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「ね、ねぇ、アルフもついてきてよ?
 絶対だよ?」
 幼い声が中庭に沿う長い廊下に響く。
「だから、行くっていってるだろ?
 っていうか、尻込みしてるのはフェイトの方じゃないかぁ、もう。」
 アルフが赤茶の長い髪の間から覗かせた耳を垂らした。同じ色をした尾も力なくぶら下げて肩も
落とすと、フェイトは抱えたバスケットに顎を乗せて唇を結ぶ。足取りが止まって、視線が長い廊
下の先で落ちる。
「だ、だって・・・。
 母さん、きっと今も忙しいのに、邪魔しちゃダメかなって。」
 胸に抱いた藤のパスケットには、赤いチェックのナフキンが掛けてある。アルフは頭一個分低い
フェイトの顔を覗き込むと、その鼻を突いた。
「そんなの今に始まった事じゃないだろ。
 それに、今日を逃したらこんないい天気には巡り会えないかもしれないじゃないか。」
「それは・・そうかも知れないけど。」
 フェイトはバスケットを抱え直しながら、中庭を仰いだ。新緑の季節だった。昼前の日差しを浴
びて、下草がのびのびと背伸びをしている。小さな白い花が一面に咲いていて、その上にまるで足
跡を残すみたいに風が走り抜けていた。庭の真ん中の辺りで広葉樹の広げる大きな枝の下に落ちる
涼しげな木陰では青い小鳥がさえずっていて、フェイトの目の前を真っ白の蝶がひらひらと通り過
ぎて行く。
 真っ青な空を背景に輝いているまっしろの雲は、手を伸ばせば届きそうなくらいに近い。目蓋を
閉じても目に焼き付いてしまうくらいに。
「な? いい天気じゃないか。
 プレシアだって喜ぶって。
 フェイトが朝から作った、サンドイッチだってあるんだから。」
 弾んだ声で、アルフが目をきらきらさせて尻尾を音がするくらいに勢いよく振る。
「みんなで一緒に食べるんだからね、ダメだよ、つまみ食いしちゃ。」
 大げさにバスケットを抱えて、フェイトが歯を見せて笑った。赤いナフキンの間から、香ばしい
パンの匂いをフェイトも感じた。アルフはフェイトよりもずっと鼻が良いから、ゆで卵とマヨネー
ズの匂いも、お魚とレタスの匂いも、鶏とバターの匂いもちゃんと解っているんだろう。
「うんうん、つまみ食いなんてしないから、早くプレシアを誘っちゃうよ!」
 アルフが耳を意気揚々と立てた。小刻みに足踏みをして、今すぐにでも走って行きたいと全身で
訴えるアルフに、小首を傾げてフェイトが小さく笑う。
「アルフったら。
 もう見た目は私よりお姉ちゃんなのに。」
 金色の髪が背中を流れて、白いワンピースがささやかな風に揺れた。アルトセイムの山々から吹
き下ろして来た風は、甘い春の匂いがする。生まれて来たばかりの花や草の匂いがする。
「フェイトは8歳だっけ。
 あたしは13歳くらいだから、もう5歳も年上だ。」
 指折り数えたアルフは、目を一瞬輝かせると、胸を張った。
「ん、あたしがお姉ちゃんなんだから、
 妹のフェイトはあたしの言う事をちゃんと聞かなきゃだめだよ。」
 ぴ、っと人差し指を立ててみせると、フェイトが手を挙げて答えた。
「はい、わかりました。」
「いい返事だ、よろしい!」
 口々に言った二人は、そのままの姿勢で窺うように互いの顔をちらっと見た。すると、アルフの
口が開いて歯が見えて、フェイトの頬が緩んで赤くなり始める。そして、二人同時に笑い出した。
「まったく! フェイトが妹じゃあしっかりもの過ぎて、あたしの立場がなくなっちゃうよ!」
「アルフがお姉ちゃんだったら、私の分のご飯まで食べられちゃいそう。」
 フェイトの言葉に、「言ったなぁー。」とアルフが意地悪に牙を光らせた。
 フェイトはバスケットを抱え直すと、じりじりと後ろに下がる。互いを視線で牽制し合って、間
