目蓋の裏に、光の世界が広がっている。穏やかな水面のように広がる静かな景色には、
窓から滑り込んでくる朝のまだ冷たい風の匂いと、膨れ上がるレースのカーテンが立てる
微かな音だけが流れていた。
 寝転がったソファの冷たい感触が心地よい。はやては肘掛けに載せた頭をゆっくりと巡
らせて、窓の方へと首を向ける。その顔に微かに陰が落ちるのを感じた。そうして、はや
てはゆっくり目蓋を押し上げる。
「人の寝顔見てるなんて、やらし。」
 唇に笑みを載せて、はやては隣に座っている人を見上げた。窓を背に陽光を切り取って、
彼女の長い髪が金色に透けていた。柔らかな微笑みがその顔に広がる。
「おはよう、はやて。
 お寝坊さんだね。」
 フェイトはそう言って、ソファに肘をついた。はやては手を伸ばし、フェイトの頬に触
れる。艶やかな髪の一房を指先に絡めて、呆れたように呟いた。
「まだパジャマの人に言われたくないなあ。
 誰かさんが起きるのを待ち疲れての二度寝やし。」
 横目にみると、フェイトが情けなく眉を垂らした。その様が大きな犬みたいで、はやて
は自然と目を細めた。白い頬に指先で触れ、耳の裏をなぞるとフェイトがくすぐったそう
に笑った。
「寒くない?」
 はやてはフェイトの肩越しに、開けたままの窓を見た。寝るときフェイトは大抵キャミ
ソールで、起き抜けだろう今、何も羽織っていなかった。細い肩の上を、朝の空気が滑っ
て行く。
「少し涼しいかな。」
 そう零したフェイトの喉元に、はやては手を滑らせた。首筋を伝って、晒された鎖骨を
辿る。くすぐったいよ、と音も無く唇が紡いだけれど、はやてを見つめている赤い瞳は嫌
がっていなくて。はやては手を肩から腕へ沿わせると、フェイトの指先を自分の方へと導
いた。そうして、わざと少し子供っぽい口調で両腕を開いた。
「フェイトちゃん、ぎゅ、は?」
 可笑しそうにフェイトが首を傾げた。そして、はやてが促すままに、ぎゅっと抱きつい
た。鼻先を首元に埋める。肌に僅かに触れる息遣いがこそばゆくて、はやては少しだけ首
を竦めた。
「はやての匂いがする。」
 深い息を吐いて、フェイトが囁いた。はやては溢れる金髪を撫でながら、あたりまえや
ん、とだけ言い返した。フェイトちゃんはちょっと寝汗っぽい匂いがするけどな、なんて
言うと逃げてしまうから言わないで。
「肩、冷たくなっとるよ。
 そろそろ、上着羽織って寝たら?
 そのおっぱいを私に惜しげもなく見せてくれるのもええんやけど、
 風邪引いてもしゃあないやろ。」
 フェイトがひょこっと顔を上げて、はやてを見た。自分の胸の上に顎を載っけた上目遣
いが可愛くて、はやては思わず顔がにやけた。
「また、変な顔して。
 別にはやてに見せてるわけじゃないんだけど。」
 唇を曲げて、フェイトがそう漏らした。にやけが止まりそうもない頬に力を込めて、は
やては極力真面目に見えそうに顔を引き攣らせる。
「フェイトちゃんのおっぱいは、私のもんやから。」
「バカ。」
 即座に返されたそんな言葉さえ、のろけに聞こえる自分は重症だろうか。そんなことを
思ったら、なんだか無性に面白くって、はやては思いっきりフェイトの頭を抱きしめた。
「もー、なんならフェイトちゃんやって私の胸もんだってええねんで?
