×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

星空









 アリサが人差し指をフェイトの鼻に突きつける。
「いーい、アンタ、最近忙しいんだかなんだか知らないけど、
 24日は空けんのよ? わかった?」
 その剣幕に押されながらもフェイトは胸の前で手を握って意気込みを表した。
「うん、大丈夫。
 ちゃんとプレゼントも買ってくるからっ。」
 小さい頃からずっと変わらない仕草。腰の所にある髪留めのリポンが尻尾みたいに跳ねた。
「そうだよ、フェイトちゃん。アリサちゃんったら、12月に入ってからずーっと、フェイトちゃんはちゃ
んと来られるのかなあ、って心配してたんだから。絶対空けておかないとだめだよ?」
 掌を合わせて微笑むすずかをアリサが横目で見た。頬が見る間に赤く染まって、アリサは椅子の上で小さ
くなる。フェイトは照れたように頬を赤らめてはにかんだ。
「それじゃあ、なんとしても予定を空けなくちゃね。ありがとう、アリサ。」
 顔を俯けたまま、アリサはフェイトを振り向かなかった。振り向かないまま、消え入るような声で呟く。
「当然よ。」
 その様に、思わずはやては吹き出した。
「アリサちゃんってばツンデレー!」
「っさいわねぇ!」
 弾かれたようにアリサが怒鳴ると、なのはがころころと笑い声を立てた。期末テストは中二日目、部活動
も休みの五人しか居ないC組の教室で笑い声が跳ね回る。
「なのはも笑ってんじゃないわよ!」
 アリサが後ろの席に座っているなのはの頭に軽くチョップを加えるけれど、なのはの口からは「にゃはは
は。」と笑い声が溢れ続けている。すずかの唇が釣られて綻び始めていた。はやてはなのはの笑い声をBG
Mにアリサの顔を覗き込む。
「素直やないんねぇ、アリサちゃんはー。」
 可笑しくて、はやての唇は自然とめくれて、ニヤニヤと笑っていた。アリサが怖いくらいの目つきで睨ん
でくるけれど、そんなことはもうおかまい無しだった。
「そんなに、アリサは気にしてくれてたの?」
 置いてけぼりを食らっているフェイトがきょとんと突っ立っていた。はやてはアリサの机の上に腰掛ける
と、手を開いて肩を竦めてみせる。
「そりゃぁ、もう! フェイトちゃんが居ないお昼休みの時は、毎回気にしてくれてたで。
 怪我してないかとか、ご飯食べてるのかとか、お母さんみたいやったもん!」
 アリサがはやてを睨めつけたけれど、アリサの後ろの席ではなのはが背中を丸めて笑っていた。噛み殺そ
うとしているにも関わらず溢れてくる笑いは、火山の噴火みたいに耳につく。
「そうなんだ。」
 フェイトは呟いて、隣に立っているすずかを窺った。すずかが大きく頷いてみせると、アリサはますます
小さくなる。髪の間から覗く耳が赤い。
「そーそー。せやから、忙しくてもごはんはちゃんと食べなきゃあかんよ?
 そうやないとおっぱいがちゃんと成長せえへんからな。まだ殆ど真っ平らやん、フェイトちゃんのお」
 鈍い音がはやてを沈めた。
 脇腹に突き刺さったアリサの肘と、身を乗り出したなのはの放つ拳がこめかみを捉えていた。
「…今のはマジに入ったわ…。」
 アリサの机の上に倒れこんだはやての口から、か細い声が滲んだ。フェイトは頬を掻いて、顔を上げた。
 窓際に並んだアリサとなのはの席。そこに居る三人と隣で佇むすずかのことを、窓から注ぐ白んだ光が撫
でている。風が少しある。校庭で砂埃が巻き上げられているのが見えた。雲に覆われた空はけぶるような淡
い灰色をしていた。今日は午後から雪が降ると言う。
「私、そろそろ時間だから、先に帰るね。」
 倒れていたはやてが顔を上げ、怒っていたアリサが目を丸くし、すずかが首を傾げた。
「え、帰るん?」
「テスト勉強なんて今からしてるようじゃ遅いわよ。」
「用事?」
 フェイトは首を振ると、足元の鞄を拾い上げた。
「ちょっと管理局にね。事件とか、そういう大した事じゃないんだけど。」
 なのはだけが静かにフェイトを見上げていた。先程まで上げていた笑いの気配はない。驚いた様子もなく、
ただフェイトをその双眸に映していた。
「その、ちょっと前に保護した男の子が居てね。
