息を切らせてシグナムが病院に飛び込んだ時には既に全員が揃っていた。処置室の傍に
ある待合所で、ソファに座り込んでいるヴィータの顔は蒼白だった。その隣にはリインと
アギトが立ち尽くし、ザフィーラが壁に背を預けて立ったまま床を睥睨していた。シャマ
ルはずっと窓を眺めている。
 嘘だ。シグナムは声を上げて叫びだしたかった。だが、近づけば近づくほどに見えてく
る皆の表情が、そこに蟠る気配が全てを現実だと肯定する。さっきの通信でザフィーラが
告げたことこそが、紛れもない事実だと声高に叫んでいる。だからシグナムは、それを掻
き消すように怒鳴った。
「主はやてはどうなったんだ!」
 その声に、ザフィーラは一瞥をくれ、アギトはシグナムを見上げ、シャマルが振り返っ
た。シャマルの横顔に、窓の外に生える木の作る葉陰が落ちている。シャマルは静かに答
えた。
「今、処置中よ。」
 色のない声音に、シグナムは息を呑んだ。駆けてきた為に乱れた姿もそのままに、シグ
ナムはシャマルの肩を掴んだ。
「経過は良いと言っていたじゃないか!
 それが、どうしてこんなことに!」
 引き千切る様な強い力で掴まれて、シャマルは顔を顰めた。しかしシグナムは力を緩め
ることなく、シャマルを見つめ続ける。そうしていれば、シャマルが首を横に振るのでは
ないかと期待してでもいるかのように。はやての面会謝絶が解かれたのは、つい三日前だ。
だから、これは性質の悪い冗談か何かだと、シグナムの眼差しは一縷の望みに縋るように、
突きつけられた事実を跳ね除けるように存在している。現実は違うのに。
「あなたの言う通り、はやてちゃんの回復は順調だったわ。
 順調だったらからこそ、今、はやてちゃんは危篤なのよ。」
 吐き出された危篤という言葉に、シグナムは怯んだ。荒れた息の為に赤くなっていた顔
が、だんだんと色を失ってきている。シグナムの手が震えていた。それでもシャマルは、
続けた。
「回復したリンカーコアに魔導で作られた人工臓器の働きが阻害されているの。
 最悪、破壊される可能性も考えられるわ。」
 シグナムの手が跳ねて、力が抜けた。肩に置かれただけになった手に気づきながら、シ
ャマルは青白いシグナムを見た。側面にある窓に横顔だけが照らし出されて、シグナムは
一枚の薄い影だった。
 臓器が破壊される。その事実が指すものは一つしかない。たった、一つきりしか。
「どうにか、ならないのか。」
 ほとんど息のような、か細い音がシグナムの唇の隙間から漏れた。アギトから見れば向
かい合う二人はただのシルエットで、透ける髪の色と、玉を嵌め込んだ様なそれぞれの瞳
だけが色を散らせていた。シャマルは言う。他の皆に告げたのと同じ言葉を。
「破壊されずこのままの状態が続けば、
 そのうち体力の低下と共にまたリンカーコアの能力が落ちるわ。
 そうすればある程度回復が見込めるでしょうね。」
 シャマルの口元が、優しさではなく緩む。どうしようもない事実を伝えるためだけに。
「でもそれだけよ。
 それ以上良くは絶対にならないわ。」
 シグナムの目が瞬きを忘れていた。動きを止めて、ただその姿の中にシャマルの言葉を、
揺ぎ無い事実を結晶させて固まっていく。
「それを繰り返しているうちは確かに、まだ大丈夫とも言えるけれど、
 そう何度も繰り返せないというのはわかるでしょ?」
 緩慢な時の中で、シグナムの両眼に雫が溢れようと滲み出していた。シグナムの口が、
惰性で音を発する。
「臓器の、移植とかは。」
 シグナムの考えうる、最後の方法。
 シャマルは穏やかに告げた。優しさすら感じさせる声音で。少し小首すら傾げて優しく。
「それをするのなら、あの刺された日でなければいけなかったのよ。
 今手術をしたら、そのショックだけで死んでしまうわ。」
 嘘だ。
 シグナムの頭蓋を、脳幹を、体躯をその言葉だけが貫いた。そんなのは嘘に決まってい
る。誰が死ぬっていうんだ。この世の一体、誰が死ぬっていうんだ。主はやては回復に向
かっていた筈だ。まだ血色の悪い顔をして居られたが、確かに呼吸をして、鼓動を重ねて、
生きていたじゃないか。握れば手は温かかった。もっと時間は掛かっても、必ず目を覚ま
す筈じゃないか、嘘だこんなのは。性質の悪い嘘だ。嘘だ。
「今、この技術は日々進歩しているわ。
 機能置換を出来るだけの安定性を手に入れる日も、そう遠くはないでしょうね。
 でもそれは、今日明日の話じゃない。
 何年も未来の話よ。」
 シャマルの言葉が淀みなく流れていく。誰も聞かない無意味なテープのように。
「せめて十分な魔力を、安定に使えればよかったのにね。」
 そうしてシャマルが紡ぐ、祈りも願いも途絶える瞬間は、滑らかな刃の上で、まるで自
然に訪れた。
「手の施しようは、もうないのよ。」
 シグナムの両手がシャマルの肩から落ちた。
 横手からすすり泣く声が聞こえて、シグナムは目をそちらに向ける。椅子に座って、膝
の上で服を握り締めているヴィータの手の甲で水滴が弾けた。ヴィータが泣いていた。し
ゃくりを上げながら、涙をいくつも零して。
「ほんとさ、うそ、みたいだよな。
 こんなに早いなんて、うそだよ、」
 嗚咽と共に息を大きく吸って、ヴィータが声を詰まらせる。シグナムはそれを見て恐怖
に顔を歪めた。ヴィータがここで涙を止めてくれればまだ信じられる、妄信できる。これ
は嘘だと、寝覚めの悪い自分が見ている性質の悪い夢だと信じられるんだ。だから、やめ
てくれヴィータ。それ以上言わないでくれ、泣かないでくれ。
 これは嘘なんだ。これは、これは―――――
 くしゃくしゃに顔を潰して、ヴィータが涙を振り絞った。
「こんなの、うそだよぉ・・・・っ!」
 嘆きが、シグナムの幻想を打ち砕いた。