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 赤色の滲んだ月が低い空に落ちている。
「美奈、だいじょうぶか?」
 ビルの屋上、古ぼけたコンクリートの縁にアルテミスは立ちこちらを見上げた。しなやかな体に、月明か
りが滑っている。シルエットへと変わった街並みの上に置かれた満月もまだ遠い夜空に、猫の目は瞳孔をま
あるく浮かんでいた。光の一切を飲み込む瞳に、一つ人影が映っている。
「もっちろん!
 ばっちり影武者、務めさせていただきます!」
 びしっと敬礼の振りをして、いたずらっぽく歯を見せた。オレンジのスカート、靡くセーラー、長い髪。
千億の時間を遡った時と変わらない姿が動く。アルテミスは尻尾を立ててバランスを取ると、呆れた風にた
め息を吐いた。
「その性格でたら、すぐにばれちゃいそうだけどね。」
「ぬぁーんですって!!」
 脅かすように足を踏み込むと、猫は軽く床を蹴った。腰に巻いたチェーンベルトに足を駆け、一瞬で左肩
に乗る。ひげが頬に当たってくすぐったくて、指先で逸らした。
 眼下、夜闇に沈んだ電灯の街は地平の彼方まで続いている。ビルに当たってしまいそうな程に低い雲の一
塊りは、その輝きを受けて灰色にくすんでいる。途切れること無い車の騒音は弧を描いて宙を舞い、風は未
だ冷めやらぬ昼の熱を孕んで手足にまとわりついた。一面の夜景に、一点の閃光が迸る。光の粒は真下から
二人を煽り、虚空へと揮発していく。半球を作り出す光の中に、いくつか人が飲み込まれている。
 それは、最期に見た時と変わらない三人の仲間と、一人の大切な存在。
「心配しないで、ちゃんとやるわ。」
 戦いに身を置き力を振るう皆の姿は、以前となんら変わりがない。ちらと見た写真で確認した顔も同じだ
った、マーキュリーのやわらかな目じりも、マーズの涼しげな頬も、ジュピターの気のよさそうな表情も。
きっと、声もそうだろう。きっと全て同じなのだろう。だが、見下ろせる戦い方は粗末だ。彼女達は誰一人、
プリンセスでさえ未だに真の覚醒を迎えていない。このままではいずれ、戦いは立ち行かなくなるだろう。
影武者として、自分はできるだけ一分一秒でも長く、敵を欺かなければならない。
「君ばかり、すまない。」
 アルテミスの尻尾が肩を半周回って、頬にそっと触れた。
「覚悟はできてるから。」
 はやく思いだして欲しい、本当のあなたたちを。
 雷光が地表を駆けた。鋭い光にわずか目を細め、照らし出された男の顔を視認する。ゾイサイトだ。生ま
れ変わってもなおダークキングダムに身を委ねる男が、力を奮っている。あの時、王宮の最奥部に攻め入っ
て来た時と同じに。
「もう二度と、あの悪夢は繰り返さないわ。」
 二つの体が重なって倒れる血の海を右足で踏んだ彼が、マーキュリーの喉を切ったことを覚えている。
 右手にコンパクトを握り締めた。それは手の中で形を変え、光沢を宿した刃へと変わる。ゾイサイトとプ
リンセスをアルテミスが引き剥がしたら、それが終わりの時だ。過去にそうしたように、今そうするように、
例え何度生まれ変わることがあろうと、使命の前に立ちはだかるなら、何度だって彼らを切り裂くだろう。
 繰り返し、運命が巡る度に。
「しっかしまあ、プリンセスが現世では戦士か。
 人材不足も末期ね!」
 君の恋は、永遠にかなうことはない。
 脳裏に過った言葉が、耳元で切れる風に流された。
「おい美奈ぁ。」
 アルテミスが恨みがましい声を出す。それを頭の後ろに手を当てて悪びれもせずに笑い飛ばすと、ビルの
縁に足をかけた。シルバーミレニアムは潰え、この世に他に戦力はなく、仲間達も未熟であればプリンセス
にまだ戦線に立ち続けてもらうのは仕方の無いことだ。今いきなり戦列を変えれば、彼女がプリンセスだと
気づかれる公算は増すことを考えれば、自分という影武者がプリンセスに向く刃を全て受け止めることがお
そらく最善策だ。
「行きましょう、アルテミス。」
 呼びかけると、ハイヒールがビルを蹴った。
 月明かりにそっと重なって、夜空を駆ける輪郭に淡く光の粒が散らばった。