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 一週間前には決めていたけど、一週間後の今日にならなければやらないとも決めていた。
だって今日が、彼女が退院する日だからだ。彼女は入院時に持ってきていた着替えやら生
活用品やらが入った大きなバッグを抱えながら、あきれたように笑う。
「みんな、大げさだよね。
 ちょっと怪我しただけなのに、入院なんて。」
 春の近い日差しは暖かく、フェイトの肩や金色の髪を温めていた。触ればぬくもりを感
じそうなふわふわした髪を見上げながら、はやてが頷いた。
「ええやんか、一週間ぐーたらできたんやから。」
 片眉を上げて、いたずらな表情を浮かべてみせると、フェイトがぺろっと舌を出した。
「そうかもね。」
 病院の駐車場を歩き、はやての車を探す。総合病院の広い駐車場には沢山の車が並んで
いて、ボンネットの上に熱を溜めている。
「でも、明日から母さんまで家に来るんだよ。
 うれしいけど、わざわざ海鳴から来てもらう程なのかな、って。」
 ぼやいたフェイトに、数歩先を歩くはやてが肩を落とした。
「そらそうやろ。
 怪我して入院しました、っていって来ない親が居るかい。」
 それはそうだけど、とフェイトがもやもや呟くのを無視して、はやては目印にしていた
植木を見つけた。車の列があと3つもある。これだけ広い駐車場というのも考えものだ。
リンディが迎えに来るという話もあったが、丁度休みだったはやてが迎えに来て、明日か
らリンディとバトンタッチということになっている。腕時計を見ると、今の時刻は午前十
一時半だった。
「フェイトちゃん、お昼なに食べたい?
 どっかで食べてくのがしんどいっていうんなら、
 家で作ってもええけど。」
 車が見えてきたところで、はやては鍵についているボタンを押して、鍵を開けた。車の
サイドランプが点滅し、車内灯が点く。
「そんな、もう傷は塞がったんだから大丈夫だよ。
 ほら。」
 そう言いながら、フェイトはバッグを持っている肩をこれ見よがしに回して見せた。は
やてがつまんなそうな顔をしながら、手を出す。
「はいはい、わかったから。
 カバンしまうから貸して。」
 言うが早いか、はやてはフェイトからバッグを取り上げると、有無を言わさず後部座席
に投げ入れた。
「ていうか、フェイトちゃんが入院するようなったのは、
 肩の方やなくって頭ぶつけたからやん。」
 はやては運転席に乗り込もうとドアを開けた状態で、屋根越しにフェイトを軽く睨んだ。
フェイトは「あう。」とたじろいだように眉を垂らすと、助手席に逃げ込んだ。控えめな
音を立ててドアが閉まるのを見届けると、はやては運転席に滑り込んで、これ見よがしに
ドアを思いっきり締めた。
「なにか、言う言葉はないんかな、フェイトちゃん。」
 運転席のロックボタンで車内のドアに全て鍵をかけ、はやてがフェイトを見据えた。目
が笑っていない。フェイトは背中に冷や汗が滝になるのを感じながら、口元を引き攣らせ
た。
「でもほら、私、そのときのこと覚えてないし。
 それに、人をかばってって話なんだから、だめ・・・?」
 だめ、のところだけ意識か無意識か上目遣いになったフェイトの頬を左手で挟むと、ぐ
いっと力任せに引き寄せた。頬が潰れている上に、怯んだ表情が重なって随分情けない様
子のフェイトの額に額を寄せて、はやてははっきりと口を動かした。
「なにか言う言葉は?」
 フェイトが一つ息を呑んで、それからしゅんと項垂れた。
「ごめんなさい。」
 病院の駐車場を出て、片側二車線の道路を走らせていく。脇を流れていく繁華街の景色
の合間から突き刺さる太陽の光が眩しく、はやてはサイドボードに置いてあった青いガラ
スの嵌ったサングラスを手に取った。
「はやて、サングラスなんてかけてたっけ?」
 窓の外を眺めていたはずのフェイトが、はやてをいつの間にか振り返っていた。はやて
は片手でサングラスの柄を開きながら、うん、と頷いた。
「やっぱり、運転してると眩しいことあるから。」
 そうなんだ、とフェイトの関心したような声が返ってきた。はやては纏わりつく髪を払
うよう首を一度振って、片手でサングラスを掛ける。青い細身のレンズははやてに似合う、
とフェイトは思った。
 はやては前を見たまま、視線をくれずに言った。
「結構覚えてないんやね、フェイトちゃん。」
 レンズの覆いきれない視界の端で、フェイトがフロントガラスの向こうに広がる景色を
見ながら動きを止めた。はやては同じ調子で言葉を続ける。
「あの日、初めて掛けたのフェイトちゃんは助手席で見てたはずやけど。
 もう忘れちゃったん?」
 フェイトが唇を引き結んだ。
 スライドしていく景色と、低音で凝るような音の中、


