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 無機質の真四角、潔癖の空間。空気の動きすら感じない、全てが止まった場所に存在す
る不和、違和感。目の前のベッドに横たわるのは、ここに存在する唯一のリアル。
「はやてちゃん。」
 初めて現れたぬくもりは、白いシーツの上に落ちた。
 目を閉じて横たわるはやての頬は、想像よりも蒼白だった。規則正しく上下する胸、合
わされた睫、目蓋は呼びかけに震えることもなく閉ざされている。ベッドサイドに吊るさ
れた点滴は緩慢に水滴を注ぎ、それははやての右手に続く管へと流れていく。透明な管は
ガーゼとテープの下で、腕の中に入り込んでいるのだろう。はやての命を繋いでいる無機
質。集中治療室に並べられた沢山の機器類は、音もなく佇んでいる。金属と有機物と魔導
で構成された物体。
 得体の知れない物達に囲まれて、ここだけ世界から隔絶されているようだった。日常と
の不連続点。存在認識の特異点。
「ちょっと、痩せたな。」
 たまにおいしいものを食べに行こうと皆を連れ出して、帰ってきて体重計に乗ってみれ
ば、やってしまったと叫んでいたあの日が遠い。体重落とすからと言って皆を巻き添えに
食事を減らしてみて、なのに一日でヴィータとリインの物憂げな眼差しにやっぱりやめた
と投げ出した日が色褪せて行く。目の前で、鮮やかさすら感じさせて。
 リインが靴を脱いで、ベッドの上に降り立った。顔の傍に立って、寝ているせいで少し
乱れたはやての髪に手を伸ばす。黒髪が手の中を滑る。
「精神リンクって、繋がらないのか?
 はやてに、呼びかけたりとか。
 声、聞けたりとか、なんでも。」
 アギトが降らせた問いかけに、リインははやての顔を見つめた。髪に手櫛を通してやり
ながら、首を振る。
「リインは夜天の魔導書の騎士じゃないです。
 だから、精神リンクは元からしてないです。
 それにヴィータちゃんもシグナムも、みんな、
 精神リンクは切れてて繋がらないって言ってました。」
 そうか、と呟くとアギトは押し黙った。夜天の魔導書の主と、その守護騎士ヴォルケン
リッターの間に横たわる一つの繋がり。どんな妨害にも決して途絶しないと胸を張られて
いたものが今、断ち切られている。
 ここには何もない。自分達は見知らぬ時空間に迷い込んだんだ。淀みなく続いていた筈
のものは、切り裂かれてしまった。たった一つのナイフに。
 人間の悪意に。
 あれは対魔導師用に特化したナイフだった。人を殺すためだけのもの。魔導師は攻撃行
動に対して防御壁を自動展開するよう設定している場合が往々にしてある上、ほぼ例外な
くバリアジャケットを着用している。そのため、単純な物理攻撃はまず間違いなく通らな
い。
 だがあのナイフは標的魔導師の魔力波長に偽装して、自動展開の防御壁に引っかからな
いように出来、また高いフィールド魔法破壊能力を持っていた。魚を捌くのにそんな能力
は要らない。魔導師を殺すため、それだけのために存在している。刃渡りは27センチメ
ートル。左の脇腹から突き上げるように貫いた刃は突き刺されただけでなく、内臓を引っ
掻き回して破壊した。もう、どんな外科的手術でも治せないくらいに。
 あの男は、はやてを殺すつもりで刺したんだ。
 アギトは拳を握り締め、唇を噛んだ。はやては質量兵器で、誰かの金儲けのために傷つ
けられる人を守ろうとしたんだ。大量に兵器を売り払って、そこでどれだけ人が血を流し
ているかなんてものに目もくれず、己の利益だけを追い求める、金なんていうものを求め
る奴のせいで、勝手に削らされる人の命を守ろうとしたんだ。
 それがなんで、こうやって傷つけられなきゃならないんだ。どうして、こんなに痩せて、
蒼白な顔で、目を覚ますことも起き上がることもしゃべることも出来ないようにされて、
命の境をさ迷わなければならないんだ。
 こんなのはおかしい。どうして、こんな人間なんか守る価値があるんだ。
 どうしてこんな簡単に、人を殺せる奴がいるんだ。
 シグナムの紺碧の双眸がアギトの脳裏を過ぎる。厳然とアギトの前に立ちはだかり、決
然と言い放った力。
 大切な人の気持ちや意志というものまで守れてこそ、本当に、守るということなんだ。
 アギトは問わずには居られない。なあ、シグナム。本当にそうなのか。お前は昨日、は
やてに会った筈だ。お前はそのとき、このはやての顔を見て、こんなに沢山の機材の中で、
管を何本も繋がれて寝ているはやてを見ても、本当にそう思えたのか。憎くはないのか。
こんなに簡単に人を殺せる奴らがいる世界を、お前は本当に、許せるって思えるのか。守
ろうって思えるのか。
「はやてちゃん、髪伸びたですね。」
 リインがはやての額に掛かる髪を払いながら言った。いつの間にか、はやての頭の傍に