 でもいままでいろいろあったから、誰も信用出来ないみたいなんだ。それで凄く、寂しそうだから。」
 外を過る風の音が教室に響いていた。フェイトは鞄の取っ手を握り締めて、アリサとはやてとすずかを見
回した。
「どう接していいか、なかなか判らないけど。
 でも、あの子が笑ってくれるようになったらいいな、って、思うから。
 だから、なるべく会いに行ってあげたいんだ。」
 フェイトが少しだけなのはの方を向く。なのはの顔は変わらなかったけれど、フェイトは微かに髪を揺ら
したように、はやてには見えた。
「はいはい、わかったわかった。行って来なさいよ、一秒でも早く。」
 アリサが大仰に肩を竦めた。そして立ち上がると、フェイトの胸元をとん、と叩く。
「アンタのそういう所、好きよ。
 クリスマス会にはちゃんと出るなら、だけどね。」
 アリサを見上げ、びっくりした顔をしているフェイトはなんだか小学生の時のままみたいだった。癖のつ
いた前髪が小さく跳ねた。
「返事は?」
 ぼうっとしているフェイトに向かって、アリサが問い返す。
「うん、絶対に行くから。」
 するとフェイトは花やかに笑った。


 ぼんやりとはやてはぼやいた。
「なーんて、そんなことも言うてたなぁ。」
 クリスマスツリーがきらきらと輝いていた。
 吹き抜けの玄関ホールの中央に聳える高さ数メートルのモミの木は黒々とした枝葉を伸ばしている。凛と
張ったその先には、モールや星飾りが揺れていて、電飾がその奥で瞬くように光っている。頂上に飾られた
星は一抱えも在りそうなくらいに大きくて、琥珀色のガラスに見えた。ガラスの中で水のように光が揺らめ
いている。
「そろそろ来る時間ね。」
 アリサが握ったクラッカーを潰しそうになりながら口を開いた。こめかみが引き攣っていて、なのはは宥
めるように肩を軽く叩く。
「ふぇ、フェイトちゃんも悪気があって遅刻してくるわけじゃないんだし。ね?」
 玄関を見下ろす二階フロアは暖房の熱気が上がって来ていて、頬がぼうっと熱くなる。はやては手の甲で
自分の顔を冷やしながら、セーターの襟首を引っ張った。
「ってもまあ、もう7時になっちゃうしなあ。二時間のだーいちこくやん。」
 はやての手首には冗談で用意した紙製のパーティ帽子がぶら下がっている。派手なピンク色のとんがりコ
ーンは金の帯がさらなる派手さを求めてスパイラルしていて、天辺には同じく金色のボンボンがついている。
「あの子がちょっと用事があるって言うから時間をずらしたって言うのに。
 最近、良い度胸してるわ、あの子。」
 アリサの手の中で、クラッカーが暴発しても可笑しくない勢いでめりめりと音を立てた。
「まあまあ、アリサちゃん。さっきもうこっちについたって連絡はあったんだから。」
 すずかがアリサの腕に触れる。アリサはむっと唇を尖らせると、クラッカーをもう1つスカートのポケッ
トから取り出した。
「フェイトが来たら、驚かせてやるわよ。」
 クラッカーをすずかに握らせる。なのはは既に用意していたようで、手にしたクラッカーを翳しいたずら
っぽく歯を見せる。はやては持っていたパーティ帽子の安いゴムひもをぱちんと引っ張った。そうして、玄
関を見下ろす手摺から離れて、背中を廊下の壁に預ける。はめ殺しの窓にはすずかとアリサ、なのはの三人
の後ろ姿が映っている。夜を背景にした窓は鏡みたいで、真っ黒の外はよく見えない。ただ、窓枠に雪が薄
らと積もっていた。
 真っ黒の外では雪が舞っていた。
 はやてが家を出る頃に降り出した粉雪はいまや、折り重なる羽のような大きさになって空から落ちてくる。
夜風を描き出すように白く、軌跡を刻んで自由に舞う雪はでも、直ぐに暗闇の中に消えて行く。窓からはみ
出た光を離れると、もうはやての目には見えない。窓に顔を近づけると、そこでだけ暖房の匂いから解き放
たれて、冬の匂いが鼻を掠めた。
「こんの遅刻魔ぁぁぁああああああああああああっ!!」
 アリサの怒鳴り声が迸った。
 振り返った瞬間見えたのは、クラッカーを階下に向けてフルスイングで投げつけるアリサの雄々しい後ろ
姿だった。
「痛ぁっ! ひどいよ、アリサぁ。」
