「なぁ                 いよ。」
 おかあ                 から私も、空を見上げた。
「おかあさん、                きっとあれが宇宙なんだ。透き通ってるみ
 手をぎゅっとに                数えきれないくらいに光ってる。何処を
はてれやさんで、すっ                  がやけちゃいそうなくらいだ。
 ――――ったら。                       すら、
  うね、お花のかんむり、作っ
  かあさんはにっこりわらって、はらっ
   のまえにおぎょうぎよくすわる。                も無い真っ暗な空
    かんむりって、なあに?」                    っと続いてる。
     んがさいてる白いお花をなん本かつむ。きれいなみど

       ひみつよ。」
        そうに、おかあさんが目も口もにっこり。
         ておきなんだね!」
          あさんにきいたら、おかあさんがうんうんって、もっとうれしそうにに
           ごくきれいなのができるんだ。だっておかあさんはなんでもできちゃ
 息を忘れる程の痛みが、
 燃えるような痛みが喉を焼 っきい手がわっかにあんでいく。
「・・・あ、ぁぁ・・・・あ。」てるのかぜんぜんわかんない。けど、おかあさんはお花をど
 目の奥で光が明滅する。胃の中のものしちゃう。
くて、自分の体を見下ろせない。胸から脇腹までに
何かが体の中から垂れて来る。    くして、またにっこり。おかあさんの手に、きれいな
「は、ぁ・・・っ。」
 見ない方が、恐かった。
 硬く結ばれてしまった目蓋をこじ開けて、自分の体かんむりになっちゃった。みどりのくき
いた。服の間から覗いた胸に、赤く黒い裂傷が走りたしにお花のかんむりをのせてくれるのを、
引き攣って痛い。鼓動に合わせてじくじくと胸が
「あぁぁ・・・ああ・・・。」           きた。
 涙が溢れた。縁いっぱいまで溜まって、睫の
思議と光を纏って見えた。あの日みたいな、
「・・あ・・かぁ・・かあさん・・。」
 その煌めくような笑顔のまま、プレシア
 腹が真横に引き裂けた。
「フェイトぉっ!」
 体ががくがく震えて、手を                 あつい。
手に痙攣する。アルフ
「やめろよプレ
 やめろ
 アル
歩き出す。芝生の
出ると、日差しが急に暑い。
「母さん、最近あっちに居る事が多いから、
 そうしたら多分、このアルトセイムの山並みとも
た森とも、リニスに魔法を教わった野原とも、三人で星を数えた
 リニスは居なくなってしまった。でも、ここから離れる前に、一度で良い
みんなで、この日差しの中でピクニックみたいにご飯を食べたかった。
 前に研究所の傍に住んでいた時、約束したから。
 この仕事が終わったら、お休みを取って、ゆっくり過ごそう、って。遊ぼう、って約束した
                 るかな。」
耳の奥に音が籠る。               っと不安げにフェイトが呟くと、追いかけて来たアル
「か・・・さん。」
 その鞭を何に使うの。
 動物を叩く為のもので、私に何を、
「か・・・かあさん、何をするんですか。              真っ白の胸毛を膨ら
 何を・・・・かあさん。」               た鷹の迫力と、あざやかな黄色
 プレシアは鞭の形状を取ったデバイスを振り  た鷹の家族。
シアは嬉しくって、目を細めて笑っ 小道の真ん中で、アルフが拳を振り上げた。フェイトは
                             す。

                ルフが整えてくれた三歩の道を踏んだ。執事のように慇懃
  熱い            とう、と返して時の庭園の外縁部である通路を覆う蔦を手

                に作っているのだろう。斜面は急だから、どんな獣も鷹の
                には数羽の小さな鳥が羽ばたくのが見られる筈だ。今度も
 白いお花は、はながすうっとするいいにおい。ちっちゃくって、かわいいお花が、おかの下
までずぅーっとさいてる。わたしとおかあさんがすんでる町もすっごくちっちゃくみえる。あ
おい空とくっついてるみたい。
「おかーあさん。」
 おかあさんの手がすぐ目のまえでゆれてたから、ぎゅうっとひだり手でつかんだ。おかあさ
んをみあげたら、あおいお空にまっ白のくもがぽっかりうかんでた。
  ぁに、――――」
    さんがうれしそうににっこり。
       ありがとう!」
        ぎったら、おかあさんのほっぺがちょっとだけピンク色になる。おかあさん
 かあ      っごくかわいいんだ。それに、とってもやさしい。
 声を振り絞った。
にわがままを言うなんて、母   あげる。」
物だって、結局、無傷のまま持って来れ ぱにちょこんってすわった。だからわたしも、おか
のわがままばっかり言うなんて最低だ。だか
は、
「かあさん・・・。」
 プレシアは鞭の柄を持ち上げた。吊り下げられたフェイト どり色をしたくきがながぁくの
先には、こそげ落ちた皮膚が貼り付いていた。フェイトは真っ白
                    づいて来る。
              な目で私をじっと見つめた。青      熱い。

