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「はやてちゃんに会えるのが明後日だなんて、信じられないです。」
 リインはそう呟くと、脱力していた肩を更に落とした。もうこれ以上はないであろう落
ち込み具合に、シグナムは買い物袋を持ち直しながら肩をすくめる。
「まあ、そういうな。
 皆、いち早く主に会いたいという気持ちは同じだ。」
 時刻は十一時半過ぎ。透き通る紗のように光が降り注いでいる。冬を織り込んだ柔らか
い昼の空気が通りを過ぎっていく。
「それはそうですけど。」
 街路樹の椿が零す濃い緑を、リインの不満が揺らした。唇を尖らせたリインは、シグナ
ムの頭上よりも少し高く舞い上がり、眩しさに目を細める。
「明後日までなんて、待ちきれないです。」
 深くから湧き出た密やかな音色がさざめいた。頭上を仰げば、淡い快晴の空が広がって
いた。シグナムはその秘めやかな音の破片を握り締める。
「ああ、そうだな。」
 その身のうちに、はやての命が零れていくのを聞いたリインフォース。その指の隙間を
すり抜けていった感触を今でも忘れられないのだろう、唇を結んだリインの指先が自分の
脇腹に触れる。あの日から、リインが時折見せる仕草。きっともう、体に染み付いて、癖
になって、ずっと消えないのだろう。
 リインの双眸は、道の先を映していた。家に続く帰り道。
「早く、はやてちゃんに会いたいです。」
 朝、雨に濡れていたアスファルトは街路樹の日陰にだけ黒い影を残して、乾いてしまっ
ている。踏みしめる足が作り出したあの煌きの代わりに輝くのは、リインが広げる髪の透
明。
「そうだな。」
 シグナムが頷いた。リインが振り返ると、長い髪が風に踊った。淡く笑みを浮かべるリ
イン。その青い目の縁に滲む流線型の純粋。微かな雨の一滴。でも、快晴の空の下、雨は
降らない。
「いっぱいはやてちゃんとお話して、
 いっぱいはやてちゃんと楽しいことをして、
 いっぱい、いーっぱい、はやてちゃんと一緒に居たいです。」
 シグナムはだから、笑みだけを返す。穏やかな眼差しで。
「ああ、そうだな。」
 お昼の材料を二人で買った帰り道。家から歩いて十五分のスーパーからの道のりは、そ
ろそろ半ばにさしかかろうとしていた。中央に白線も引かれておらず、車もほとんど通ら
ない住宅と数軒の小さな商店が居並ぶ道を行きかう人の足取りはどこか落ち着いている。
 暖かい、いい日だった。まだ風が冷たいが、室内で、陽の当たる場所で丸くなればそれ
だけで気持ちよくまどろめるだろう。ヴィータやザフィーラが心配した雪の気配はない。
交通機関が麻痺したという話もない。シグナム達の足取りが自然とゆるやかになるように、
今日も毎日はなめらかに流れている。
「今頃、ヴィータちゃん達はきっと暇してるですねー。
 面会時間は午後一時からだっていうのに、朝九時に家を出るなんて。
 うちから病院まで三十分で着いちゃうですよ?」
 リインが鈴のように笑う。風に乗るように滑り出て、身を翻して。シグナムが破顔する。
「まったくだ。
 四時間も一体、どうするつもりなんだろうな。」
 仕方ない奴らだ、と漏らすシグナムの脇を、老齢の男性が走らせる自転車が通り過ぎて
行った。歩くのよりは速く、それでも他の自転車に比べればずっとゆっくり進む彼の背に
も、熱く冬の日差しが注がれている。横道からは犬を連れたおばさんが歩いてきて、彼と
すれ違っていく。歳若い犬は自転車に興味を示して振り返り、でもすぐに跳ねるように道
に戻る。
「ヴィータちゃんは絶対、そわそわそわそわしてるですよ。
 ザフィーラは椅子に座ったまま、置物みたいになってると思うです。」
 リインが言葉の調子に合せながら、舞い上がったり舞い降りたり、空中を跳ね回る。明
後日では不満。だけど、はやてに会えるという事実は例えようもなくうれしいのだろう。
「でも、アギトがあんなこと言い出すなんて、
 ちょっとびっくりだったです。」
 その足取りが止まって、リインは後ろで手を重ねた。
「あんなこと?」
 シグナムが歩いてリインに追いつくと、リインはシグナムと同じ速度で進みだした。シ
グナムの肩の辺りで、同じ目線の高さになって。
「何処に居たってはやてちゃんを待ってる気持ちは一緒なんだから、
 安心させられるように、
 自分達に出来ることをしてよう、って。」
 ああ、あれか、と頷いてシグナムは昨晩のことを思い出した。全員が集まったリビング
で、全員に向かってアギトが放った言葉。あまり多くを語るのが得手とは言えないアギト
