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 カッコウの声をまねた時計が時を告げた。
「あ、もうこんな時間だ。」
 フェイトの声に、はやても釣られて壁を見上げる。木造の小さな家から、木彫りのカ
ッコウが顔を覗かせて、嘴を開いている。モダンなセンスのこの家の内装にはちょっと
不似合いなその時計は、小学校の修学旅行でフェイトがおみやげと買った物だった。
「外、結構暗くなって来とるな。
 そろそろ帰らへんと。」
 レースのカーテンは、窓の外の景色を覆って真っ白だった。
「春が近いっては言うけど、まだ日が暮れるの早いね。」
 フェイトが言いながら立ち上がり、厚手のカーテンを閉める。
「せやねぇ。」
 はやてはローテーブルの上に広げたワークとノートの類いを眺めた。名目は明日から
の期末テスト対策。結果は、それなりに進んだような進んでいないような。
「数学のワーク、明日のテストの後提出だよ。
 はやて、終わってないけどいいの?」
 フェイトが自分は終わりとばかりに、散らかっていた筆記用具を片付け始める。はや
てはそれを眺めつつ、丸くなった自分の消しゴムを指で転がした。
「フェイトちゃんこそ、まだ残っとるやん。」
 ちら、とはやてが見上げると、フェイトは「まあ、そうだけど。」と曖昧に答えて、
数学のワークを学校の鞄につめた。
「あと2ページだし、明日の朝学校でやればいいかなって。」
 それを聞いて、はやては自分のワークを摘んでみた。ぺらぺらとめくると、白紙のペ
ージが7、8ページ。はあ、とはやては溜め息を吐いた。
「あー、いややーもう。
 テストでいい点取ればいい成績つくんやからええやんかーもー。」
 ガシガシと頭を掻き出したはやてに、フェイトは眉を垂らした。
「それを言ったら身もふたもないよ、はやて。」
 はやてはノートの上に顎をのせると、不機嫌そうに唇を突き出す。
「だいたい、こんなんもうただの手の運動やない。
 鉛筆のむだやんかー。」
 きぃいー、とわざわざ口に出して言いながら、はやてはシャーペンを筆箱にしまい始
めた。ノートもワークも一緒くたに閉じると、もう見たくもないとばかりに鞄にしまい
込む。
「最後にまとめてやろうとするから、すっごく面倒になるんだよ。
 授業中にやっちゃえばいいのに。」
 フェイトが軽く肩を竦めた。それに対し、はやてはやおら背筋を伸ばすと、手をぽん
と叩いた。
「なんやそれ、かしこいな。
 今度からそうするわ。」
「はやては変なところ抜けてるよね。」
 呆れたようにフェイトは言うと、小さく笑った。その手には、銀色のキーフォルダー
がついた小さな鍵が一つある。見慣れない鍵に、はやては首を傾げた。
「あれ、それなんの鍵?」
 コートを羽織りつつ、はやてはフェイトの手を覗き込む。家の鍵にしてはお粗末な感
が漂う鍵は、例えば庭にある倉庫の鍵と言われれば納得出来るだろう。けれど、フェイ
トの家はマンションだから、そもそも庭が無い。フェイトは少し得意げに口の端を持ち
上げた。
「自転車の鍵。
 暗くなっちゃったし、家まで送ってってあげるよ。」

 マンションの裏側、駐輪場のトタン屋根の下には薄暗い空に歯向かうように、白熱灯
が白々と光を放射していた。冬の時期、寄ってくる羽虫は居ないけれど、照らし出され
た冷たい空気がはやての鼻先を赤くする。
「これ?」
 はやては一台の赤い自転車を指して首を傾げた。泥汚れが少しタイヤについているだ
けの、まだ新しい自転車はいわゆるママチャリ。学校通学に使うことも許されている形
状だったと、はやては記憶している。フェイトは後輪についた錠に鍵を差し込んだ。
「うん。
 クロノが中学に上がったから、って買ってくれたんだ。」
 両足スタンドを軽快に蹴って、フェイトは自転車の後輪を解放する。フェイトが足を
