「はやて。」 名前を呼ぶ軽やかな声。 振り返るより早く、目の前に鮮やかな色が跳ね、 晴れやかな笑顔が飛び込んできた。 「フェイトちゃん。」 少し目を丸くして、はやてが見上げると、フェイトは嬉しそうに目元を緩ませた。 「先に帰ったんやなかったっけ?」 放課後、窓の外は少し日が傾き始めていて、淡い日差しが廊下に差し込んでいる。 それは、また背が伸びた感のあるフェイトの眼差しにも映っていて、 瞳の表面で揺れていた。 「はやてを待ってようかなー、って思い付いて待ってたんだ。 荷物、一緒に持つよ。」 言うが早いか、フェイトははやてが抱えた本の山の半分以上を取り上げて、隣に並んだ。 「ホワイエに持っていくんでしょ?」 ホワイエに置いてあるガラスケースの中には、図書委員会が本を紹介しているコーナーがある。 二週間に一度入れ替わるそのコーナーは、担当者が自分で選んだものを並べることになっていて、 今回ははやてがその担当だった。 「ん、ありがとな。 ちょお腕痺れて来てたから助かるわ。」 はやてがそう言うと、フェイトも嬉しそうに目を細めた。 吹奏楽部が音楽室で鳴らしている、やや間の抜けた金管の音が響いてきていた。 放課後の学校は生徒の開放感と、 帰ってしまったクラスメイト達が空けた隙間から流れ込んでくる外の空気に満ちて、 どことなく居た堪れないような気持ちになる。 地に足が着いていないような、そんな落ち着かなさ。 「はやての今回のテーマはなんなの?」 二人の足取りの合間に落ちる会話も、言葉がぱらぱらと散っていくようだった。 どことなく頼りなく、廊下に反響していく。 「ん、となあ、なんでもあり、かな。」 なんでもあり? と、フェイトが反復する。 うん、とはやてもうなずき返すが、二人の視線は交わらない。 フェイトは抱えた本の一番上のタイトルを眺め、はやては階段を下りるために角を曲がろうとしていた。 「いろんなジャンルから、私が気に入ったのを選らんだんよ。 絵本も、写真集も、こむずかしー文学ものも取り揃えてますよ、お客さん。」 はやての足が一段、階段を下りて大きな音を立てた。 一番上に載った本の表紙を見ながら、フェイトは危なげなくついていく。 ハードカバーの薄い本は、絵本だった。 上下さかさまに持っている本の表紙を、首を傾けてフェイトが読み上げる。 「エドワード・・・ゴーリー? 『不幸な子供』って、なんか怖そうな本だね。」 先に踊り場に着いたはやてが、フェイトを振り仰いだ。 窓からの光が白い壁に跳ねて眩しく、フェイトははやてに向けた目を細めた。 「確かにフェイトちゃんにはお勧め出来へんな。 怖いっていうか、不気味っていうんかな。 めっちゃ不幸になっていく女の子の傍に、 なんかちっさい竜みたいな不気味な生き物がちらついてるみたいな、 そんな感じ。 しかも、不幸度がアップするたびに、そいつは元気に羽ばたきだすという。」 フェイトが露骨に顔をしかめた。 その予想通りの反応に、はやては軽く笑い声を漏らした。 フェイトの本の趣味は知っているつもりだ。 「フェイトちゃんが好きなのはこっちやろ。」 はやては自分が抱えた本の下から三冊目を示した。 黄色の背表紙、一番上の方には小さく女の子の絵が描かれている。 児童書だ。 「なんて本?」 フェイトが覗き込むも、二人とも歩いているために文字はよく読み取れない。 はやては自信ありげに口元を弧にし、階段の最後の五段を飛び降りた。 「『魔女の宅急便』」 一段ずつゆっくり降りながら、フェイトが少し得意げな顔になった。 「それなら知ってるよ。 この前、金曜ロードショーで映画やってるの見たから。 飛行船にぶら下がってるトンボを助けるために、キキがデッキブラシで飛ぶんだよね?」 はやてはにぃ、と唇を歪めて、立てた人差し指を横に振った。 「いやいや、これが話が結構違うんよ。 もっとファンタジックでかわいい話やよ。」 コの字型の校舎の反対側にあるホワイエへの一番の近道は、 一度昇降口から外に出て、噴水の脇を通っていくことだ。 二人が昇降口のすのこの上を歩くと、木が立てる音が人のいない空間に響いた。 「本の中の、『魔女の宅急便』はお金を取らへんねや。 その代わり、物々交換するんよ。」 ロッカーに挟まれて薄暗い下足置きから外を見ると、午後の光に満ちて葉を茂らす木々がそびえている。 耳を澄ますと、噴水が水を散らす音が聞こえて来た。 生徒たちの暗黙の了解となっている、ここからホワイエへの横断は上履きのままでいい、 という慣習に従って、二人は上履きのまま戸からすべり出た。 「いろいろ貰うんやけど、私が一番印象に残ったのは、 デザイナーさんが作ったケープっていうかマントっていうか、 なんやったかな名前思い出されへんけど。」 大事なとこ忘れないでよ、とフェイトが眉を情けなく垂らした。 「いやでも、めっちゃ綺麗やったんよ。 しゃらしゃら音が鳴って、光の加減で星屑が見えるような、そんな布でな。 こんなん欲しいなあ、見てみたいなあ、って思ったな。」 気持ちのいい風が吹いて、はやては顔を上げた。 頭上では背の高い木が葉を揺らし、木漏れ日が二人の上で踊った。 噴水の音が少し乱れて、はやては緩やかに微笑んだ。 「運ぶのも、物だけやないんよ。」 言うと、フェイトがはやてを覗き込んだ。 きらきら光る緑の葉に彩られて、フェイトの姿は最高に綺麗だ、とはやては思う。 「たとえば、春を告げる音楽を運んだり、 新年を運んできたりするんよ。」 そうなんだ、と口の中で呟いたフェイトの目がやわらかく細められた。 ほら、私はフェイトちゃんの本の好みを知ってる、とはやては胸の中で頷いた。 「空を飛んで物を運ぶってだけじゃなくって、 みんなにちょっと幸せも届けちゃうのがこの『魔女の宅急便』やねん。」 今、本を手に持っていなかったら、フェイトの手を取って歩きたかった。 また吹いた風に、周り中で草葉が音を降らせる。 歌ってるみたいだ。 「私も、そんな魔法使いになりたいな。」 そう紡いだフェイトの声音も眼差しも、ぱらぱらと散る長い髪と。 背後の校舎、奥で跳ねる噴水の水と、木々と、木漏れ日と。 「でも、この本はホワイエに展示が終わってから借りてくださいー。」 はやてはべ、っと舌を出すと、フェイトを置いて小走りで駆け出した。 「ええー。」 後ろから、フェイトが不平を漏らしながら付いてくる。 私、この人やっぱり好きやな、なんて思って、はやてはホワイエへの階段を駆け上がった。