 玄関からひ弱な嘆きが上がって来た。足音が聞こえる。はやてはなのはの隣に身を乗り出して、玄関を覗
き込んだ。広い玄関ホールには両開きの大きな扉が嵌っていて、クリスマスツリーが中央に聳えている。そ
の木の横手に、白いダッフルコートに包まった人が立って、はやて達の方を見上げていた。
「遅刻しました、ごめんなさい。」
 フェイトが首を傾げると、頭に積もった雪が肩に落ちた。なのはが手摺から身を乗り出して、大きく腕を
振った。
「あんまり遅いから、もうケーキ食べちゃったよー!」
 フェイトがあからさまに肩を跳ねさせた。元から大きい目がくるんと丸く開かれて、癖のある前髪が心無
しか項垂れる。
「そ、そうだよね…。もう二時間も遅刻してるもんね。」
 しょぼしょぼ呟いて、フェイトはホール脇の階段を上がり始める。薄青いマフラーを解く手つきは何処か
頼りない。はやてはなのはに軽く肩をぶつけると、小声で耳打ちした。
「あっからさまにしょぼくれとるやん。」
 なのはは眉を片方だけ上げて、サイドテールを跳ねさせた。
「分りやすいところがかわいいんだよ、はやてちゃん。」
 すずかがくすくすと忍び笑いを零していた。アリサは呆れたとでも言いたげだったけれど、特に真実をフェ
イトに教えてやるつもりはないようだった。腰に両腕を据えたまま仁王立ちするアリサの後ろ姿は頼りがい
がある。
「いつみても、アリサの家のクリスマスツリーはすごいねなんか、ジャングルみたい。」
 フェイトは二階に上がってくると、やっと見下ろせるようになったクリスマスツリーを眺めて言った。
「ほめてんの、それ?」
 いつも通りのボケているんだか本気なんだか分らないコメントに、アリサはいつも通りに突っ込んだ。眺
めのコートに半ば隠れた手で、フェイトは頬を掻く。
「えっと、褒めてるつもりだったんだけど。」
 背が伸びることを見越して買った大きめのコートは未だ大きめのままだった。アリサは慣れっこだからと
肩を竦めると、「まあ、そういうことにしといてあげる。」と呟いて、フェイトの顔を覗き込んだ。
「アンタなんか食べて来たの? お腹空いてんじゃない?」
 にりにりとアリサがフェイトの額を人差し指で押す。フェイトは自分より背の高いアリサを上目遣いで見
つめた。
「ま、まだなんにも食べてない、けど…。 でももうみんな、ケーキ食べちゃったんでしょ?」
 か細い語尾。心底悲しそうに眉を垂らすフェイトの顔は、なんだかアリサの胸を抉る物があった。もっと
も、アリサの後ろでお腹を抱えているなのはとはやてには、そんな良心はないようだけれど。
 なのははアリサの横を擦り抜けると、フェイトの腕に抱きついた。
「だってぇ、今日はなのはも頑張って一緒に作ったケーキだったのに、
 フェイトちゃんぜーんぜん来ないんだもん。二時間も待ったんだよ?」
 フェイトの肩に乗っていた溶けた雪がなのはの頬を少しだけ濡らす。雪の降る夜道を歩いて来たフェイト
の鼻先はまだ寒気で赤かった。
「うん、ありがとう、なのは。ごめんね。」
 そう呟くフェイトの額に自分の額を併せて、なのははじっと食い入るように顔を見つめた。その眼差しに、
フェイトがどんどんしょんぼりしていく。肩が小さく丸まって、足が気弱に内股になる。お出かけ用のロー
ファー風の靴にも水滴がまだついていた。
「フェイトちゃん。」
 なのははフェイトの頬を挟むと、自分の方を向かせた。なのははフェイトと間近で見つめ合い、真剣その
ものの口調で言い放った。
「嘘だからね。」

 唇をとんがらせて、フェイトが手摺につかまっていた。
「みんないつも私のことからかって。ひどいよ。」
 どうやらケーキを先に食べられてしまった、という嘘はフェイトにとって随分残酷なことのようだった。
普段はどれだけ遊ばれても大抵拗ねもしないで許すのに、今日ばっかりは恨めしげに黄昏れている。
「あはは、ごめんごめんて、フェイトちゃんかっわいーからしゃあないんやって。ね、なのはちゃん!」
「そうそう、フェイトちゃんかわいいから!」
 なのはとはやてでそんなフェイトの脇をがっちり固めて、しきりに背中を叩いたり肩を撫でたりして宥め
る。
「ほら、フェイトちゃんの為に用意したご機嫌な帽子やで!