使って物を動かすなんて珍しいな、とはやてはちらっと思った。でも、蹴って下さいと
言っているようなスタンドを手で上げるのも何かおかしいから、これが自然なんだろう
な、とも感じた。
「クロノ君、良い所もあるんね。」
 自転車を駐輪場から引き出したフェイトを見上げて、はやてが言った。白熱灯を背中
に、フェイトが変な顔をした。
「まるで普段が悪人みたいじゃない、それじゃ。」
 はやてがへへ、と笑うと、フェイトは肩を竦めた。
「鞄、かごに入れていいよ。」
 フェイトはそういうと、はやての通学鞄を自転車の前かごにいれて歩き出す。空は濃
いブルーから藍色へ変わる。西の端に太陽は消えて、オレンジの光が地平線の縁だけを
染めている。その残照が見上げた街並とマンションを黒く切り取って、天球に投げてい
た。この一瞬だけ、地上と空が繋がる。
「フェイトちゃんって、自転車乗れたんやね。」
はやてはタイヤが回る音を聞きながら、そんな空を仰いだ。頬が冷たい空気に触れて、
視界の中を街並が後ろへと動いて行く。動きながら聞くタイヤの音は懐かしい。いつも
自分の下にあった音だ。
「ん、いや、乗れなかったよ。
 乗れるようになったのは買ってもらってから。」
 その言葉に、はやてがぴたっと立ち止まった。数歩行き過ぎたフェイトが疑問符を顔
に浮かべて振り返る。
「どうかした?」
 街灯がはやてとフェイトの距離を演出する。フェイトから顔を俯かせたはやての顔は
はっきり見えない。
「それはあれやんな、補助輪という大人の階段をひとっ飛びして、
 いきなりその自転車で優雅に街を走り出した、ってことやんな。」
 なぜ、はやてが顔に暗い影を溜めつつそんなことを言うのか、フェイトには理解出来
なかったけれど。でも事実だったので頷いた。
「それは、もちろん・・・そうだけど。
 補助輪って、子供がつけるものでしょ?」
 はやてはきっ、と顔を上げると、口をへの字に曲げた。
「なっとくいかへん!
 なんでそんなあっさり自転車乗れるん?」
 びしっと、犯人を追いつめる探偵のごとくフェイトを指差して、はやては大声でそう
宣った。
「ええ?」
 指の延長線で射抜かれたフェイトはらしくもなく口をぽかんと開けた。しかし、はや
てはおかまいなしでフェイトにつかつかと歩み寄ると、人差し指をフェイトの胸の真中
に突き立てた。
「ええか、フェイトちゃん。
 自転車いうんは、両サイドにつけた補助輪でしばらくガラガラガラガラ走った後、
 慣れてきたー言うて、かたっぽ外すねん。」
 はあ、と曖昧に相槌を打ちつつ、フェイトはその様子を頭に描いた。近所の小学生が
最近、自転車に乗り始めたけれど、両側に補助輪が着いていた。多分、今がはやての言
う最初の段階なのだろう。
「で、片側補助輪でしばらく走ってそれも慣れて来た言う頃に、全部とって、
 わぁ、転ぶ転ぶとか言いつつ、後ろをなんか押してもらったりして練習してから、
 ようやく大海に飛び出せるようになるって相場が決まっとるの!」
 そしてこれが、はやての言う正しい進化の手順らしい。
 フェイトははやての睨めつけてくる顔を見ながら、あ、ちょっと身長差開いたかも、
なんて思った。
「でも、補助輪なしでもすぐに乗れちゃったんだもの。」
 ごく普通にフェイトがそういうと、はやてはそっぽを向いて先を歩き出した。
「ちぇー、これやから、スポーツ万能さんは!」
 いじけたように言って歩いて行くはやての背中を見て、それからフェイトは自転車の
前かごを見た。アリサもすずかも自転車には乗れるらしい。ただ、あんまり乗る必要が
ないからか、自転車で走ってるのはみたことがない。なのはに聞いたら、補助輪付きで
も乗れなかったから、小学一年生の段階で賢明にも諦めたと言っていた。けど、
「そういえば、はやてに乗れるか聞いたことなかったな。」