 死別ばかりが恐い私と、離別だけが怖い彼女は。


「フェイトちゃん、コーヒーと紅茶どっち飲む?」
 コンロにやかんを掛けて、はやてはソファの背もたれ側から顔を覗かせた。
「んとね、紅茶かなぁ。」
 覗き込まれたフェイトは手元に広げていた雑誌を閉じてそう答える。見ていたファッシ
ョン誌はフェイトがさっき帰りがけに買った雑誌で、出る度にいつも買う定番の一冊だ。
割に、その雑誌とフェイト本人の服の趣味は一致していないけれど。
「私がやるよ。
 食器洗ってもらっちゃったし。」
 はやてにはなんの為に買っているのかいまいち判らない本をソファの脇に置き、フェイ
トが立ち上がる。すると、はやては間髪入れずにぴしゃりと言い放った。
「おとなしく座ってることが一番の手助けです。」
「えぇー。」
 一種冷たい返事に、フェイトが不満げに唇をとんがらせる。だが、はやてはツンと冷た
く顔を背け、そのまま台所に歩み去る。
「だから、私はもう大丈夫だっていうのに。」
 その背中に、フェイトの拗ねた声が突き刺さった。
「ふーん、そうなん。」
 はやては湯気を出すやかんの口を見つめたまま、フェイトを振り返らなかった。そのま
ま、食器棚を開けてティーポットとマグカップを二つ取り出すと台に並べた。それから、
戸棚の上を見上げる。紅茶の缶はフェイトの家では少し高い所にしまわれている。
「そうだよ、だってもう退院だってしたんだから。
 それに検査もしたけど、大丈夫だったんだって。」
 不意にはやての上に軽く影が掛かった。見上げると、いつの間にか後ろに立っていたフ
ェイトがはやての頭の上を通して、戸棚に手を伸ばしていた。やすやすと紅茶の缶を取っ
て、はやてに手渡す。
「はい。」
 笑顔で差し出された紅茶を受け取り、はやては小さく呟いた。
「ちょっと背が高いからって調子こきおって。
 座っときって言うてるやんか。」
 む、と睨みつけると、フェイトが歯を見せて笑った。しゃあないなあ、もう、なんては
やては溜め息を吐いてみせると、もう追い返そうとはせずに紅茶の缶を開けた。中から香
るのはさわやかなファーストフラッシュの匂いだ。何種類か買ってあるけれど、迷わずは
やてが一番気に入っている紅茶をフェイトは選んだみたいだった。
「検査の結果って、どうだったんやっけ?」
 茶葉の量は淹れるカップの数足すポットの分。合わせて三杯。よく在る喫茶店で出され
るものより、自分で気に入る茶葉を買って淹れた方がおいしく、それなりに安価だ。
「ん、んーとね、随分強く頭を打ったらしいけど、脳とかに異常はないって。
 ただ、ちょっとショックで一部その時の記憶が吹っ飛んじゃってるみたいだけど。
 でもそんなに深刻ではないみたいだし。」
 最後の一行を言う、フェイトの声は少し擦れた。そのとき、やかんが噴いた。
「あ、お湯沸いた。」
 はやてはコンロの火を止め、即座にポットにお湯を注ぎ始める。紅茶の茶葉が最も良く
開く温度は100度だ。透明なポットにお湯が注ぎ込まれると、お湯に黄金色が溶けて、
台に鮮やかな影が落ちる。昼過ぎの日差しが作る紅茶の光はステンドグラスの一枚のよう
だった。
「それで、忘れてるのは一日分だけなん?」
 振り仰ぐと、フェイトは紅茶を見つめていた。いくらフェイトの瞳の色がクリアな赤で
も、映り込んだポットまでは見えない。透き通る結晶のような色がはやてには目映く思え
るだけだ。
 誰よりも好き。
 好きになったあの瞬間から。
「そう、みたいだよ。
 いろいろ診察とか、カウンセリングっていうの? そういうのも受けたけど。」
 はやては素直にそう感じる。フェイトの好きな所を見る度に胸が一つ鳴るし、フェイト
の魅力を一つ見つける度に、胸が痛くなるくらいに熱くて。だから、
 だから、恐かった。
 フェイトがはやてがサングラスを掛け始めたことを忘れたことが、
 先週買った雑誌をまた買ったことが。
 無くした記憶が一日分だけではない、ということを忘れたことが。