   かししてたんじゃないよ、天体観測してたんだ!」
 アルフは突然、リニスの方を振り向くと、人差し指を高々と夜空に向けた。私もアル
越しに、リニスをちらっと見る。昼間と変わらない格好をしてるリニスが、眉毛を動かして上
を見た。
「・・・しかたありませんね。
 その代わり、私も一緒にいます。」
 すごくあっさり、リニスは頷いてくれた。尻尾を横になびかせて、私の隣に座る。
「リニス、せまいよ。」
 ちょっと詰めてリニスが座ったから、アルフとリニスに挟まれて、肩がぎゅっと狭まった。
「勝手に夜更かししているバツです。」
 リニスがちょっといじわるに、口をにっこりさせた。でも、怒ってないみたい。本当は少し
に震えて
「それは、そう
 蔦に陽光が遮られて、              フェイトは引き攣るように頭を何度も
胸の奥に散る火花がある。これ                 ない。本当に辛いのは、
「会いたいんだろ。
 お母さんなんだ、遠慮すること無いじゃないか。」
 フェイトが顔を上げ、アルフを見据えた。火花が散る、
る光が薄い陰の満ちた場所を光のるつぼに変える。
「うん。」
 蔦に半ばまで飲み込まれた扉へとフェイト
手に染み込む。腕を伝って背筋まで忍び込
はある。けれどこの奥に、プレシアは
かさも、草の匂いも、風に木々が     ああああああああああっ!!!」 
 忙しいのはわかっている。な  プレシアの振るう鞭が胸を叩き切った。
った一時だけで良いから会い
かった。一緒にこの日差しを
込まれそうな青空の下で、
 金色の魔法陣がフェイ
 仄かな魔力光だけが
「ご、ごめんなさい・・・かあさ・・ん。
   さん・・。」
         自分が悪いんだ。母さんが仕事で忙しくて、研究も上手く行っていないの
             さんの気持ちを無視してる。傷つけたんだ。この前頼まれた探し
                  なかった。言われたこともまともに出来なくて、自分
                    ら、本当に辛いのは自分じゃない。本当に辛いの
                  が潜んでいる気配がする。
            入らないかい?」
     走り回っていたアルフが、犬みたいなポーズで私の足元に血液が落ちている。鞭の
けは私よりもずっと大きくなっちゃったのに、アルフってば  な顔で、プレシアを見上げて
らなくって、かわいい。
「もうちょっと、眺めてたいな。
 アルフは先に寝ててもいいよ。」
 そう言って頭を撫でると、アルフは目を細めた。 
「えーじゃあ、一緒にいるよ。」
 耳の付け根を掻いてあげると、気持ち良さそう
けてくれて、肌があったかい。
「ありがとう、アルフ。
 アルフあったかいね。」
 二つの耳がぴーんと元気よく立って、
ほおひげが全開だ。アルフの腕が私の                  い。
「だろー?
   と近づいていいんだからね。
      アルフが私にほお
        たいよぉ。」
          てだっこしてもらって、ご本をよんでも
         いできますか、とねこさんがたかさんに白いふうと
     ラキラお日さまがひかってて、カーテンもまっ白にひかってる。
   とかお花のにおいがして、きもちいいんだ。ちょっとだけ、さむいけ
おかあさんがあったかいんだもん。      に尻尾を振ってくれる。ぺったり肩をくっつ