 口の中でそう呟いて、フェイトは先に行ってしまったはやてを見た。でも、答えは聞
かなくても判っている様な気がした。だから、次のことを考える。はやては自転車に乗
りたがっているのだろうか。さっきの問答だけだと、ちょっと判断には迷う。けれど、
次の質問にだったら答えられる。自分ははやてと一緒に、自転車で町中を走ってみたい
か。
 答えはもちろん、そうだ。
 フェイトは自転車にまたがると、はやてに向かってこぎ出した。歩いたり走ったりす
るには少し苦労の居る距離になっていたけれど、自転車に乗ってしまうと風が走るみた
いにすぐに追いついてしまう。フェイトははやての横に並ぶと、その顔を覗き込んだ。
「おわっ!」
 音を立てずに近づいたからか、はやてが軽く飛び退った。
「自転車って、乗って走ってる時の方が静かだよね、なんとなく。」
 フェイトはそんなことを言いながら、片足を地面について止まった。車通りの無い住
宅街。道の真中に居るふたりを咎める人は居ない。鳥の声だって、少し遠い。
「そういうことやなくってな、おどかさんといてっていうだけや。」
 はやては不満げにそういうと、フェイトの隣に並び直した。そんなはやてに、フェイ
トは自転車の荷台を示した。
「はやて、後ろ乗って行かない?」
 はやては喜んでいる様な困っている様な、なんとも名前の付け難い色の表情をした。
でも、嫌がってないことだけは判る。だから、フェイトははやてを促す。
「ほら、早く。
 タイヤの真中にあるでっぱりに足をかければ良いらしいよ。」
 指で示された後輪の真中を見る。確かに、構造上の必要により出来たと思われるでっ
ぱりがある。
「え、でも・・、私・・その。」
 はやての靴の裏が、後ずさりした。アスファルトと靴がすれて、焦げる様な感触がす
る。フェイトはただ、はやての目を見つめた。
「はやてはしがみついてればいいだけだから。
 歩いてるのとも、空を飛ぶのとも、全然違うよ。
 ほら、行こうよ。」
 フェイトははやてに向かって、手を差し出した。

「おわぁっ!?」
 はやてがフェイトの背中に思いっきりしがみついて、両足を地面に着いた。こぎ出そ
うとしていたフェイトはバランスを崩してつんのめり、慌ててブレーキを握って自転車
を止める。
「は、はやて、だからスピードが出るまではどうしても揺れちゃうんだって。
 それまで怖いかもしれないけど、ちょっと我慢しててくれないと。」
 フェイトの腹部に回ったはやての手には目一杯の力が籠っていた。額をフェイトの首
の後ろに埋めて、どうみても怖がっているように見えた。3回もこげば速度に乗るのだ
ろが、はやてはフェイトが両足をペダルに乗せた時にはもう足でブレーキを掛けてしま
う。しかも、ムリにバランスを取ろうとして動くから、よけいにフェイトは走り難かっ
た。お陰で乗り始めた所からまだ5メートルくらいしか進めていない。
「わ、判ってるんやけど、その・・。
 ぐらぐらするとどうしても、な。どうバランスとってええかわからへんし。」
 いつになく頼りないはやての声が上がる。
「はやてはただの荷物になったつもりで、バランス取ろうとしなくていいよ。
 ちょっとの間だけ、足で自転車を止めないでくれればいいから。」
 この言葉を言うのは、たぶん3回目だ。きっとはやては、誰かの自転車の後ろにさえ
今まで乗ったことがなかったのだろう。だから、どうしていいか全然判っていない。そ
う思って声を掛けるのだけれど、頭と体は別、というやつなのだろう。
「う・・、わかっては居るんやけど。
 どうしても・・その、怖くてな。」
 言葉尻は冷えた夜気に溶けるように消えてしまった。はやてが息を呑んだのが背中越
しに伝わる。フェイトには、この後、はやてが言い出しそうなことが判る気がした。変
なところで遠慮をする性格だから、きっと、
「な、なぁ、もうええやろ?