 そして、彼女がそれだけの怪我をしたことが。
 それすらも忘れてしまったことが。

 恐かった。
 だから、

「フェイトちゃん。」
 名前を呼ぶとフェイトは振り返った。少し跳ねた金色の髪に、フェイトの纏う匂いが舞
う。例えシャンプーの香りだったとして、フェイトが翳すだけでこんなにも華やかになる。
 はやてはフェイトの瞳を見上げ、目を閉じて、フェイトの唇に自分の唇を押し当てた。
柔らかい感触が触れ合う。一瞬驚いた様子を見せたフェイトはでも、甘く自分の唇を食む
はやてにすぐに従った。混じる吐息の香りに目蓋を閉じて、自分の胸元を軽く押すはやて
の手のひらの温かさのままに、背後の壁に寄りかかる。
 はやての唇が、ふ、と残り香を繋いだまま離れた。はやてはフェイトの肩口に額を預け
て、胸元に触れる指を見つめていた。
「はやて。」
 フェイトが囁いて、はやてに腕を回す。

 その腕が、引き攣って動きを止めた。
 フェイトは唇を噛み締め、小刻みに震えだす。目を大きく見開いて、荒い息を唇の隙間
から吐き出す。
「は、やて・・・?」
 はやての手が、胸の中心に埋まっていた。手首までフェイトの体に沈んでいる。流石に
オーバーSランクとだけあって、手応えが違うな、なんてふざけたことが脳裏を掠めた。
そして、はやては右手をフェイトの背中へ突き抜けさせた。肘まで貫いたその先、掌には
輝く一粒の光。
「防御プログラムを消した時に、蒐集した魔法の大部分は消去されてるって、
 前に言わへんかったっけ?
 だからな、する気になれば今でもフェイトちゃんのリンカーコアも蒐集できたんよ。」
 はやては掌の光を、渾身の力で握り締めた。腕に筋が浮き、筋肉が震える程に。
「は、や・・・あっ、なん・・。」
 希少スキル、蒐集行使の発動。流れ込んでくるフェイトの魔力と引き換えに、彼女の足
から力が抜けた。勢い良く膝を打ちそうだったのを、はやては左手を腰に回して抱きとめ
る。長い髪が手に絡んだ。
「なんで、って?」
 苦悶を滲ませ、フェイトがはやての腕に縋る。食いしばった歯の間から漏れる息遣いは
熱く、反った喉は白かった。右腕で彼女を貫いたまま、はやてはフェイトの頭を抱き締め
る。鼻先を金色の髪に埋めても、病院の駐車場で見た陽光の匂いはしないで、フェイトの
香りが掠めた。
「好きだからに、決まってるやんか。」
 はやてはフェイトのリンカーコアを握り潰した。
 胸の中で切れたフェイトの息が、まるで絶頂を迎えた時のようで。はやては手を引きず
り出しながら、フェイトの頬を挟んだ。
「フェイトちゃん。」
 意識がまだ薄くあるのか、細く開いたフェイトの目が眼窩の中で滑ってはやての方を向
いた。はやては迷わず、フェイトの唇を塞いだ。抗わないフェイトの舌を舐めて唾液を流
し込んだら、フェイトはか細く咽せた。
 そうして、互いの唇を繋いだ一筋の糸を見ると、はやてはフェイトの体を離す。
 背中を壁に預けて、フェイトの体がずり落ち、横向きに床に転がった。それでもフェイ