がはっきりと語った意志。
「アギトって、最初はやてちゃんのことを、
 部隊長だとか二等陸佐だとか、役職名で呼んでたじゃないですか。」
 カーブミラーを仰ぎ見て、車が来ていないことを確認しつつ、突き当りを左に曲がる。
民家の塀と、小さなアパートが並ぶ道の入り口。ここをしばらくまっすぐ進んで、左に曲
がって角から四軒目の南向きの家まで、あと五分もかからないだろう。
「そんなことも在ったな。
 いつのまにか、はやて、とあろうことか呼び捨てにするようになっていたのには、
 いささか驚かされたが。」
 シグナムは六課が解散して家に来てからのアギトを思い起こす。六課隊舎に居た頃は、
部隊長や陸佐等とシフトに関わらず呼んでもおかしくはなかったが、まさか家で陸佐なん
て呼ぶのは流石にどうだろうか、等と密かに悩んでいた。家長だなんて呼ぶのはもっと可
笑しい、なんて頭を捻らせて、結局しばらく、おいとか、なあ、とか呼びかけてるだけだ
ったりもしたアギトは、変なところで律儀だと、はやてはたまに面白そうに笑っていたけ
れど。
「あれ、はやてちゃんが呼び捨てでも良いって言ったんですよ。
 この家に居るのはみんな家族で、
 アギトと私も一緒にこの家に住んでる家族なんだから、
 好きに呼べばいいんだ、って。」
 アギトが意を決して、はやてに何と呼べばいいか自ら聞いたのか、それとも見るに見か
ねてはやてが好きに呼んだらいいと言ったのか、そのどちらなのかはその場に居合わせな
かったシグナムには分からないことだが、取り立てて聞き返そうとは思わなかった。どち
らにしても、はやての見せた笑顔は一緒だろうと思う。純真と当然のことを答えるときの
率直さとやさしさで、あの包み込むような笑みで答えたに決まっている。
 シグナムはあの笑顔を目蓋の裏に描く。目を閉じれば草花やアスファルト、空の色や自
分の姿が消えて、光に包まれる。光の世界に立っている。
「私と家族になるのが嫌なら、元部隊長とか特別捜査官とか呼んだらいいけど、
 なんて笑ってましたけど。」
 そこに流れるリインの声。重なるように聞こえるのは、世の中を賑わすたくさんの生き
物の息吹。冬にあって息を潜めているようだけれど、はっきりとその存在を肌に伝えてく
る。
 あの笑顔がこの中で、共に在ればいいと思う。誰にも傷つけられず、何者にも脅かされ
ず。ただ、この光の中にいてくれればいいと思う。
「それから三日くらいしてからですね、
 アギトがはやてちゃんのことを、はやてって呼ぶようになったのは。」
 シグナムは目を開いた。
 押し上げた目蓋、あらゆる色彩がそこから飛び込んでくる。すぐ右手にある途切れかけ
の街灯は、透明な筈の灯を覆うカバーが焦げた色をしていて、昼間でもそれと分かる。そ
の脇を通り過ぎ、一個目の角を左に曲がると、角から四軒目に家が見えた。
「はう、お腹空いたです。」
 不意に角の家から漂ってきた昼食の匂いに、リインがお腹を押さえた。
「もう着いたんだ、昼食が出来るまで我慢しろ。」
 そう返すうちにも、二人は家の前にさしかかろうとしていた。落ち葉を片付けようと思
っていたのに、気が回らなくてほったらかしにされている庭を見て、シグナムは午後にで
も片付けようと考えた。
「あ、アギト。」
 庭木越しに見えるリビング、その開け放たれた大きな窓で、風に合せてレースのカーテ
ンが膨らんで揺れていた。その間から顔を出した一つの影をリインは見ていた。アギトだ。
空を見上げていたアギトはすぐにこちらに気づくと、リインを認めて眉を歪めた。そして、
即座に窓を閉めにかかる。これ見よがしに窓を閉めていくアギトに、リインは頬を膨らま
せるとそちらに向かって飛び出した。
「むぅ、アギト待つですー!」
 声を掛ける間もなく行ってしまったリインに、シグナムは呆れて笑った。
 そうして、門の前に立ち、家を眺める。
 途切れかけの街灯を通り過ぎ、一個目の角を左に曲がって、角から4つ目の南向きの家。
表札には漢字で八神。芝生の庭、その左手側に玄関は据えられていて、リビングは庭に面
している。大きな窓は半ばまで閉められていて、そこでは小さい二人が喧嘩している。い
つも通りの軽い言い争い。
 シグナムは鉄製の門に手をかけた。凍り付いているかのような冷たさに、背筋があわ立
つ。眩しい光に晒されてもなお凍りつく門にはまだ、今朝の寒さが残っていた。
「私達は、主はやての何なのか、か。」
 シグナムは門を握り締めると、強く言い放った。
「私達は主はやての、家族だ。」
 蝶番の甲高い音と共に、シグナムは家の門をくぐった。