 ちょう似合ってる! いける!」
 はやてはフェイトの頭に、さっきからぶら下げていたパーティ帽子を乗せると、ゴムひもを顎に掛けさせ
た。ピンクと金のスパイラルを描く円錐帽子は金のボンボンを先っぽで振って賑やかだ。フェイトが肩を落
とすと、帽子はオーバーリアクションをしてくれる。
「もう、はやてってば。」
 フェイトがはやてを振り返って微笑んだ。
 呆れたような、拗ねた気持ちを押し流した後の微笑。もう許したとその笑みが告げている。クリスマスツ
リーの零す光が金色の睫の先で震えていた。赤い瞳にはやてが映る。淡い色の唇が僅かに綻んだ。
「ケーキの用意とか頼んで来たから。とりあえず、プレゼント交換でもそろそろしましょう。」
 アリサの声がフェイトの後ろからした。フェイトの為の軽食とケーキを家の人に頼みに行っていたアリサ
が階段を上がって来ようとしていた。
 もうすぐケーキが出てくる。だが、フェイトの肩はびくっと震えた。はやてが眺めている目の前で顔面が
蒼白になる。
「…ちょっと、まさか。」
 はやてが恐る恐る唇を戦慄かせると、フェイトはマフラーを首に掛けた。
 そのまさかだった。
「戻って取ってくる!」
「ちょっと待てぇい!」
 フェイトはプレゼントを忘れて来ていた。しかし、走り出したフェイトの腕をはやては思いっきり掴んだ。
細い腕を引き止めるのは容易で、小さい体はすぐにつんのめって止まった。
「戻るって、何処まで戻るんかな、フェイトちゃん。」
 はやてがじっと睨むと、フェイトは白状した。
「か、管理局…。」
「なおさら取りに戻るなぁ!」
 すぱこーんと良い音を立てて、はやては自分が被せたパーティ帽子を殴り飛ばした。

		/

『メリークリスマス!』
 二時間も前に言った言葉がまだ体の中に反響していて、足がふわふわする。いつもより10センチ高い所
を歩いている気持ちで、フェイトは歩道にステップを刻む。真冬の夜風は冷たいけれど雪は止んでいた。足
の速い風が上空を覆う雲を吹き流して、何処までも黒い夜空を覗かせる。雲の向こうに宇宙が見える。
「フェイトちゃん、にこにこしてる。」
 弾んだなのはの声が耳に触れた。振り返るより早く細い人差し指に頬を押され、フェイトはつっかえ棒越
しに振り返った。
「だって、久しぶりにみんなとゆっくり過ごしたから。
 これから冬休みだし、なのはとはやてとも忙しくなる前に会えてうれしいんだ。」
 そうだね、となのはもはやても頷き返した。今年の冬はきっと、今までよりも会う機会は減るだろう。み
なそれぞれ、やるべきことがある。
 雪は一時、街を白く包むかと思ったけれど、道路には薄らと積もっただけで轍のように欠片が残る以外は
消えてしまっていた。路面だけが黒く、蛍光灯の光を湛えている。雪は家々の屋根や塀の上や木々を凍らせ
るだけだった。
 フェイトが民家の塀から伸びる松の枝に触れた。氷みたいな雪の塊が散る。
「でも、はやてにはなるべく早く、もう一回会いたいな。
 クリスマスプレゼント、はやてに渡さないとね。」
「ほんまや。私だけプレゼント交換やなくて、ただプレゼントしてるだけやん、このままやと。」
 なのはがおかしそうに笑った。白い息が火山活動みたいに吹き出す。
 はやてのポケットに入っているのは『フェイト』と書かれた紙片一枚で、これが現行のクリスマスプレゼ
ントだった。後に交換する際の引換券だなんて、どこの商店街のくじびきかと、さっき散々笑ったのがまだ、
はやてのお腹の辺りにも残っている。
 三人の足取りが、歩道も信号機もない小さな交差点に差し掛かる。なのはは顔を上げると、はやてとフェ
イトを振り返った。
「私ここで曲がってくね!」
「あれ、いつもはもうちょっと真っ直ぐ行くやん。」
 はやては目の前、真っ直ぐの道を指しながら首を傾げた。なのはが行こうとしているのは、大通りに出る
方向だった。そちらを使っても帰れるのは知っているが、遠回りになるからと、いつもはもう少し一緒に行
く。
「そうなんだけどね。ちょっと遅い時間だから、お母さんが大通りから帰って来なさい、って。」