 私は別に、自転車これから乗ろうとか思っておらへんし。
 やっぱ、私どんくさいから、ええよ、その、歩いて帰ろ?」
 はやては細切れに呟いて手を解こうとする。だけどフェイトはその手をしっかりと掴
んだ。
「フェ、フェイトちゃん・・。」
 肩越しに見ると、はやての瞳には困惑が滲んでいた。フェイトは少し笑う。
「もう一回だけ。
 今度で絶対成功させるから。
 そうしたらきっと、はやては自転車に乗れるようになりたい、って思うよ。」
 フェイトの面差しは優しい。けれど、奥には強い意志があるように思えた。はやては
悩むように口を噤むと、「・・・じゃあ、あと一回だけな。」と答えてフェイトに掴ま
った。
「よし、行くよ。」
 今度は、いくらはやてが動いても足でブレーキを掛けても止まらない。スピードが出
てバランスが取れてしまえば、嫌でもはやては足を離す筈だから、それまで渾身の力を
込めてこぐ。そう決めて、フェイトは地面を蹴った。
「う、わっ。」
 はやてが小さな悲鳴を漏らした。押し当てられた胸から、はやての緊張が伝わってく
る気がした。フェイトはペダルに力を込める。はやての靴がアスファルトを削って、速
度を落とす。よけいに揺れる車体にあわせ、はやてがフェイトの意志とは関係なく動く
から、軌跡が定まらない。
「はやて、しっかり掴まってるんだよ!」
 それでも、フェイトは逆の足にも力を込めた。ハンドルがどうしても左右に大きくぶ
れてしまうのを、自分のバランス感覚だけをたよりに真っ直ぐに定めて、なんとかもう
一回こぐ。
「――――っ。」
 はやてが息を詰まらせる。前かごの中ではやての鞄が暴れるけれど、それを制してさ
らにこいで行く。前へ、前へ。ハンドルが真っ直ぐ前を向く。車体の揺れが収まってい
く、自転車が滑らかに進み出す。
 そして、はやての足が地面から離れた。
「あ!」
 驚いた様にはやてが声を上げる。それを聞きながら、フェイトはさらに自転車をこい
だ。体が風に乗る。耳元で空気が切れて、景色が滑らかに流れていく。自転車が宵闇に
染まる街を走り始める。
「ほら、上手くいったでしょ?」
 フェイトは前を見たまま、後ろに居るはやてに向かって大きな声を出した。
「さ、さすがやな!
 ちょ、ちょお、怖かったけど。」
 はやてが同じように大きな声で返事をした。はやての家まで、車通りの少ない裏道を
選んで進んでいく。フェイトの前髪は自然と煽られて、長い髪は後ろに流れる。はやて
は金髪に頬を撫でられながら、水のように流れていく景色を目で追った。体の下、タイ
ヤ越しに道路の感触を受ける。アスファルトの微妙なおうとつや、小石を蹴散らして進
む自転車の走り。まるで自由に街中を進む。
「なんか、魚にでもなったみたいや。
 それか街の中で風に乗ってる木の葉みたいな。」
 フェイトはほのかに微笑んだ。二人分の重さを引き受けるペダルはいつもより重くて、
思った様な速度は出せない。けれど、何処までも走って行きたいと思った。
「ね、自転車もいいでしょ?」
 問うと、はやては小さく頷いた。
「うん。」
 フェイトは頭上を仰いだ。空にはいつの間にか、いくつかの星が瞬き始めている。吸
い込まれる様な濃紺の空に、真っ白い星が数粒。
「今度、一緒に自転車の練習しよう?
 それで、街中探検しようよ。
 きっとすごく楽しいよ。」
 紡いだ言葉が白い息になって靡いていく。はやてはフェイトの背に額を押し付けると、
小さな声で答えた。
「うん。」
 その声にフェイトは足に力を込める。すると、囁くようなはやての言葉が耳に触れた。
「でも、今日は少しだけ回り道をして帰ろう?」
 自転車は歩くのよりずっと速いから。はやてがそう言い添えたのが聞こえて、フェイ
トははやての家に向かう道から逸れるように、曲がり角を右に曲がった。