私がその世界を、少しも汚さずにいられるなら。 残照 夢を見た。 多分、原因は分かっている。それは、この前受けた任務の時に見た光景のせいだ。検 挙したのは、ロストロギアを不正に取り引きしている団体だった。彼らは手広くいろん なものを売りさばいては巨額を得ており、犯罪組織としてかなり大きな規模を有してい た。その関連施設の一斉摘発に、はやても加わっていた。守護騎士達も居た。 はやてが回されたのは、ことさら大きな倉庫だか工場風のうらびれた建物だった。ロ ストロギアを実際にまとめて置いているところで、一斉摘発の要とも言える場所だった。 そこで見たものが、多分、夢の原因。 一人の、気が狂った男を見た。 彼は魔導師だった。登録もされていて、ランクは陸戦A。登録当時の写真は、精悍な 青年の顔つきをしていた。でも、はやてが見たのは違った。 痩せこけた頬に、合わない焦点。頭髪も髭も乱れていて、会話も出来ないくらいだっ た。狂っているという他に、なんて形容すればいいのか分からなかった。彼は、魔法を 照準を合わせるでなく四方八方に放った。殺傷非殺傷入り乱れていて、すぐにその場は 火の海に変った。彼は魔法を制御出来なかった。デバイスは破損し、砲身代わりにして いた左腕は肉が裂けて血が吹き出していた。焦げても居たと思う。始終、建物が焼ける 匂いに混じって、そういう匂いが垂れ込めていた。あれから、はやては肉というものが 食べられない。 その施設は、ロストロギアを保管して置く為だけでなく、その能力を試すための、実 験施設としても機能していた。彼はその被験者だった。どんなロストロギアの影響であ あなったのかは知らない。それはもう売られて居たのかもしれないし、あの炎で燃えた のかも知れない。焼け残っているのかもしれない。はやては知らない。知りたくない。 はやては彼を魔法で拘束することに尽力した。たとえAランクといえど、限界を超え て魔法を解き放てば、その出力は相当の物となる。並みの局員には任せられなかった。 はやては暴れるその男を幾重ものバインドと結界に閉じ込めた。消火作業とかは他の局 員に一切任せていた。はやてには、その男のことしか見えなかった。 男は、焦点の合わない目で、ずっと、泣いていた。 閉まり切らない口からは唾液が流れていて、炎を浴びて存在を主張していた。それは 狂気の象徴の様で、はやては彼を目にしたまま動かなかった。全てが終わるまで。 彼がたとえ、何度、しなせてくれと呟いても。 彼は法の庇護の下に居るべきだから、勝手に命を奪うことなど出来なかった。法が彼 を守るとも限らなかったけれど。 あれは、未来の自分の姿だと、そのとき思った。 「なんて、感傷が過ぎるん、かな。」 はやては窓から外を見上げて、一人呟いた。晴れ渡った眩しい空で、真っ白い雲から すら光が差し込むようだった。常なら冷たいはずのフローリングは、窓の形に切り取ら れていて、そこに投げ出した足だけが温かい。少し汗が浮くくらいの日和。 目の前には、机から抜き取られた引き出しが並んでいた。子供みたいにお尻をついて 座って、開いた足の間に引き出しを二つ並べている。消しゴムとかボールペンばかりが やたらと入った一方は概ね片付いているが、主に紙類を入れていた方はまだ手付かずだ った。はやての脇には燃えるゴミの袋が構えていて、先ほどから要らないと判定を下さ れたものが押し込まれている。実際、要らないものばかりだった。期限が切れた美容院 のポイントカードだとか、何処にあるのかも忘れたCD屋のスタンプカードだとか、5 センチも無いような鉛筆だとか。そういったものばっかりが出てくる。引き出し丸ごと がデットスペースだったみたいだ。 こうしてみると、部屋の片付けなんて本当にろくにしていなかったんだなということ が傍目にもわかるな、とはやては内省した。まあ、そのことについて文句を言うのは、 リインフォースくらいのものだったけれど。 はやては紙の束が入った方に手をつけた。いつからほったらかしにしているのか、今 いち良く分からない。ミッドチルダに引っ越してきてからずっと、というわけはないか ら、長くて1、2年というところだろうか。黄ばんだ紙が、光を反射して目を焼いた。 こっちの引き出しの中も、やっぱり要らないものばかりだった。さっき捨てたのと同 じ店の、これまた期限の切れたスタンプカードが出てくるし、紙の束も結局は仕様もな いファックスの切れ端だったり、何年前のか分からない近所の家電屋の広告だったりし た。 手紙とか、封筒とか、そういうものの一つでも出てくればいいのに、どうでもいいも のしか本当に入っていなかった。殆ど開け閉めしていなかった筈なのに、引き出しの隅 には埃が溜まっている。 はやては立ち上がって引き出しを持ち上げると、ゴミ袋を引き寄せて、中身を全部空 けた。日差しの中で、ゴミもゴミ袋も、妙に眩しかった。