 まあ代金は体で払ってもらいますけどー。」
 そう言ったら、フェイトがはやての胸の中で、本当におやじだよね、はやてって、とぼ
やいた。
「なに、おやじな八神はやては嫌いですか?」
だから、フェイトの頬を掌で挟んでじっと顔を見つめた。いつ見たって整った顔立ちだけ
れど、今ばっかりははやてのせいで髪が少しぼさぼさで、その生活感が妙な親しみやすさ
を演出していた。
「あんまりおやじ過ぎるのは、ちょっとなあ。」
 とぼけた調子でフェイトが答える。なんやと、とはやてが掌で頬を両側から潰すと、た
こみたいな顔になって、フェイトがやめてよぉ、と漏らした。はやての手の中にあるフェ
イトの顔。その瞳が、はやてを映した。一瞬そこに、鈍い光が走る。
「でも、そうじゃないはやては、文句なしに大好きだよ。」
 血が一気に顔に集まるのを感じた。
 そのときだ。
「はやて!」
 フェイトがぎゅっとはやてを抱き寄せて、そのままずるーっとソファの下にはやてを引
きずり下ろした。
「おわぁっ!?」
 情けない悲鳴を上げて、はやてがフェイトの上に倒れ込む。絨毯の上、ローテーブルと
ソファの間にすっぽり挟まったフェイトは、はやてを腕の中に抱え込んで嬉しそうに腕を
回した。
「隙あり、ってやつだね。」
 真っ赤な顔に、驚きと照れを浮かべたはやてが、フェイトのその得意げな表情をみて、
降参とばかりに破顔した。こつんとフェイトの額に自分の額をくっつけて、怒った声を作
った。
「もー、あかんやろー。
 澄ました顔しとるくせに、まーだいたずらっこなんやから、この子は。」
 ぐりぐりとおでこを押し付けると、フェイトが笑い声を零した。弾んだ声が、部屋の中
を跳ね回る。その軽やかな調子が眩しくって、はやては足をぱたぱたと動かした。
「はやてってば、暴れたらめっ、だよ?
 痛いでしょー。」
 全然怒っていない顔で、細めた瞳を煌めかせて、フェイトが言う。睫の上に散っている
金色の光の粒が目映い。はやてはちょっとだけ身を乗り出して、左の目蓋に口付けを落と
した。フェイトの左目がはやてを見上げた。
「くすぐったいよ、はやて。」
 明るい言葉尻。淡い色をした唇が綻んでいる。はやてはフェイトに微笑みかけると、左
目にもキスをした。ん、とフェイトが小さく息を呑んだ。背中に回された腕が、服を少し
握る。
 額を晒すように前髪を撫で上げると、白い肌が覗いた。緩やかな弧を描く眉も、合わさ
れた睫も金色だ。目蓋が微かに震えて、目が開いていく。鮮やかな真紅の瞳が緩やかに見
えて来て、淵に光を湛える。
「はやて。」
 開かれた赤い瞳が、はやてを見つめて焦点を結んだ。フェイトの右手が、はやての髪を
撫でた。
 そうして、キスをした。唇に。
 いつだって触れているくせに、いつ触れてもやわらかくてその度に胸が高鳴って仕方な
い。こんなにも心臓がなってしまうくらいなら、しなければいいのに。時折そんなことを
思って、でも、この甘やかな一瞬を忘れることなんて出来なかった。
 フェイトの左手と、はやての右手が絡む。握り締めた指先に力を込めると、フェイトも
同じように握り返して来てくれた。
「フェイトちゃん。」
 唇を離した瞬間にだけ、呼気が繋がっている気がする。はやてが名前を呼ぶと、フェイ
トが小首を傾げた。わかってるよ、って言ってくれている気がした。だからはやては手を
繋いだまま、その首元に抱きついた。互いの頬をくっつけると柔らかくて、フェイトの髪
からは少しだけいい匂いがして、はやては目を閉じた。
 フェイトがはやての髪を撫でるように梳く。耳元で滑るその小さな音と暖かさに溶かさ
れる気がして、深く息をした。
「なんか、寝ちゃいそう。」
 呟くと、フェイトが笑う気配がした。
 息を吸い込めば朝の空気とフェイトの匂いがして、腕の中で暖かくて。胸から伝わって
くるとん、とんという重なりそうな鼓動に耳を傾けたまま、はやては静かに呼吸を緩めた。