 いつもの道は、住宅街の中を通る路地だった。明かりも灯ってはいるが、確かに大通りよりは暗いだろう。
ずっと先を見通そうとしても、奥は真っ黒く夜の闇に飲まれてしまっている。最初に道が分かれて一人で歩
く時間が長いのはなのはだ。お母さんが心配するのも当然だった。
「なのはちゃんを襲うなんてなぁ。なんか、どっちが襲ったんだかわからへんことになりそうやけど。」
「ちょっとー、どういう意味ー?」
 はやてはにやっと口角を吊り上げると、「べっつにー。」と嘯いた。なのははこれ見よがしに腰に手を当
てて怒っているポーズをする。
「なのは、送って行こうか?」
 フェイトの足元で、塊になっていた雪が踏み砕かれた。
 冷たいばかりの空気に息は白く染まる。フェイトの頬は冷気に切り裂かれて赤かった。細く白いフェイト
の右手がなのはに開かれる。
「ううん、大丈夫。」
 なのははそう紡ぐと、毛糸の手袋をはめた手でフェイトの右手を包んだ。フェイトは右手を包むなのはの
両手に、自分の左手を重ねる。赤い瞳がなのはを映していた。そうして、密やかな音色で頷く。
「わかった。」
 なのはが小さく頷いた。
 はやては吹き過ぎて暗闇に飲まれて行く白い呼気の行方を、微かに目で追う。何処とも無く立ち消えてい
く霞を。
「それじゃあまたね! おやすみー!」
 なのはの靴が軽やかな音を刻んだ。大きく手を振って、なのはが駆けて行く。ベージュのPコートが翻っ
て、背中で小さなリュックが跳ねる。
「なのは、おやすみー!」
「気ぃつけてなー!」
 フェイトとはやては口々になのはへの別れの挨拶を投げかける。なのはは何度も振り返りながら、大通り
の方へと走って行った。柔らかな茶色の髪が緩やかに夜の青に染まって、後ろ姿が街角に溶けて行くまでず
っと。
「帰ろっか。」
 フェイトは手を下ろすと、はやてに微笑みかけた。
「そうやね。」
 少しだけ自分の方が背が高いことを強調するように、はやてはフェイトの頭にぽんと手を置いた。掌の下
で、フェイトがくすぐったそうに首を竦めた。そうして、二人っきりで夜道を歩き出す。ほんの十分もない
二人きりの歩み。フェイトのコートが擦れる気配が耳についた。冷えきって千切れそうな耳たぶが、フェイ
トの歩いている右側だけ温かい、そんな錯覚。
「そういえば、はやては今日、シグナム達とはケーキ食べなくて良かったの?」
 小学生の頃からずっと、この三人で並べば一番背が高いのはフェイトだった。けれど、いつの間にかはや
てが少しだけ追い越してしまったままだった。そうして見えるようになった金髪の頭の上の方を眺めてから、
はやては意味深に含み笑いをした。
「ふっふ、お昼の時に一緒に食べたんやな、これが。」
「ええ! 二つも食べたってこと?」
 はやてにとってだって、クリスマスが元は何のお祝いかなんて正直どうでもいいことだけれど、フェイト
は完全にクリスマスをおいしいケーキが食べられる日、と認識しているみたいだった。
「そう、しかもお昼のは私の手作りやで。」
 探偵みたいに格好つけて、はやては人差し指と親指を顎に当てた。不敵な眼光は暗がりの中でも鈍い存在
感を放つ。
「はやての手作りかぁ。いいなあ、シグナム達がうらやましいよ。」
 はやては思わずフェイトを振り返っていた。フェイトは夜空を見上げていた。端正な横顔に夜風と星明か
りが吹き抜ける。金糸が幾本か流れ、唇の隙間から白く凍る息が溢れて、靡いた。
「はやて、どうかした?」
「あ、ううん! なんでも!」
 赤い瞳が眼窩を滑って、はやてを映した。瞬間、はやては頭を全力で横に振っていた。自分でも笑ってし
まいそうなくらいに不自然な仕草だった。心臓が胸の中で大きな音を立てていた。胸腔を叩き割って出て来
てしまいそうなくらいに。
「ね、はやて。」
 フェイトの手がはやての肩に乗った。振り返ると鼻が触れるのではないかというくらい近くにフェイトの
顔があった。
「な、なにっ?」
 はやては声がひっくり返るのを抑えられなかった。フェイトが息をしているのすら分る距離。肩に置かれ
た手からはコートを越してゆっくりと熱が伝わって来ていて。冷たいだけ、夜と雪の匂いしかない冬の風に、
