」
 ヴィータは、そっか、と短く返した。ため息みたいな音で。ヴィータはテーブルから身
を起こした。丸みを帯びた頬の輪郭が、僅かに歪む。ヴィータは白いテーブルの上を見つ
めていた。
 なのはは一度自分の手元に目を落とす。ヴィータと出会った頃よりずっと、自分だけが
成長してほっそりと長くなった手を。
「それに、ヴィータちゃんのことも気になったから。」
 そう告げると、なのはは顔を上げた。背もたれに寄りかかるヴィータが、なのはへと視
線を返してくる。
「別に、お前に気にされることなんてねぇって。」
 その顔に、呆れたような笑みが広がる。小ばかにしたような空気は、水泡となって天井
へと逃れていく。ヴィータは穏やかに言葉を繋ぐ。
「本当に、大丈夫なんだ。」
 緩やかな弧に細められた瞳がなのはに向けられる。安楽の気配を孕んだ眼差しを受けて、
なのはの方が薄暗く在った。気遣わしげな表情の奥に、何が隠れているのか分かる。あの
雪の日が在る。ヴィータは目を伏せた。頬に影が、睫の上に光が、コントラストを描き彩
られる。
「今まで、何も知らなかったんだ。
 悲しいとか、辛いとか、そういうのって凄く曖昧だった。
 楽しいとか嬉しいとか感じることもだからなかった。
 プログラムなんだから、夜天の魔導書を守る騎士だから、
 わざわざそんな感情なんて付属されてないんだって、
 そんなことも取り立てて思わなかった。」
 自分が生きてきた時間。長く彷徨った日々は悠久という言葉で象られよう筈なのに、今
というものの前にあっては遠く押し流された彼岸だった。たった10年。瞬きのような時
間が放つ輝きが、全てを遠く押しやりそして塗り替えてくれた。
 記憶がゆっくりと、さまざまな景色を目蓋の裏に映し出す。出会った頃を、一つの別れ
をした日を、どんどん成長していく彼女を見つめて過ごした日々を。かけがえのない、た
った一人の人だった。世界の始まりで、家族の中心で。煌くように過ごした子供の頃が、
懸命に生きてきた10年が褪せることなく、見える。
 本当に守りたかった人。記憶が静かに、幾枚かのシーンを再生する。あの血に染まった
雪の日を、自身の胸部を刺し貫いた凶刃を、本当に守りたかった人が倒れている姿を。
「あたしはまた、守れなかった。
 お前のことがあって、ゆりかごのことがあって。
 はやてが主になってから、すごくいろんなことがあって、
 もっとずっと、変われてると思ってたのに。
 多分、そうじゃなかったんだ。」
 ヴィータは掌を開いた。窪んだ掌の真ん中に、木の葉の影が揺れる。ヴィータは指を折
り曲げていくと、それを握り締めた。
「あたしは強くなれなかったんだ。
 お前のことも、はやてのことも守れない、最低な騎士だ。
 騎士失格かも知れないって、思う。
 でも、」
 ヴィータが顔を上げた。真っ直ぐになのはを見つめた。青い瞳の縁に、僅かに光を滲ま
せて、それでも背筋を伸ばして物怖じすることもなく起立して。そうして、言葉をその口
から解き放つ。
「信じて待ってることが出来るんだ。
 悲しいとか辛いとか、全部ちゃんと感じて、受け止めることが出来るんだ。
 そんでいつか、はやてが帰ってくるのを、笑顔で迎えられるんだ。
 今、あたしがはやてにしてやれることって、なんもないけど、だけど。」
 唇が泣きそうに歪んだ。震えている。だけど、溢れそうな涙は決して流れ落ちない。泣
き顔と見間違いそうな笑顔を浮かべて、ヴィータは言う。
「はやてと、もっと、一緒に生きていきたいから。
 だから、あたしは、大丈夫なんだ。」
 意固地になって沸き起こした笑みが煌く。なのはははっきりと頷いた。
「うん、そうだね。」
 シャマルから容態は聞いている。回復の難しさや、現在施している治療の難点もシャマ
ルは説明してくれた。奇跡に縋るような、一縷の希望。掴めるかどうかも知れない、朧な。
それでもなのはは、微笑んで言った。
「私も、もっとはやてちゃんと生きたい。」
 ヴィータがくしゃくしゃな顔で笑った。
 二人の座るテーブルの上には、窓から零れる光が幾筋もの橋となって降り注いでいた。