「―                  アルフは満面の笑顔だ。きっと狼の姿にもどったら、
 そ                反対側の腕まで回る。
 おか
あさん            。」
「お花の          をぺったりくっつけた。
 おかあさ       。」
びてる。       にくすぐったいんだよ、アルフ。すっごく力一杯尻尾を振ってるから、
「できるまで、ひ    し。
 とってもたのし
「わかった! とっ        声がした。
 わくわくする。おか        くらい浮かせちゃった。早く寝なさい、って言われて
っこりした。きっとすっ         た、から・・・な。どうしよう。
うんだから。                で外に出るなんて。
 お花のくきをおかあさんのお
 うぅん、むずかしい。どうやっ           すぐ傍にあるアルフの顔をちらっと
んどんきれいなわにして、かんむ             い色の目が、頭の上の方を見る。
「おかあさん、じょうずだね。」
 そういったら、おかあさんは目をほ
 鞭がフェイトの右腕を切り裂い                       ルフの肩
「あ、ああああ・・・、ぁ。」
 血管を傷つけたのか、腕の内側から血が噴き出した。フェ
左右に振った。違う、ちがう、ちがう。嘘だ、本当に辛いのは私じゃ
ほんとうに、ほんとうにつらいのは
「あああああああ
 こ
「母さん、喜んでく                     熱い。
 バスケットを覗き込みながら、
くショルダータックルをした。
「当たり前だろ!
 フェイトのお母さんなんだから、喜ばないわけないじゃないか!」
 アルフの笑顔が見上げた青空の中で輝いていた。
「うん、そうだよね。」
 フェイトがアルフの手を取 て歩き出す。アルフは手をぎゅ
                 が、胸を袈裟懸けに走った。
            焼いた。
肌寒かったんだけど、リニスとアルフが横に
「やっぱり夏ってきれいだねぇ。   全部吐いてしまいそうで、声が上げられなかった。恐
 宝石箱ひっくり返したって、こうはならな   生まれた熱から、何かが染み出して来る。
 アルフが星空を見上げて、しみじみ言う。だ
 空は真っ黒で、何処までも続いているみたいで。
たいに綺麗で、そこにきらきら眩しい星がもう本当に
見ても眩しくって、星がいっぱい群れてる所もあって、目
「フェイト、左の山裾の方から、空のてっぺんに向かってうっ
 空の色が違うのわかりますか?
 ぼんやり、違うでしょう?」
 リニスの指が、空を斜めに刺す。じっと目を凝らしてみると、本当に、星
がすこーしだけ本当にすこしだけ、色が明るいような気がする。帯みたいにずぅ
「あれが、この星がある銀河なんですよ。」
お花のかんむりがで あがってる。
「ほら、アリシア。」
 白くてちっちゃくってかわいいお花がわになっ
もとってもきれい。わたしはおかあさんの手が、わ
じっとまつ。
 ちっちゃな音がして、お花のにおいがふわっとふってき
「かわいいわ、アリシア。」                    熱い。
 おかあさんがすっごくうれしそうににっこりする。
 うん、おかあさん。
 わたしもおかあさんのこと、だ