一筋の花やかな甘い匂いが香っていた。
「あの、」
 フェイトはそう区切ると、はやてに肩を寄せた。そして、夜空を仰いで、空の一点を指差した。
「オリオン座、わかる?」
 はやてはフェイトの腕を伝って、その指が示す方を見上げた。
 影になって浮き上がる家々の屋根や、遠いビルの上端を示す赤い点滅よりも少し上。街明かりに暗い灰色
となって描き出された薄い雲がまばらに散る夜空の、一番晴れた場所。
 突き抜けるような黒い宇宙の果てに、等間隔で3つ並ぶ目映い星が嵌め込まれていた。大気の揺らぎで、
まるで金属片の様にちらちらと瞬く白い星。霞んだ小さな三連星と、それらを歪に囲む4つの星の一つは目
に焼き付ければ微かに赤い。
 オリオン座が真冬の空に輝いていた。
「わかるよ。」
 鋭い風が足元から突き上げて、はやてのマフラーを煽った。フェイトが微かに目を細めて、風を避ける。
その唇は仄かに解けていた。フェイトははやてに、とびっきり自信のある笑みを向けた。
「世界で一番大きなクリスマスツリーを教えてあげる。」
 人通りも無い暗い道の真ん中で、フェイトの瞳が砂金の煌めきを零した。フェイトははやてを促すと、オ
リオン座にシャッターを切るように右手を空に向けた。
「世界で、一番大きな?」
 はやての質問が白くぼうっと広がった。
「そう。オリオン座のクリスマスツリーって言うんだ。」
 フェイトが翳す手の先、はやてはオリオン座をじっと見つめた。透き通るような冬の夜空を貫いて輝く星
を。
「あそこに、生まれて来たばっかりの星がいくつも輝いている銀河があるんだ。
 明るく輝いてる銀河の塵の中で、真っ青な光を出してるんだって。」
 はやてはオリオン座の星々を見つめた。それはどれも一つの星が輝いているようにしか見えなくて、フェ
イトの言うような宇宙の塵の中で輝くいくつもの青い星なんてわからなかった。けれどフェイトは遠くあの
星空を見つめて描く。
「その生まれたばっかりの星に塵が落ちて行くと、星がその時にはもっとすっごく眩しくなるんだって。
 いくつもの星が光ったり、暗くなったりするんだ。」
 フェイトの眼差しには、暗い夜空の間に星が見えている。
「だからね、それを、オリオン座のクリスマスツリーって言うんだよ。」
 はやてはふ、っと目を瞑った。夜風が鼻先を掠めて、髪を散らせる。そうして、フェイトの言うオリオン
座のクリスマスツリーを思い浮かべた。
 上も下も無いような宇宙の黒い空間の中に広がる見上げても果てのないような光の靄。雲よりも大きくて、
雲よりも様々な色をしたその中に、生まれたばかりの青い星が眩しく輝いている。いくつも連なるオーナメ
ントの様な星々が時折、周りを包む靄を晴らして、目が眩む程の明滅を繰り返す。
「うん、綺麗やね。」
 はやては目を開くと、雲の向こう、冬の夜空に瞬くオリオン座を見上げた。フェイトが嬉しそうに目を細
めた。
「はやてなら、そう言ってくれると思った。」
 フェイトは両腕を頭上に掲げて、星の一つに手を伸ばす。街も海も包み込む空には、北極星も北斗七星も
カシオペア座も、名前も知らない星も、まるで木漏れ日のように光っている。
「私なら?」
 思わず聞き返した言葉に、フェイトが肩越しに頷いた。
「うん。だからはやてに話したいな、って思ってたんだ。」
 そうして、もう一度オリオン座を仰いだ。
「私も本当はね、オリオン座の何処にあるか知らないんだ。
 写真もみたことがなくって、ちょっと聞いたことがあるだけなんだ。
 でも、話を聞いた時にね、すっごく綺麗な星空が見えたから。
 だからそれを、一緒に誰かと見たいな、って。」
 フェイトがはやてに向き直る。瞳の淵で、宵の青に染まった金色の睫が綾をなした。はやてはフェイトに
見えないように、スカートの裾を手で思いっきり握り締めた。心臓が熱い。
「そろそろ行こうか、はやて。」
 そう言って、フェイトがはやての手を取った。手袋越しにフェイトの手の感触が伝わってくる。はやては
思わず握り返した。
「はやての手、あったかいね。」
