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 なのはは湿原を歩いていた。
 誰も居ない湿原は少し肌寒く、なのははふっと息を吐いた。それから、徒歩という移
動手段をえらんだことを後悔する。原っぱのようなものだと、湿原を勘違いしていたこ
とがそもそもの間違いなのだが、なのははもう諦めていた。靴は確実に再起不能で、靴
下ももう駄目だろう。だけど、フェイトが待っていると言った場所まではもう少しであ
ったし、何よりなのはは歩いていたかった。
 空を飛ぶことは良い。
 だけど、歩いていないと分からないこともある。そんな気がしていた。
 風が這うように吹き、周りに生い茂る何かの草を揺らした。湿原は見渡せば、同じよ
うな草ばかりだった。なのはは泥の中から足を引き抜き、また一歩を刻む。水が靴の中
に流れ込んできて、泥まみれの足を浸した。フェイトとの待ち合わせ場所まで、あとほ
んの少しだ。
 空戦部隊として久しぶりの出動で、次元航行をした帰りの途中、不意に同じように航
行任務に就いていたフェイトから連絡があって呼び出されたのは40分前。指定された
のは、ある無人世界の海岸線だ。入り組んだ湾の奥にある海岸。
 何故、突然フェイトがこのような場所を指定して、そしてすぐに呼び出すなんていう
ことをしたのかわからない。なのはにわかるのは、しばらく振りにフェイトに会えると
いうことだけだった。
 もう一歩踏み出すと、足は踝まで沈んだだけだった。ひんやりとした感触が足の指の
隙間をすり抜ける。湿原の果ては近いみたいだ。なのはは目の前に立ちふさがる草を掻
き分けると、一足飛びに草むらを越えた。
 視界が開け見上げるような高い空から降り注ぐ光に一瞬、目が眩む。
 目の前に広がったのは、切り立つような山に囲まれた赤い海だった。
「え?」
 思わず唇から声が漏れる。立っているのは砂粒の上で、見渡せば砂浜が弧を描くよう
に伸びている。一直線に歩いてきた筈のなのはが違う場所に出るわけが無い。だとした
ら、ここがフェイトが待ち合わせに選んだ海岸なのだろう。
 湾一面の真っ赤な海。波のほとんどない、凪いだ海。なのはは風に煽られながら、視
線をゆっくりと巡らせて行く。山の稜線は草木に覆われているし、淀みのない空は青い。
透き通るような青空だ。ただ、海だけが赤い。
 フェイトちゃんの目に似てる。
 見渡す限り、何処までも続いている海、その穏やかな赤い色に、なのははフェイトの
瞳を見る。緩やかに笑う彼女、その眼差しが何処か遠くを仰いでいる時の瞳に似ている。
 フェイトにではなく、この赤い海に呼び出されたんだろうか。そんなことを考え、す
ぐに自嘲的な笑みを浮かべて否定する。通信でフェイトの顔は見ているのに、そんな筈
はなかった。
「なのは!」
 横手から声が掛けられて、なのははそちらを振り返った。駆けて来る一つの人影はフ
ェイトだった。フェイトはなのはの前に立ち止まると、仄かに笑みを浮かべた。
「空を飛んでくると思ってたから、
 ずっと空ばっかり見てたよ。
 歩いて、きたんだね。」
 フェイトの視線がなのはの足元に落ちる。ふくらはぎまで黒く染まっている足に、フ
ェイトは顔をしかめた。なのははその眼差しを受けながら、顔を微かに歩いてきた方に
向けた。風が頬を撫でる。
「うん、歩きたかったから。」
 赤い海の穏やかな水面を風が走る。揺れる海の零す漣の音に、フェイトは言葉を飲み
込んだ。頷くような気配だけがした。
「ここは、なんなの?
 海なの?」
 なのはは赤い海を見通して呟く。隣に立っているフェイトも海を見て答える。
「うん、そうだよ。
 普通の水だから、中にも入れるよ。」
 なのはが相槌を打つと、フェイトは海を見ながら得意気に話す。
「湿原に同じ草がたくさん生えてたでしょ?
 あの草ってね、タンニンっていうお茶なんかに入ってる物質をたくさん持ってて、
 それが寒い気候のせいで分解されないまま水に溶けるんだって。
 水の中の酸素に触れて赤くなったタンニンが、
 いくつもある川から流れ込んで、海が赤いんだよ。」
 まあ、人からの受け売りなんだけどね、と恥ずかしそうに言うフェイトの脇で、なの
はは泥まみれの靴を脱いだ。靴下も脱いで、素足になる。踏みしめた砂は硬い。ふやけ
た指先で砂を掴みながら、なのはは海へと歩いていく。フェイトは話の続きを紡ぐ。
「だからね、この赤い水は淡水なんだ。
 海水は赤い水の下、水深4メートルくらいから黒く海の底を覆ってるんだって。」
 なのはは波打ち際に立った。とは言っても、湖面のように静かな水際は跳ねることも
ない。なのははゆっくりと、冷たい赤い水に足を踏み入れていく。足に纏わり付いた泥
が流れ落ちていく。静けさの中、なのはの立てる水音だけが動く。見渡す限りの赤い海
は、山に遮られて大洋を隠され、ひそやかに空気を飲み込んでいる。赤い海には果てが
あるのだろう。なのはは深みへ歩いていく。
 フェイトが言った。
「この赤い水って、あんまり光を通さないんだって。
 だから、水深1000メートルくらいのところにも、深海魚が住んでるんだって。」
 なのははフェイトを振り返った。砂浜に立ったままのフェイトが、なのはを見つめて
いた。その赤い瞳に、きっと自分が映っている。遠くて見えないけれど、そう感じて、
なのはは海に沈んだ砂を踏みしめた。枯れた草か何かが左足に絡む。膝の裏まで水が来
ていた。赤い海の水。
 なのはは言った。
「フェイトちゃんみたいだね。」