立っているリインは、微笑さえ浮かべながら髪の一房を手に取る。
「前髪なんて、目に入っちゃいそうです。」
 枕の上に流れるはやての髪に目を向けて、アギトは微かに目を見開いた。寝癖で気づか
なかったが、髪はいつの間にか肩にかかりそうな程に伸びていた。
「そういえば、そろそろ髪切りに行きたいとか言ってたしな。
 長くなってるわけだよな。」
 ぽつりと呟くと、リインがアギトを振り仰いだ。そうして、軽く手招きをする。はやて
のところに降りて来いと言っている。アギトは僅かに逡巡し、ベッドに降り立った。すぐ
手を伸ばせば触れられるところに、はやてが居る。
 リインはアギトを見ると、快活な声を放った。
「なにか、お話するです。」
 唐突な提案に、アギトは口を開けた。アギトの珍しい間抜けな顔にリインは、何ですか、
その顔、と呆れた。
「いや、だってお前が突然、話しようなんて言い出すから。」
 困惑した様子でアギトが言う。リインははやての額に触れながら、仄かに笑った。
「精神リンクとかは確かに切れちゃってますけど、
 こうやってしゃべってるのって、聞こえてるらしいですよ。」
 アギトは目を閉じるはやてを振り返った。目蓋の少しも動かず、身じろぎ一つせず、ま
るで置物のように見えるはやて。動いているのは呼吸に合わせて上下する胸くらいだ。
「ほんとかよ。
 それ、誰が言ってたんだよ。」
 シャットダウンされた演算機が外部からの情報を受け付けないように、昏睡状態にある
というはやてもまた、外部からの刺激を受け付けているようには思えなかった。ずっと、
閉じたまま、こちらには向かない。声は聞こえない、聞けない。
「それは、忘れちゃいましたけど。」
 言い難そうにリインが濁すと、アギトは付き合っていられないとばかりに顔を背けた。
真っ白い天井に嵌った蛍光灯はまだ点けられておらず、窓から差し込む光とコントラスト
して僅かに暗く。
「でも、聞こえてるって、思うです。
 はやてちゃんは今にも目を覚まして、あれここどこ?って、
 きょろきょろ周りを見渡して言うんです。」
 リインの思い描いている景色、それはアギトの脳裏にも同じように鮮明に流れた。睫を
震わせて、目蓋をゆっくりと押し上げていって。そこから覗く黒い瞳に自分達が映りこん
でいる。はやては目を数度瞬くと、頭をぼんやりと左右に巡らせて、この部屋と自分達と
を見比べて、あれ、ここどこ?って寝ぼけた声で言う。
 そんな夢を見ることは出来る、でも、
「だから、絶対聞こえてます。」
 それはただの夢だ。
 アギトは、決然と起立しまっすぐな眼差しを向けてくるリインに、表情を曇らせるしか
ない。そんなにすぐに目が覚めるなんて思えない。会って、顔を見るまではもう今日にで
も目を覚ますんじゃないかって夢想出来た。でも、現実は違う。そんなに簡単にはいかな
い。夢で思い描いたとおりになんかいかない、だから。
「なんで、そんな顔してるですか、アギト。」
 リインが表情を緩めた。緊張を解いて、そこに笑みを広げる。
「信じろって言ったのは、アギトですよ。」
 アギトはただ立ち尽くした。リインはそんなアギトを見て、もっと可笑しそうに頬を綻
ばせる。まだ遠い春、でもそこに、花を咲かせて。
「だから、なにかお話して、はやてちゃんに聞かせてあげるです。
 とりあえず、アイス塗れ事件簿から話しますですか?」
 リインがアギトを見つめ、小首を傾げる。いつもよりも明るい仕草。花やかな表情。ア
ギトは唇を引き結ぶと、リインに背を向けて枕に座り込んだ。腕を組み、足を交差させて
偉そうにして、済ました声で返事をする。
「けっ、くっだらねー話題。
 だーれがお前がアイスと融合して床をべったべたにした話なんて聞きたがるんだよ。
 もうちょっとましなこと言えよな。」
 不機嫌に投げつけると、リインが「むう、あれはアギトがからかうから、あんなことに
なったんです!」と声を張った。アギトはキンキンうるせーよ、と煩わしげに手を振った。
 そうやって、リインと言葉を交わしながら、アギトははやての閉ざされた横顔を眺める。
相変わらずまるで反応を示さない横顔。声の破片も聞けない。はやてをこんな風にしたの
は、人間だ。はやてが信じていた、守ろうとしていた人間。
「だいたい、アギトはらんぼー者過ぎるです!
 それにその服装のセンスも、今時どーかと思うです!」 
 シグナム、お前の言うことはまだ納得できない。
「てっめ!
 今、あたしの服装はかんけーねーだろ!
 なにどさくさに紛れて人のセンス否定してんだよ!」
 でも、はやてが目を覚ますのを、待っている。
「センスがないのをセンスがないって言って何が悪いですかー。」
「んだとこらぁ!」
 お前の正しさが証明されるのを、待っている。