「手袋してるんやから、あたりまえやろ。」
 絞り出した自分の声は、まるで他人のものみたいだった。二人で並んで、分かれ道までの後少しを歩いて
行く。街灯がいくつも過って二人を照らして、星空が何度も二人を包んだ。その度に、はやてはフェイトの
横顔と、夜空の一番晴れたところにちらちらと光るオリオン座を見つめた。
 通りの先、空き地の先に、交通安全を訴える錆びた看板が立っているのが視界に入った。あの看板の次の
角がはやてとフェイトの分かれ道だった。
「もうここまで来たんね。」
 はやてはそう呟いていた。小学生の頃はもっと時間がかかった気がしたのに、同じ帰り道はもう終わろう
としていた。
「なんか、前よりもちょっと短く感じるね。」
 朗らかな声が頷く。フェイトが握る手に力を少し込めた。真っ黒の夜を大きく口で吸い込む。
「エリオはね、プロジェクトF.A.T.Eで作られた子なんだ。」
 唐突な言葉だった。はやてがその言葉の意味を思い出すのに僅かに時間を要するほどの。エリオというの
は、二ヶ月ほど前に保護したという、まだ4歳くらいの男の子の名前だ。そして、プロジェクトF.A.T.Eと
は、そう。
「エリオの両親がね、小さいうちに病気で亡くなった子供を取り戻そう、
 ってそういう研究施設に頼んだんだって。」
 ほんの少し自分より背の低いフェイトをはやては見下ろした。小学生の頃の雰囲気とも違う。でも、同級
生とも違う、どちらともなり切らない、そんな感じがした。
「でも、その後にね、違うそういう研究をしている人が来て、エリオを連れてっちゃったんだって。
 両親にそのとき庇ってもらえなくって、そのまま研究所で一年間実験台にされてたって。」
 はやてはフェイトの手を握った。口の端から零れた息が靡いて、夜風に飲まれる。小学四年生に上がって
しばらくしたころ、フェイトの口から、フェイト自身のことを聞いた。あの時よりもフェイトの声音は落ち
着いて、でも強ばっていた。
「実験していた研究施設の捜査をこの前からやってたんだ。違法研究だから、科学者とかも逮捕してる。
 私は施設の解体が主で、取り調べとかはやってないけど。」
 何をそこで、フェイトは見たのだろうか。何をそこで、これから見て行くことになるのだろうか。違法研
究と自ら言った、フェイトの言葉の意味をどれだけはやてはわかってやれるだろう。生命操作を行う研究施
設の資料なら、はやてだってみたことがある。言葉にしてはいけないような、そんな場所を、彼女は自らの
原風景と思うのだろうか。
「そうやったんか。」
 はやては自分の右手の中にある、フェイトの掌を思った。手袋もしていない冷たい手を。
「突然、びっくりしたよね。でも、はやてにも、知ってて欲しいな、って。
 エリオのこともそうだけど、私のこと。」
 フェイトの唇から溢れた息が膨らんだ。押し流されるまでの一瞬に、複雑な模様を描いて。
「なんで?」
 はやての口は、勝手に動いていた。フェイトがはやての瞳を見つめた。
「はやては私の大切な人だから。」
 包み込むような、そんな笑顔だった。大人びているような、子供っぽいような、不思議な微笑みだった。
フェイトの笑顔だった。はやては空いている手でコートを握り締めて、照れ隠しに空を仰いだ。
 少し顔を上げた所、街並やビルの赤い点滅の少し上で、オリオン座が瞬いている。

		/

 その日は、朝から雨が降っていた。三学期の始業式の日で、HRと十分間清掃が終わったら帰れてしまう、
そんな日だった。
「フェイトちゃん、まだ掃除から戻ってへんの?」
 フェイトと同じE組の生徒に聞くと、肯定の返事があった。
「うん、なんか先に戻ってて、って。
 体育館掃除だし、ちょっと遊んでくるのかな、って思ってそのまま戻って来たんだけど。」
 そう、ありがとう、と返すとはやては廊下を小走りで駆け出した。まだ掃除の終わり切っていない喧噪を
雨音が浮き彫りにしている廊下を、はやては体育館を目指して行く。今日は五人で一緒に帰れる日だったけ
れど、今朝貰った二週間遅れのクリスマスプレゼントのお礼を、改めてフェイトに伝えたかった。