 熱い。


「っあぁ!!」
 胸を掻き毟りフェイトは跳ね起きた。途端、体中を走った痛みに身悶えして床を転げ回った。
服に、床に、生傷が擦れる。
「うぅあ、あぁっ・・・!」
 空気すら体中を走る傷口に指をねじ込み掻き潰す。胸も腹も足も背中も腕も腫れ上がって熱
と痛みを撒き散らす。フェイトは両手で胸と太腿を掴み、額を床に押し付ける。震える生暖か
い自分の息が頬に当たった。
「はっ・・・は、・・・あぁ・・・っ。」
 滲んだ汗が額の傷に染み込んだ。広がる痛みと痒みに頭を逸らすと、べたついた髪が首筋の
裂傷に挟まった。細い髪が生肉を抉る。
「ふぅ、あっ・・・ぁ。」
 歯を剥き出しにフェイトは唸った。顔面を硬く強ばらせて、震える指で髪を傷口から引き抜
く。噛んだ下唇は既に切れていて、晴れ上がったせいか変な味がした。
「は・・・っ。」
 荒い息がひび割れた喉を引っ掻いて行く。フェイトは左手で胸倉を握り締め、ゆっくりと緊
張を解いていった。何度も呼吸を繰り返して、痛みを少しでも忘れられるように目を見開いて
暗い虚空を凝然と映し、何処とも無く見つめ続ける。冷や汗が染みた。鼓動がわずかづつ収ま
り始める。
「・・・・は。」
 広く、何もない部屋にフェイトは転がっていた。暗く、空気も動かず、奥にある通路から漏
れる青とも紫とも判別の付かなうすぼんやりとした光だけが、フェイトの視界を照らした。自
分の呼吸以外、何も聞こえない。雪山みたいに。
 時の庭園が次元の海に出た。フェイトは胸を掴んでいた指を解き、首を僅かに持ち上げた。
目の動く限り回りを見渡して、細い声で呼びかける。
「アルフ・・・?」
 薄く呼びかけが広がって行く。その波紋は部屋の壁に飲み込まれて、何も帰って来るものは
なかった。誰も居ない。静寂が肌を焼き、髪に触れた。フェイトはそのことにたまらなく安堵
した。アルフが居ないことが、今だけは嬉しくてたまらなかった。あんなに叫んでいる所をア
ルフには聞かせられない。他次元に居るならば、精神リンクも弱い。
 腕に力を込め、フェイトは上体を起こした。手首がじんじんと痺れて存在を主張する。傷に
貼り付いた服が引っ張られ痛んだ。シャツの襟を少しだけ覗き込み、フェイトは自分の胸を見
下ろした。
「どう、しよ・・・。」
 血が固まって、傷口とシャツがべったりくっついている。指で少し引くと、中の肉まで引き
摺られて、神経に障る。
 剥がさなきゃ、行動は一瞬だった。
「――――っ!」
 シャツの胸倉を一息に引っぱり、傷口とシャツを引き剥がした。雑草でも一気に引き抜くよ
うな音だった。胸から腹まで縦横に走る傷口が一斉に目を覚まして、煩く爪を立てる。青黒い
痣が走る膝をフェイトは握り締めた。
 傷口から血と共に、黄色とも白とも付かないどろっとした体液が垂れていた。アルフが着せ
てくれていたシャツにもついて、茶色の染みをいくつも作っている。膿んでいた。乾かない傷
を幾日も放っておけば当たり前だった。フェイトは血と膿みの塊を親指で掬い、人差し指で潰
した。べたべたと指紋にへばりつき気色悪い。悪臭もした。
「くさい。」
 手を裾で拭った。日を置かず二度叩かれて、アルフが立ち上がれるようになった頃に、時の
庭園はアルトセイムの山を飛び立った。土塊と岩石を落とし、山並みも、住んでいた家も、巻
き付いていた蔦も壊して、次元航行へと移った。だからどうしても、これまで放っておくしか
無かった。
 膝を抱えて、フェイトはぎゅっと小さく丸まった。自分の心臓の音が反射して聞こえた。
 頬を叩かれたのは、初めてだった。作ったものをあんなふうに突き飛ばされるなんて初めて
だった。冷たいなんて言われたのは、初めてだった。鎖で吊るされて、気絶するまで鞭で叩か
れるなんて、思ってもみなかった。それもあんなに恐い、顔で。
 どうしてあんなに、私を叩いたんだろう。
 言われた通りのことができなかったから? 
 私が、すごく冷たくて、酷い子だから?
 だから、あんなに痛いことを、されなきゃいけなかったんだろうか。
 息が詰まって、頭の中がまっ白になって、火傷の何倍も痛いことを、あんなに何度も。どう
して、母さんはあんなに優しい人だったのに。まるで、私に、
 膝頭を掴んだ。そのとき、通路から差し込む光の色がちらっと変化した。フェイトは一瞥す
ると、奥歯に力を入れて腰を浮かせた。足も体も震えた。服が太腿に擦れるのが痛くて、引き
摺るように歩いて行く。情けない音がフェイトの後を付いて回った。それ以外に、なんの気配
もなかった。壁に手をかけ、フェイトは通路へと顔を出した。
 突き抜けるような天井の下、見上げる程に大きな宝石が正面の壁に嵌っていた。外からも見
た、あの大きな宝石だ。外の次元空間の乱雑な色を透かして、様々な色を通路へとフェイトへ
と零す。フェイトはターコイズブルーに、エメラルドに、ラベンダーに、自分の腕が、姿が色
付けられるのを見下ろした。そうして、聳える宝石を瞳に映した。
「水のなか、みたいだ。」
 淡い光の方へ、近づいて行く。抱きしめられているみたいだった、包まれているみたいだっ
た。自分の髪も、顔も、体も、同じ色の影が落ちて、揺らいでいる。フェイトは両手で、宝石
へと触れた。自分の体と違い、ひんやりとしていた。
 その手首に、赤黒い傷痕が巻き付いている。鎖が食い込んで、皮膚を抉った痕だ。瘡蓋さえ
まだ不完全で、千切れた肉の合間に血が浮かんでいる。両の手首とも、どろどろの水たまりみ
たいだった。
「ふふっ。」
 急に可笑しくなって、フェイトはくすっと笑みを零した。笑い始めると止まらなくて、肩を
縮こまらせて我慢してみる。だけど、それでも止まらないのが可笑しくって、忍び笑いは段々
大きくなる。