トの右手ははやての腕を掴んだままだった。はやてはその手を掴み、フェイトを仰向けに
する。
 蒐集行使は内部の魔力を奪うだけで、時が経てば回復する。それでは意味が無い。だか
ら、はやては小さい声で唱えた。フェイトの手を握り締めたまま。
 はやての瞳に白銀の光が過り、空気が微かに鳴る。そして、はやての周囲に現れたのは
短剣を模した黒い魔力の刃。数は20基。
「っは・・・や、・・・。」
 泣きそうな目と声で、フェイトがはやてを見上げた。
 それを見下ろして、はやては微笑む。
「なあに、フェイトちゃん。」
 はやてはフェイトの手をなぞり、漆黒の刃を解き放った。
 胸の中心を抉った一閃に、声もなくフェイトの体が跳ねる。気を失わせるのには、それ
で十分だった。でも、はやての望みはその先にある。だから、もう魔力の欠片も残ってい
ないことを知りながら、短剣を全てフェイトに突き立てた。
 低い音が耳の奥に溜まる。
 動かなくなったフェイトの傍に膝をつき、はやては蒼白な頬に手を伸ばした。整った輪
郭の線を辿り、胸元へと手を伸ばす。穏やかに口元を緩めながら、はやてはシャツのボタ
ンを片手で器用に外して胸元をはだけさせた。
 現れたのは真っ黒い痣。今、はやてが刻んだ傷。蒐集行使だけではリンカーコアは回復
し、魔力を生み出し、フェイトをまた前へと押し出すだろう。そうして、いずれその時を
紡ぐのだろう。
 フェイトを失う時を。
 何があっても守ってみせる、そんなことはやてに言い切ることは出来ない。かつて一片
の風すら守れなかった自分に何が守り抜けるとも思えなかった。ましてや、フェイトなん
て守りきれない。
 確信しているから。
 もし、守護騎士達かフェイトのどちらかを選ばなければならないとなった時、はやては
フェイトを捨てる。二つのものなんて、自分には守れない。だけど、
「私は、それを選びたくない。
 だから選ばなくていいようにするんよ。」
 囁いた声が自分でも驚く程やさしげで、はやては果敢なく笑った。
 魔力を失い防衛機構を完全に失ったコアに対し過剰な攻撃を加えれば、コアは元のよう
に回復することは出来なくなる。フェイトが魔法を使うことは出来なくなり、前線に出る
ことはなくなる。例えフェイトがそれを望んだとしても。
 明日、フェイトに憎まれたとしても、
 その先にフェイトが生きていてさえくれれば良い。
 明日なんか要らない。
「フェイトちゃん。」
 はやてはフェイトの胸に穿たれた黒い痣に触れる。

 明日なんて要らない。
 恐いことは一つだけ。

 それは、死別することだけだから。

「ごめんな。」
 悪いなんて思っていないくせに、はやては謝罪の言葉を嘯いた。


 それでも、死別ばかりが恐い私は人を残すことには無頓着で、
 離別だけが怖い彼女は自分が残されることだけが怖いから。
 何処まで行ってもこの手は握っていられるだろう。


 台の上で、忘れられた紅茶が濁った茶色をしている。