 貰ったのは、掌ほどのガラス細工だった。中に気泡で描かれている立体的な図は、海面に立ち上って行く
空気にも、陸を渡る竜巻にもみえるであろう、偶然と感性で作られたガラス細工。はやてには、星が生まれ
てくる場所の方に見えた。
 朝、渡された時には時間がなくて包装を開けないままお礼を言ったけれど、中身を目にした後の気持ちを、
少しでも早く伝えたかった。次元航行船で行った先の露店で見つけたというガラス細工は、雨空からの光に
翳すと、手の中に水球のような陰影を作り出す。その景色をフェイトにも見せたいと思った。
 階段を下り、上級生の教室の脇をすり抜け、はやては通用口から体育館への渡り廊下に出た。クリアな雨
音が耳を叩き、湿気った雨が鼻についた。冷気が膝を掠めて行く。
「さむ。」
 はやてはコンクリートの渡り廊下を急ぎ足で進んだ。右手の方に、降り続く雨で沼になった校庭が見え、
跳ねる雨粒が薄ら白く映えていた。
 体育館のドアは開いていた。
 大きなアーチ状の屋根を雨粒がひっきりなしに叩く。風の流れで強弱が変わるのすら、音として捉えるこ
とが出来た。誰も居ない体育館は大きな空洞の様で、雨で周りと切り離されてしまう。そんな、空気がした。
 はやては息も足音も忍ばせて、バスケットのラインを踏み越えた。だが、いくら見回しても、フロアにも
正面のステージにも、誰も居ない。
 行き違いになったのだろうか、そんな疑問が頭を掠めた。でも、普通、みなが通る経路を選んで来たのに、
途中で出会わない訳は無かった。はやては黙って体育館の中央に立つ。
 一際大きな風が、外に生える大きな木々を揺らした。
 二階、ギャラリーの向こうで、濃い緑の葉陰が風と雨に身悶えし打ち付ける。その騒音の中に、彼女は立
っていた。
 ただ彼女は、窓の外の木を見つめていた。薄汚れた窓の向こうで枝を広げる、一本の木の陰を。
 どうしようかな、と悩んだのは僅かな間だった。フェイトははやてに気付いていないから、ちょっと驚か
そうと思った。ギャラリーに昇る経路は二つ。ステージ脇と入り口脇の階段だ。はやてはステージの方へ、
気配を消して歩いた。
 ギャラリーは柱が所々張り出していて、少し歩き難かった。それでもはやては足音を立てないようにフェ
イトに近づいて行く。柱の陰から飛び出して、わ、と驚かせてやるつもりで、最後の柱の横を擦り抜けよう
とした。
 フェイトが泣いていた。

 その横顔が目に焼き付いて、そして、泣いていると思ったのは勘違いだったと気付いた。気付いたけれど、
はやては立ち止まったまま動けなかった。
 見たことの無い横顔だった。全て静止してしまったような、色の無い横顔だった。整った相貌がフェイト
を一枚の絵に変えてしまうほどに。金の髪と真紅の瞳が雨の色を湛えていた。
 何処か遠くを、フェイトは見ていた。
 風がまた、木を幹から揺らして枝葉を壁に叩き付ける。雨が体育館を外から置き去りにする。
 はやてはフェイトに、声を掛けられなかった。掛けられないまま、柱の陰に背中を預けた。体は全てその
裏に入ってしまって、ただ窓ガラスに張り付く水滴だけが、はやてを見ていた。
 足音がした。
 見なくても誰の足音か、はやてにはわかってしまった。あの夕焼けと一緒だ、と思った。あの夕焼けと一
緒で、自分は影に隠れているしか出来ない。
「フェイトちゃん。」
 優しい声が、ギャラリーの反対側から歩いて来ていた。
「クラスの子がちょっと遅いな、って心配してたよ。」
 足音は柱の反対側で止まった。
 沈黙が下りていた。
 水が跳ね回り、風がうねるのだけが聞こえた。濃い緑をした木の枝が窓を叩く。窓の外には学校の裏庭が
あった。幾本もの木々が生え、手入れをされている下草がそよいでいるのだけが見えた。窓枠に切り取られ
た景色。
「帰りたいって、思ったんだ。」
 フェイトの震える声が響いた。
「誰が、帰りたいって思ってるんだろう。」
 嗚咽が微かに空気に混じって、はやては耳が聞こえないようにじっと、目だけを見開き続けた。消えてし
まえばいいのに。
 窓に付く雨粒が星空のように見える。