残照






 フェイトと棚が並ぶと、棚が小さくなったように感じるから不思議だ。
「はやてちゃんとは頭一個分違うですからねー。」
 愉快そうにそう言ったのは、棚の更に上を飛んでいるリインだった。15センチメー
トルしか背が無いくせに、人を見下ろしていい気なものだ。はやては、「ちぇー。」と
口をへの字に曲げると、フェイトを振り仰いだ。
「じゃあ、片付けちゃおうか。
 まずは倒しちゃわないとね。」
 眉を少し垂らした、何処となく頼りない笑顔は、フェイトが拗ねた様子を見せたはや
てを宥めようとするときの、お決まりの表情だ。はやては曲げていた口を緩めると、上
着をデスクの上に脱ぎ捨てた。
「そうやね、頑張ってちゃちゃっと片付けたろっか。」
 シャツの袖のボタンを外し、くしゃくしゃに捲くった。晒した細い腕を、準備運動と
ばかりにぐるぐる回すと、棚を両手でしっかりと掴む。棚の反対側、窓際で、同じよう
にフェイトが棚を掴んだのを確認すると、はやてとフェイトは顔を見合わせて、タイミ
ングを揃えた。
「じゃあ、ゆっくり倒すで。
 せーのっ!」
 棚の上段を力いっぱい引っ張ると、平行を崩した棚はゆっくりと二人のほうへ倒れ掛
かってきた。それを、腕を突っ張り、自分たちが押し潰されないように支えながら、床
へと横たえていく。
「重・・・っ。」
 はやてが顔を真っ赤にしながら呟いた。スカートなのに足を開いてしまうくらい、渾
身の力を発揮して棚を支える。
「はやてちゃん、頑張るです!」
 リインが慌てて助けに入りながら、声援を投げかけた。フェイトも息を詰めている。
金属製でも、鉄ではなくてもっと軽いアルミとかで作ってくれれば良い物を、と頭の中
で誰に向けてでもない悪態を回転させつつ、はやては歯を食いしばり、腰に力を込めて、
棚を静かに床へと下ろしきる。手を離すと、はあ、と深くため息が出た。
「こら、リインと二人やったら、
 明日、変死体として発見されとったな。」
 真っ赤になって、しびれた両手を見下ろしながら、はやてはしみじみと呟いた。
「すっごく重たかったもんね。」
 フェイトが手を握ったり開いたりしながら、デスクの上に置かれた六角レンチを二本
取った。組み立て式のこの棚は、各段がボルトで固定されている。全六段と天板を外し
てやり、完全にただの鉄板に変えてからゴミ置き場に持っていこうという計画だ。
「はい、はやて。」
 フェイトがレンチの片方をはやてに向かって差し出す。はやての目は、フェイトの手
を一瞥した。でもそのまま逸れて、棚が立っていたほうに向く。
「お?」
 そうして、はやては妙な声を上げると、倒れた棚を跨ぎ越えて、その足元の方へ歩い
ていった。フェイトが、差し出した筈のレンチを下げ、はやての背中を見つめる。はや
ては棚が長年鎮座していたために溜まった分厚い埃を見下ろすと、身を屈め、その中に
指を伸ばす。はやての人差し指と親指が埃の中から掴み上げたのは、細長い金属のカー
ドみたいなものだった。
「無くした思ってたしおりやん、これ。」
 上のところに結ばれた紐を持ち、はやてが埃を手で払う。埃の塊を取りきると、はや
ては息を吹きかけて残りを飛ばした。白く細かな塵が舞う。手で擦ると、金属が光沢を
取り戻す。
「綺麗なしおりだね。」
 しおりは切抜きでなにやら絵が描かれているようだった。はやてが裏にひっくり返し
たりする度に、光がちらちらと目に反射して入ってくる。精緻な細工がされているよう
だったが、フェイトからは良く見えなかった。
「はやて、それ、」
 見せて、と言いかけて手を出すのと同時、はやては自分の肩の辺りを飛んでいたリイ
ンにしおりを渡した。
「どっか置いといてくれる?」
 はいです、とリインが明るく答えた。フェイトは空を掻いてしまった手を、そのまま
頬に持ってくると指で弄くった。その前を、リインがしおりを抱えながらご機嫌な様子
で通りかかる。
「あ、見るですか?」
 無意識のうちに、フェイトはしおりを目で追っていたらしい。それに気づいたリイン
が、フェイトの前で止まって、しおりを手渡してくれた。フェイトは受け取ると、少し
くすんでしまっているしおりを見つめた。しおりには、太陽と、月と星が抽象的に描か
れていた。細い切込みが幾筋も刻まれていて、その精巧さにフェイトは目を見張った。
「これ、どうしたの?」
 裏に返して見たりしながら、フェイトが尋ねる。リインは悩む仕草を見せつつ、はや
てを振り返った。
「えっと、どこかの雑貨屋さんで買ったとかでしたよね?」
 はやては微笑んだまま、佇んでいた。フェイトの手の中にあるしおりを見つめて。傾
きだした太陽の光が、はやての姿を照らし出し、背後の壁に黒く長い影を色づけていた。
「そうやよ。
 しおりのくせに、ちょお値段張ったんやで。
 お気に入りやったんに、無くしてすっごくへこんでたん。」
 見つかってよかった、とはやては零した。フェイトは聞きながら、しおりを光のほう
に翳した。黄色く染まりだした陽光が、しおりの表面で照り映え目を灼いた。切抜きの
隙間、描かれた太陽はそうすると本物みたいで、フェイトは角度を変えながら、綺麗に
見えるところを探す。細い彫りこみに詰まっている影、その傍を通り抜ける眩い光の織
り成す対比が、指先一つで姿を変えていく。
「そんなに気に入ったんなら、あげようか?」
 はやての笑い声に、フェイトが弾かれたように振り返った。
「え、いや、いいよ。
 だって、はやてのお気に入りなんでしょ?」
 慌ててはやてに返そうと差し出したが、はやての手は下に落ちたまま動かなかった。
首を振ると、べっこうのような色をした髪が滑る。
「ええって。
 こんなところに落としちゃうような私が持ってるより、
 フェイトちゃんの方が大切にしてくれそうやし。」
 でも、と、小さな声が、フェイトの唇から漏れて、二人の間に零れた。はやては答え
ずに、棚をまたいだ。天板の方には戻らず、壁際のところ、棚の足の傍に立った。窓か
らの光の切れ目。鮮やかに彩られていたはやての姿が淡い影に入る。
「さ、いつまでもぼーっとしておったら片付かへんやん。
 リイン、フェイトちゃんからレンチを奪ってくるんや!」
 人差し指でフェイトの左手に纏められたレンチを指し示して、はやてがヒーローのよ
うにポーズを決めた。リインがすばやい動作で敬礼を取る。
「了解です!」
 リインはそのまま疾風になり、フェイトの手からレンチを一本奪った。抵抗しないフ
ェイトから奪うのは簡単で、リインはほくほくした顔ではやての元に戻ってくる。
「ミッション、コンプリですー。」
 レンチを受け取ったはやては、リインを褒めると、突っ立っているフェイトに向けて
言葉を紡いだ。静寂が編み込まれた、穏やかな響き。
「ほら、早いとこ片付けよう?」
 その声を受けて頷いたフェイトの顔には、逆光で、薄く影が掛かっていた。