 母さんが、何年も私を見てくれなかった母さんが、ようやく私を見てくれた。ちょっと恐か
ったけど、でもようやく私の為に時間をくれたんだ。今まで五分と居てくれたことはないのに、
私の顔をあんなに見て、手だって繋がせてくれた。

「あははっ。」
 喉を震わせると、口許に触れさせた手が揺れた。滲んだ血液が同じように僅かに振動する。
十本の爪の間全てに血と皮がこびり付いている。腫れていて、少し下ろしただけでも千切れそ
うに痛む。
 でも、この痛みが証明だ。母さんは変わらない。

 母さんは前と変わらない。
 ちょっと不器用なだけで。膝に乗せて本を読んでくれた頃と、誕生日のケーキを焼いてくれ
た頃と、花の冠を作ってくれた頃と、何にも変わらない。私がちゃんとした魔導師になれるよ
うに、私がこの先困らないように、ちゃんと私のことを考えてくれてる。私を想って、私の為
に。私を鞭で、

「ははっ、は・・・・ぁ。」
 フェイトの顔がぐちゃっと潰れた。

 私を鞭で叩いたんだ。

「あああああああああああああああああっ!!!」
 慟哭を迸らせ、フェイトは両腕で目の前の玉を殴りつけた。手首から血が吹き飛んで、拳の
が割れそうに痛んだ。それでも、何発も何発も、息が切れるまで殴り続ける。玉は少しも動か
ない。手の甲が傷つくだけだ。
「ぁぁ・・あああああ・・・・っ。」
 頭を抱え、玉にもたれかかり、フェイトはずるずると崩れ落ちて行く。肘から先も何本も線
が走って腫れている。
「う、あ・・・っ。」
 この次元航行船が飛び立つとき、ここからアルトセイムの山並みを見つめていた。空に浮か
び始めると、絡んでいた蔦が千切れて何十メートルも何百メートルも下へ落ちて行った。緑の
滝の中に、木の枝で出来た巣が落下して行くのを見た。遠くて良く見えなかったけど、何かが
そこから零れて行って。鷹の、鋭い声が聞こえた。森の遠くで、羽ばたいた大きな翼を一瞬。
「ちがう・・・、ちがうんだ・・・。」
 何が違うのかわからないのに、呪文のようにフェイトはそう口にした。膝をついて、ただ色
を変える壁面に縋り付く。なんでこんなに、なんでこんな気持ちがするのか、わからない。私
がこんな気持ちじゃ可哀想だから、アルフとの精神リンクを切ってあげた方がいいんだろうか、
そう思ってでも、違うと頭を振る。だって、母さんは自分を想ってしてくれたのに、それが酷
いことなわけないのに、何をこんな気持ちになる必要があるんだ。だから、酷いことじゃない
んだから、リンクを切る必要なんか無い。
 いくら体中痛くたって、熱が出て何日も眠れなくたって、どんなにいっぱい、血が出たって。
 酷くなんか無い。
「わたしは・・・わたしは・・・・っ。」
 踞ったまま、顔を上げた。玉の表面に自分の顔が映り込んでいた。眉を吊り上げて、目を乾
かせて、泣き笑いみたいな表情をしている。その顔面の中心、額から右頬に掛けて真っ直ぐ、
青黒い痣が走っている。化膿して、額には黄色の液体が溜まっていた。
「そう・・・だよ。」
 右手で薄らと傷をなぞった。
 顔に鞭が当たったとき、母さんはすごくびっくりして、すごく傷ついた顔して、すごく心配
してくれた。そうしてすぐに叩くのをやめてくれたんだ。顔に傷が残ったら大変だもん。だか
ら、母さんは私を想ってくれてるんだ。母さんは、かあさんは

 中指が触れたら、膨らんでいた膿の山が潰れて、血と黄色い液体が垂れた。

 フェイトはぎゅっと、自分の体を抱きしめた。脂汗で濡れそぼって、血と膿を流す汚い体だ。
傷口から今も、熱が生まれている。
 かあさんが何度も、何度も何度も何度も叩いたんだ。
 いくら叫んでも、いくら謝っても、いくらお願いしても聞き入れずに何度も。

 まるで、私を、

「ちがう、私は、わたしは・・・・っ。」
 あの時自分の脳裏に焼き付いた言葉を振り払う為に。
 フェイトは腹の底から絶叫を振り絞った。

「私は、要らなくなんかない!!!」