はやては隣で丸くなるザフィーラの頭を撫でていた。頭の毛が少し短くてざりざりす
るのも面白いし、首に掛けての長い毛足に自分の手が全て埋もれるのが気持ちいい。い
つの間にか癖になってるな、なんてぼんやり思いながら、はやてはザフィーラを撫でて
いる。時折、ぱたっと尻尾が左右に倒れるのも楽しい。それと同時にザフィーラが鼻か
らぷす、っと息を漏らすと、肩辺りの力も風船から空気が抜けるみたいにぷすっと抜け
るのが判る。掌越しの体温に、はやては目を細めた。
「あらザフィーラ、機嫌いいのね。」
 庭に続く窓が開いて、洗濯物を抱えたシャマルが顔を見せた。時刻は午後4時。夏の
日差しはまだまだ高かったけれど、洗濯物をしまうには丁度良い時間だろう。夕立の恐
ろしさをシャマルは先週体験済みだ。
「シャマル、洗濯ありがとな。」
 はやてが眉を垂らすと、シャマルは上機嫌に頬に手を当てた。
「ふふ、はやてちゃんにありがと、なんて言われると照れちゃうわ。」
 外から暑い風が吹き込んで、シャマルの服を翻した。細めた瞳に夏の陰が映る。洗濯
物を家の中に入れてしまうと、シャマルはサンダルを脱いでリビングに上がった。窓を
閉めると、夏の蒸し暑さが僅かに遠のく。
「やっぱり、冷房って言うのは快適ね。
 魔法があっても冷房が無い世界の方が、よっぽど技術が未発達だと思うわ。」
 そう言って肩を竦めてみせるシャマルに、はやては笑った。
 変わった同居人が出来て2ヶ月。みんな何となく馴染んで来たな、なんてはやては思
った。最初の頃は会話というよりは、はやてが一方的にしゃべるだけだったのが、今で
はみんなとりとめも無くいろいろ話している。それははやてが知らない世界の話であっ
たりしたし、近所の奥さんの話であったりしたし、あるいは昨日見たテレビであったり
した。最近はみんなが、はやてが見てない所でこっそり、ダジャレにハマっているのも
はやては知っている。恥ずかしいと思って隠しているみたいだけれど、あれでバレない
と思っているのが可笑しい、とはやてはいつも笑みを零してしまう。
「魔法があるのに、クーラーがないなんて不思議やね。」
 洗濯機の取り扱いに失敗して、なにをどうしたのか洗面所を洪水に陥れたシャマルも
今は手慣れたもので、最近ははやてですら使いこなせていなかった便利機能を使って、
こんなことも出来たわ、なんて喜んでいる姿を良く見かける。
「進歩の順番を間違えてるわ。
 困っちゃうわね、まったく。」
 シャマルはそう言って、くす、っと悪戯に舌を出した。
「シャマル、洗濯物一緒に畳むから、こっち持って来て。」
「はーい。」
 シグナムはいつの間に見つけて来たのか、道場で剣術を教えている。道場で指南した
い、なんて言われた時は、この近くに道場があったことにまずはやては驚いたものだっ
たが、特に反対はしなかった。話を聞く限りだと、上手くやっているようだった。一緒
に出かけたりすると、道場で教えているという小学生がたまにシグナムに挨拶をして行
く。
「そういえばこの前テレビで、
 Tシャツを1秒で畳む方法って言うのがやってたんですよ。」
 ヴィータのTシャツを広げながら、シャマルがはやてを仰いだ。
「え、そんなんあるの?
 どうやるん?」
 はやてが食いつくと、シャマルは嬉しそうに目を輝かせた。それを見て、ザフィーラ
はまた一度、ぱたりと尻尾を横に倒した。はやての左足に、尻尾の先が掛かる。
「まずですね、こことここを摘んで。」
 ヴィータは先月から、町内会の人と一緒にゲートボール同好会に入って、ゲートボー
ルをやっている。最初はなんとなくだったみたいだけれど、最近は欠かさずグラウンド
に出かけている。河川敷にあるグラウンドで一時間程度が毎度のことらしいが、おじい
さんおばあさんが多い中で随分かわいがってもらっているらしかった。この間、はやて
も一緒について行ったけれど、ゲートボールをしているヴィータは心底楽しそうだった。
一回打つたびに、はやてを振り返って手を振っていたのが尚更可愛かったのだけれど。
「ほら! 一秒で畳めちゃった!」
「えええええ!! すごぉおおお!
 なんやそれ!?」
 Tシャツを一秒で畳む手並みに、はやてが目を剥いた。
 そのとき、玄関が勢いよく開く音がした。
「ただいまー!」
 靴を脱ぎ捨てる音がして、次いでやかましい足音が廊下を掛けてくる。
「あ、ヴィータや。」
 はやてがドアを振り向くと同時に、予想通り満面の笑顔を浮かべたヴィータが勢いよ
く飛び込んで来た。
「はやてただいま!
 今日な、ゲートボールで一番になったんだよ!!」
 洗濯物の山を一足で飛び越えて、ヴィータははやてに飛びついた。
「おお!
 それはすごいな! 今日はお祝いやね?」
 首に抱きついて来たヴィータが自慢げに「すごいだろ!」と息を弾ませる。その首元
に顔を埋めると、土と汗の匂いがした。夏の気配をヴィータは纏っていた。
「あ、そうだ、はやてにプレゼントがあるんだよ。」
 弾かれたように顔を上げて、ヴィータははやてににこっと破顔してみせた。はやてが
首を傾げると、跳ねるように立ち上がって、ヴィータは両手をお椀のように合わせた。
「はやて、手、出して!
 こんな風に、ほら!」
 ヴィータが合わせた手を前に突き出した。ほら、早く! と急かすヴィータに、はや
ては微笑む。
「分ったって。ほら、こうやろ?」
 促されるままに、はやては掌を合わせて前に出した。ヴィータは満足そうに頷くと、
「そのまま、動いちゃ駄目だよ。」と念押しして、ポケットに手を突っ込んだ。両手い
っぱいに何かを握り締めて、自分の前に掲げる。
「よし、行くよ。」
 ヴィータがそう言った。