を取りながら機を窺い合う。
 契機は、庭から飛んで来た一匹のバッタだった。
「うわぁっ!」
 5センチメートルくらいはありそうな大きなバッタが、アルフを目がけて突如として飛来した。
怯んだアルフの横を駆け抜けて、フェイトはさっと廊下を走る。
「あ、こら待て、フェイトー!」
 紙一重でバッタを躱し、アルフが床を蹴って走る。ついこの間まではフェイトの方が足が速かっ
たけれど、身長が同じくらいになってから一度も追いかけっこでは勝てていない。でも、3メート
ルくらいは引き離せてるかな、とフェイトが肩越しに振り返ると、目の前にアルフの顔があった。
「わ!」
「捕まえたぁ!」
 アルフがフェイトを後ろから思いっきり抱きしめた。フェイトの足は軽く浮いて、思わずバスケ
ットを掴む手に力を込める。でも、アルフはそんなことなど知らないで、顔をフェイトの首に埋め
ると、頬を擦り寄せ尻尾を振った。
「ふふ、アルフってば! くすぐったいよぉ。」
 首を竦めて、フェイトが笑い声を零す。
「くすぐったくしてるんだよ!」
 アルフはその声がうれしくって、ますますフェイトに頬を擦り寄せた。フェイトの頬はフェイト
の性格みたいに柔らかくって、体は抱きしめると温かくって、良い匂いがする。
「よーし、プレシアのところに行こうか。
 このまま遊んでると、お昼の時間も過ぎちゃいそうだしね。」
 フェイトを下ろすと、アルフは自分のお腹に手を置いた。どんな時計よりも、アルフは自分のお
腹を一番信頼している。
「うん、そうだね。」
 いつも通りの様子だったけど、いつも通りおかしくって、フェイトは跳ねるように一歩目を進ん
だ。
「プレシアは時の庭園のほうかな?」
 一歩後ろをついてくるアルフの声に、フェイトは振り向かないで答えた。
「たぶん、そうだよ。」
 時の庭園は家を出てから10分くらい歩いたところにある。半ば土と森に埋もれた外から見ると
小さな丘みたいなものだ。大昔の次元航行船だと聞いた事があるけれど、詳しくは知らないし、詳
しく教えてくれる人はもう居ない。
「フェイトの魔法の勉強が終わったら、あれに乗ってどっか行くかも、ってリニスの話。
 本当だったんだね。」
 アルフが何処かぼんやりとした口調でそう零した。フェイトは廊下の端を出て、庭を突っ切って
歩き出す。芝生の間から幾本もの雑草が伸びていて、フェイトの膝の裏をくすぐった。太陽の下に
出ると、日差しが急に暑い。
「母さん、最近あっちに居る事が多いから、もしかしたらそろそろなのかもね。」
 そうしたら多分、このアルトセイムの山並みともしばらくはお別れだ。アルフと一緒に駆け回っ
た森とも、リニスに魔法を教わった野原とも、三人で星を数えた夜空とも。
 リニスは居なくなってしまった。でも、ここから離れる前に、一度で良いからプレシアも一緒に
みんなで、この日差しの中でピクニックみたいにご飯を食べたかった。
 前に研究所の傍に住んでいた時、約束したから。
 この仕事が終わったら、お休みを取って、ゆっくり過ごそう、って。遊ぼう、って約束したから。
「母さん、喜んでくれるかな。」
 バスケットを覗き込みながら、ちょっと不安げにフェイトが呟くと、追いかけて来たアルフが軽
くショルダータックルをした。
「当たり前だろ!
 フェイトのお母さんなんだから、喜ばないわけないじゃないか!」
 アルフの笑顔が見上げた青空の中で輝いていた。
「うん、そうだよね。」
 フェイトがアルフの手を取って歩き出す。アルフは手をぎゅっと握り返すと、鼻からいっぱいに
空気を吸い込んだ。甘い花の匂いの中に、フェイトの柔らかくって優しいどこかほっとする匂いが
乗っている。研究してばかりのプレシアとアルフはあまり会った事がないけれど、きっとフェイト
みたいに柔らかくって優しくってほっとする匂いがするんだろう。