 その掌から、星が零れ落ちた。

 淡い光を纏った星の粒が、風に舞う花びらみたいに緩やかに、宙を滑ってはやての掌
に落ちてくる。
「えっ?」
 ぼうっと光る星に、はやては目を捕われた。きらきらと光の粒子を撒きながら、星は
ゆっくりとはやての掌に吸い込まれて行く。
「ほら、動いちゃ駄目だって。」
 星はこつんと、はやての掌に落ちると、ふっと光を消した。そして、そこに現れたの
は一粒の、
「あめ?」
 はやてが掌の覗き込んで呟いた。ヴィータは頷いてみせた。
「そう、あめだよ。」
 振り仰ぐと、ヴィータの眼差しがいくつもの光を湛えて輝いていた。
「まだあるんだから、動いちゃだめだかんな。」
 そう言うヴィータの掌から、いくつも光が落ちてくる。それはさながら雨のようで、
でも雨よりも輝いて、雨よりも暖かかった。星の雨が降って、はやての掌に積もって行
く。
「はやての世界は魔法がないから知らないかな。
 魔法がある世界だったら、大抵何処にでもある遊びなんだ。
 魔力素養がほんのちょっとでもあれば出来る、
 魔法って言うまででもない、簡単なものなんだけど。」
 ヴィータが言う合間にも、星がいくつも落ちてくる。それはやがて、はやての掌で少
しずつあめの山を築き始めた。はやてが好きなミルクのあめの他にも、べっこう飴や、
イチゴのあめとか、たくさんのあめが掌に溢れる。
「こうやって手から離す時に、ほんのちょっとだけ魔法をつけてあげるんだ。
 ゆっくり落ちるようにと、落ちる場所を選べるように、っていう二つの魔法。
 それで、崩さずに高く積み上げた方が勝ち、っていう遊びなんだけど。」
 ヴィータは右手をもう一度、ポケットに突っ込んだ。そうして、また一握りのあめを
取り出す。
「あら、ヴィータちゃん意外と上手じゃない。
 苦手かと思ってたわ。」
 はやての手の上に出来た小山をみて、シャマルが言った。ヴィータはふん、と自信あ
りげに鼻を鳴らす。
「当たり前だろ、これくらいの遊び。
 それに、せっかくはやてに見せてるんだから、失敗するわけないだろ。」
 はやてがヴィータを見上げた。ヴィータはそれに気付くと、目を細めた。
「この遊び、場所によっていろいろ呼び方があるんだ。
 よく石で遊ぶから、石山とか落石、なんててきとうな呼び方もあるけど。
 一番有名な名前はなにか、わかる?」
 はやては静かに首を振った。すると、ヴィータはとびっきり優しい笑顔で頬を緩めた。
「星の雨、だよ。」
 くす、っとヴィータが首を傾げると、一つの星がはやての掌の上、あめの山の頂上で、
最後の一つのあめになった。掌いっぱいにあめを抱えて、はやてはこれ、と小さな声を
出した。
「こんなにいっぱいのあめ、どうしたん?
 それに、私にこんなにくれてええの?」
 ヴィータはズボンのポケット全てに順々に手を突っ込みながら、「うん、もちろん。」
と返した。
「ゲートボールでじいちゃん達がくれたんだ。
 お姉ちゃんと一緒に食べなさい、って。」
 お尻のポケットに手をいれたとき、ヴィータがにこっと唇に笑みを走らせた。
「はやてのこと、お姉ちゃんだって!
 ほんと、照れちゃうよな!」
 歯を見せて、ヴィータが声を上げる。そして、お尻のポケットから手を出すと、最後
の流れ星を降らせた。
「ほら、はやて。行くよ。」
 その星が、はやての瞳の中を落ちる。


星のあめ